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作品名:言凝、幸わう星 作者:ジン 竜珠

第66回 第六章・十
 視線を暗い海面に向け、マスミは言った。
「儂が言いたいのは、そういうことではない。誰かを手に掛けねばならぬ時、最初、心が千々に乱れると思うておったのだが、さほどのことはない。どこか澄み切った水面を眺めるような心境なのじゃ。これは、はたして人間として抱いてよい感情なのか?」
 これだけで納得したように真雄は頷いた。
「刀月の野郎のことか?」
 海を眺めたまま、マスミは応えない。
「まあ、なんだ。いわゆる覚悟を決めた、てことだろ?」
 頭をバリバリと掻きながら真雄はマスミと同じく海面に目を向ける。
「そのような言葉で片づけてよいのか? 命を奪うということが、どれほどのことであるのか、儂はそれを知っておる。あの時は確かに、心乱れた。それなのに、今の儂は……」
「なあ、マスミ」
 静かに穏やかな声で真雄は言った。
「覚えてるか、俺とお前が初めて遭った時のこと」
 唐突な言葉に驚いたのか、マスミが真雄を怪訝そうな目で見た。
「俺は、まだ六つか七つのガキだった。だが、親の教育のせいもあって、頭の中だけは早熟でな。いっちょまえに仏法の理とやらを理解した気になってた。それで、世の中を見て絶望してたんだな。仏法が広まらねば、世はよくならない。だが、はたして本当に仏法が広まることで人々の苦悩は救われるのだろうか、てな風にな。それで、いくら仏法を修めても人々を救えないのではないかって絶望して、衝動的に崖から身を投げた。その時、俺を救い、叱り飛ばしてくれたのが、お前だった」
「そんなこともあったな」
 マスミは懐かしむというより、真雄の言葉に反応しただけのようだ。
「命を粗末にするな、お前の命はお前一人のものではない、今この瞬間、そしていつの日かお前を必要とする者のためにも生きねばならぬ。涙を浮かべて、俺を叱ったお前に、俺も涙をボロボロ流したな」
 感慨深げに真雄は言う。だが、マスミの表情は晴れない。
「俺はあの時、お前を本物の天女だと思ったんだぜ。何せ、俺を宙で受け止めて、空を飛んでたんだからな。そのあと、お前が人の身にして神仙道を修め、ある種の『境地』に達したことを知って、俺は『これだ!』と思った。混迷を極めようとする人の世を救うには、教理だけじゃなく、実践を伴う『力』じゃなきゃならない。それでお前に弟子入りを志願したんだが、あっさりフラれちまった」
 軽く笑ってみせるものの、マスミの表情は暗いままだ。
 それに少しばかり胸が痛くなったものの、真雄は努めて軽口を叩くような口調で続けた。
「でも、お前は俺を見捨てなかった。俺に『虚空蔵求聞持法』を修めろと奨め、俺は実際にそうした。そして俺は密法を知った。もっとも、その時のことも含めて、それからあとのことは随分と伝説化されちまってるけどな。お前と遭った時のことは『誓願捨身』なんてな美談に変わっちまってるし。単なる投身自殺未遂なのにな。……まあ、俺も『虚空蔵求聞持法』を奨められた時のことは、一人の沙門に出会ったってことにしといたんだが、時代的にしょうがないところもあったからな。そのあたりは許してくれ」
「真雄、何故、今頃そんな話をする?」
 本気でわからないのか、マスミは首を傾げた。真雄は溜息をついて答えた。
「つまりだな、お前はいつだって俺の目標であり、師匠って事だ。お前が主張していることは仏教とは反するところもあるから、お前のことを『仏敵』なんて呼ぶこともあるが、ある意味、それぐらいでないと今の世を救うことは出来ねえ。……アーヴィングのことも、今は仕方がなかったと思う。あいつ自身がどういう『今』を選ぶのか、それはあいつが決めることだ」
 照れ隠しに鼻の頭を掻いてみる。
「そんなわけだ。お前はいつも根拠のねえ自信で溢れかえってろ」
 きょとんとして真雄を見ていたマスミだが、不意に髪をかき上げると海を見た。その横顔はいつものように自信に満ちていた。
「そうじゃな。いつまでも落ち込んでおるわけにもいくまい」
 そして真雄に視線を戻す。
「有り難う。どうも、今回は諸事につけて神経質になりすぎておるようじゃ。思えば、人を手に掛けるのは、これが最初ではない。時にそうすることでしか、相手を救うことが出来ぬ事もある。……詭弁じゃがな」
 一瞬だけマスミの表情に暗い影が差すものの、まさに一瞬。すぐにいつもような勝ち気な瞳で、
「それでも、やらねばならぬ時もある」
 そう、宣言した。
「そんなこと言うから、仏敵なんだ、お前は」
 真雄も軽口で応える。
 その直後。


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