「どうやら、お前が首魁(しゅかい)のようだな」 菱森山の中腹にあるキャンプ場で、栂たちは一人の、白髪の男と相対している。男は、七十歳代だろうか。着ている白練りの服から想像して、自分たちと同じ神仙道か、古神道の修道士らしい。栂の言葉に、男が口の端を歪める。 「ほう。浜辺に放っておいた妖魔どもを、倒したか。まさか、これほど早くここに来るとは、思わなんだ。時間稼ぎにもならぬわ」 栂が、咒氣を充填しながら、男を睨んだ。 「一応、聞いておく。何を企んでいる?」 先刻の言葉から察するに、ろくな目的ではない。そもそも、ここの負の氣を引き出している時点で、おかしいのだ。まともな道士のすることではない。 男が呵々大笑する。 「キサマも道士の端くれならわかるであろうに! 負の氣を実体化させた妖魔を、人に憑ける。その人間は業(ごう)を露わにし、周囲のものたちを、苦しめる。そして、それを修祓する。よい修行になるではないか!」 冥神のメンバーは、これまでも、負の氣を引き出し、悪用する輩を見てきた。 だが、この男は基本的な何かが歪んでいる。 「もし、本気でそんなことを言っているのだとしたら、一道士として、断じてお前のようなものを認めるわけには、いかん」 同行した三人も頷く。 「まだまだ、青いな。何も起きなければ、人間はその業を、己の中にたたみ込んだままなのだ。それでは、前へ進めぬ。それぐらいわかるであろう?」 嘲笑混じりの言葉を聞いていると、気分が悪くなる。睨んでいると、男がまた笑う。 「まあよい。いずれにせよ、もう遅い」 そして、男が低くくぐもった声で咒(しゅ)を唱える。直後! 地から、異様な流れがわき起こり、「それ」が現れた。 「鬼……か」 赤銅色の異形。身長は二メートルほどだが、紛う方なき鬼であった。 「まだまだ、形にできていないものもあるが、その鬼が時間稼ぎをしてくれるわ」 歪んだ笑いを貼りつけて、男が林へと向かう。 「室井(むろい)、高浦(たかうら)、その鬼を頼む! 井野(いの)、俺と一緒に来い! ヤツを叩く!」 栂も、林に向かう。 男がその気配に気づき、咒力を巡らせて、結界を作ろうとする。それを、井野の手刀が斬り裂いた。 男も、自分の孫ほどの若い男に、自分の張った結界が破られるとは、思ってもいなかったようだ。狼狽した余りに、隙ができた。 その隙を突き、栂が男の間合いに踏み込む。当て身を食らわせようとしたが、かわされてしまった。どうやら、体術もそれなりに心得ているらしい。 男が体勢を整えようとしたが、井野がその間(ま)を与えないように、拳を、そして蹴りを放つ。 足に咒力を込め、一気に跳躍して上空で身をひねると、栂は男の背後に着地する。林へ侵入するのを防ぐためだ。 「ウヌッ!?」 男が、振り返り、栂を睨む。完全に挟み撃ちになった格好の男だが、不意に邪悪としか表現できない笑いを浮かべる。 「わざわざ、林に用意した陣に入るまでもない。ここに法陣を作ることもできる。そのための贄になれ!」 男を中心として、強大なマイナスのエネルギーが渦巻き始めた。 栂の中に焦りが生まれる。このエネルギーの大きさは、先刻察知した「負の氣」どころではない。これほどの術士だとは思っていなかった。 「邪術使いめ!」 脚に力を込め、拳を構える。井野は、邪気に当てられ、気を失っていた。 それを確認して、栂が全身の咒氣を拳に込める。他のメンバーが到着するまでの時間稼ぎはしておきたい。そして、踏み込もうとした時だった。 「……? 唄?」 辺りに、涼やかな声が響いてきた。その韻律は心地よく、まるで、子守歌のようでさえある。 それは、栂の知らないものであったが、神歌(しんか)に間違いなかった。 栂だけではない。男も、室井も高浦も、そして、招魂された鬼でさえも、この唄に心を奪われているようだ。 困惑とやすらぎとが混在する、不可思議な感覚の中、辺りが光に包まれた。
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