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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第8回 四章 抑圧(前編)


 快適だった春が終わりに近付いてきた五月の中旬。
 もう日中は半袖でないと暑いくらいだ。次に快適な季節がやってくるのは五ヶ月近く先だと思うと、一日一日を大切にしたくなるこの時期。
 最初にミッションを行った日から約一ヶ月が経っていた。
 あれから何十回、いや、もう百回以上かもしれないくらい仮想未来へのアクセスを行ってきたあたしだけど、最近ちょっとやる気を失いつつある。
 あたしがアクセスするのは未来とはいってもかなり近未来で、内容は聞き込み調査が中心だ。タクシーの運転手さん、美容師さん、セラピストさん、カウンセラーさん、あと公園で暇そうにしている人とか、とにかくいろんな人から話を聞いた。
 それでわかったことを一言にまとめれば、五年や十年では人間社会はほとんど進歩しないということ。抜本的な改革は何一つなされず、あらゆる問題が先送りにされていくだけの状態だった。
 ナビゲーターの高羽京次ことキョウは毎回成果があったと言ってくれるけど、あたしにはそうは思えない。

『当分は今日みたいなぬるいミッションが続くだろうよ』
 
 あの時、柴波が言ったことを思い出す。
 認めたくはないけど、まったくそのとおりだった。
 時刻は午後五時過ぎ。
 何はともあれ今日のミッションを無事に終え、帰途に着く。
 研究所から手配してもらった住居は、歩いて五分もかからない位置にある高層マンションの最上階。間取りは明季のところと同じ2LDK(ただし、リビングが十四畳もある)。もちろん家具付きで、設備も内装も高級感漂うマンションの一室だ。
 正直、ここまで特別扱いされると素直に喜べない。
 これもいつか世界中からテスターを募る時のためと柳所長は言っていたけど、なんかおかしくない? こんな待遇でないとテスターになってくれない人がテスターになっていいのかな? 人類の救世主と言えるのかな? お金は誰が出してるのかな?
 自分の勤め先ながら、あまりにも謎は多い。
 でも、今はそんなことを気にしている場合じゃなかった。明季のためとはいえ、柴波の取引に応じてしまった。あんな男の言うことに屈してしまった。
 柳所長はなんとかするから大丈夫と言ってくれたけど、これからどうなってしまうのか不安で仕方がない。
 それに、明季とはもう一ヶ月も……。
 ――いけない、いけない。思い出しちゃダメ。今はテスターとしての仕事に集中しなきゃ。集中……。
 来客用のソファが並ぶエントランスを通り、エレベーターに乗って最上階に向かう。
 そして、もう少しで自分の部屋に着くというところで、ありえない来客の姿を目にし、脊髄反射で立ち止まった。
「ぅ……」
 今一番会いたくない男が、壁にもたれかかり腕を組んだ状態でこちらを見ている。
 背が高くがっしりとした体格、少しクセのある短髪、鋭い目付き。
「よう、お疲れさん」
 柴波隆翔。またこの人……。
嫌なものが胸に込み上げてくる。本能的に逃げたくなった。
 でもわずかに理性が勝り、踏みとどまる。
「なんでここにいんの? ていうか、どうやって入ってきたの? セキュリティは?」
 このマンションには住居者以外が無断で入れないようセキュリティが設置されている。もちろん招いた覚えはない。
 柴波は得意気に返してきた。
「この程度のセキュリティ、俺なら突破するのに一分もかからんよ」
 あたしはハンドバッグからスマートフォンを出す。
「ちょっとそこ動かないでね。今通報するから」
「おい、待て!」
 柴波が慌てて制止しにきたが、無視して画面操作を続ける。
「待てって。俺は礼がしたくて来ただけだ」
 スマートフォンの操作を止める。
「はぁ? 礼?」
「あんたのおかげで明日から俺もテスターとして活動できる。だからその礼だ」
「なに言ってんの? あなたのためにやったわけじゃないんだけど」
「わかってるさ。だが結果的に俺のためにもなったんだ。そういうわけで、これから一緒に飯でもどうだ。もちろん俺の奢りだ」
 なにこいつ……。要するにあたしを食事に誘いたいわけ? 冗談じゃないんだけど。
「あのね、感謝する気持ちがあるんだったら、もう近付かないでくれる? それが一番あたしのためになるんだから」
 あたしは柴波の脇をすり抜けて、ドアを開け玄関をくぐった。
 そしてすぐにドアを閉めようとしたが、その前に柴波がするりと入ってきた。
 大きいクセに素早い。
「ちょっと、勝手に入ってこないでよ!」
 怒鳴るのも聞かず、柴波は靴を脱ぎ勝手にリビングへ入っていく。
「へえ、いい部屋だな。さすがエーステスター様は待遇が違う」
「出てってよ! 早くしないとほんとに警察呼ぶからね!」
 怒鳴りながらスマートフォンをちらつかせるが、柴波は動じることなく余裕の笑みを浮かべた。
「いいのか、そんなこと言って。俺はあんたが一番知りたいことを知ってるんだがな」
「ぅ……」
 怒りで高まった熱が一気に冷める。
 あたしが一番知りたいこと。それはもちろん、あたしが明季と会ってはいけなくなった理由だ。閲覧禁止になったあのミッション映像を盗み見た柴波は、その理由を知っている。その上で近付いてきたということは――
「またあたしに何かさせるつもり?」
「そう構えるな。前みたいな無茶は言わんさ。ただ一つ試したいことがあってな――」
 言い終わるや否や、柴波は両手であたしの胸ぐらをつかみ壁へ押しやってきた。
 叩きつけられたわけじゃないから痛くはないし、声が出ないほど苦しくもない。
 本気で襲いかかってきたわけじゃなさそうだけど……。
「いきなりどういうつもり?」
「ほう、動じないか。さすがだな」
「だからどういうつもりかって聞いてんの」
「先日小耳に挟んだんだが、あんた武術の達人らしいな」
 柴波は両手にぎゅっと力を込めてきた。
 すごい力だ。壁に押さえつけられたまま身体が動かせない。
「それがなに?」
「武術ってのはスポーツと違って男も女もねえ。体格も関係ねえ。そう聞いたことがあるんだが、実際どうかと思ってな。例えばこういう場合どうするんだ? あんたの力じゃ外せないだろう?」 
 柴波は冷ややかな笑みを浮かべながら聞いてきた。
 その顔、あたしが怖がってると思ってるな。
 込み上げる怒りを抑えつつ、静かに答える。
「そうだね、確かに腕力じゃどうやったって敵わない。でもね――」
 あたしは柴波の手から小指だけをつかみ取り、関節を逆方向に曲げた。
「うぐ!」
 柴波は呻き声を上げながら大きな身体をのけぞらせる。
「あたしの力でも小指くらいなら外せるの。それでね、指一本でも外しちゃえば――」
 小指にさらに力を加える。
「お、折れる!」
 柴波は叫び、たまらず手をはなした。
「ほら簡単。そしたら次はね――」
 あたしは両手で柴波の右手をつかみ、手首の関節をゆっくり時計回りに捻る。
 すると、柴波の身体が捻った方向に大きく傾いた。
「うお?」
「こうして末端の弱い部分を捻ってあげれば、手首、肘、肩の順になし崩しに極っていくの。そしたらほら、倒れるしかないでしょ?」
 つかんだ手に力を加えてやると、大男が為す術もなくリビングの床に転がった。
 柴波は天井を仰ぎながら、信じられないというような顔をする。
「投げられただと!? 俺が、こんなあっさり?」
「しかも、まだ終わりじゃないんだよね」
 あたしはまだ柴波の手を持っている。
 逆関節が極まったその手を、ゆっくり反時計回りに捻ってやった。
「うぐぐ!」
 柴波は床に倒れて動けないまま、飛び上がるような声をあげた。
「おい、よせ! 靭帯が切れる!」
 まあ、そういう技だからね。
 最初からこうすればよかったんだ。あたしの方が強いんだから。
 ……ああでもダメ。こいつには明季の代わりに捨て駒になってもらわないと。
 だから壊しちゃダメ。
「そうねー、このままプチっとやっちゃてもいいんだけど、後々面倒になるからやめとくわ」
「あ、あんた、人格変わってないか!?」
「あなたのせいでしょ?」
「いいや、違うな。あんたが苛立ってるのは野川に会えないからだろう? 俺に当たるのは筋違いってもんだ」
「そういうこと言うんだ?」
 あたしはさらに捻りを加える。あと一ミリでも動かせば靭帯が切れるところまで。
「あああああ!」
 絶叫。
 でも、この部屋は防音仕様だから隣の部屋には聞こえない。
「立場をわきまえたら? あたしとあなたじゃ格が違うんだから」
 冷たく言い放つと、柴波は息絶え絶えに叫んだ。
「わかった! わかったから放してくれ!」
 これ以上続けると切れないまでも靭帯が伸びてしまう。仕方なく手を放してやった。
 柴波は二、三度深呼吸をした後、上半身を起こす。
 それから、汗まみれになった顔を袖で拭った。
「ふうー、こういう技もあるのか。試合じゃ使われない逆技だな。柔道の腕前がメダリスト級と聞いていただけから驚いた」
「今のは柔道じゃなくて合気道。合気道の技は、さっきあなたが言ったとおり体格も性別も関係ない。本物の護身術なの」
「そうだったのか。それじゃあ――」
 柴波は突然言葉を打ち切り、両手であたしの右手をつかんでくる。
 そして、さっきあたしがやったように手首の関節を捻ってきた。
「くっ!」
 不意をつかれたせいで力の流れに逆らえず、床にひっくり返される。
 さらに、柴波があたしの上に馬乗りの状態になった。
「なるほど、こいつは使えるな」
 柴波が悠然と見下ろしてくる。
 まさかたった一回やってみせただけで技を盗まれるなんて……。
 こいつも武道経験者? それもかなりの。
 いや、そんなことより――
「ちょっと、重たいんだけど」
「俺は八十五キロあるからな。あんたの倍はあるんじゃないか?」
「失礼な。あたしの倍あったら、九十キロ超えてるって」
「それは失礼なのか?」
「失礼だよ」
「そうかい。で、こういう場合はどうするんだ?」
「こうするの」
 あたしは上体を起こすと同時に柴波の耳をつかみ、思いっきり横に引っ張った。
「い――」
 声も出せず、たまらず転がる柴波。
 それに合わせてあたしも身体を回転させ、今度はあたしが柴波に馬乗りする形に。
 一瞬で逆転した。
「ね? 簡単でしょ。耳を引っ張るとね、どんな大男でも逆らえなくなるの。じゃないとちぎれちゃうからね」
 柴波は驚きと喜びが混じったような笑みを浮かべる。
「ハハ、勉強になるな。まさかこんな単純で強力な手があったとは!」
「そんなことより、よくもあたしの上に乗っかってくれたね。そんなことしていいのは明季だけなのに」
 あたしは拳を握って、柴波の顔を殴る……というより小突く。
 本気で殴るつもりなんてない。手、怪我しちゃうから。
でも抵抗のできない柴波は、割と必死に避けようとする。
「おい、よせ!」
 やっぱり上と下とじゃ心理的圧迫感がまるで違う。
 あたしにとっては冗談半分のゆるゆるパンチでも、柴波はそうは感じない。
 柴波は両手で顔面をガードしながら叫ぶ。
「そんなに好きなら、なんでとっととモノにしなかったんだ? 付き合いは長いんだろ? チャンスはいくらでもあったんだろ?」
 その無遠慮な言い方に、一瞬殺意が湧くくらいイラっときた。
「モノにするとか、あたしと明季はそんなんじゃない! 一緒にいるうちに自然と近付いていけるって思ってた。なのに明季は、そんなあたしの気持ちも知らずに――」
 あたしより仕事を選んだんだ。あたしより……。
 小突くのをやめる。
 また胸に嫌なものが込み上げてくる。だんだんと涙がこらえきれなくなってきた。
「あんただって野川の気持ちがわかってないだろうが」
 不意に低い声が下から響いてきた。
「え……?」
「わからないなら教えてやる。あんたは優秀だ、優秀過ぎるんだよ。だから野川は引け目を感じてるんだ。自分なんかじゃ、あんたとは不釣り合いだと思ってるんだ」
「そんな! あたしはそんなこと気にしてない!」
「だからわかってないって言ってんだ! 俺は男だからな、野川の気持ちがよくわかる。そういうのは理屈じゃねえんだ!」
 柴波の言葉に、これ以上ないくらいの衝撃を受ける。
 ……わかってなかった。あたしが、つい最近現れたこの男より、明季のことを。
 あたしはゆっくりと柴波の上から立ち上がり、後ろを向く。
 また襲ってくるかもしれない。でもそれより、今は顔を見られたくなかった。
 嗚咽を抑えながら、なんとか声を出す。
「帰って」
「いいのか? あんたが一番知りたいこと聞かなくて」
「いいから帰って」
「わかったよ。だがこれだけは言っておこう。俺が見たところ、野川はあのメイドのナビゲーターに惹かれ始めてる。いつまでもじっとしてると取り返しがつかなくなるぞ」
 柴波は部屋を出ていった。
 そっか、明季がアイちゃんに……。
 予想してなかったわけじゃない。長いこと一緒にミッションをやっていれば、そのうちそうなるかもって思ってた。でもまさか、こんなに早く……。
 あたしはソファの上に、倒れるように身体を横たえた。
 もう頭の中がぐちゃぐちゃでワケがわからない。
 あたし、何やってんだろ? 何がしたいんだろ?
 ……そのまま何分経ったか。不意に、テーブルの上に置いたハンドバッグから着信音が鳴り響いた。
 半ば反射的に身体を起こし、無造作にスマートフォンを取り出す。
 着信画面に表示される発信者は、最近よく話をするようになった人だった。
「和香さん?」
 柳所長の奥さん、和香さんとは、アイちゃんの家(つまり柳所長の家)に泊めてもらった時に知り合って連絡先を交換した。
 なんの用だろう?
 あたしは一度咳払いして、呼吸を整えてから電話に出る。
「もしもし」
『あ、ごめんね、海ちゃん。さっき帰ったばっかりなのに』
 和香さんの高くて若々しい声に、少しだけホッとする。
「いえ、気にしないでください。それよりどうしました?」
『もしかして、柴波君そっちに行かなかった?』
「はい、来ましたけど」
『あー、遅かったかぁ。なんともなかった? 何かされなかった?』
「別に何も……。食事に誘われたのを断っただけです」
『そっか。それならいいんだけど』
「どうして柴波のこと聞くんですか?」
『実はね、柴波君のナビゲーター、わたしが務めることになったの』
「え、和香さんが?」
『そ、適任でしょ?』
 呑気な口調だ。柴波のことをよく知らないのかもしれない。
「あいつと二人きりになるなんて危険です! あいつは、まともじゃないんです!」
『そうかしら? そんなに悪い子には見えなかったけど』
「そんなはずありません! とにかく、何かあってからでは遅いんですから、あいつのミッションの時はあたしも行きますからね」
 柴波を引き込んだのはあたしだ。あいつがミッション中におかしなことしないよう、あたしが責任もって見張らなきゃ!


 敵を知り己を知れば百戦百勝――だったかな? 
 ちょっと違う気もするけど、そんな感じのことわざがあるよね。
 敵ってほどではないかもしれないけど、和香さんの安全のためにも、あたしは柴波のことを調べてみることにした。
 しかし――
「う〜ん……」
 しばらく考えたのち、自分一人では無理なことを悟った。
 そこで、頼れるナビゲーターのキョウに電話をしてみた。
 そしたら、今研究所にいて柴波のことならもう調べてあるからこのあと会いませんか、と返ってきた。
 もちろん二つ返事でオッケー。
 問題はどこで会うかだけど、外ではまた柴波とばったり出くわすかもしれない。研究所にはもう普通に入ってこられるわけだから、やっぱり出くわすかもしれない。
 いくらなんでもまたうちに来ることはないでしょう。ということでマンションまで来てもらうことにした。
 それから十五分くらい。時刻は午後六時半。
「こんばんは、海さん」
 キョウがやって来た。
 少し垂れ下がり気味の目をした優しそうな顔に、さわやかなビジネス風ショートヘアスタイル。でも服装はミッションの時と違い私服だった。
 黒いシャツの上にグレーのテラードジャケット、下はストレートジーンズというカジュアルな服装。いたって普通なはずなのに、長身でスタイルのいいキョウが着こなすとモデルさんみたいだ。執事姿しか見たことなかったからとても新鮮な感じがする。
「ごめんね、急に頼んだりして」
 あたしはキョウに向かって手を合わせる。
 すると、キョウは少し恥ずかしそうにうつむいた。
「いえ、ミッション以外でも、海さんが俺のこと頼ってくれて嬉しいです」
 え……俺?
一瞬、思考が停止する。それから記憶をたどる。
 あれ、キョウって自分のこと「私」って言ってたよね。
 それに、あたしのこと「海」って呼んでたのに……。
「海さん?」
 あたしが固まったまま返事をしなかったせいか、キョウは怪訝そうに顔を覗いてきた。
「あ、ごめん……。とりあえず中に入って。リビングでお話しよっか」
 一人暮らしのあたしにはかなり広めのリビングルームに、キョウを案内する。
 なんだか急に緊張してきた。
 よく考えると、こんなに暗くなってから家に男の子を招くなんて初めてだ。 
 あたしは緊張をごまかすように、キョウに声をかける。
「あ、ジャケットかけてあげる」
「あ、どうも」
 キョウからテラードジャケットを受け取る。
「うわ、おっきいね」
 キョウは身長一八〇センチ近くある。
 このジャケット、あたしが着たら袖から手が出ないだろうな。試しに着てみよっかな、とか思ったりするけど、さすがに本人を前に恥ずかしいからやめておく。
「ねえ、なんか飲む? コーヒーか紅茶しかないけど」
「じゃあ、コーヒーお願いします」
 う〜ん、やっぱりキョウ、ちょっと様子が違う?
 執事というより後輩の男子みたい。
「ちょっと待っててね。すぐ淹れるから」
 ――それから三分後。
 コーヒーカップを両手に、リビングへ戻る。
「はい、どうぞ」
 あたしはキョウの前にコーヒーを置いた。
「ありがとう、海さん」
 キョウは嬉しそうにコーヒーを口にする。
「海さんの淹れたコーヒーを飲めるなんて、ちょっと贅沢ですね」
「贅沢って、それインスタントなんだけど……」
「いえいえ、大事なのは海さんが淹れてくれたってとこですよ」
「そ、そうなの?」
「はい」
 よくわかんないけど、喜んでくれてるならいいか。
 あたしもソファに腰を下ろし、コーヒーを一口。
「そういえばキョウ、ミッションの時となんか違うね。さっき自分のこと『俺』って言ってたし」
「あ、ミッションの時のあれは演技なんです。普段から執事みたいにしてるわけじゃないんですよ」
 さわやかな口調で意外な事実を告げられ、あたしは声を張り上げた。
「そうなんだ! てっきりあれが素なのかと思ってたよ」
「それはちょっと恥ずかしいかな」
 キョウは苦笑する。
「でも、それくらい違和感なかったし」
「そう言ってもらえると嬉しいです。演技にはちょっとした自信があるんで」
「もしかして元演劇部だったとか?」
「いや、学校の部活じゃなくて、劇団に所属してました」
「え、劇団って、プロの俳優さんとかいるところだよね?」
「そうですね、その劇団です。俺も一応、ドラマとか出演したことあるんですよ。脇役でしたけどね。ゆくゆくはメインにって話もありました。でも、なんとなく自分に合ってないかなって気がして……。そんな時、この研究所の活動を知って、思いきって辞めてきたんです」
「じゃあ、もし劇団続けてたら、一躍有名人になってたかもしれないんだ?」
「さあ、どうかな。俺よりすごい人いっぱいいたし。何より、俺には覚悟がなかったから」
「覚悟?」
「他人を蹴落とす覚悟。それと、嫉妬と羨望のまなざしに耐える覚悟です。俺にはそれがなかった……」
 キョウはどこか遠い目をする。
「そっか……」
 あたしには何も言えなかった。
 芸能界が見た目の華やかさとは裏腹に、とてつもなく厳しい競争社会だということくらいは知っている。そんな業界において、キョウの優しくて謙虚な心は足枷でしかなかったのだ。
「でも今は、それでよかったと思ってます。海さんのナビゲーターの方がやりがいありますから」
 キョウの言葉に心臓が跳ねる。
 だって、わざわざ「海さんの」って言うんだもん。
「あ、ありがと……。なんか、光栄だな」
 あたしは恥ずかしくなって、話題を変えることにした。
「ねえ、お腹空かない? ピザでも注文しよっか?」
「いいですね。じゃあ、注文は俺がしますね」
 キョウはポケットからスマートフォンを出し、操作を始める。
 それから、こっちに画面を向けてきた。
「海さん、どれ食べます?」
「うーんとね……」
 ソファから腰を浮かせ、メニューを注視する。
「じゃあ、イタリアーナとマルゲリータとエビマヨと、あとチキンナゲット、食後のデザートにアップパイも――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 キョウが慌てて制止してきた。
 あたしは画面からキョウに視線を移す。
「え、なに?」
 キョウはスマートフォンを引っ込め、少し頬を膨らませて言う。
「アイシャさんから言われてるでしょう? 食事には気を付けるようにって」
「……」
 ちっ、アイちゃんめ、キョウにまで言い含んであるとは。
「そんな顔してもダメですよ。海さんの体格と筋量なら一枚で充分です」
 まるでアイちゃんじゃないか! キョウは違うタイプだって思ってたのに。
「じゃあマルゲリータでいいよ……」
 あたしはふてくされたように言う。
 するとキョウは、
「じゃあ、俺がイタリアーナにしますから、半分こしましょう。チキンナゲットも注文しますから、それも半分こで」
 ムッとした表情をフワッと和ませ、そう言ってくれた。 
「え、いいの?」
「我慢し過ぎるのも身体に毒ですからね」
「アップルパイも、いいよね? それも半分こで」
「仕方ないですね」
 キョウはヤレヤレといった感じで返事をしてくれる。 
 やったぁ! 前言撤回。やっぱりキョウってやさしー。


「ピザが届くまで三十分くらいかかるみたいなので、その間に話を進めておきましょう」
「えーと…………あ、うん、そうだね!」
 あぶないあぶない、本題を忘れるところだった。今の間はセーフだよね。
 キョウは特に気にする様子もなく、持参したビジネスバッグの中から書類を出した。
「まずは履歴書のコピーをどうぞ」
 履歴書って持ち出したりしていいのかな?
 よくわからないけど、細かいことを気にしている場合ではないので素直に受け取る。
「これ本物だよね? あいつのことだし、偽造って可能性は?」
「いえ、それはありません」
 キョウがそう言うなら……。
 えーと、まず名前は柴波隆翔。年齢は二十七歳。それから電話番号と住所はどうでもいいとして、学歴は高校卒業後、防衛大学入学。卒業後は陸上自衛隊――ん、自衛隊?
「あ、あいつ自衛官だったの?」
「ええ、俺も驚きましたよ。自衛隊の方にも確認を取りましたので、経歴は本物に違いありません」
「しかも防衛大卒って、エリートじゃん」
「調査した限り、防衛大での成績はトップ。幹部候補生として将来を有望視された大物新人だったようです。それが突然辞めて、テスターに志願してきたということです」
「へえー」
 あいつが自衛官かぁ。なんかしっくりこないなぁ。
 盗撮とか不法侵入とか、どう考えても裏社会的なイメージだったんだけど。
「そんなに優秀で期待されてたのに、なんで辞めちゃったんだろうね?」
 尋ねると、キョウはキョトンとした表情で見つめ返してきた。
「あたし変なこと言った?」
「いや、だって、それを言ったら海さんだって、オリンピックで金メダルを取れたかもしれないのに、柔道やめちゃったんでしょう?」
「あ、そっか。でもそれなら、キョウだって劇団……」
「同じですね」
 キョウは穏やかに笑った。
 あたしもつられて笑う。
 なんだか急に親近感が湧いてきた。キョウはもちろん、ちょっとだけ柴波にも。
 きっと同じだからだ。周りの人から認められるより、自分のやりたいことを優先する姿勢が。
「さて、次はと……」
 あたしは半分に折られた履歴書を裏返す。
「えーと、あいつが持ってる免許資格は……あれ、普通自動車と自動二輪だけ? 自衛隊って、いろいろ免許取得できるんじゃなかったっけ?」
「たぶん書かなかっただけだと思います」
「どうして?」
「だってほら、自衛隊で免許だけ取って辞めようとか考える人いるじゃないですか。きっと柴波さんは、そういうのと一緒と思われたくないんですよ」
「な、なるほど」
 さすがキョウ。普段着でも頭の冴えは変わらない。
 えーと、次は、志望動機・趣味・特技の欄。
「趣味は将棋、囲碁。意外と渋いな」
「渋いですね」
「それから特技は、空手」
 やっぱり、あいつも武道やってたんだ。それにきっと、腕前も並じゃない。
 参考までに聞いてみる。
「ここには段位も戦績も書いてないけど、試合とか出てたのかな?」
「いえ、試合に出場した記録は一切ありませんでした。どうやら、スポーツ空手ではなく、古流の空手をやっていたみたいです」
「古流ね。よくわかんないけど、いくら強くたってあの性格じゃあね。技の練習ばかりして心を磨いてこなかったタイプだな、あれは」
 きっぱり言うと、キョウは「アハハ」と苦笑いで返してきた。
 その欄に記入されているのはそれだけだった。
「あれ、志望動機が書かれてないよ?」
「たぶん書きたくなかったんでしょうね。でも空欄があっちゃ不自然だから、趣味特技と記入欄が一緒になってる履歴書を選んだんだと思います」
「いやいや、書きたくないは通じないでしょ? 就活なめてんの?」
「まあ、この研究所は普通の企業じゃないから、お手本みたいな文章を書いても無意味と判断したんじゃないでしょうか。それより、今度はこっちを読んでみてください」
 キョウはプリントをもう一枚取り出す。原稿用紙だ。
「何それ?」
「柴波さんが書いた小論文です。志望動機が書かれてますよ」
「へえー」
 さっそく読んでみる。
 
 人類を長期に渡って存続させるには、現行の人間社会を一度初期化する必要がある。一部の権力者と富豪たちによって統制された現行社会は、彼らにとって都合の良い制度と慣習で構成されており、もはや選挙などでは覆せないところまで腐敗しきっている。
 よって、現状を打破するには戦うしかない。戦うことによって社会の膿を排出し、新たな価値観を構築しなければならない。
 では、新たな価値観とは何か? それは、価値観を固定させないことである。
 地位も権力も財産も固定させてはならない。固定は腐敗を生み、何度でも人間社会を堕落させる。社会を腐敗させないためには、絶えず固定観念と戦い続けなければならないのだ。
 そして今、我々が戦うべき敵は既得権益の亡者である。法の裁きが通じない亡者には武力行使による強制排除を断行しなければならない。己の利益のために人類進化を阻む老害を排除しなければ、我々の子孫に明るい未来はない。

「ふーん」
 あたしはキョウに原稿用紙を返す。
「どうでした?」
「うーん、確かにこれじゃあ危険な奴と思われて当然だね。これって要するに大量殺戮じゃん?」
「そうですね。現代の権力者たちが正しいとは言えませんが、それでも彼の主張は傲慢で無慈悲と言わざるを得ません。俺が所長の立場だったとしても不採用にします」
 この口ぶり、キョウも柴波に少なからず悪い印象を持っているみたいだ。
「でも、この文章を読んで柴波のことがちょっとだけわかった気がするよ」
「へえー、何がわかったんですか?」
「柴波がすっごく素直だってこと」
「素直?」
 キョウは意外そうに目を丸くした。
「だってそうでしょ、試験でこんな過激なことはっきり書くんだよ? 適性率が高いんだから当たり障りのないこと書いておけば採用間違いなしなのに、わざわざ。素直過ぎだよ」
「確かに……」
「まあ、素直なのがいいこととは限らないけどね。嘘がすぐにバレちゃうから。要するに、柴波は嘘が付けないタイプなんだよ」
 キョウは腕を組んで視線を落とした。
「なるほど……。だとしたら、根っからの悪人ってわけじゃないのかもしれませんね」
「ぶっきらぼうで強引で手段を選ばない、いけ好かない奴ではあるけどね」
 キョウは組んだ腕を解き、視線を上げる。
「では、柴波さんへの対応はどうしますか?」
「一応、何かあるといけないから見に行くよ。むしろ見に行きたいかも。和香さんがあいつをどう扱うのか気になる」
「アハハ、それ俺も気になります。後で教えてくださいね」
「うん」
 ちょうどその時、部屋のインターホンが鳴った。
 ピザが届いたみたいだ。思ったより早かったな。


「ふうー、ごちそうさまぁ」
 やっぱりピザっておいしい。もうちょっと食べたかった気もするけど、デザートのアップルパイもおいしかったから、とりあえずは満足満足。
 柴波のこともだいたいわかったし、これからどうしよっかな。
 考えていると、キョウが改まった態度で話しかけてきた。
「海さん、ミッションとは関係ない話なんだけど、一つどうしても聞いておきたいことがあるんです」
「ん、なあに?」
「海さんは、どうして野川さんのこと好きなんですか?」
「え……」
 予想外の質問に面食らう。
 そんなこと急に聞かれても……。
 ていうか、どうして知ってるんだろう? 話した覚えはないんだけどな。
 キョウがじっとこちらを見つめてくる。
 冗談でも興味本位でもなく真面目な様子だ。
「うーん、なんだろ、なんて言えばいいんだろ……」
 うまく言葉が出てこない。
「じゃあ、少し質問を変えます。野川さんのこと、いつ頃好きになったんですか?」
「中学生くらいだったと思う。でも、気になり始めたのはもっと前」
「それは、いつ、どんなきっかけで?」
 あたしは少しの間、天井を見上げ、昔のことを思い出す。
 あれは確か――
「小学校六年生の時だったかな。あの頃の明季は人と話すことがほとんどなくて、いつも一人きりだったの。休み時間もずっと本を読んでたよ。でも全然寂しそうじゃなくて、いつも堂々としてた。今にして思うと、とても小学生とは思えないくらい堂々としてた」
「ただのぼっちじゃなかったってことですね」
「そう。それで直感的に思ったの。この子いつもおとなしいけど、実はすごい力を秘めてるんじゃないかなって。それからあたしは、ことあるごとに明季を目で追うようになった」
「なるほど、それで予想どおりすごかったと?」
「違うの! 全く逆。見掛け倒しだったの」
「え……?」
 キョウはポカンと口を開いた。
「みんなの前では堂々としてたのにね、誰も見てないところでは、しょんぼりしたり、なんかぶつぶつ言ってたりしてね、要するにただ強がってただけなの」
「へえー、あの野川さんが……。海さんの直感が外れることもあるんですね」
 複雑な表情をするキョウ。
「そんなのしょっちゅうだよ。だからって興味がなくなったわけじゃなくてね。むしろ、いつも一人でいる明季がだんだん他人じゃ思えなくなってきたの。それでね、その時、気付いたの。実はあたしも、けっこう孤独だったってことに」
「海さんが?」
「うん。あたしもね、けっこう……いや、かなり空気の読めないところがあってね。一人で勝手に盛り上がったりしてることが多かったんだよね」
 あたしはソファに深くもたれ、真っ白な天井を見上げた。
「みんな表面上では普通に接してくれてたんだけど、微妙にね、距離があるのに気付いちゃってね……」
「それで、野川さんに共感したと?」
 視線を正面に戻す。
「そう。それであたし、思い切って明季に話しかけてみたの。そしたら驚いたよ、明季って以外とよくしゃべるんだもん。自分からは話しかけないんだけど、人から話しかけられると急にしゃべるようになるんだよ、明季って」
「人と接するのが苦手なだけで、人間嫌いってわけじゃないんですね」
「そうそう。それで何度も話しかけてるうちに、だんだん明季からも話しかけてくれるようになって、気が付いたら好きになってたわけだけど……」
 あれ? あたしが明季を好きな理由って、この程度だっけ?
「それだけ、ですか?」
 キョウも同じ疑問を抱いているようだ。
「そ、それだけじゃないよ。明季って真面目だし、誠実だし……」
 とっさに思い浮かぶのは、そんなありきたりな言葉だけ。
 たった一ヶ月会わなかっただけなのに、明季のことをうまくイメージできない。
 もっとこう、なにかあったはず。なにか……。
 キョウが低い声で言う。
「本当にそうでしょうか? 俺には野川さんが誠実な人とは思えないんだけど」
「え?」 
 信じられない発言に、あたしは驚き目を開く。
 それから、キョウはソファの上で姿勢を正し、意を決したように言葉を放つ。
「海さん、どうか怒らずに聞いてほしい。野川さんのことよく考え直してみて、場合によっては一度気持ちをリセットした方がいいんじゃないかと思うんです」
「……どうして?」
 あたしは目を開いたまま、首を傾げた。
「だって海さん、野川さんと話すようになって十年以上も経ってるんでしょう。同じ高校、大学に通って、さらに同じテスターにまでなって。それなのに野川さんは、ずっと海さんの気持ちを無視し続けてるんですよ。とても誠実とは思えません」
「無視……」
 言われてみればそうだ。けっこう、ひどいかも……。
 急に胸が苦しくなってくる。
「で、でも、無愛想だけど優しいところもあるんだよ」
 湧き上がってくる負の感情を振り払い、明季のいいところを必死に探す。
 優しくて、真面目で、努力家で、あとは、あとは――
 そこにキョウの声が割り込む。
「確かに根はいい人なのかもしれません。テスターとしても優秀です。でも、海さんのことに限って言えば、やはり誠実とは思えないんです」
「どうしてそう思うの?」
 声が半分裏返っている。心臓の高鳴りが収まらない。
「野川さん、アイシャさんに『もう海さんとは会わないように』と言われた時、全く食い下がらなかったそうなんです。そのアイシャさんとは早くも仲良くなってるみたいですし」
 アイちゃんと仲良く……。柴波もそんな感じのこと言っていた。ほんとだったんだ。
 あたしとは十年一緒にいても進展しなかったのに、アイちゃんとはたった一ヶ月で。
 そこまでメイド服着た女の子が好きだったの? 
 それとも西洋人が好みだったのかな? 
 いや、明季はそういうので人を判断する性格じゃない。
 やっぱり、どこか波長が合ってたってことなのかな?
 鼓動の高鳴りが収まっていくとともに、気持ちが急速に冷めていく。
 ひょっとして会うなって言われてショック受けてたの、あたしだけ? 
 明季は、何も……。
「海さん」 
 キョウが穏やかに言う。
「いつまでも野川さんにこだわることないと思うんです。もったいないですよ、海さん可愛いんだから」
「え……か、可愛い?」
 驚きのあまり、あたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そんなに驚かなくても。ほんとのことでしょう」
「で、でもあたし、男の人に可愛いなんて言われたの初めてだし」
 いったん収まった鼓動が、また速くなる。全身が火照って汗が吹き出しそうになってきた。キョウを直視できない。
「野川さんは言ってくれなかったんですか?」
「うん……」
 うつむいたまま小さく頷く。
「一度も?」
「一度も……」
「信じられない。アイシャさんには初対面で可愛いって言ったらしいですよ。それなのに海さんには一度もなんて」
キョウの声からは憤りが感じられた。嘘を言っているとは思えない。
「海さん、どうか一度考え直してください。野川さんだけが男じゃないんですから」
 あたしの中で、何か大きなものがゴトリと動いた気がした。


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