小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:青春ネバーモア 作者:にゃんくるないさー

第1回 1


   (1)夏に現れたアキ

「トウシロウ?」
 人混みのなかにもかかわらず、おちつきのある、かすかに低い声音が、辺りの雑音をかき分けて耳にはいりこんだ。
 安らぎと焦り。
 そのふたつが同時に胸中にわきあがる感覚に、にわかに息苦しさをおぼえる。
 地元で毎年おこなわれている、歴史ある夏祭り。昔なじみに出会うことなど、特に珍しいことではなく、予想できる範囲の出来事だ。
 本来、こうした機会はかるく挨拶を交わし、思い出話に興じるところだろう。
 ……けれど、平野登志郎(ひらの とうしろう)はなつかしい声を耳にして、その場を動けなかった。
 苦手な相手だからというわけではない。むしろ学生時代は親しい間柄だった。
 単純な二元論。好きか嫌いかで言えば好きな人物であるし、此処に居合わせたことには喜びだってある。
 しかし、だからこそ、どうすればいいのかが頭にうかばないのだ。
(つぅか、あいつ今、こっちに住んでんのか?)
 具体的な行動が定まらないまま、声がとんできたほうへ向けて視線をおくる。
居た=B
 確かめなくとも、彼女がそうだと直感的にわかる。
 しばらくぶりではあったが、学生時代の面影を有したまま、悠然と立っている姿は、変わりなく色気をおびていた。
 やや癖のある、短く整えられた髪。
 長いまつげと、ゆるりと下がった目尻。
 日本人にしては高い鼻と、やわらかそうな唇。
 着用された薄緑の浴衣にはトンボが描かれていて、その純朴かつ古風な柄は、かえってその恵まれた容姿をひきたてているように見えた。
「良かった。別人に声をかけたかと思った」
 おだやかな微笑をうかべると、季節が反映した小麦色の左手を口もとにやり、ちいさく声をもらした。ほかの目に見える部位と比較すると、両腕はあきらかに陽にやけていて、その右手にはデジタルカメラが握られている。
「なんだよ?」
 他意はないのかもしれなかったが、相手からもれ出た笑い声が気にかかって、登志郎はつい悪態をついた。
 むろん直後にまずいと思ったものの、もうこれで会話はつながれてしまった。
 いまさら、そ知らぬふりなどできはしない。
「怒った? 悪気はなかったんだけど」
 こちらの顔色を下方からうかがおうとする、大きくてまるみのある茶色の瞳。
 曇りのない子供じみた無邪気さをおぼえて、自分には毒だと登志郎は感じた。
「そうじゃない、アキ。ちょっと引っかかったってだけだ」
「あっ。ちゃんと名前、覚えててくれてたんだ?」
 アキは、名を呼ばれたことに茶色の瞳をいっそう大きくさせ、話しつづける。やや、声のトーンが高くなった気がした。
「返事が遅れた理由は、私を記憶から消してしまったからではなかったわけだ」
 意図したか不明だが、アキの口調には、どこかおどけた調子が混ざりこんだ。
 このおどけにくるまれた相手の心を考えるのはやめたほうがいい。
 そんな警告にもちかい思考が、すぐさま、脳の内部で駆けめぐる。
 面倒を避けようとする鋭敏な精神のはたらきに、今度は登志郎のほうが笑みをもらしそうになった。洞察による危機察知だけは昔から長けているのだ。
(もしかしたら、これはツケかもな)
 人生はどこかしらで帳尻が合うようになっている。と、人は言う。
 この夏祭りでアキと再会したことには、なんらかの意味と神仏の意図があるのかもしれない。むやみに壮大で信心めいたことを考えつつ、登志郎は嘆息した。
「他人の顔を見てため息をつくと、嫌われるよ?」
「分母をデカくするなよ。嫌な気分になったのはおまえだろ」
「いいえ。私は単に懐かしんでるだけ」
「何をだよ。この地元の景色か?」
 なげかけられた言葉に、アキは視線をめぐらせる。
 行きかう薄着の人々。
 おもちゃ。遊戯。食べ物の出店。
 ほかにはない祭事だけの盛りあがった雰囲気。
「そうね。このお祭りにも、来られて良かった」
 物静かなアキは、微笑まじりに言葉をかえす。
 澄んだ水面のようなたたずまいをくずさずに、瞳がこちらへ向きなおった。
「一人なの?」
「あん?」
「お祭り。トウシロウ、一人でまわってるの?」
 別の人物から尋ねられたなら、嫌みに聞こえてしまいそうな発言だった。
 実際。アキからでなかったなら、登志郎は皮肉をはいていたことだろう。
「見てのとおりってなもんだ。それとも、なんか視(み)えんのか?」
「いいえ。あなたには≠ネんにも憑いてないから、安心して」
 憑いているとはなんのことだ。などと尋ねるヤボはしない。
 登志郎は中学生時代に、そういう誰か≠ニは面会ずみだ。
「トウシロウが一人なら、すこし案内してもらえる?」
「案内っつってもな。俺も、今はこっちに住んでないんだよ」
「私よりはずっと詳しいでしょ。私なんて海外帰りなんだよ」
「んなこと知るかよ。カナじゃあるまいし、そういうのはもっと暇そうな――」
 話をしている最中。アキはにわかに、うしろに視線をやった。
 辺りを警戒するそぶりを見せながら、片手を挙げ、こちらの口を閉ざさせる。耳もはたらかせている様子だが、なにか、心みだす音でも聴こえたのだろうか。
「……アキ?」
 眉間にひびをきざむようになった相手に、つい、感情が心配に偏りをみせた。
 これにアキは内面の変化をつぶさに見てとり、左手でワイシャツの袖を掴む。
「お願い、トウシロウ。追手が来るまえに楽しみたいの」
「……『追手』?」
 使いなじみのない単語。口に出した登志郎の顔も、自然とけわしく強ばった。

 口調や挙動に、ときに子供じみた飾りけのなさがふくまれることはあっても、精神面は理性的な大人の静けさを絶やさない。
 薩摩(さつま)アキから受ける印象は、以前からそのようなものだった。
 無意味なウソを言い、他人を困らせるような幼稚さは、アキにはないはずだ。
 だから相手が『追手』に狙われているというのならば、それはたしかな事実。
(……だと思うけどよ。にしたって、突拍子がなさすぎんだろ)
 ずっとワイシャツの袖を指先でつまみ、歩幅をあわせ同行する相手へと向け、登志郎はひとたび視線をおくると、またたきほどの間で進路にもどす。
 思いかえしてみれば、アキとこの夏祭りをめぐるだなんて、初めてのことだ。
 こんなかたちでなかったら、もっとちがった気持ちで参加できたのだろうか。
(いや、どのみちか。脇腹をつつかれんのが嫌で、俺は此処にいるんだから)
 まわりでは焼きそばやじゃがバターを販売する調理人が威勢のいい声を出し、広く場所をとった会場からは、マイクを通したのど自慢たちの歌が聞こえる。
 華やいだ催しのただなかで、こんな気分なのは、すこしばかり景気が悪い。
「引き受けてくれて、ありがとう。トウシロウ」
 すっきりとしない心地で進んでいると、アキがお礼らしきことを口にした。
「あん? 断れないだろ、おまえ、困ってんなら」
「……ヒーロー気質は健在。というところ?」
「そんなふうに受け取ってる奴、アキ。おまえだけだぞ。見てみろよ、俺を」
 アキの小麦色の左手を振りほどき、正しく姿が映るように体勢を向きなおす。
 どういうわけか。アキには、今の自分の在りようを否定してほしかったのだ。
対決≠避けている自分には、そんな評価は不当でしかないもの。
 しかし。相手はそうした期待には、応えてくれない。
「会えないあいだも、トウシロウは私にとって、ヒーローだったよ」
 などと、やわらかに声音をつらね、アキはよどみなく視線を直射してくる。
 まばゆさのようなものを強く感じ、思わず、こちらは伏し目がちになった。
「ふだん生活していると、なにかと頭を悩ませることが多々あるけど……私は、そういうときトウシロウのことを考えてた。あなたも頑張ってるはずだって」
 続けてそう言ったアキの声音が、どことなく後半でしずむ。
 彼女はみずからの胸もとに左手を置き、眉をまげ、考えこんだ顔つきとなる。
「こんなこと話してるの聞いたら、香奈枝(かなえ)さん、誤解しちゃうよね」
「! 今、カナのことは関係ないだろ!」
 登志郎は瞬発的に言いかえした。振り子のように揺れ動いた心のまま、語気が激しく荒れる。
 おどろきにまかれて、びくっと、アキが後ずさった。
 おびえに酷似した感情が、隠しようもなく映りこむ。
「あ――」
 悪い。ちがうんだ。怒鳴るつもりなんてなかった。
 登志郎は、頭では瞬時に、詫び言をうかべていた。
 けれども、口唇は動かず、声を発することができない。
 どうして、こんな態度になってしまうのか。
 その理由をうまく説明することが、自分でもできないとわかっていたからだ。
 見栄とも意地とも判断のつけられない思いが、声帯のはたらきをさまたげる。
「ごめんなさい。急に立ち入ったこと言われたら、いい気分にはならないよね」
「……っ!」
 この時、背筋のうぶ毛が逆立ったと錯覚する寒気を、季節はずれに体感した。
 両手を合わせて一礼するアキに、心の臓を握られたような苦しみをおぼえる。
「あ、頭なんて下げんなよ! なんでアキはそんな……マジになりすぎだろ!」
「だって……トウシロウ、泣きそうな顔してるから。こんな空気、変えたくて」
「誰が、誰が泣きそうだ、このバカっ!」
 すまなそうなアキへと、とにかく、なにかをしゃべりつづける。
 しかし気の利いた言葉なんて、ただひとつとして、贈ることができなかった。
 女性はおだてておけばいい。という考えかたは嫌いだが、現状ではそれこそが効果的で有用な手段だというのに。
(俺には逆立ちしてもできない芸当だ。そういうのは向いてねぇんだよ)
 心のなかで泣きごとを浮かべたあたりで、すぅっと空気が和んだのを感じた。
 気がつけば、彼女がほっとした様子で、じっとこちらを見つめかえしている。
「そうね――どちらかといえば見慣れてる、こういう空気感のほうが嬉しい」
 口もとに左手をもっていき、柔和な風情をまといつつ、にこりとするアキ。
 それは、ろくに謝れもしない自分などには、もったいないほど綺麗だった。
 あまりの綺麗さに気おくれした心にともない、彼女から遠ざかろうとしていることに気づいたのは、地面に踏みとどまろうと足に力を込めたあとのことだ。
 読みどおりと言うべきか。今の平野登志郎には、薩摩アキは綺麗すぎる毒だ。
 アキのそばでは、平常な余裕が保てずに、こんなふうにかたくなってしまう。
 営業マンとして立ちまわるため得たものなど、ごく限られた場面でしか十全に効果を発揮してくれないものらしい。
(そこそこ、舌をまわして煙に巻くことには、慣れたつもりだったのにな……)
 自嘲気味な笑みをかざりつけ、登志郎はアキへ、
「小腹、減ってたりしないか?」
 と、できるだけのやさしさをかきあつめて話しかけた。
 おたがいのペースを整える算段として、急ごしらえした言葉である。
「好きな食い物の出店を言ってくれ。金、出させてもらうからさ」
「あっ。トウシロウ。聞こえてたり、した? おなかの空いた音」
 頬をそめて、照れを表すアキの返事は、こちらからすると的はずれがすぎた。

 言葉での埋め合わせができない場合。物品でその分を解消しようとするのは、ひとつのあるある、ありがちな一幕だ。
「お芋とは縁があるから、じゃがバターがいい」
 近くにある出店のいくつかに両目を移ろわせたあと、アキは品目を決めた。
 ジョガーパンツから財布を取り出して、うなずきながら登志郎は対応する。
「オーダー了解。買ってくるのも俺がやる。アキは写真を撮ったりしてろよ」
「いいの?」
「さっきので時間無駄にしただろ? 楽しいほうに割けって」
 口唇をはたらかせつつ、道通りの出店をざっと確認する。派手めのフォントが使用された見出しが立ち並ぶなか、ほかにもアキが好みそうな物を探すためだ。
 物量が増せば機嫌がなおる。なんて単純な話ではないだろうが、とりあえず、反省していることを目に見えるかたちで示したい。
「でも。もし、はぐれたりしたら?」
「そりゃ、さじ加減だろ。はぐれないようにアキが……ああ、そうか」
 しゃべることに並行して思考をおよばせ、登志郎は財布をもてあそんだ。
 別行動しているあいだに、『追手』がアキをかどわかすこともありうる。
 自分がアキを見失うことなどはないにしても、対処できるかは疑問だ。
 なにせ、注意するにも登志郎は『追手』の姿も身なりも知らないのだ。
「なにかあったら、大声だして呼んでくれ。そしたら駆けつける」
「そういうのは苦手だな」
「苦手でもやるんだよ。手本みしてやろうか?」
「そんなことしたら、先にトウシロウが不審者として捕まるでしょ」
 おちついた口調で、アキはごもっともな正論を声に出す。
 そして。右手に握るデジタルカメラを構え、フラッシュ。
「!?」
「危なそうになった時。こうして思いっきり眩しくする、っていうのはどう?」
「……やり方はまかせる。なんでもいいけど、俺が動けるように合図すんだぞ」
 急に両目を刺すような光に襲われたため、顔を相手からそむけさせた状態で、助けをよこすことに念を押す。
 かるく首を振ってから、アキのそばを離れ、息をついた。
 心がゆるまるのが感覚的にわかる。まるで、全身の筋がほぐれたようだ。
(アキの前じゃ、なるべく、おかしなことはしたくない)
 そんな自己的な縛り≠ェ、中学生のころから登志郎には根づいていた。
 できるかぎり、薩摩アキと接するときには頼りがいのある姿でありたい。
 わかりやすく言えば、カッコをつけて対応したいという気持ちがあった。
 表現法として、登志郎のなかではこれ以上の言い表しかたは存在せず、もっと具体的に述べよと詰めよられても、どうしようもないものだった。
 逆に、より言葉を削ぐのなら、「相手がアキだから」としか伝えられない。
(あいつが品のいい奴だから、俺もあいつに恥かかせらんないんだ)
 このような理由を付加して納得した時期もあったが、これは後からくっ付けたもので、本質に届いた考えでないのは気づいていた。
 アキのそばだと無理をすることになる。
 ふつうに受けとるなら、これは登志郎にとってはリスキーだ。
 言葉を選んで、心をくだき、背筋まで伸ばさなきゃいけない。
 ストレスの溜まることだ。厄介この上のない相手だ。
 なのに――それなのにどういうわけか。
 放課後をむかえ、家に帰って日付をまたぐと、学校で薩摩アキにちょっかいをかけている自分がいた。
 相手は、目だつタイプではない。かかわらない日があってもおかしくない。
 相手は、不良なタイプではない。話題にあがるような機会はそうそうない。
 けれども、登志郎にはアキの姿が、なぜだか、よく目に留まった。
 あたたかみのある輝きみたいなものを、アキの居る場所ではおぼえるために、自然とアキの存在を感じて声をかけてしまうのだ。
(あれは不可抗力だ。居るのわかってんのに、話しかけないのはどうかって話)
 話題は限定され、ほかの男子生徒とでも会話したほうが楽だ。
 できないようなバカな話も、あいつらとならガンガンできる。
 それでも……けっきょく、選択の自由があればアキと話すことをとっていた。
 自分自身は、アキといっしょにいることを、楽しいと思っているらしい。
 ふとした瞬間。これに思いをめぐらせ、冷静な気分になったことがある。
 思いいたったという重さも。気がついたという衝撃もなかった。
 ほかにはなかった着眼点。慎ましやかな反応。おちついた物腰。
 まるで染み入るようなそれら全部が、本心から楽しかったのだ。
 ほほ笑みをかざらせられたとき、高揚する気持ちや、喜んでもらえたうれしさを学んで、思いがけずに嘆息した。
 登志郎はアキから、なにかと感情を教わった気がした。
 これまでが無感情だったなんて言うつもりこそないが、気持ちが湧きあがる、込みあげるという表現の意味を、アキを通じて実感した。
 他人にはあざけられるかもわからないけれど、すくなくともアキがいなくば、平野登志郎は人間ではなかった=Bここまでゆたかな感情の色をかぞえることはできなかったにちがいない。
 ただシンプルに好意だけをもっていた。
 区切りは飛び越えられる大きさだった。


次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 368