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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第9回 四章 抑圧(後編)


 昨晩は驚くほど良く眠れた。朝起きたら、まるで憑き物が落ちたみたいにスッキリしていた。たぶん、キョウに話を聞いてもらったおかげだと思う。
 心が軽くなったおかげで身体も軽く感じる。こんなの久しぶりだ。
 時刻は午前八時四十五分。
 いつものように髪を左側で結んでサイドポニーにして、お気に入りの白猫ヘアピンで前髪を左寄せにとめる。
 よし。
 朝の支度を終えたあたしは軽快な足取りで家を出た。
 およそ五分で研究所に到着。事務員さんに聞いたところ、四つあるブリーフィングルームのうちの第三ブリーフィングルームが柴波専用になったらしい。
 地下一階へ降りるためにIDカードを使って扉を開けようとしたところで、背後から声をかけられた。
「よう」
 反射的に手を止め、振り返る。
 柴波だ。初めて会った時と同じ、グレーのミリタリージャケットを着ている。
「ずいぶん早いな。ミッションは午後からなんだろ?」
「そうだけど……」
「もしかして俺に会いに来たのか?」
 ニヤリとする柴波に、あたしはイラっとする。
「そんなわけないでしょ。あんたが和香さんにおかしなことしないよう見張りにきたんだから」
「ほう、俺のナビゲーターは和香というのか」
「あのねえ、和香さんが美人だからっていやらしい目で見ちゃダメだかんね!」
 柴波は苦笑する。
「顔も歳もわからん相手のことでそう言われてもなぁ。美人がそばにいるってだけで仕事を疎かにするほど盛(さか)っちゃいないさ。ああ、でも、服装次第では保障できないな。この研究所にはナビゲーターに妙な衣装を着せる規則があるようだからな」
「別に規則ってわけじゃないよ。アイちゃんが勝手に始めたことをキョウが見習ってるだけで」
「そうかい。でも、俺の予想じゃあ普通ってことはなさそうだな。アイシャもそんな口ぶりだったしな」
 あたしもそう思う。和香さんの天真爛漫な性格からして、いつものビジネススーツでくることはないでしょう。気になるなぁ。どんな服装でくるんだろう。まさかメイド姿ってことはないよね。いくら若く見えるからって三十六歳がメイドのコスプレは……いや和香さんならいけるかも。
 ま、そんなの考えなくてもすぐわかることだ。
 あたしはIDカードを使って扉を開け、柴波と二人で地下一階に下りる。
 下りきったところで、第一、第二ブリーフィングルームは左へ行くのに対し、第三、第四ブリーフィングルームは右だ。そっちへは行ったことがない。
 しばらく進むと、また左に曲がる角があった。四つのブリーフィングルームすべてがアクセスルームに直結しているのだから、地下一階の廊下はコの字型になっているわけだ。
 曲がってすぐ、あたしたちは第三ブリーフィングルーム≠ニ記された扉の前で立ち止まった。
 緊張する。……ってあたしが緊張してどうすんの!
 とは思いつつも、少し震える手で扉を開ける。すると――
 目の前に女性が立っていた。和香さんだ。
 そして気になっていた服装は、桜の花が描かれた真紅の和服。
 和香さんとはすでに何度も会っているけど、改めてその姿に見とれた。
 身長はあたしより少し高く、和服の上からでもわかるくらいスタイルがいい。
 薄化粧で彩られた利発そうな顔はとても若々しく、どう見ても二十代としか思えない。
 普段はストレートのロングヘアだけど、今日は和服に合わせて、ひとまとめに髪を結い上げてある。
 和香さんは、あたしに続いて入ってきた柴波の方へ顔を向ける。
「はじめまして、柴波隆翔君。わたしがあなたのナビゲーターを務める柳和香よ。よろしくね」
「柳……もしかして所長の娘か?」
 柴波が真顔で尋ねた。
 さっそく勘違いしてるし。和香さんは柳所長の――
「そうよ」
 えええー!
「ふっ、やはりそうか」
 ニヤリとする柴波。
 いや、違うって! だまされてるって! 所長の奥さんだって!
 柴波のあの表情、微塵も疑ってない。
 ……まいっか、このままの方がおもしろそうだし。
 あたしは、あえて何も言わないことにした。
「とりあえず二人とも座って。今、お茶を出すわね」
 和香さんはそう言って、カウンターの方へ歩いていった。
 席に向かいながら部屋の中を見回す。
 あたしの専用ルームと違い、ここは和風に仕立てられていた。
 和紙で囲った照明、切り株の形をしたテーブルとシンプルな木製の椅子。
 現代風の甘味処といった感じだ。
 席に着くと、すぐにお茶と羊羮が出てきた。
「はい、どうぞ」
 あらかじめ、すぐに出せるようにしてあったみたいだ。
 さすが和香さん、手際がいい。
「いただきまーす」 
 あたしは菓子楊枝を手に、まずは羊羮を口にする。
「んー、おいしい!」
 このふわふわと柔らかな食感。水飴でベタベタした合成羊羹とは全然違う。
 甘味を堪能した後は渋いお茶。
 羊羹の甘さに合わせて濃い目に淹れてある、この繊細な気遣い。
 まさに至福のひととき。
 着物姿の和香さんはきれいだし、これで和まない男なんていないでしょ。
 あ、でも柴波が和香さんのこと好きになっちゃたらまずいか。
 柴波の方をチラッと見る。
 お茶を口にした柴波は満足そうに頷き、脇に立っている和香さんの顔を見上げた。
「いい茶だな」
「でしょ? あなたのために名産品を取り寄せたんだから」
 和香さんは得意気に言う。
「俺が日本茶を好きなのがよくわかったな」
「実はあなたのこと調べさせてもらったの。好みとかね。過酷なミッションを行うテスターの心と身体をケアするのもナビゲーターの役目なのよ」
 あたしの時と同じだ。あたしはホットココアだった。
 ナビゲーターはテスターの好みをあらかじめ調べた上で、最上級のものを用意してくれる。
「たいしたもんだ」
 柴波は素直に褒め、またお茶を口にした。
 それにしても意外だな。日本茶が好きだったなんて。コーヒーのブラックとか好きそうなイメージなのに。
「それで、ミッションの話はいつ始めるんだ?」
 柴波が和香さんに尋ねる。
「まあまあ慌てないで。その前にすることがあるわ」
「なんだ?」
「まずは呼び名。ミッション中、一秒を争う場面でいちいちさん≠ニか君≠ニか付けてちゃ煩わしいからね。今後、わたしのことは和香って呼んで」
「わかった。で、そっちは俺のことをなんて呼ぶ?」
 初対面の女性からいきなり呼び捨てにしろと言われたのに、柴波は冷静だ。
 早くも仕事モードに入っている。
 対照的に、和香さんは軽い口調だ。
「なんて呼んでほしい? 柴波じゃつまんないわよね。リュウ≠ナどうかしら?」
 隆翔だからリュウか。う〜ん、かっこいいけど合わないな、この人のイメージには。
 柴波も同じことを思ったようで、苦々しい表情をする。
「いや、柴波でいい」
「えー、つまんない」
 和香さんは不満げに頬を膨らませる。
「それに名字を呼び捨てって違和感ない? 上司が部下を呼ぶみたいでさ」
「細かいことはいい。わかればいいんだ」
「じゃあリュウでいいわね?」
「……」
 沈黙する柴波。
 アハハ、完全に和香さんペースだな。
 柴波は呆れた表情をする。
「もうそれでいい。早く話を進めてくれ」
「もう、リュウったらせっかちね。ミッションは一人でするものじゃないんだから、まずはテスターとナビゲーターの信頼関係を築く方が先よ」
「あんたが優秀なのはもうわかった。信頼している」
「それじゃダメよ」
「なぜだ?」
 柴波は眉をひそめる。
「能力じゃなくてね、人として心から信頼し合える関係じゃなきゃダメなの。だからね、あなたにはもっと心を開いてほしいの」
「急には無理だ。とりあえずミッションをこなすことに集中すればいいだろ」
 柴波はあくまでも仕事モードだ。
 そんな柴波の態度に、和香さんは顔をしかめる。
「さっきから思うんだけど、リュウってばどうもカッコつけて気取ってる感じがするのよね。だから、まずはその仮面を剥ぎ取って素顔をさらしてもらおうかしら」
「はぁ、素顔?」
「そ」
「どうやってだよ?」
 柴波の表情が引きつる。
「さっき言ったでしょ? あなたの好みを調べさせてもらったって」
「ああ、言ったな」
「じゃ、わかるわよね? わたしがどうして和服を着てきたのか」
 和香さんは自分の胸に手を当てて問う。
「いや、わからねえよ。部屋の雰囲気に合わせたんじゃないのか?」
「またまたとぼけちゃってー」
 和香さんは前かがみになりながら柴波に少し顔を近付け、ささやいた。
「好きなんでしょ、わ・ふ・く」
「な……!」
 柴波はこれでもかってくらい目を大きく開く。
 この反応は図星だな。まさかの和服フェチ。
 それでも柴波は平静を取り繕う。
「い、いったい何の話だ?」
 和香さんはかがめていた背筋を伸ばし、はっきりと言う。
「とぼけちゃダメよ。あなたの部屋にいっぱいあるでしょ。和服もののえっちなDVDが」
「おいー!」
 柴波は勢いよく席から立ち上がる。
「き、貴様、まさか俺の家に侵入したのか!?」
「さて、どうかしら?」
「不法侵入だろうが!」
 かなり本気っぽく怒鳴りながら机を叩く。
 あたしはビクッっとした。
 もう乱暴だなぁ。おもしろさの方が上回ってるからあんまり怖くないけど。
 和香さんは勝ち誇ったような顔で言い返す。
「あらぁ、あなたがそれを言う?」
「なに……」
 目を細める柴波。
「知らないとでも思ってるの? あなたがミッションを盗撮してたの。それに、海ちゃんのマンションにも不法侵入したでしょ」
「ぐ……」
 柴波は表情を歪める。が、何も言い返せない。
 まあ本当のことだしね。
「先に違法手段を使ったのはそっちなんだから、まさか文句はないわよね?」
「ぐぐ……」
 さすが和香さん。アイちゃんの師匠。柴波相手に断然優位だ。
 この人が味方でよかったぁ。
 柴波は苦し紛れにあたしの方を見て、声を張り上げる。
「おい、このこと他の奴には言うなよ」
「えー、どうしよっかなぁ」
「あんたまで脅すのか!」
「自業自得でしょ? そっちが先に脅したんだから」
「仕方ねえだろ。ああでもしなきゃ、テスターにはなれなかったんだから」
 もうさっきまでの冷静さはどこにもない。感情剥き出しだ。
 あたしは、ここぞとばかりに本心を聞く。
「だったらあんな過激な論文じゃなくて、当たり障りのないこと書いておけばよかったのに。あれじゃあ危ない奴と思われて当然だよ。なんで素直に書いちゃたったの?」
「それは……」
 柴波はバツが悪そうに目を逸らし、低い声を出す。
「俺の性格だ。嘘付くと死ぬほど気分悪くなるんだよ」
 なにこの男……ワケわかんない。
「不法侵入や盗撮は良くて、嘘はダメなの?」
「性に合わないんだよ。それだけだ」
 柴波はそれっきり、そっぽを向いたまま口を閉じてしまった。
「ふふっ」
 背後で和香さんが笑う。
 それから、そっと耳打ちしてきた。
「ね、言ったでしょ? そんなに悪い子じゃないって」


「それじゃ、そろそろミッションの説明を始めましょうか」
「ようやくか……」
 和香さんの言葉に、柴波は深く安堵するような息を漏らした。
 いいのかな、こんなに疲弊させちゃって。まだミッション始まってもいないのに。
 まあ、おかげで柴波の素顔みたいなものが見られたけどね。
 かなり強引だったけど柴波の心を開かせたのは確か。和香さん、さすがだな。
 ともあれ、話が始まる。
 まずはあたしの時と同じようにVFシステムの基本ルールを確認した。
 それから、ミッションの説明に移る。
「さて、アイちゃんから聞いてるとは思うけど、リュウには八十年後の世界へ行ってもらうわ」
「二十一世紀も終わりに近付く頃だな」
「ちょうどキリもいいしね。それにほら、世紀末っていうと何かすごいこととかありそうじゃない?」
 和香さんの楽しそうな表情に対し、柴波は冷めた反応をする。
「あんたがオカルト信者だったとは意外だな」
「あら、オカルトだって馬鹿にできないわよ。八十年も経てばオカルトみたいな状況になってる可能性だってある。例えば、江戸末期に刀や槍で戦ってた侍たちにとってみれば、たった八十年後に爆撃機が飛び交ってるなんてオカルトみたいなものでしょう」
「まあな」
 確かにわかりやすい例だ。
 人間社会は八十年あればとんでもなく変わる可能性を秘めている。
「だから正直言うとね、八十年後の世界がどうなっているのかはよくわからないわ。人類は危機的状況を見事乗り越え、さらなる進歩を遂げているかもしれないし、泥沼の戦争をしてるかもしれないし、ひょっとしたらもう滅んじゃってる可能性だってある」
 和香さんは怖いことさらりと言う。でも、冗談を言っているわけじゃない。
 四十年後ですらテロリストが横行していたくらいだから、八十年後なら壊滅的状況でもおかしくない。
 和香さんは続ける。
「ターニングポイントである四十年後の未来から世界がどのように分岐するかは、どれだけ研究を重ねても朧げにしか予測できなかった。だから、現状では最悪のパターンも想定しておかなきゃいけないの。アクセスした先がいきなり戦場だった、とかね」
「そのくらいは覚悟している」
「あら、頼もしいわね」
「これでも元自衛官なんでね」
 悔しいけど本当に頼もしいな。あたしは覚悟なんて全然できていなかった。アクセスしたらいきなり戦場だなんて考えてもみなかった。
 同じテスターなのに、こんなに違うなんて……。
「それから、アクセスポイントは都心部にするわね。大都会の中心部なら秩序が保たれている可能性が少しは高いでしょう。戦争してなきゃだけどね」
 和香さんの言葉に柴波は頷く。
「まあ、どこが安全でどこが危険かなんてわかりっこないからな。運に任せるよ」
「今回は初ミッションってことだし、とりあえず適当に様子を見て回るだけでいいわ。何かあったらその都度指示を出すから」
「わかった」
「それから、海ちゃん」
 和香さんがこちらを向く。
「海ちゃんはミッション中、余計な口出しは一切しちゃダメよ。リュウが混乱するといけないから。あくまでも見てるだけにしてちょうだいね」
「わかりました」
 あたしが返事をした後、柴波が口を挟んでくる。
「そもそもミッションの見学は禁止されてるんじゃなかったのか?」
「基本的にはそうよ。でも海ちゃんの要望で今回は特別に許可してもらったの」
「エーステスター様はそんなわがままも許されるんだな」
 その嫌味っぽい口調に、あたしはムッとする。
「しょうがないでしょ。あんたのこと見張ってないと何しでかすかわかんないんだし」
「基本的には従うと言ったろ?」
「じゃあ例外もあるってことじゃない!」
「例外なんて誰にでもあるさ。現に、あんただって例外的に見学を許可してもらってるだろ?」
 うー、なんなのこいつ。ああ言えばこう言う。
 しかも言うことがいちいちもっともだから反論しづらい。
「まあまあ、落ち着いて海ちゃん。心配しなくたってアクセス中に勝手なことなんて、わたしがさせないわ。脅かすつもりはないけど、アクセスしている間テスターの命はナビゲーターが握ってるみたいなものだからね。わたしがリセットしなかったら永遠に仮想未来から帰って来られないわけだし」
 和香さんは柴波の方を見てニコッと笑う。
 いや、怖いんですけどその笑顔。
 しかし、柴波は冷静に言い返す。
「そうでもないだろう。テスターの意思で戻ってくる方法が一つだけある」
 その言葉にハッとした。
 そうだ、そういえば――
 あたしが思い出すのと、和香さんが答えを言うのはほとんど同時だった。
「そうね、仮想未来で自殺すれば、テスターの意思で強制的にアクセスを終了させることができるわね」
 自殺。死。
 ナビゲーターがリセットする以外で唯一、アクセスを終了させる方法。
 確かに可能ではあるけど、そんな方法じゃ……。
「まあ無意味なんだけどね」
 和香さんは真顔で断言した。
 それを聞いても柴波は表情を変えない。まるで始めからわかっていたようだ。
「仮想未来で死んだ時、身体に掛かる負担は通常の何倍にもなる。絶対すぐには動けないわ。だから無理矢理戻ったってどうにもならないの」
「まるで試したことがあるかのような口振りだな」
「あるわよ。試したのとは違けど、仮想未来で死んだらどうなるか、身をもって経験した人がいる。だから絶対なの」
 なにそれ、そんな話、初めて聞いた。
 あたしと明季以外に、仮想未来にアクセスした人がいたなんて。
 ――柳所長だ!
 それしか考えられない。あたしたちがミッションを始める前から実験してたんだ。
 柴波は何も言わなかった。
 ブリーフィングルームが沈黙に包まれる。空気が重たい。
 余計なこと言うんじゃなかった……。
 しばらくして、沈黙を破ったのは和香さんだった。
「リュウ、ナビゲーターはね、テスターの命を預かる仕事なの。だからさっきも言ったけど、信頼関係が何より大事。あなたがどんな未来を望んでいるかはわからないけど、それを成し遂げるには信頼できる仲間の存在が必要不可欠なはずよ。それだけは覚えておいてね」
 まるで先生が生徒に優しく諭すような口調。
 柴波はしばらくの間、目を逸らしたまま黙っていたが、やがて静かに答えた。
「肝に命じておくよ」
 和香さんは満足そうに頷いた。
「説明は以上で終わりよ。何か質問はある?」
「いや、大丈夫だ」
「それじゃあミッションの準備をしましょうか。ちょっと待っててね」
 和香さんは踵を返し、カウンターの方へ歩いていった。


 ミッションの準備ってなんだろ?
 和香さんがどこかへ電話をしてからしばらくすると、若い作業着姿の男性スタッフが、アルミ製のアタッシュケースをいくつも載せた台車を押して入ってきた。
 なんだろ、あんなにたくさん? あたしの時は説明が終わったらすぐアクセスルームに移動したのに。
 結論から言うと、あたしは自分がどれほどテスターの仕事を甘く見ていたか実感させられた。準備というのは戦うための準備。いや、正確には戦いに巻き込まれた時のための準備だった。
 男性スタッフが用意したのは防刃防弾仕様のジャケット。
 それから護身用の各種武器。
 武器といっても銃器や刃物ではなく、殺傷能力の低い護身用の武器ばかりだ。
 催涙スプレー、スタンガン、伸縮式の警棒。それから、見たことはあるが使い方のわからない武器がいくつもあった。
「どうぞ、武器はこの中から自由に選んでください」
 男性スタッフに言われ、柴波はアタッシュケースに収められた武器を見比べる。
「あ、そうそう!」
 突然、和香さんが声を上げる。
「そういえば、野川君からアドバイスがあったんだけど」
「野川が?」
 柴波は眉をひそめる。
「そ。彼が言うにはね、武器を選ぶ時は奪われた時のことも考えて選ぶようにってことよ。よかったら参考にしてね」
「そういうことか。対ゲリラ戦の基本だな」
 柴波は男性スタッフから防弾ジャケットとズボンだけを受け取る。
 そして、武器には触りもせず、さっさと席に戻ってきた。
「あら、いいの?」と和香さん。
「そういう細かい武器は性に合わん。いっそ素手の方がいい」
 うわ、かっこいい。ちょっと前時代的だけど、かっこいい。
 男性スタッフが浮かない顔で言う。
「柴波さんは空手をやっていると聞いたので、このヌンチャクやトンファーなど気に入ってもらえると思ったのですが……。残念ですね」
 どちらも不思議な形をした武器だ。カンフー映画で見たことはあるけど、使い方はさっぱりわからない。
「気に入らないわけじゃないが、そういう武器の練習はしてないんだ。せっかく用意してもらったのに悪いな」
 あ、めずらしい、柴波が謝るなんて。
「いえ、気にしないでください。他に何か必要なものがあったらいつでも言ってください。可能な限りこちらで用意しますので」
 男性スタッフは持ってきたものを片付け、ブリーフィングルームから出ていった。
 それから、和香さんが言う。
「それじゃあ、わたしたちは先に行ってるから、着替えたらすぐに来てね」
 あたしは席を立ち、和香さんと一緒にアクセスルームへと向かった。
 入ってきた扉が違うというだけで、いつもと同じアクセスルーム。
 でも今回は立場が違う。テスターはあたしじゃなく柴波。
 あたしはナビゲーター側の視点でミッションを見守ることになる。
 しかも、アクセスするのは八十年も先の未来だ。
 少しして、柴波が入ってくる。
 なんだか初めてアクセスした時みたいに緊張してきた。
 和香さんが柴波にヘルメットを被せ、ナビゲーター用の席に座る。
 あたしはその隣にパイプ椅子を置いて座る。
 ちょうど正面に大型モニターがあり、ミッション映像が見やすい位置だ。
「リュウ、心の準備はいい?」
「当然だ」
「それじゃあ、ミッション開始するわね!」


 モニターに光が灯った。
 映ったのは白い壁。薄暗いためライトグレーにも見える。
 ゆっくりと画面が動き出す。
 どこかの路地裏みたい。
「リュウ、聞こえる?」
 ナビゲーターの席に設置されたマイクに向かって和香さんが声を発する。
『聞こえる』
 短い返事。スピーカー越しで微かにくぐもってはいるが、柴波の声だ。
「何か問題はある?」
『特にないな。少なくとも戦場の近く、なんてことはなさそうだ』
 返事をしている間も画面はゆっくり動き続ける。
 柴波が辺りを見回しているみたいだ。
「警戒は怠らないように、通りに出てみて」
 画面に映る光景が前へ向かって進み出す。
 映像は、まるでプロのカメラマンが撮影しているようにブレが少ない。
 柴波の進む先に、陽光に照らされて白く光る壁が映った。
 もうすぐ路地裏から出る。
 いよいよ緊張してきた。
 八十年後の都市が今、目の前に――
 一瞬、まぶしさに目がくらんだ後、まず映ったのは人。
 人がたくさん行き交っている。
 若い人が多い。服装やヘアスタイルなど、見た感じは現代人とあまり変わらない。
 次に映ったのが街並みだけど、これがやたらと白い。正確には真っ白ではなくアイボリーのような淡い色だけど、建物も道路も橋も、示し合わせたかのようにみんな白く染められている。
 人の流れに乗ってしばらく進むうちに、駅前広場のようなところに着いた。
 地下へ降りる階段、バスターミナル、なんだかよくわからないモニュメント。
 建造物はどれも立派だけど、基本的な街の構造は現代とそれほど変わりない。
 はっきり言って、二十世紀後半に人類が夢見た未来都市には程遠い。
 何メートルか先にある車道を、音もなく駆け抜けていく物体があった。
 え、今の……車!? 
 またさっきと同じような物体が駆け抜けていく。
 形状からして自動車に違いないと思う。
 でもタイヤがない。
 どうやって走っているのか、目を凝らして画面を見てみると――
 う、浮いてる!
 今度は円柱型の物体が目の前を横切った。画面はそれを追う。
 ツヤのないシルバーに塗装されたその物体は、さっき見た車と同じように浮いた状態で移動している。
 不意に止まる。
 すると、物体から二本のアームが出てきて、道端に落ちていたゴミを拾った。
 ロ、ロボットだ! お掃除ロボットだ!
 よく見ると他にもいる。
 交通整理をしているロボット、お年寄りの車椅子を押しているロボット、犬みたいなロボットと散歩している人もいた。
「す、すごい」
 あたしは驚きのあまり声を上げた。
 和香さんはというと、意外に冷静な様子だった。
「すごいといえばすごいんだけど、今のところは予想の範囲内ね」
 え、でも浮いてるよ? あれ予想の範囲なの?
 柴波から返事は来ない。
 って当然か。一人でしゃべってたら怪しまれるもんね。
「リュウ、とりあえずいろいろ観察してみて。怪しまれない程度にね」
 映像がTAXI≠ニ表示されたタイヤのない車に近付いていく。今は浮かんでない。
 車が目前まで迫ると、ドアが自動で横にスライドした。
 車内には向かい合わせに設置された四人分のシート。それだけ。
 運転席がない……ってことは自動運転だ!
 映像はタクシーを映したまま数メートル後退する。
 しばらくすると、他の客がタクシーに乗り込んだ。
 ドアが閉まる。
 音がしない上、ほんの数センチだからわかりづらいが、車体は浮いた。
 一トンはあろうかという車体が、間違いなく浮いた。
 そして、そのまま音も出さず走って(?)いく。
 どうなってんの? すごすぎる、まるで魔法だよ。
 和香さんがモニターを見たまま言う。
「そんなに驚くほどでもないわ。あれは磁力を使ってるのよ。言ってみれば磁気自動車ね。リニアモーターカーと原理は同じよ」
 あれ、あたし声出してないよね? 心読まれてる?
「海ちゃんが気になることくらいわかるわよ」
 苦笑する和香さん。
 ううう、やっぱり読まれてる。あたしってそんなにわかりやすいかなぁ。
「それから、街が白っぽく塗装されているのはヒートアイランド現象を軽減するためね。そういう構想は現代でもあるわ」
 聞いたことがある。白は熱を吸収しにくく黒はしやすい。一つ二つの建物では大差なくとも街単位で取り組めば、それなりに効果があるということだ。
 そうこう話している間にも画面は動く。
 今度は大きな案内板の前にきた。
 路線や観光名所などが標された都内の地図だ。
 中でも目につくのは、地図上に白い地区とグレーの地区があり、その二つの地区が黒い太線によってわけられていることだ。
 今、柴波のいるこの地区がホワイトエリア=A太線の外がグレーエリア≠ニ示されている。まるで地区と地区が互いに拒絶し合っているかのような太い境界線。
 なんとなく感じが悪い。
『和香、あのグレーエリアというところに行ってみたい』
 柴波が言った。
 今は周りに誰もいないのかな。っていうか、今初めて和香って呼んだな。
 和香さんは少し考えるようにしてから答えた。
「いいわ。わたしも気になってたところよ」


 グレーエリア。
 グレーゾーンって言葉もあるし、その響きは決して良いものじゃない。
 ホワイトエリアは科学技術がそれなりに進歩した活気ある街だった。
 それならグレーエリアは?
 あまり頭が良いとはいえないあたしでも、そのくらいの予想はつく。
 少なくとも今画面に映っている街並みが八十年後のスタンダードじゃない。
 幸いグレーエリアまでは歩いて行けそうな距離だった。
 道路沿いの歩道を進むにつれ、人も車もロボットも少なくなり、景色は高層ビル群から住宅街へと変化していく。
 そうして三十分くらい歩いたところで突き当たりに到達。
 ここが地図上でいう黒い境界線のはずだ。
 しかし、境界線の向こう側に行くことはできなかった。
 それどころか向こう側の様子を見ることさえできない。
 そこには、高さ五メートルはあろうかという白く巨大な壁がそびえ立っていた。
 壁は遥か彼方先まで延々と続いており、上の方には有刺鉄線が張り巡らされている。
 まるでベルリンの壁みたいだ。
『なんなんだ、この壁は?』
「ずいぶん大きな壁ね」
『何かの侵入を防いでいるのはわかるが……』
「その壁、なんでできてる?」
 和香さんが聞くと、画面上に現れた大きな手が壁に触れる。柴波の手だ。
『石だな。積み上げた石を白く塗装してある』
「またずいぶんシンプルな素材でできてるわね」
『これだけ長大な壁に鉄筋やコンクリートを使う資源はもう手に入らないんだろう』
「いったい何を防ぐための壁なんでしょうね?」
 和香さんがわざとらしく首を傾げる。
『あんたならだいたい予想はついてるだろう?』
「まあね。たぶん、ここはゲートコミュニティーみたいなものなんでしょう」
『それにしても厳重過ぎる』
「つまりそのくらい、向こうからの侵入を恐れてるってことね。で、壁の向こうへは行けそう?」
『乗り越えるのは無理だな。とりあえず壁に沿って歩いてみるしかなさそうだ。そのうち出入口が見つかるかもしれん』
 そうしたやりとりの後、壁沿いの歩道を歩き出す。
 壁の付近は、いかにも下町といった雰囲気だった。
 中心街に比べ建物も道路も古めかしく、白く塗装されていない部分も多い。
 それでも、ここはまだホワイトエリア。ここの住民が貧困や略奪とは無縁の生活を送っているのは、見かける人たちの表情からわかる。
『見つけたぞ』
 長大な壁が途切れ、幅と高さが三、四メートルくらいのトンネルになっている部分が見えてきた。
 車が通る道路と、その脇に歩行者用の通路がある。
 ただし、道路にも通路にも開閉式の鉄柵が張られ、警備員が数人配備。まるで検問のようになっている。どう見ても自由に往き来できるような状況ではなかった。
「困ったわね。どうする? そっちはまた今度にする?」
 和香さんが尋ねる。
 あたしもその方が賢明だと思う。次回、向こうにアクセスすれば危険はないのだから。
 しかし、映像は検問に向かって進み出す。
『大丈夫だ。たぶんすんなり通れる』
 柴波は自信ありげに言った。
「根拠はあるの?」
 和香さんが心配そうに聞く。
『あいつら全員、向こう側ばかり見てるだろ? つまりあいつらが警戒しているのは、向こうからこっちに来る奴だけだ。物めずらしい目で見られるかもしれんが、止められはせんよ』
 映像はどんどん検問に近付いていく。
 ウソ、ほんとに行くつもり?
 警備員たちの視線がこちらに集まる。
 あたしは自分がその場にいるかのような緊張感を覚えた。
 和香さんはいつでもリセットできるよう、手元のリセットボタンに手を置く。
 ついに検問へ到達。警備員の一人が声をかけてくる。
『失礼、グレーエリアに行かれるのですか?』
『そうだが、何か不都合でも?』
『いえ、めずらしいものですから……』
 警備員はそれ以上言わず、歩行者用通路の鉄柵を開けた。
 映像は悠々とそこを通り抜けていく。
 すごい、切り抜けた! 
 と、感心するのも束の間。
 新たに現れた光景に、あたしは目を奪われた。
 グレーエリア。壁一枚隔てたそこは廃墟の街だった。


 ホワイトエリアとグレーエリア。
 この二つの地区に経済的な格差があることは予想がついていたけど、実態は予想以上だった。
 廃墟のように荒れ果てた街を映像は進んでいく。
 塗装という塗装が剥げ落ち、コンクリートにはそこらじゅうヒビが入り、鉄の部分は錆だらけ、亀裂の入ったアスファルトからはところどころ雑草が伸びている。
 そして、あちこちに放置されたゴミの山。
『ひどいもんだな』
 柴波が低くつぶやく。
「そうね。ある程度予想はしていたけど、ここまでとはね」
 和香さんがこんなに険しい表情をするところは初めて見た。
 人を見かける。
 手入れされていないのは人間の身の回りも同じだった。
 くたびれた服、穴の空いた靴、ボロボロな鞄、化粧気のない女性、無精髭を伸ばした男性。まるでスラム街だ。
「リュウ、警戒を怠っちゃダメよ。街がこんなんじゃ治安なんて期待できないんだから」
『わかってる』
 画像に映る人々がこちらに注目してくる。
 でも襲ってくるどころか、皆どこか怯えたような表情をしていた。
 ただでさえ身体が大きくて目付きの鋭い柴波が清潔な服装で堂々と歩いていれば、威圧的な権力者に見えるのかもしれない。
 ふと映像が止まる。
 地図だ。さっきホワイトエリアで見た地図よりも広範な地図。
 その地図も、ホワイトエリアとグレーエリアの区分けがされていた。
 驚くべきはその面積の比率。
 一対九。いやそれ以上かもしれない。グレーエリアの方が圧倒的に広かった。
『わかりやすくて助かるな』
 柴波の声には皮肉がこもっていた。
「結局、為政者たちは社会を持続可能な方向へシフトさせるのではなく、最後の最後まで既得権益にしがみつく方を選んだってことね」
『そして民衆は民衆で、こんな状態になるまで為政者に騙され続けてたってわけだ』
 なんだか、二人ともあたしがわかるように説明してくれているような感じがする。
 見ているだけとは言ったものの、ちゃんとあたしの存在を意識してくれているのが嬉しい。その反面、気を使わせてしまって申し訳ないとも思うけど……。
 また映像が進み出す。
 と、そこに車が通りかかった。タイヤがある。エンジン音が聞こえなかったから電気自動車だ。現代のガソリン車よりは先進的な電気自動車も、磁気で浮き上がる車を見てしまったあとではずいぶんと前時代的に見えた。
 街もそう。グレーエリアの街並みは、古くなっているという点を除けば現代とあまり変わらなかった。八十年も経っているとは思えない。
『和香、これからどうすればいい?』
「そうねぇ、誰かから話が聞ければいいんだけど」
 仮想未来で現地の人と話をするのは難しい。五年や十年ならともかく、四十年後にもなれば価値観や常識が大きく変わってくる。実際、明季は話を合わせるのに苦労していた。ましてや八十年後では言葉そのものが通じにくくなっているかもしれない。
 さすがの和香さんも妙案が思い付かないみたいで「う〜ん」と首を捻っている。
 でも柴波はそんなことおかまいなしにずんずん進んでいく。
 その先にいるのは――
『ちょうどいい。あのばあさんに聞いてみよう』
 古びた一軒家の縁側でのんびりひなたぼっこをしているおばあさんに、柴波は無遠慮に近付き声をかけた。
『ちょっといいかい』
 おばあさんは特に驚いた様子もなく、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
『はい、どちら様で?』
 猫背でちょこんと座っているおばあさんの髪は真っ白で、もう九十歳近い年齢に見えるけど、声ははっきりとしていた。
『なーに、名乗るほどのもんでもないさ。ちょいとばあさんに聞きたいことがあってね』
 ちょ、そんな態度で! 怪しまれるでしょうが!
『いいよ、どうせ退屈だしね。なんでも聞いておくれ』
 いいの!?
 和香さんが吹き出しそうになるのをこらえる。
 なんて強引な。おばあさん、詐欺被害に遭わないか心配だよ。
 でも言葉は通じているみたいだ。あのおばあさんならあたしたちと一世代くらいしか違わないから大丈夫なのか。若い人の言葉はわかりづらいかもしれない。
『それじゃあ、さっそく』
 映像がおばあさんの横の位置へと動く。
 柴波がおばあさんの隣に座ったみたいだ。
『ばあさんが生まれてから今までの間に、日本で紛争はあったか?』
 おばあさんは昔の記憶を引き出すように『そうだねぇ』とうなった後、ゆっくりとした口調で話す。
『紛争みたいなことはあったよ。あたしが四十代の時と、それから十年前にもね』
『ぜひ、その時のことを詳しく聞かせてくれ。まずは四十代の時の話から』
 柴波の声に、おばあさんはゆっくりと頷く。
『あれはもう四十年近く前、あたしが四十七、八の時だったねぇ。地球を守るために人間を滅ぼすとかいう組織に便乗してね、日本中のあちこちでテロ事件が起きたんだよ』
『もしかして、その組織というのは青浄会(せいじょうかい)のことか?』
『そうそう、そんな名前だったねぇ』
 以前、明季のミッションで出てきた組織だ。
 あたしはゴクリと固唾を飲む。
『その青浄会っていう連中の他にも、いろんな大義名分を掲げた組織がいっぱい出てきてねぇ。それを当時の自衛隊が制圧したまではよかったんだけど、その後も食料や資源の取り合いで国家間の緊張は増す一方でね。大戦後から続いてた平和主義路線を維持するのはもう無理だって風潮になっていったんだよ。で、民衆の間にそんな風潮が広まれば憲法改正だってあっという間さ。自衛隊が国防軍に変わって、核武装までして。それが外圧やテロから国民を守るためならよかったんだけど、やっぱり権力者の力が増すと、ろくなことがないね。民衆にも圧力をかけるようになったのさ』
 そこまで言ったところで、おばあさんは一息つく。
 まるでフィクションを聞いているみたいで全然危機感が湧いてこない。
 権力者が国民に圧力って、それ軍国主義じゃないの。そんな昔みたいなことが未来の日本で起きるっていうの?
 っていうか、おばあさんすごいな。いきなり知らない男に話しかけられて、四十年も前のことをこれだけ正確に話せるなんて。それだけ強烈な出来事だったのかもしれない。
 柴波は言葉を返さなかった。
 和香さんも深刻そうな顔をしている。
 こんな話を聞かれては、絶句するのも無理はない。
 少し間を置いて、柴波は質問を続ける。
『じゃあ、十年前にあったという紛争は?』
『そっちは紛争というにはあまりに一方的だったよ。格差問題にまともに取り組もうとしない政府に対し、デモ隊による大規模な抗議活動が起こったんだけど、こともあろうか政府は軍を使って弾圧を始めたんだ。その後デモ隊の一部が反政府軍になって必死に戦ったけど、一週間ともたなかったよ』
 おばあさんの表情が暗く沈む。
 ひょっとしたら、身近な人が犠牲になったのかもしれない。
 おばあさんは続ける。
『とはいえ、その紛争のせいで政府関係者たちは暴動や暗殺を怖がるようになった。実際に暗殺された政治家もいたしね。それでできたのがあの壁ってわけさ。政府関係者や富裕層の人間は、富や権力を独占したまま壁の中に引きこもるようになった。そんなことをしても、そう長持ちするとは思えないんだけどねぇ……』
『なるほどな』
 柴波が納得の声を上げた。
 あたしには難しくてよくわからない部分もあったけど、大筋では納得した。
 要するに、このままでは日本は超格差社会になってしまうということだ。
 そして、為政者は民衆を抑えるために平気で武力を使う。
 それが八十年後の世界。
 さっきの話からすると、おばあさんは八十六、七歳。つまり現代では六、七歳の女の子。そう考えると胸が苦しくなってきた。


 柴波はおばあさんにお礼を言い、再び荒れた街を歩き出した。
 今までずっと黙っていた和香さんが声を出す。
「リュウ、あなたやるわね。初ミッションでこれだけ情報を手に入れるなんて」
『たまたま運が良かっただけさ。通報されたっておかしくなかった』
「あら、謙遜してるの?」
『事実を述べたまでだ』
「ふふ、それを謙遜って言うのよ」
 穏やかに微笑む和香さん。
 なんだか息が合ってるな、この二人。これならあたしが見張る必要なんてなかった。
 それどころか、あたしの方が勉強させてもらっていたくらいだ。そう思うと恥ずかしい。
『さて、次はどうする?』
「今日のところはこれでおしまいにしましょう。充分な成果もあったしね」
『そうかい』
 柴波の吐息とともに、映像が静止する。
 終わりかぁ。あたしも肩の力を抜いた。
 と、その時。
 けたたましいサイレンを鳴らしながら、白と黒を基調とした二台の自動車が接近してきた。どちらもタイヤのない磁気自動車だけど、パトカーだということはすぐにわかった。
 それぞれのパトカーから警官が二人ずつ出てくる。四人全員が男性。
 そのうちのリーダー格と思われる警官が柴波の正面に立った。
『貴様、さっき門を通った男だな?』
『そうだが?』
『あの老人と何を話していた?』
『ただの世間話だよ』
『そんなわけあるか! ――おい』
 リーダーが部下の一人に対し目配せをする。
 すると部下の男は、スマートフォンのような四角い装置をこちらにかざしてきた。
 小さな光とともに、ピッというバーコードスキャンのような音がする。
『データ照合。氏名、柴波隆翔。年齢……ん? 一〇七歳だと!?』
 警官たちは一斉に困惑の表情を向けてきた。
『どういうことだ!?』
 リーダーが怒鳴るが、柴波はそれを無視する。
『おいおい、一発でバレちまったぞ。この時代にはプライバシーってもんがないのか』
 呆れたような声で、こちらに言ってきた。
もう終わりだからどうでもいいやモード≠ノ入ってるな。
『怪しい奴め。さては貴様スパイだな。署まで来てもらおうか』
 四人の警官が詰め寄ってくる。
「ここまでね。終わりましょう」
 和香さんが手元にあるリセットボタンを押した。
 一瞬でモニター画面は真っ暗になった。


 アクセスから戻ってきた柴波は一瞬だけつらそうな顔をしたけど、その後はまるでなんともない様子で和香さんと言葉を交わした。
 それから、あたしにも声をかけてくれた。
「次はあんたの番だな。がんばれよ」
 すごい精神力だ。さすが自衛隊で鍛えただけのことはある。それにミッション中に見せたあの大胆な行動力。適性率はともかく、テスターとしての能力はあたしより完全に上と認めざるを得ない。
 もう柴波に対する嫌悪感は消えた。それどころか尊敬の念すら覚えている。
 あたしも負けてられない!
 とは言うものの昼食後の眠気には抗えず、ブリーフィングルームにある大きなソファの上で一時間近くも眠ってしまった。
 うう、寝すぎてだるい。
 お手洗いから戻ってきたあたしは席に着いた後、テーブルの上に突っ伏した。
 ああ、あたしって意志弱いな。いいもん、あたし本番で力発揮するタイプだし。
「海、コーヒーをお持ちしましたよ」
 低く深みのあるキョウの声。
 突っ伏した身体を起こすのとほぼ同時に、スッと柔らかな動作でコーヒーが目の前に現れる。甘く香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
「どうぞ、ホットのカプチーノです」
「わーい、ありがと」
 ちょうどこれが飲みたかったんだよね。
 あたしはカップを口に近付け、二、三回吐息で冷ましてから口に含む。
「うん、おいしい。ちょうどあたし好みの甘さだよ」
「お褒めいただき光栄です」
 キョウはそう言って静かに一礼する。
 あたしがほしいと思った時にあたし好みのものを出してくれる。
 もう完璧だよ、執事さん。
 もし本気で俳優やってたらトップスターにだってなれたんじゃないかな。
 そんなすごい人がサポートをしてくれるんだから、やっぱりがんばらないわけにはいかない。
「それではミッションの説明を始めます。本日は十五年後の未来に――」
 こうして、あたしは十五年後の未来に計六回アクセスし、今までと同じく会話による情報収集を行った。
 結論を言えば、十五年後でも人間社会はそれほど変わっていなかった。
 問題の深刻さに気付く人が着実に増えてはいるものの、実際の社会の動きは今までと同じ。限りある資源を貪りながら、目先の経済成長を追い求めるだけの社会。
 経済成長に比べ、人の心の成長はあまりにも遅かった。


 ミッション終了。
 今日もたいした成果はなかった。要するにあまり変わってないことがわかっただけだ。
 あたしが今まで行ったアクセス全部合わせても、柴波の一回より内容が劣っている気がする。こんなんでいいのかな……。
 地下一階から地上一階に上がり、玄関に向かう。
 その途中、廊下の壁にもたれている背の高い男を見て、あたしは立ち止まった。
「お疲れさん」
 柴波が壁から背を離し近付いてきた。
 前にもあったシチュエーションだけど、今は嫌な感じがしない。
「もしかしてずっと待ってたの?」
「いや、一度うちに帰ってからまた来た」
「家、近くなんだ?」
「歩いて十五分くらいだな。研究所に手配してもらった部屋に三日前引っ越してきたばかりだ」
「へえー。ところで、身体は大丈夫なの?」
「多少疲労感はあるがどうってことない。陸自にいた時はこのくらい日常茶飯事だったよ」
 陸自……陸上自衛隊のことか。やっぱり訓練とか厳しいんだろうな。
 あたしなんてなんの訓練もしてないし。この人に対して格が違うなんて言ってしまったことが、今となっては恥ずかしい。
 まあ細かいことこだわる人じゃないみたいだし、スルーしてくれるよね?
「それで、何か用?」
「また懲りずに食事の誘いに来たのさ。もっとも、昨日とは印象が変わっただろうから勝算ありと踏んでるんだがね」
 柴波の自信満々な態度に笑いがこみ上げてきた。
「それ自分で言う?」
「言わなきゃ意思は伝わらない、売り込まなきゃ価値は認めてもらえない。俺はそう思ってる。で、返答は?」
「うーん、そう言われてもなぁ」
 困る。非常に困る。
「嫌か?」
「嫌じゃないけど。でもあたし、夜に男の人と食事に行くとか初めてだし」
 柴波は一瞬、目を丸くする。
 それから微笑み混じりに言った。
「またずいぶんと可愛らしいこと言うんだな。もう二十二歳なんだから、食事くらいで迷わなくてもいいだろ? そのままお持ち帰りしようなんて思ってねえから」
 お、お持ち帰り!? いや、その前に今、可愛らしいって。
 顔がカアっと熱くなる。
「そんな警戒しなくても、普通に食事行っていろいろ話するだけだ。酒で酔わしたりはしねえよ」
「ううー、でも……」
 それって端から見ればデートじゃない? もし誰かに見られでもしたら……。
 そう思うと恥ずかしくて行けない。かといって、本気で嫌というわけではないから断りづらい。
 柴波はため息をつく。
「ったく。あんたもテスターなら、もっと決断力を持たなきゃダメだ。ぐずぐず考えてる暇なんてない時だってあるんだぞ」
「それとこれとは話が別だよぉ」
「同じだよ。決断できない奴はいつどこでだって決断できない」
 なんなの、この人? なんでこんなに強気で強引なの? 明季と全然違う。
 明季はあたしが少しでも嫌がる素振りを見せると、すぐに引いてそれ以上踏み込んで来なかった。こんなのどうすればいいかなんて全然わかんない。
「嫌なら嫌って言ってくれ。言わないんならもう連れてくぞ」
 ついに痺れを切らした柴波は、あたしの腕をつかみ、強引に引っ張ってきた。
「ちょ、ちょっと待って! あたしまだ――」
 その時。
 柴波の腕を別の誰かがつかんだ。
 あたしと柴波はピタッと動きを止め、そちらに目を向ける。
「いけませんね、そのような強引な誘い方は。女性は、あなたと違ってデリケートなのですよ、柴波さん」
 そこに現れたのは、執事姿のキョウだった。
「キョウ……!」
 柴波はあたしの手を離し、それからキョウの手を振りほどく。
「なんだ、ナビゲーターの坊やか。こっからは大人の時間だ。未成年は帰って風呂でも入ってな」
 威圧感たっぷりの声だ。
 しかし、キョウは一歩も引かず、毅然とした態度で返す。
「そうはいきません。私は海の専属ナビゲーターです。海をお守りする義務があります」
「大げさな奴だな。食事に誘ってるだけだろう?」
「食事など口実、きっかけに過ぎません。あなたは頭の中で、その先のことを考えているはずです」
 柴波は一瞬、口を紡ぐ。が、すぐに開き直った。
「それが悪いことなのか?」
「海が嫌がっているのがわかりませんか?」
「わかってないのはお前だろ。あれは嫌がってるんじゃない、戸惑ってるだけだ。なにせエーステスター様は男性経験が皆無なんだからな」
 悪かったね、本当のことだけど。そんなにはっきり言わなくてもいいじゃない。
「ずいぶんと自分勝手な解釈をなさるのですね。やはり、あなたを海に近付けさせるわけにはいきません」
 キョウがあたしと柴波の間に割って入った。
 場の空気が一気に緊張する。
 柴波は獲物を威嚇するようにキョウをにらんだ。
「そんな細腕で女を守れると思ってんのか?」
「腕力だけで女性が守れるとお思いなら野獣と変わりませんね」
 キョウはあくまでも落ち着いた声。
「だが結局のところ、最後の最後で頼りになるのは己の腕だ。現にお前、俺が本気で襲いかかったらどうする? お前の力じゃどうにもならないだろう?」 
「あなたは馬鹿じゃない。そんなことをすれば後々どうなるかわかっています。よって今ここで、あなたが私に手出しすることはありません」
「理屈の上ではそうだな。だが世の中、理屈が通じないこともある」
「だとしても、あなたがここで暴力を振るうことはありえません。海に嫌われ、研究所を解雇され、あとに残るのは一瞬の充足感と一生の後悔。それがわかっていながら、みんな一緒に不幸になる方を選びますか?」
 すごいよ、キョウ。柴波相手にも一歩も引かないし。台本もなく、やり直しもできないこの状況で、ここまでの演技ができるなんて。
 って、感心してる場合じゃない。とにかく止めなきゃ。
「ふ、二人ともケンカはやめようよぉ……」
 しかし、ヒートアップした男二人には届かない。
「はい、そこまでよ」
 不意に、廊下に高く澄んだ声が響いた。
 反射的に声の方へと視線を向ける。
「わ、和香さん……!」
 そこに現れたのは、和服ではなくグレーのオフィススーツに身を包み、髪を下ろした和香さんだった。
「もう、あなたたち、こんなところで何やってんのよ?」
 和香さんは、柴波、キョウ、あたしの順ににらみつける。
「俺は三波を食事に誘っただけだ」
 柴波が気まずそうに答えた。
「私は柴波さんの下心をいち早く見抜き、それを阻止しようとしただけです」
 さすがのキョウも少し落ち着きがない様子。
 三人の視線がこっちを向く。
 え、あたしも答えなきゃダメなの?
「あ、あたしは帰ろうとしただけなんだけど」
「ふーん。で、帰ってから夕食はどうするの?」
 和香さんが、なぜかあたしにだけ聞いてきた。
「夕食……ですか?」
「海ちゃん、自炊なんてできないでしょ?」
「はい。だからコンビニでお弁当でも買って帰ろうかなと……」
 すると、なぜかみんなが注目してくる。ちょっとかわいそうな人を見るような目で。
 なに? なんなの、この仕打ち。あたしは悪くないはずなのに、なんで男性二人の前で女子力のなさを発表しなきゃいけないの? いいじゃん、コンビニでも。最近はコンビニにだって栄養のバランスを考えたお弁当があるんだよ。
 心の中でわめいていると、和香さんがポンと手を叩いた。
「それじゃあいっそのこと、みんなで食べに行きましょうか。それで万事解決でしょ?」
 あ、その手があったか。
「それいいですね!」
 さすが和香さん。それなら二人とも文句ないでしょ。
 と思ったのだけど、柴波もキョウも、何か苦いものを噛み潰した時のような顔をしていた。
 しばしの沈黙の後、キョウが柴波の方を向く。
「柴波さん、提案があります。私はこのお誘いを辞退しようと思っています。ですので、柴波さんにもぜひそうしていただきたい」
「……いいだろう。今日のところはあきらめた方がよさそうだ」
 そうして、二人は去っていった。
「あら残念。わたしと海ちゃんだけになっちゃったわね。それじゃあアイちゃんと正道さんも誘って四人で行きましょっか?」
 アハハ、すんなり収めちゃったよ。あの修羅場を。
 やっぱり和香さんが最強だな。


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