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作品名:言凝、幸わう星 作者:ジン 竜珠

第30回 第三章・七
 眠らぬ街、というのは陳腐な表現だ。眠ることを忘れた街、夜を無くした街、静寂を恐れる街。どれもありきたりで、使い古されている。
 だが、葦原中津市の新市街、その夜の顔を評するのに、これ以外の適当な言葉は見当たらない。それだけ、ここはありきたりの顔を持ち、陳腐な夜の姿しかないのだ。
 人の流れは家路を急ぐものではないだろう。喧噪は溌剌とした心情の発露ではないだろう。着飾った女たちの笑顔は、無垢なるものではないだろう。
 それを、マスミは何らの感情を交えずに見ていた。リューカと二人、ひときわ高いビルの屋上に立って。
 そう、彼女には七十メートル下の景色が見えている。行き交う人々の姿形だけでなく、その表情そしてその裏に隠された心根まで。
 マスミは静かに街を見ている。
 それはまるで、己を虚しくして、ただただ情報を入れる器に成り切っているかのようで、事実、そうであった。
 そうして数分も経った頃だ。
「リューカ、主(ぬし)に任せる。数もわかるな?」
「えと。近づけば、わかる」
 リューカはマスミを見上げて笑顔になる。
 少しだけ眉をひそめてから、マスミはスカートのポケットから携帯電話を出した。
「主だけに任せると、下手をすれば巻き添えが出るやも知れんな。応援を呼ぼう」
「応援?」
「真雄じゃ」
「あれ? いつの間に携帯番号、聞いてたんだ。マスミも隅に置けないなあ」
 そう言ってリューカは、ニヤつきながら肘で小突くフリをする。
「そんなわけあるかっ」
 と、言ってから携帯を耳に当てる。ほどなくして相手が出たようだ。
「もしもし、真雄か? 儂じゃ、マスミじゃ」
『なんだ、お前か。よくわかったな、この番号』
「儂を誰じゃと思うておる?」
『……そうだったな。で、何の用だ?』
「新市街の目抜き通りに、『カタビト』がおる」
『……何?』
「リューカに任せようと思うたが、巻き添えが出るやも知れぬでな」
『フム』
「時間が作れるなら、手伝いに来てもらいたいのじゃがな」
『……そうか』
「どうじゃ?」
『お前は、しないのか?』
「儂が口を出すのは、採点の時だけと決めておる」
『なるほどな』
「場所は『テンペストビル』の近くじゃ」
『わかった、すぐに行く』
「すまぬ。よろしく頼むぞ」
『ああ、あとで』
 携帯をポケットにしまうと、マスミはリューカに向いた。
「真雄を呼んだ。それまで時間を稼ごう。特別じゃぞ」
 そう言って静かに夜空を見上げる。地上の照明のせいで星は見えぬ。それでも、上弦の月だけは漆黒の天幕に開かれた裂創の如くに、浮かび上がっている。
 数度、呼吸を整えると、マスミは「謡い」始めた。その節回しは俗に言う「四七抜き音階」に似ていた。歌詞と呼べるものはなく、ただ母音を繰り返すのみに近い。時折入る子音も、意味をなさない言葉の、否、音の羅列でしかない。だが。
「をををっ!」
 リューカが地上を見ながら、驚愕の声を上げた。
「すごいよ、マスミ! 『カタビト』だけが別の方向に向かい始めたみたい。さすがだねー、やっぱりすごいよねー!!」
 リューカがやたらと感嘆の声を上げるのを聞きながら、不意にマスミは謡うのをやめた。
「ほえ? どしたの、マスミ?」
 口許に笑みを浮かべ、マスミは答える。
「さすがは真雄。神足(じんそく)通(つう)も冴えておる」
 そして。
「行くぞ、リューカ」
 そう言い放つとマスミは一度の跳躍で、屋上に設置された高さ三メートルのフェンスを軽々と越え、地上へとダイブした。
「ちょ、ちょっと待ってよう!」
 リューカの声が後に続いた。


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