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作品名:魔術師は笛を吹く 作者:千彰

第3回 「野良猫たちのお茶会」
「(ここだよね、指定された住所って。)」

 アリシアは指定された区域へ迷わず無事に辿り着いていた。
彼女は指定されていた住所付近のメインストリートから薄暗い裏路地へ入り、
どんどん人通りの少ない方向へ力強く進んだ。

「……(匂いが思ったよりきつい。)」

 裏通りはメインストリートとは打って変わって生ゴミの匂いやどことなくカビ臭がしていた。
メインストリートの賑やかな雰囲気とは違い、どこか陰鬱とした雰囲気もさることながら、
建物の陰に通りがあるためか日中にもかかわらず太陽の光はあまり当たらず湿気も多い。
古い木造の建物や年代モノのアパルトメントの存在が、
本当にここは現代のアエルの街の中なのだろうか、と錯覚させるのだった。
そしてこの裏通りの存在はアエルのもう一つの姿そのもの。
多くはいないが道端で倒れこんでいる人の姿、身寄りのない子供達を引き取っている孤児院の存在、
調査員という職業柄この手の情報は逐一耳に入っている。
数年前の経済的不安からくる失業者の増大や、好景気による隣国からの労働移民…理由は多くあった。

 アリシアは指定された廃屋となっているショットバーの前に来た。
どれだけ放置されていたのか見当はつかないが、そこそこ売れていたバーだったに違いない。
ショットバーの入り口だったところ今は開かずのドアだが、そこには殴り書きで”CLOSED”の紙が張られている。
裏通りを行く人々は皆、ちらっとだけ場違いな少女の来訪を視認するだけで、ただ何もせず通り過ぎていくだけだった。
もしかしたら通り過ぎる彼等に情報屋の事を聞くという方法もあるのだろうが、
正直なところアリシアにそんな事を考える余裕は全く無かった。
ただ今は彼を待つので精一杯だったのだ。

「……差出人は不明、ここに来るよう書かれたメモ、そして弾丸。
 ……何か意味があるんだろうとは思うけど、なんで私なんかに……?」

 アリシアはショットバーの前に座り込むと、昨日グレッグと話した謎の郵便物とメモについて考え込んでしまった。
ほんの僅かでもいい、事件解決に関する新たな情報が欲しい。
ずっと探していた事件の手掛かりである可能性、だがその真偽に戸惑いの色を隠せずにいる。

「ヘイ・レディ、こんなところでお悩み中かい?
 いけねぇなぁ、ここは君みたいな可愛いレディが居ちゃいけねぇ場所だぜ。」
「へ?」

 思わずアリシアは間の抜けた声を挙げてしまった。
座り込んでいたアリシアに話しかけてきたのは二十代半ばくらいの軽薄そうな少し長めの茶髪の男だった。
アリシアはじっとその茶髪の男の顔を見つめる。
黙っていれば鼻筋の通った端正な顔立ち、良く通る声の持ち主である事が分かった。
社交界あたりでならば淑女の皆様に人気が出そうな雰囲気とも言えよう。
茶髪の男は着古した黒いジャケットに傷だらけのジーンズ。
革靴もつま先部分に白い埃をかぶっており、日常的に手入れをしている様子は無い。

「何だったら俺がお話を聞いてやろうか?
 こう見えても人の話を聞くってことには長けてんだぜ。」
「い、いや、ええと?」
「お、鳩が豆鉄砲。
 いいねぇ、そのキョトンとした表情〜。」

 突然、と言う言葉は適切ではないだろう。
茶髪の男がすぅっとアリシアとの距離を詰め、僅か数十センチのところまで来た。
一瞬、彼女の警戒が緩み意識がその近づいていた茶髪の男へ集中する。
全然気づかなかった、とアリシアは少し混乱していた。
茶髪の男の声に反応し、はっと我に返り懐に忍ばせていたハンドガンに指をかける。
その時、アリシアはハンドガンのトリガーから指を離す。
セーフティの解除を忘れさらにマガジンには数発の弾丸しか入っていない事をアリシアは思い出したからだ。

「おいおい、そんなに警戒するなよ〜。
 俺様はこの辺りで商売している凄腕の情報屋さんだ。」
「情報屋さん、ですか。」
「おう、凄腕の情報屋さんだ。
 泣く子も黙る“野良猫ディック”たぁ俺のことだぜ。」

 男の二つ名に興味は無かったが、偶然にも目的の人間に出会えたわけである。
例のメモの通りだった。
ただ彼の口ぶりから、彼がアリシア宛に差出人不明の郵便物を送った人物ではないというのは分かった。
もしそうならばこんな回りくどいやり方で近づいてはこないだろう。
だが接触してきた彼の方法は決して成功しないナンパの代表例。
プロファイルで見た通りの人物像に、アリシアは反射的にほっと安堵の吐息が出た。
警戒心より安堵感が勝った今の自分が少しだけ恥ずかしいと思いながらも。

「……貴方が”ディック・バークレイ”さんでしたか。」

 そう言ってアリシアは懐から手を引きメモを確認した。
情報屋ディック、アエルでも指折りの情報屋。
依頼金次第では右にも左にも立場が変わる人間。
茶髪で長身、細身だがやや筋肉質かつ何か格闘技でもやっているかのような身のこなし。
飄々とした雰囲気を持った男だった。
ジャケットの隙間から近接用に造られたナイフ状の刃物と、ガンホルダーベルトもちらついていた。
銃を護身用に持つ理由はわかるが、銃口を突きつけながらの話し合いは嫌だなとアリシアは思っていた。

「へぇ? 俺のファミリーネームまで知っているなんてな。
 レディ……いや、タダのガールじゃねぇな?
 ガール、名前は? 俺の名前は知ってんだから俺にも教えてくれよ。」

 表情こそ変わらないがディックの声が鋭く警戒色を帯びた。
ごくり、思わずアリシアは唾を飲み込み喉を鳴らす。
新人調査員のアリシアにはまだ重く感じられる空気感だった。
視線を彼から逸らしそうになるが必死に我慢した。
ここで視線を逸らせようものなら、これから話す内容について踏み込んだ話が出来ないと思ったからだ。
相手は百戦錬磨の情報屋、こちらは新人調査員、場を踏んだ回数では圧倒的に下なのは明白。
不利な状況だけは作らないようにしないと

「私は市立特別調査室・調査員のアリシア・ファレルです。」
「……ファレル調査員、さんねぇ。」

 ディックは彼女の周囲を舐めるように見ながら、コツコツと靴音を立ててゆっくりと歩いた。
見定めをされている気分、いや、単に馬鹿にされているの?
アリシアはディックから視線を離すことが出来無かった。

「――調査室か
 ってことは例の事件についてだろう?
 んだよまたか……昨日から私立探偵だ、捜査一課だと鬱陶しいったらねぇ。
 他にも情報屋はいるだろうが、一極集中はカドが立つから止めてもらいたいもんだぜ。」

 違和感が走る。
アリシアは直感的ではあったが、言い知れぬ何かを感じ取っていた。
言い換えるならば視線。
ディックが現われたあたりからジットリと背後から見られている感じだった。
そのせいか、ずっとアリシアの心臓の鼓動は普段よりも早く脈をうっていた。

「まあいいさ、ガールは調査室から何のお使いで来たんだ?」
「話が早くて助かります。
 それと私はアリシアという名前です、ガール呼びはやめていただければと……。」
「んじゃまあ、お言葉に甘えてアリシアちゃん。」

 むっと一瞬眉をひそめるアリシア。

「……はい。」
「あーちくしょう、
 こんな辛気くせぇ場所に普通のこんな可愛いガールがいるわけねぇんだよな。」
「…………。」

 アリシアの少々の軽蔑と呆れが混じった視線がディックに突き刺さる。
別の意味でアリシアの警戒心は強まっていった。
だが、もしこの態度が演技だとしたら?
油断させるためにああやった軽妙に振る舞い、その裏ではあれやこれやと策を講じているのだったら?
アリシアは取り敢えず彼の行動や言動については、全て話半分で聞く事にしたのだった。

「ああ、わりぃ話の腰を折っちまって。
 ここで話すのもなんだぁ、こっち着いてきな茶くらいだすぜ。」

 ディックは背中を向けたまま右手を挙げ、着いてこいという合図をした。
アリシアは警戒感を保ったまま先を行くディックに着いていく。
本来ならばその場で話を進めたいところだったが、ディックの雰囲気からそれは許されないと思ったからだ。
それにこの裏通り長時間居て良い場所では無い、服にアンモニア臭が付いてしまう。
恐らく普通の洗濯では取れない類の臭いだろう。
アリシアはせっかく着てきた衣類全部の破棄を検討するのであった。

********

 アリシアは鼻歌交じりで先を歩くディックに離されないように必死に続いた。
歩みの早さがアリシアよりも幾分も早かったからだ。
裏通りの迷路のような路地を左右に曲がり、アパルトメントの中を通り抜け誰も住んでいない廃屋を通り過ぎ、
鍵のかかったドアを手際よく開け階段を降りたら何故か下水道だった。
地下に潜ったと思ったらメインストリートのビルの袖に立っていたりもした。
アリシアはディックの後を付いていくので精一杯だった。
そして約20分後、赤くペンキで塗装された鉄製のドアに辿り着いた。
どうやらここが目的地のようである。
ディックはドアノブに手を掛けるが違和感を察知したらしく、

「あん?」

 と疑問を飛ばす。

「――ちょいと待ってな。」

 ガチャ、ガチャリ。
アリシアもまた違和感があった。

「おい! エンリカ!
 てめぇまた勝手に入ってやがんな!
 気配を隠してもわかんだぞ、こら!」

 突然、ディックが叫ぶ。
思わずアリシアはびくっと身体をふるわせ、懐のハンドガンにまたもや手を伸ばす。
もうほとんどハンドガンはアリシアのお守り代わりである。
ぎぎっと重い音を立ててドアが開くと、そこには赤みがかったボブカットが印象的な女が立っていた。
だがその表情は眠気をはらんだ気怠い様相を呈している。
眼光そのものは鋭く、眠そうな雰囲気とは相容れぬものだった。
アリシアは彼女の強烈な視線を感じ、またもやびくっと肩に力が入る。

「ちょこざいなカギなんてかけるから、アタシの技術が唸りを上げるんですよ!」
「意味わかんねぇからそれ!」
「っと……誰です、その女。」

 まるで首元にナイフを突きつけられたかのような視線だった。
アリシアの首筋にひやっとした汗が流れる。
エンリカと呼ばれた女はアリシアに近づくとお決まりのようにアリシアを上から下へと視線を動かす。
人にジロジロと見られるのって何でこうも生理的不快感が増大するの?と
アリシアは愛想笑いを浮かべながら2人のやり取りを見つめていた。

「ど、どうも、初めまして。」
「睨むな睨むな、いつものような怪しい客じゃねえよ。
 ちょっとした迷い猫みたいなもんさ。」
「ふーん、ならいいですけど。
 アタシは”エンリカ・クローチェ”です、以後お見知りおきを。」
「それよかエンリカてめぇ!
 なんでピッキングして侵入してんだよ!」
「カギが掛っていたら、そりゃあピッキングでしょ。」

 エンリカと呼ばれた女は手に持っていたピッキングツールをくるくると回転させ、
少しだけ誇らしげに言葉を続けた。
ボブカットが似合う彼女の赤みの強い前髪が揺れる。
アリシアは彼女の髪を見て素直に綺麗な色と思っていた。
この地域ではほとんど見られる事が無い為、非常に珍しい色である。
エンリカの赤色、通称は”スカーレット・フェーダー(朱赤色の羽根)”。
一説にはとある民族にのみ継承されるのだとか、
特別な染料を用いて人工的に染めることが出来るのだとか、眉唾ものの噂が多い。

「それにアタシはディックの愛……もとい助手ですし。」
「吹いてろ。
 俺は弟子をとるつもりはねぇし、そもそも弟子とか主義じゃねぇ。
 っと玄関先にいつまでいても仕方ねぇな、
 アリシアちゃんは先に入っていてくれ。」
「……はは、ではお先に。」

 部屋とは名ばかりの空間に通されたアリシアは、あまりにも殺風景だった室内に驚きを隠せなかった。
情報屋というからには資料が散乱し、本棚に囲まれているシーンを想像していただけに当然の反応だろう。
使い古された木製のベッド、年代物のソファーにボロボロになっている南国風だが色使いから無国籍感全開の絨毯。
15インチのブラウン管テレビに、テーブルの上には飲みかけのウィスキーのボトルと空のグラスが乗っていた。
ディックはソファーに腰掛けアリシアにも座るよう促す。

「おおむね俺の想像通りだとは思うが、そのアリシアちゃんはどんな用件で俺を訪ねてきたんだい?
 ただ情報を聴きに来たってんじゃねぇんだろ?
 まあ、単に俺に会いに来てくれたってんなら対応の仕方は変えるけどな!」

 こういう場合、先に客へ座るよう促すものではないの、とアリシアは思っていた。
アリシアが座るように言われたソファーは、叩けば無限に埃りが舞いそうなソファーだった。
念のため、軽くぽんっと叩いてみる。結果は案の定だった。
せっかく履いてきたお気に入りのスカートも埃まみれになるだろう。
アリシアは今日着てきた服全てを破棄する方向で考えを固めたのだった。
ソファーに座り、ようやく本題に進めると思いアリシアは口を開く。

「――では改めてお話します。
 今現在、ここアエルで起きている失踪事件の被害者数についてです。
 あと、私の兄・セリオについても……。」
「被害者数ねぇ。」

 ディックは眉一つ動かさずあっさりとした口調で言葉を続ける。

「被害者数は29名、うち男性は15名、女性は14名。
 まるっきりランダムで、特に法則性は見られねぇが強いてあげれば男女バランスが五分ってところか。
 前者は今言ったとおりだが、後者についてはお役に立てねぇな。
 俺もアンタの兄さんが“最初の被害者”だっていう情報しかねぇし。」
「そうですか……。」

 どこから持ってきたのか、エンリカがティーカップに紅茶を煎れて持ってきた。
この部屋は殺風景だが、ダイニングの方には色々と生活雑貨があるのだろう、アリシアはそう納得した。
エンリカはコトッとテーブルの上に丁寧に置き、なかなか美味しいですよと付け加えた。
紅茶の甘い香りがアリシアの鼻を刺激する。

「オニイサン、ですが。
 お名前はセリオさんって言うんですねぇ。」
「……ええ、兄は私にとって唯一の肉親なので。
 両親はもういませんし。」

 アリシアはどうもと会釈をして、カップを口につける。
口の中で広がる紅茶の甘い香りに少しだけ落ち着きを取り戻した。
エンリカが言うように驚くくらいに美味しいと思わせる紅茶だった。
茶葉の種類までは分からなかった。
セイロン、ダージリン、いやアッサムか。
それとも独自でブレンドしたものなのか。
様々な紅茶の味が見え隠れする、そんな不思議な紅茶だった。

「もう一つお願いがあります。」
「そっちが本題だろ?」
「あはは、嘘が下手なもので……バレてましたか。
 私達、調査室と協力体制を組みませんか?
 これは私達の総意であり、お願いでもあります。」

 ディックはエンリカが煎れてきた紅茶を一口含む。
そしてゆっくりと言葉を返す。

「へぇ……そいつは面白そうだ。
 調査室と共闘か今まで無い展開だな。
 出すもん出してくれりゃあ、俺もやぶさかじゃねえぜ?」
「お金ですか。」
「そりゃあ俺は情報屋だからな。
 慈善活動じゃねぇんだ、ある程度の金額は要求するぜ。
 金さえ積まれりゃ市長の横領の証拠だって、隣人の浮気相手まで教えてやるぜ?
 最低1000ch、上はどこまでもってな。」
「えーと……上から許可は出ていますので、
 3000chくらいまでなら何とかすぐに融通できるかと。」
「6000chだ。」

 アリシアが上から出せると言われた数字から1000高い。
ディックはアリシアが言った数字よりも、本当はもっと予算が出ていると踏んで吹っ掛けてきたのだ。
ここで一旦持ち帰って許可を取っていたら話が進まない。
そう思ったアリシアは交渉を試みた。

「6000hは相場に見合っていません、私達も慈善事業をやっているんじゃないんです。
 ディックさんがどうしても譲らないと言うのであればこの件は無かった事に。」
「へぇ〜……なら5800chだ。」
「そう言えば前に接触した情報屋さん、彼は4800で良いと言っていました。
 彼はやる気もありましたし彼の方が。」
「ほ、ほう……欲がねぇヤツだなそいつは。
 外からの流れもんか? 4800かよ、せめて5000だろ5000!」

 内心アリシアは冷や汗が止まらないくらい緊張していた。当然脈打つ速さも尋常ではなっただろう。
自分が演技派でないことは分かっている。
慣れないことをやっているのも重々承知している。
だが、新米調査員である自分が今できる精一杯は、
はったりうって何としても情報屋ディックと手を結ぶことだった。
他の誰にも出来ない事である。
ディックはふっと溜息を吐き、ちょっと待てという風にアリシアに静止を促す。

「では、私はこの辺で……。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
 そう、普段ならさっき言ったみたいに6000chくらいの金額を請求する。
 分かるだろう、俺達情報屋の流儀なんだが今回は特別だ。」
「おりょ、ディックの言葉とは思えませんねぇ。
 ボランティア精神なんて皆無のはずなのに。」

 ディックは右手を開いて5000で受けようと応えた。
予算内ギリギリではあるが、恐らくこのあたりでないとディックと協力体制は結べないだろう。
エンリカはかなり驚いた表情でディックを見つめていた。
普段の行いが知れる。

「――るせぇよ、俺が昔世話になった情報屋が一人、今回の件に巻き込まれてんだ。
 何とかしてぇって思ってた所だったしな。
 あ、これが振込先ね。」

 そう言って小さいメモをアリシアに渡す。そこには小汚い字で口座番号が書かれてあった。

「それでは契約成立ということでいいですね?」
「ああ成立だな。
 まあ、と言っても俺は俺で独自調査って形になるだろうがな。」
「分かりました、何か分かりましたら調査室まで連絡ください。」
「ああ、了解だ。」

 椅子から立ち上がりオイトマの準備をしていると、
ぽんと古典的な手法で何かを思い出したようなジェスチャーをしてエンリカが口を開いた。

「そういや来週“ダンス・イン・ザ・クラウン”がこの街に来るみたいですねぇ。」
「それがどうした、見たいってんなら一人で行ってこいよ。
 俺はああいうのに興味はねぇ。」

 エンリカは肩をすくめ反論するが、ディックは明後日の方向を見つめていた。

「違いますよ、巷の情報屋さんの方々が漏らしていたのを聞いたんですが、
 なんでもあのサーカス団、実は裏で人身売買の取引に一枚噛んでるって噂があるらしくて。」
「じ、人身売買っ!?」
「エンリカ、そりゃマジな話か。
 噂にしちゃタチが悪すぎるってもんだぜ。」
「ええ、マジですって。
 隣の区画のリカルドさんと隣町のベルナンドさんが言ってましたから噂としてあるのは間違いないと思います。」
「リカルドとベルナンドって誰だよ。
 ちっ胸糞わり話だぜ、火のない所に煙は立たぬか……。
 人を人とも思わない下衆で外道の所業だ。
 ましてや売買される人は決まって女・子どもってな。」

 ディックは身震いしているアリシアとエンリカを交互に見た。
明らかに目が笑っていない。

「おおぉこえぇ、そういきり立つなよ。
 噂があるってだけでまだ証拠なんてなんも出てねぇーんだろ?」
「まあ……警察側も噂レベルではやはり動けないそうで、どうにも情報不足だってことらしいです。」

 しばし考え込むディック、テーブルに置かれていた自分の分のティーカップに口をつけさらにうーむと唸る。
真剣な表情で何か考えごとをしているのは明白だが、
その集中力たるやまるでディックがいる空間だけ別世界のようだった。
ミステリー小説に登場する探偵のようだとアリシアは一瞬思ったが、それはあまりにも美化しすぎる形容だと思い直した。

「………待てよ、こりゃあいい機会かもしれねぇ。
 ついでに探るか。」
「ディック、アタシも同意見です。
 それに情報屋としては良いネタも採れそうですし。」
「今回の失踪事件、もしかしたらサーカス団と関わりがあるかもしれないってことですか?
 正直なところ暴論にしか思えませんが……。」

 ディックはティーカップの飲み残しを一掃し、言葉を返す。

「ああ、俺もそう思うさ。
 だが手掛かりが無い以上、多少的外れ気味でも総当たりで確認して回るしかないだろう。」

 しばらくアリシアは思考を巡らせた。
ディックの言葉にすぐに同意して良いのか、という疑心からである。
だが、仮にも調査員の一人としてここに来て、彼等との協力体制をとっているという事実もある。
無下に断ることも出来ない状態であった。

「分かりました、私も出来るだけ協力します。
 ただ調査室から私以外の応援を出せるかは確約出来ませんが。」
「そっちはあまり期待してねぇさ。
 警察も調査室も言ってみりゃ公共機関だからな、表だって確証もない噂の調査に動くわけにもいくまいよ。
 そういうわけで実質、この件で動けるのはアリシアちゃん、エンリカ、俺の三人ってことだ。」

 アリシアはこくんと頷き席を立つと、ディック達と連絡先を交換して部屋を出た。
アリシアが彼等と協力関係を結んだ事、実は調査室のルールからは逸脱している。
本来であれば正式な協力依頼の書類や各部署の承認を得ないと、
民間機関もしくは民間人個人からの協力は得られないのである。
だがアリシア達調査室は独断で手を結んだ、それだけ彼等は本気だったのだ。
形振りを構っていられる時間は過ぎたと。

 アリシアも思っていた、
やっと兄や今回の事件に関する情報があるかもしれないのに、
手をこまねいて機会を逃しては意味がないと思っていた。

「……(急いで報告を挙げないと。)」

********

 調査室に戻ったアリシアはグレッグに提出する日報作成に勤しんでいた。
もちろん真面目にあの場で行ったやり取りを全て書くつもりはない。
だが、嘘を書くつもりもなかった。
アリシアには珍しく苦戦を強いられる日報作成だった。

「お、珍しく難しい顔をしているな。」
「……あ、有り難う御座います。
 マルティンさんこそ、この時間までいるなんて珍しいですね。」

 アリシアは、眼前に置かれたマグカップを見る。
立ち昇る香りからすぐにコーヒーだとわかった。
コーヒーを持ってきてくれたのは調査室内でも室長グレッグに次ぐポジションにいるベテラン調査員マルティンだった。
セリオの直接の上司だった人物であり、アリシアにとっては調査室に入る前より面識があった人物でもある。
マルティンの助勢があればこそ、今のアリシアがあるのである。

「資料の整理に時間が掛ってしまってね、
 セリオがいたころはこんな事は一度も無かったんだがね、ははは。」
「兄さんはそういうのすごく几帳面でしたから。
 うちでもそうなんですよ、少しでも散らかっていると……ぱぱっと片付けてしまうんです。」

 アリシアは自分の口から言った言葉に後悔した。
兄・セリオが失踪してからというものアリシアはなるべくならば兄に関することを口にしないようにしていた。
兄のことを口にすればするほど、寂しさが増し悲しみが上塗りされてしまうように思えたからだ。
過去にしたくない兄との思い出を既に在りし日のようにしたくない。
アリシアは信じているのだ、兄・セリオは必ず生きていて自分に会いに帰ってきてくれると。

「明日も早いし、私はもう上がりますね。
 マルティンさん、コーヒーご馳走様でした。」
「気負いすぎるなよ、アリシア。
 俺達をいつでも頼って良いんだぞ。」
「はい……。」
「ったくセリオのヤツ……
 普段のアイツならアリシアを心配させるような事しないだろうに。
 全くらしくない……。」

 広げていた資料や報告用紙を手際よく片付けアリシアは調査室を後にした。


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