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作品名:言凝、幸わう星 作者:ジン 竜珠

第62回 第六章・六
 ホテル・アトラス。
 深夜、そのロイヤルスイートにいるのは。紅久那刀月だ。刀月はソファに座り、目の前にうずたかく積まれた書籍の山を見ながら、満足げな笑みを浮かべている。
 山の高さは二メートルにはなろうか。横幅は一メートル近く、縦幅は七、八十センチ近くある。大部分は分厚い本で、ハードカバーのものが多い。さながら、本で出来た壁、いや何かの台座のようだ。
 ちょうどそこへシャワーを終えた咲弥が現れた。
「いかがされましたか、刀月様?」
 刀月の表情に何事か感じたのだろう、咲弥が歩み寄りながら、そんな問いを口にした。
 バスローブ一枚の咲弥は、まだ水気の残る髪のまま刀月に寄り添う。シャンプーの甘い香りが刀月の鼻をくすぐる。
「マスミを倒す方法が見つかったのですか?」
 わずかに期待のこもるような瞳をしたのは、咲弥の嫉妬の表れであったか?
 刀月は首を振り、答える。
「いや、そちらはまだだ。使えそうな書のみをつぶさに検討したのだがな」
 そう言って刀月は本の壁を見る。だが、その声にそれほどの落胆の色はない。
「だが、別の道が開けた」
「道?」
 小首を傾げ、咲弥が刀月の瞳をのぞき込む。
 もったいをつけるわけではないが、すぐに話してしまうのはためらわれる。それは、話すと同時に最善の策を口にせねばならぬと彼が思っているからであり、そうせねばならぬのは、「口に出す」行為がある種の言霊の行使に繋がり、結果を予見してしまうのを避けるためであった。
 そしてそのことは咲弥も経験で知っているはずである。事実、彼女は刀月が口を開くまで決して聞こうとはしない。
 やがて。
「理由はよくわからないが、皇アーヴィングを規定している言凝の縛りと護りが弱くなった。今なら、こちら側の干渉で、彼の封印を解けるやも知れぬ」
「では!?」
 咲弥が目を見開いた。驚きと喜びの混じったような、そんな表情だ。
「うむ。今宵のうちに干渉をかけて、こちらの都合の良い場所まで誘い出す。場所は決めてある。咲弥、お前には我が術の『中継』を任せる。おそらくマスミは気づくであろうが、それに対しても手を打つ。いいな、これが最初で最後、最高のチャンスだ」
 この言葉が何を意味するのか、咲弥にはいやというほどわかっているはずだ。
 咲弥は口許を真一文字に引き締め、一度だけ頷いた。立ち上がり、バスローブを脱いだ。一糸まとわぬ姿になり、テーブルの上のナイフを手に取る。何らためらうこともなく、彼女はそのナイフの刃を白い滑らかな肌に走らせた。
 左の手の甲から、肩へ向けて真一文字に。
 しかし不思議と血は垂れ流れない。まるで流れる端から刃が血をすすっているかのようだ。
 腕だけでは足らぬのか、彼女は切っ先を胸の中心に当て、真下へ滑らせた。臍の上で止めるが、やはり出血は微量だ。それに合わせるかのようにナイフは赤黒い光を帯びていく。
 陶然とした表情で、咲弥は刃を舐める。その様は、得物を求める夜の魔獣のようにさえ思えた。
 わずかに性的な高揚感を感じつつ、刀月は咲弥に出発を促す。
 着替えるためその場を辞した咲弥の背を見送りながら、刀月は静かに自分の中にある「スイッチ」を起動させる。
「目覚めろ!」
 こんな時のために用意していたカタビトたちの起動スイッチだ。宣言するような声は、あらゆるモノを媒介にして震え、世界へと伝わる。
 水面に広がる波紋のように。
 そして世界各地でカタビトたちが目覚めた。これまでに作り出したカタビトの中では最悪の出来とも言える粗悪品だ。その多くは、もはや人間と呼べる形状でさえない。だが、その分、別の能力を附与している。あるモノは戦闘能力を特化させ、あるモノは短時間に数多くの「分身」を生み出すことが出来た。異常なスピードで移動し人を襲うことだけを目的に設定したモノもあるし、水の中に潜んで飲料水を毒に変える能力を持ったモノもいる。
 これらは、この十年をかけて刀月が作り出し、世界各地に潜ませてきたモノだ。もっとも、マスミや、世界各地の「正義」を標榜する「魔道士」・「術者」たちに発見されたモノはことごとく破壊されているが、それでもかなりの数が残っている。
 悪意を持って作られたカタビトは、人々の悪意によってたやすくカムフラージュされてしまうが故に、マスミでさえ、すべてのカタビトを見つけ、破壊することは不可能なのだ。
 思わず、揶揄する笑みが浮かぶ。


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