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作品名:今日も杏とて。継 緒之章 作者:ジン 竜珠

最終回 緒之章・弐
 昼下がりの爽やかな風が、辺りに漂う、陽光の粒を室内に運んでくる。暦の上では、すでに夏。開け放たれた障子から、流れ込んでくる風には、その薫りも乗っている。
 お茶を一服。
 そして、杏が静かに言った。
「ウチ、ようわからんようになってしもたんです」
 やはり、杏の心に何らかの迷いがあるようだ。その内容を深く聞くべきか?
 本来なら、そうするべきだろう。彼女が抱えている問題を聞き、それに対する答を導く。それが適当なのだろう。だが、水穂は違う「道」を選んだ。
「何を甘えてるのどすか!?」
 杏が一瞬だけ肩をふるわせ、目を見開いたように見えた。
「おひいさまは、真洞篭を修めはった身。今さら、何を迷うとるんですか!?」
 一度、過酷な修練を積んだから、それで全てよし、などというものではない。なにかの道を歩む以上、ゴールにたどり着いたと思っても、そこが実は新たなスタートだった、というのは当たり前のことだ。それは杏も納得しているはず。だが、迷っているのならば、今一度、その気持ちを思い出させるのが、まずは第一に自分がすること。水穂はそう思った。
「あの『お篭もり』で、おひいさまは、何を視たのどすか? 己の心、他人様(ひとさま)のお心、人の世の心。そして、その奥にある煌めき。それを視たんやないですか? その煌めきはとても小さいモノ。でも、それが寄り集まった人の世は、極楽の金の砂粒より、はるかに輝いて、尊い。それがわかったから、おひいさまは人の世を護る真義に目覚め、『お篭もり』を無事、遂げなさった。違いますか?」
 杏が、静かに、水穂の言葉を聞いている。その心に去来するものがなんであるか、正確には水穂にはわからない。だから、今回、杏が帰郷してきた、そもそもの理由はわからない。もしかすると、水穂も経験したことのないような、異常な事態にでも遭遇したのかも知れない。
 だが、それでもなお、水穂は言わざるを得ない。杏には、立ち直ってもらわねばならないのだ。そして、その瞳を見る限り、杏は何かを思い出そうとしているように思えた。
「おひいさまのお心を曇らせてるんが、なにものなんか、アテにはわかりまへん。でもな、これだけは言えます。世の中、確かに濁ってます、曇ってます、腐ってます。でも、そこに、……その奥に、小さな煌めきがある以上、それを磨き出すんが、おひいさまのお役目。そのために、おひいさまは日々、精進なさってる。せやろ?」
 その言葉に、杏が三つ指をつき、頭を下げた。顔を上げたとき、彼女の顔には晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
「先生、ホンマに有り難うございます。ウチ、目が覚めましたわ。確かに、甘えてました。これからも、ウチのこと、叱っておくれやす」
 杏には、自分の想いが伝わったようだ。やはり、杏を見込んだ自分の目は間違ってはいなかった。
 そんな思いを抱きながら、水穂は言った。
「せやな。もし、なんぞまた濁るようなことがあったら、いつでも帰って来よし。……たまには、甘えてもええで?」
 嬉しそうに、杏が頷いた。
 その時、ふと、水穂はあることを思い出した。
「せや、おひいさま。おひいさまがこの三月に、千京市から戻られたときには、まだ改装中やった、あの和菓子専門のカフェ、今、お店、開けてますえ。明日あたり、何人か連れて、お茶に行きましょか?」
「ええなあ。行きまひょ」
 嬉しそうに、杏が頷いた。


(今日も杏とて。緒之章・了)


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