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作品名:マエノスベテ 作者:たくひあい

第35回 48 49
48
 頭が真っ白になった彼女にはそれすら意味を為さなかった。床に座り込んで叫ぶ。

「許して……許してください! どうか、どうか許して。私、愛されなくていいんです、そんなもの要らない、小さいかもしれないけど代わりに土地を買えるように頑張るから、だから、恋だとか、フリンダとか、もう見たくない、聞きたくないです、ごめんなさい」

「あなたに出来るのは、愛想よく笑うことです。身を粉にするより早いじゃない。どうしてそんな不必要な苦労をさせる必要があるの、挨拶ができれば済む話でしょうに――あーぁ、あきれた」

ウシさんはウシさんで、大袈裟にため息をついて呆れて見せた。
「滅多にないことよ? わかる? 滅多にないのこんな縁談は!そう、もとはといえば、あなたが愛想よくし続ければ何もかもが平和に営まれる、あなたは考えようによってはそれだけの、恵まれた、とても、妬ましい、そういう立場よ、周りからしたらぶん殴ってやりたい」

ぶん殴りたそうに、本当に拳に力をいれて握りしめた。

「私がもーぅちょっと若かったらねえ! 本当、愛想笑いも挨拶も出来ない、お人形さんなんかに引っ掛かってあー、可哀想な旦那様よ」

彼、が動いた。
目の前に出てぐっと腕を掴んだ。
――彼女ではなく、ぼくの。

「え?」

「だめだよ」

何が、と聞こうとしたけれど、彼は何も答えず、代わりに「ここは任せて一旦顔を洗って来るといい、かな」
と、耳打ちしたのみだったので理由はわからないながらに、ぼくもそうすることにした。
今この場に居るのもいたたまれないとは思っていたところだったからだ。

2019/05/14 10:49



49
 洗面所を借りることを伝え、探して廊下を歩いていると、やはり途中に居るヴィーナスを気にしてしまう。
綺麗なドレスを着ていた。

「……っ」

(ときめいてなんか)
ときめく。
それは生きている人間のときには感じもしない特別な気持ち。 ドキドキと脈打つ心に強引に気がつかないフリをする。
こんなところを見られ怪しまれたら病院行ったら? と言われてしまいそうだ。
ガラス越しにそっと相手を眺めた。
 とはいえ恋という病気は、病院では治らないらしいけれど。
 と、考えた途端、今度は先ほどまでの光景がすぐに脳裏に甦ってきてカッと頭に血が上るような衝動が沸き上がる。
心は反対に急速に冷え出した。
「あぁ、もう、さっさと洗って済ませよう」

そのときを誰も見ていないということを改めて確認すると、トイレのそばの洗面所に向かう。ふと、目の前の壁にある鏡を見た。

「…………………………」

怒っているようでもあり、死んだような目をしてる。なるほどな、と思った。
こんな表情で、あの場に居るわけにもいかない。
 ぼくは《動かない身体》が好きでそういう本もよく読んでいる。『温かくない、そこが暖かい』という名句は知られていると思うけど、つまりそうだった。
「十二人形団じゃないんだから。こんな話、誰に得するんだろう」
冷たいことが、冷たいとは限らないし、あたたかいことが暖かいとも限らない。
ぼくにとってきっと生きていることが、生きていない。
彼女もそうなのかもしれない。
「お人形さん、か」

生きていることは、何だろう。そんなことを思わず考えずに居られなかった。

2019/05/15 02:29


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