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作品名:今日も杏とて。継 伍之章 作者:ジン 竜珠

第1回 伍之章・壱
 あの人と結婚し、長男を産んで、三年。
 私は病魔に見舞われた。
 そして、今、実感している。

 あと、何ヶ月、生きられるのだろう。

 ふと、そんな考えが頭をよぎる、そんな時間が多くなってきた。病室の窓から外を眺めているとき、ベッドに横になって天井を眺めているとき、そして、主人がお見舞いに来たとき。
 つい、こんなことを口にしては、主人が私をたしなめる。
「何を言ってるんだ。お医者様も言ってるけど、必ず、治る! そりゃあ、ちょっとは時間がかかるけどさ」
「俊之さん。自分のことは、自分でわかるの。なんていうか、日に日に気力が弱っていくのよね。昨日は、窓の外を見ていて、風を追いかけることができたのに、今日は、それができない。ただただ、風が流れていくのを見るだけで、それを追いかけていくだけの気力がもてないの」
 そんなことを言うと、俊之さん……夫は、怪訝そうな顔をする。
「よくわからないな、風を追いかけるとか」
「……そうね。例えば、だけど。鳥が飛んでいるのを見ていて、どこかに飛んでいくのを見ると、ああ、あの鳥は風に乗って、あの街まで行くんだなあ、って思えるの。それを見ていくと、きっと自分も、『そこ』まで飛んでいけるって思えたのに、今は、それができない。ただ、流れていくのを感じるだけ。自分が飛んでいくことは、もうできないって、そんな風に思うの」
 俊之さんは、溜息のような、なんともいえない息を吐いて、笑みを浮かべて、言う。
「気にしすぎだよ。そりゃ、病院の一室に閉じ込められていたら、気も滅入るかも知れない。だけど、治ったら、どこへだって行けるさ」
 日によって、会話の内容は違うけれど。
 でも、たいてい、こんなやりとりで、終わる。
「俊之さん、大亮(だいすけ)くんのこと、お願いね」
「だからさ、早く体を治して、退院しようよ。大亮も、早くママと遊びたいってさ」

 私は「来たるべき日」に備えて、いろいろと書き残している。お味噌汁の作り方や、いろんなお総菜の作り方、家のどこに、何があるのか。どんな日に何があるのか。自治会での決まり事等々。
 実は、ゴミの日さえ、夫は十分に把握していない。私が入院してから、少しはマシになったみたいだけど、息子の世話のために郷里から義母がやってきたので、事実上、家のことは義母に任せっきりらしい。
 私がいなくなると、きっとどうしようもなくなる。だから、少しでもまともな生活ができるように、必要なメモを残しておきたいのだ。
 だから、私は気がついたときに、ノートにいろいろと書き残すようにしている。
 書き残したいことは、全て書き終えた、そんなある日のことだった。
 気力を振り絞って、私は、屋上まで上がった。
 お天気も良かったし、せめて、頭の上がふさがっていない空間で、風を感じていたいと思ったからだ。病室を出て、エレベーターに乗って最上階まで上がって。でも、そこから先は階段だ。私は、血を吐くような思いで、階段の手すりにすがり、階段をよじ登った。誰にも見とがめられていないようだったけど、それはこの際、関係ない。
 私は、屋上へと通じるドアを開けた。
 すると、そこに、その女の子がいたのだ。
 シトリンの瞳をした、髪の長い少女が。
 着ているのは、クリームイエローのサマーニットに、ブルーのデニム地っぽい、サロペットのスカート。背が高くて、スタイルも良さそうだから、もっとお洒落な服を着ればいいのに、と思ってしまうような美人だ。多分、高校生ぐらいだろうか?
 東洋的な面差しだから、お着物も似合うだろう。
 手に持っているのは、アイヴォリーのトートバッグだ。
 他人(ひと)のことだから、とやかく言うべきじゃないのはわかってるけど、彼女には、ちゃんとしたコーディネーターが必要なんじゃないだろうか?
 私は彼女に軽く会釈して、その横を通り過ぎようとした。
 その時、彼女が言った。
「あんさん、もしかして、死ぬことを前提にして、行動してはりませんか?」


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