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作品名:仙珠伝奇 作者:ジン 竜珠

第69回 第五章・七
 そして悠姫は、兵摩をしばらく悲しそうな目で見たあと、自分の指を傷つけてその血を飲ませてくれたのだという。
「神仙の……、悠姫の血の効果は素晴らしいものでした。ほんの数滴口にしただけなのに、僕は体の底から力が湧いてくるのを覚えたんです。断食で消耗しきった僕の体が、です」
 だが、それは両刃(もろは)の剣(つるぎ)だった。
「でも、僕は同時に奥底から噴き上がってくる衝動を、抑えることが出来なかった。手当たり次第破壊した挙げ句、僕は、僕はこの手で」
 兵摩が自分の手を見て震えている。しばし先を続けることを逡巡したかに見えたが、兵摩は意を決したように言った。
「僕は、悠姫を乱暴してしまったんです」
 波の音が、白々しく聞こえる程、空気が凍り付いたように感じた。一瞬だが、竜聖の思考も呼吸も、止まった。
 兵摩の言った言葉の意味が、すぐには理解出来ない。だが、時間の経過とともに竜聖の頭の中で、力に呑まれた時の自分と兵摩の姿が重なっていく。それが完全に一つになった時、時間が動き出した。
「僕が我に返ったのは、もう夕暮れ刻でした。夕日に照らされた悠姫は、着衣らしいものをほとんど着けておらず、その全身は僕の吐き出した欲望で余すところ無く汚されていました」
 目の前にいる兵摩によって、かつて悠姫が辱(はずかし)められた。だがその事実を、悲しいとも憎いとも、竜聖には思えなかった。
 いや、一瞬ではあったがそんな想いに心が揺れた。だが、今はそれを凌駕する程の感情が、彼の心を動かしている。兵摩は、自身を「罪人」だと言った。そういえば、兵摩と初めて話をした時、彼は「神仙の血によって罪を犯した者がいる」とも言っていた。
 兵摩の横顔から、その想いの全てを推察することは叶わなかったが、それはおそらく竜聖自身が感じている想いと同じようなものに違いなかった。
「僕は、取り返しのつかないことをしてしまった。そう思いました。もはや生きている資格などない。そんな風に自分を責めたんです。そしてそんな言葉ではとうてい足りないほど、僕は罪の意識に苛まれた。しかし、悠姫はそんな僕を赦(ゆる)し、受け入れてくれたんです。彼女は、自分自身の行動がどんな結果をもたらしてしまうか、それを考えた上で、僕を救ってくれたんです。その時、僕は決めました。この命ある限り、この方の剣となり盾となろう、と」
 静かな兵摩の言葉は、しかし熱を帯びているようだった。我知らず、竜聖は頷き、拳を強く握りしめていた。
「だから、悠姫が一転して君に神仙としての修行を積ませると言った時も、僕は反対しなかった。僕は彼女を護るために在り続けようと決めたのだから、彼女が決めたことには従おうと思っているんです。さすがに十年前からの彼女の言動には、目に余るところがあったので、気になった時には意見はしましたが」
 結局、悠姫の冷酷な態度は呪符によるものだったわけだから、悠姫本人の判断とは無関係だったのである。
 それがわかった今、兵摩の胸にあるのはおそらく悠姫への思慕(しぼ)の念であろう。それを感じながら、竜聖は話を聞いていた。
「君が『力』に呑まれて我を失っていた時、僕は君を止めようとしました。それは、ただ義務感からだけではありません。僕はあの時、君に殺意を感じていたんです」
 それは覚えている。竜聖は、兵摩から殺意を感じ取り、逆に殺そうとさえ思ったのだ。
「それに気づいた時、僕は自分に言い聞かせました。相手を殺すぐらいの気持ちでかからないと、逆にこちらが殺(や)られると。そう思うことで、僕は自分をごまかしていたんです」
 不意に兵摩が竜聖を見た。その瞳には、真っ直ぐな光が宿っている。
「竜聖君、僕は君に嫉妬しています。僕が悠姫から与えられたのは数滴の血なのに、君には心臓、つまり悠姫の体の一部が与えられている。確かにやむを得ない状況だったのかも知れません。ですが、それが僕には妬ましかったんです」
 竜聖は、返す言葉を見つけられない。初めて会話した時から、兵摩は竜聖にそんな感情を抱いていたのだ。それでも竜聖を気遣うように接してくれた彼の、その心の内はどんなだっただろう。それを思うと、何も言葉が出ないのだ。竜聖の心の動きを確認するように彼の瞳を見てから、兵摩は話し続ける。
「君が狂乱した時、ここで君を殺せば、何もかもご破算に出来る、そんなことも思いました。どうやら、僕も我を失っていたようです。でも、僕は君に敗れた。そして悠姫が施してくれた呪のおかげで回復し駆けつけた時、僕は信じられないものを見たんです。そのおかげで、僕は正気に戻れたのかも知れません」


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