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作品名:言凝、幸わう星 作者:ジン 竜珠

第36回 第四章・四
 バイト先に行く前に、俺は例の工場跡地とやらに行ってみることにした。地図のおかげで、そのあたりは俺にもわかる。もっとも元々工場地区なだけに、頻繁に行くようなところじゃないし、詳しい訳じゃないから、どこに何があるかとか、どの建物が何の倉庫かなんてことはわからないが、地図の写しを見れば、だいたいの位置関係はわかるというものだ。
 バイト先である「マホラバ」へは、いつも歩いて行っているから、そんなに時間はとれない。いつものスケジュールで寄り道をしなければ、だいたい三十分前に入れるが、今日はどのくらい時間を食うか読めない。地図の辺りは歩いて七、八分ぐらいのところだから、往復を考えたら、使える時間は十分ぐらいがリミットだ。
 俺は図書室でコピーした地図、そして例の地図を見ながら海浜地区の工場街の周囲を歩いた。フェンスがあったりして、さすがに中へは入れないから、辺りをぐるぐる回るしかないのだ。やがて。
「あ、あれかな?」
 しばらく周囲の様子と地図を見比べていた俺は、海に面した一角に、目的の場所を見つけた。
「あの倉庫と、建物の間の空き地。うん、あそこで間違いない!」
 確信を持った俺は、どこかに入れるところはないか、辺りを探した。しばらく周りを見ていると、フェンスがはずれているところを見つけた。不法侵入になるけど、別に何か高価な物があるわけでもないし、それによく見ると隣に立っている倉庫も建物も廃屋同然で、いつ崩れてもおかしくない感じだ。誰かが働いている感じじゃないし、ちょうどその建物が盾になって、誰かに見とがめられることもないだろう。
 俺はフェンスのはずれたところから中へと入った。その途端のことだった。
「来ると思っていたよ、皇アーヴィング君」
 重低音の、凄みのある声がした。声のする方を確認するまでもない。あの男だ。
 頭(こうべ)を巡らせると、はたしてそこに立っていたのは、昨夜俺に封筒を渡した男だ。あの時と同じく、黒いロングコート、黒いシャツに黒いスラックス。黒ずくめだ。十メートルくらい先に立っている。
 男は薄く笑って言った。
「人間、誰しも『自分とは何者か』を知りたいという欲求を持っている。特に君のように、記憶の欠落した者なら、その欲求の強さは如何ばかりのものか」
 もったいをつけるように、男は続ける。
「本当の自分とは一体何であるのか。現状に不満のある者は、時に『自分』を捏造し、その幻影に酔う。その夢想は、不遜にも天すら手にし、世界を自在に操ることさえある。そして一時(いっとき)の夢に気を紛らせるのだ。その傾向は、実にとるに足らぬ、つまらない人間ほど強いと言えよう」
 ずいぶんないいようだ。人が夢を見るのは、個人の自由じゃないか。それをまるで、弱者のする現実逃避みたいな言い方をして。
 俺は胸がむかつくのを覚えながら、抗議してやろうとした。だが、それより早く、男が言った。
「しかし、君は違う。むしろ逆のようだ。君は自分の本当の価値について、夢想すらしたことがないだろう。いいかね、アーヴィング君、君は自分が如何に重要な存在であるのか、理解していないようだ。君はこんな街で埋もれるような、そんな存在ではない!」
 強く、男は言い切る。
 思わず息を呑む。
 なんていうか、そんなこと生まれて初めて言われたような気がする。
 いや、あくまで記憶にある範囲で、という意味だけど。
「私なら、君の存在意義を百パーセント、活かしてみせる。どうかね、私とともに来る気はないかね?」
 男は口の端に笑いを浮かべ、俺に手を差し出す。
 口説き文句としては、申し分ないかも知れない。悪い気はしないし、プライドをくすぐる表現に、俺も思わず心が動きそうになったほどだ。だが。
「悪いけど、あんたと一緒にどうのこうの、ていうのは考えられない」
「……何?」
 一瞬だけど、男の顔が歪んだ。
「俺がここに来たのは、ここが、俺が事故にあったっていう花火工場の跡地だからだ。あんたがいるかも知れないとは思ったけど、それは話を聞きたいからで、別にあんたと行動をともにしたいからじゃない」
「ほう」
 さっきとは違う感じの笑みを浮かべる男。ちょっと凄みがあって、ほんのちょっとだけ怖い。だが、俺は勇気を出して言った。


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