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作品名:境界線 作者:北川 青

第3回 狐の御山から

 今日もこの辺境に迷子がやってきた。まだ若い女性が二人、ずいぶんと疲弊した様子で駅のホームを歩くのを、鈴懸と鈴白は並んで眺めた。駅にほど近い小山の中腹の、梔子の枝の下に隠れながら。

 女性たちを下ろした黄色い電車が大儀そうにがたごと音をたててトンネル向こうに消える。その間に小さくなって、果てには1つになってしまう女性たちの背中を、じっと眺める二人の頭上で梔子が歌を歌う。疲れてしまった彼女たちへの、幸せの歌。

「さっきの人たちは、なんでここに来たんだろう?」

 幸せの歌の中、鈴懸のなんでもない疑問は風に溶けてしまう。きちんと咀嚼する前にいなくなってしまった言葉に、鈴白はすこし困ってしまった。二人は正直と、誠実と、素直を好んだ。なんだって真正面から受け止めることが好きだった。どうでもよいと流せる言葉にさえ、向き合うことを大切にした。二人はよく気が合ったし、だからこそ鈴白は、鈴懸のなんてことのない疑問に答えたいと思った。そして、消えてしまった言葉に答える術がないことを理解して、しょんぼりするのだった。

「わからない」

 どうしてなのだろう。二人は沈黙した。疲れてしまったからここにやってきたのだということはわかっている。外は、ずいぶんと生きにくいところなのだろう。しかし、何が生きにくいのだろう。苦しいのだろう。外の世界を知らない二人には、理由が皆目見当もつかなかった。二人はまだ小さすぎて、外にいくことを許されていなかった。先程去っていった電車とやらに乗ったこともない。この辺境を取り囲む山を越えることもしてはいけないことだった。まだ、二人は半人前なのだ。

「生きにくい理由は、なんだろう?」

 鈴白の疑問に、鈴懸はぎゅっと眉根を寄せた。二人はまだ親に守られて生きている。生きることに十分なものを、毎日与えられていた。二人に思いつく生きにくい理由とは、食べ物がないとか、雨風を凌げる場所がないとか、水場が無いとかだった。ただどうにも、みんなから聞く生きにくいとは、どうにもそういう、物質的な理由ではなくて、心の問題であるということだった。心の問題ということが、なんだか鈴白にはわからなかった。

「家族と上手くいっていないのかもな」

 絞り出すような声で鈴懸が言う。鈴白の問いに必死に答えてくれようとしていることが、はっきりとわかった。きっと鈴懸にもよくわかっていないのだ。それでも、知るかぎりの知識を結集させて、間違いのないよう、言葉にしてくれているのだ。

 家族と不仲。それは一族郎党仲のよい鈴白には想像できないことだったが、なるほど、外の世界ではそういうこともあるのかもしれないと思った。鈴白は考えてみる。親とけんかをする。兄弟に嫌われる。隣の鈴懸だって親戚のようなものだ。鈴懸と一言も口を利かないようになる――あまりに嫌な想像に、鈴白はぶるりと身を震わせた。

「それはいやだ。うん、くるしい。嫌だなあ」
「俺も嫌だ」

 どうやら鈴懸も同じような想像をしたらしい・赤銅色の尾っぽがゆれて、ぺたんと地面に身投げする。

「僕たちにはよくわからなくても、あの人たちは苦しいんだ」
「そうだ」
「それなら僕たちに何ができるかな?」
「俺たちに、できることは――」

 青天を背負って軽やかに鳶が鳴く。鈴白は鳶の中央が落ち窪んだ尾羽を目で追いかけながら、今までのいろいろを思い出す。

 あるとき、山で首を吊った男性は、鳶の一声に涙をこぼした。ひびわれた心は鳶がおやつ代わりにつついて、それから大事そうに空へと持って行った。お社にたどりつけない迷い子のために、わざわざ道案内をしてくれたことだってあった。鳶は、空から全てを見ていた。それは、どうしたって地を駆ける鈴白たちにはできないことだった。

「やさしくあればいいんだ」

 鈴懸は一言、噛み締めるように呟いた。鈴白はしっかりとその言葉を聞いた。
 そうだ。やさしくあれば。ただ、やさしくあれれば。

 やさしくなれたらいいねという、そよ風に落とされた呟きを、二人はじいっと食んだ。やさしく、なれたら。そうだ、それならずっといい。もしもみんなやさしくなれたのなら、きっとこの辺境を訪れる人の数はぐっと減るのだろう。すこし寂しいような気がするけれども、それでも、そちらのほうがずっといいのだ。

 女性たちの影はもうどこにも見えない。迷子みたいな背中を思い出して、鈴白もまた、家を失くしてしまったような気がしてしまった。これは、とてもおかしい話だ。鈴白の家は、ここであるはずなのに。

「鈴懸、家に帰ろう。はやく、家に帰ろうよ。みんな、きっと待っているでしょう」

 鈴懸は瞬きをして、そうして、鈴白の頭を撫でた。鈴白よりいくらか早くに生まれた鈴懸は、自分より低いところにある鈴白の頭をことあるごとに撫でるのだ。嬉しいとき、褒めるとき、かわいがるとき、落ち着かせるとき。

「そうだな、もう帰るか」

 二人は梔子に別れを告げて、仲良く手を繋いで獣道を歩く。道幅のない凹凸した道も慣れたものだ。生まれてからずっと、こんな道を通ってきた。空を覆い隠す楠の大木、鈴白より小さい紅葉の幼木。どこもかしこもよく知った鈴白の故郷だ。これからもずっと変わらず、二人の故郷だ。それなのにどうしてか、早く家へと帰りたかった。


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