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作品名:パピヨンは、ご機嫌ななめ 作者:ジン 竜珠

第72回 dix−1
 水曜日の朝、陽光を浴びながら、コルボーは海面先(かいめんさき)の海水浴場へと来ていた。
 今、彼女はこの近所に居を置いている。例のセーフハウスを正式に住所にしたのだ。そして、夜は、ここに散歩に来るのが日課になっていた。昨夜のこと、散歩をしていたときに、妙な気配を感じたのだ。
 何者かわからないが、この海から、何らかのエッサンスを盗んだ形跡がある。
 何を盗んだかまでは、わからない。海の生物か、あるいは、海の成分か。だが、いずれにせよ、たいした問題ではない。仮に毒を持った生物のエッサンスだったとしても、その個体は、ずっとこの海域にとどまるわけではないだろう。もしかすると、盗んだその日のうちに、はるか遠方まで行ってしまう可能性もある。
 そうなると「返さねばならない」という強迫観念に捕らわれ、返さざるを得なくなる。あるいは、たまにあることだが、勝手に盗んだものの方から、抜けていく。
 どちらにせよ、気にすることでもない。
 なんのために、何者が、なんのエッサンスを盗んだのか、さっぱりわからないが、気にすることはないだろう。
 アカシックレコードを探っても、何かが盗まれたことがわかるだけで、何が盗まれたかまではわからない。自分が「そのもの」を盗もうとしてはじめて、盗まれていることに気づくのだ。
 今朝も、どうやら、盗まれたままらしい。
 とりあえず、そのことは脇に置いて、コルボーは砂浜を歩いていた。そして、高校の制服姿の少女が一人、砂浜に座り込んで、海を眺めているのを見留めた。
 間違えるはずはない、その姿に、コルボーは近づいて、声をかけた。
「やあ、愛しのパピヨン。こんな時間にどうしたんだい? こんな時間にここにいると、遅刻ではないのかな?」
 それには応えず、パピヨンは、どこか沈んだような表情で、海を眺めているだけだ。
 だから、今度はこう言った。
「もしかすると、今日は、サボタージュかな? ならば、どうだろう? 今日は、我(われ)とともに、デートというのは? 我は、今はフランス文学の大学講師であり、花屋の店員というプロフィルを持っている。やはり、二人以上のプロフィルを持たねば、面倒なことになるからね! よければ、君の美しさ、可憐さ、かわいさ、華やかさ、知的、それら魅力の全てを彩る、シュエット・ブーケを見繕わせて欲しい!」
 だが、パピヨンはただ、寄せては返す水面を眺めているだけだ。
「パピヨン。クールで不機嫌そうな君もステキだけど、君には、笑顔こそがふさわしい!」
 そう言うと、ようやく、パピヨンはコルボーを見上げた。その瞳には、憂色、というより、もっと複雑な色が浮かんでいた。
 ややおいて。
「あんたなら、わかってくれるかな?」
 と呟いて、パピヨンは話し始めた。
「あたし、『トレゾー』を手に入れることだけを考えてた。そうすれば、『あの人』と結ばれる可能性が高くなって、子どもが生まれれば、可能性が分岐して、ヴォラールっていう呪いから、解き放たれる、そう思ったから。だから、場合によっては、無理矢理にでも鞠尾(まりお)和磨(かずま)に吾妻(あがつま)由梨(ゆり)のヴァージンを奪わせることも考えてた。でも、ドラゴンに言われて、気づいたの」
 ドラゴン? 誰だろう? そうは思ったが、話の腰を折るのも悪いので、コルボーは黙って話を聞いた。
「誰かが誰かと結ばれるって、そういうことじゃないよね?」
 パピヨンの瞳から、涙がひとしずく。
 そして、再び、うつむく。
「子どもは、なにかの『道具』なんかじゃないよね? あたし、なんか、大事なことを忘れてたみたい」
 肩が、かすかに震えている。
「あたし、いつの間にか嫌なヤツになってた。確かに、あたしはこれまで、進んで自分から、誰かの命を手にかけたことはない。トレゾーを盗んで、誰かが希望を失い、死んじゃったのを知ったときはショックだったけど、それも初めの頃だけ。いつの間にか、どうだって……ううん、勝手に絶望する方が悪いって思うようになってた。今度の『トレゾー』も、最初の頃は罪悪感もあったけど、いつの間にか『なんとしてでも手に入れる』って、なってた。あの女のことだって、昨日は、本気で殺そうって、思うようになってた。だから、心臓を貫けなかったときは、本気で『悔しい』『しまった』って思った」
 話が全く見えないが、わかることが一つ。
 パピヨンは己の存在そのものについて悩んでいるのであろう。
「あたし、変わっちゃうんだね、嫌なヤツに、最低なヤツに……」
 その小さな肩を見て、コルボーは、朝陽(あさひ)に手を差し出して言った。


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アクセス: 2016