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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第7回 三章 食料難(後編)


 翌日。
 第一ブリーフィングルームの扉を開けた直後、ここにいるはずのない男の姿を見て、僕は驚愕した。
 柴波隆翔。
 テスターとして高い適性を示しながらも、その過激な思想故に採用されなかった男。
 その男が木製の椅子の上で足を組み、コーヒーカップを口にしていた。
 柴波はこちらに顔を向け、気さくに声をかけてくる。
「よう、久しぶりだな」
 彼とは第二次試験の時に会って以来だが、再会を喜び合うような仲ではない。
 できればこの先も会いたくないと思っていた男だ。
 僕は柴波を無視し、脇に立っているアイシャに歩み寄った。
「どういうことだ? なぜこの男がここにいる?」
「柳所長からの指示です。柴波さんは、本日より正式にテスターとして登録されました」
「どうして、そんな急に?」
「急ではありません。二週間ほど前から検討されていたようです。理由は聞かされていませんが、所長からの指示ですので」
 焦る僕と違い、アイシャは態度を変えることなく答えた。
 柳所長からの指示というだけで納得しているようだ。
 僕は柴波にゆっくりと近付き、問う。
「どうして一度不採用になった君が今になってテスターに任命されたのか、聞かせてくれないか?」
 柴波はゆっくりとコーヒーカップを置き、こちらに顔を向けてくる。
「人手不足だそうだ」
「は……?」
「このままじゃあんたの負担が重過ぎるから、俺にも加ってほしいと頼まれたんだ」
「それは、柳所長に?」
「そうだ。でなきゃ、ここでのんびりコーヒーなど飲んでいられるわけがなかろう?」
 違いない。納得はできないが、反論もできない。
 柴波が言う。
「まあ座れ。これからは共にミッションを進める仲間だ。細かい考え方の違いなど気にしても仕方あるまい」
 どこが細かいんだと言い返したかったが、敵意のない相手に喧嘩腰になっても仕方がない。しばらくは様子を見るしかなさそうだ。
 僕は無言のまま席に着いた。
「明季、紅茶をお持ちしますね」
 そう言ってその場を離れようとするアイシャを、柴波が呼び止めた。
「アイシャ、コーヒーのおかわりだ」
「……かしこまりました」
 アイシャは丁寧に返事をして、カウンターへ向かった。
 そのやり取りを見た僕の心中は穏やかではなかった。目の前の男が、アイシャの名を呼び使役するのが腹立たしかった。
 そんな僕の視線に気付いたのか、柴波が冷ややかに笑う。
「安心しろ、俺は得体の知れない西洋の女なんぞに興味はない」
 カウンターに向かうアイシャにもはっきり聞こえる声だった。
 僕は半ば無意識のうちに、テーブルに手を叩きつけるようにして立ち上がった。
アイシャがビクッとしてこちらを見る。
 その反応で我に返った僕は、澄ました顔の柴波に問いかけた。
「どうして、そんな言い方をする?」
 柴波は顔をこちらへ向け、また冷笑する。
「記憶がなく、名前も年齢もわからない女のどこがいいんだ? あんた変わった趣味をしているな」
 答えになっていないが、ここまであからさまに挑発されると、柴波が何か意図していることくらいはわかる。おかげで平静を保つことができた。
「なぜわざと挑発するようなことを言う?」
 問うと、柴波はニヤリと笑った。
「気付いたか。思ったより早かったな」
「どういう意味だ?」
「あんたがどのくらい胆力を持ち合わせているか試してみたんだよ」
 わかってはいたが、いちいち気に障る男だ。
「僕を試すのはいいが、アイシャのことを悪く言うな」
 柴波はしばらくの間、黙ってこちらを見つめてくる。それから、
「わかったよ。だいたいな」
 そう言って視線を逸らした。
 また答えになっていない。だが、この男の言うことにいちいち腹を立てていたらキリがなさそうだ。
 僕は席に着き、腕を組んで目を閉じだ。
 そのまま無言でアイシャが戻ってくるのを待つことにした。
 

 そうして息苦しい沈黙の数分間が過ぎ、アイシャが戻ってくる。
 紅茶とコーヒーをそれぞれの前に置くと、いつものように世間話はせず、すぐに説明に入る。
「それでは、今後のミッションの進め方についてお話しします。まずスケジュールですが、ミッションは明季と柴波さんに一日交代で行っていただきます。本日は明季、明日は柴波さん、明後日は明季という具合です。ただし今後は土曜、日曜、祝日にもミッションを行うことになりました。お正月とお盆はお休みになります。それ以外にお休みを希望される場合は、なるべく早く申請してください。ここまではよろしいでしょうか?」
「わかった」
 僕は返事をする。
 柴波も黙って頷いた。
 つまり一年の半分以上が休みになるということだ。柴波が加わったことで出勤日数はかなり減る。ミッションが一日置きになるのはありがたい。アクセスによる疲労は一晩では抜け切らないことがほとんどだった。ましてや、月曜日から金曜日まで五日連続ともなれば、かなりの疲労が溜まる。そうなれば今度は翌週にも疲労を持ち越すことになり、延々と疲労は溜まっていく。そうして月日が経っていけば、いずれは……。
 だが、中一日挟めばダメージの蓄積はかなり軽減するだろう。
「次に、ミッションの内容ですが」
 アイシャが僕に顔を向けてくる。
「明季には引き続き、四十年後の世界を調査していただきます」
 次に柴波の方を向く。
「それから、柴波さんには八十年後の世界を調査していただきます」
 それを聞いた柴波は嬉しそうな顔をした。
「俺を先の未来へ行かせてくれるとは嬉しいな。だがこう言うのもなんだが、いいのか? あんたたちは俺に少なからず不信感を抱いてるんだろう?」
「だからこそ先の未来へ行っていただくのです。四十年後の世界は、まだある程度予想がつきます。ですが、その先はまったくの未知の世界。どのような危険が待ち受けているのか想像もできません」
 アイシャはきっぱりと答えた。
「なるほど、そういうことか……」
 柴波はすべて聞かなくともこの配置の意図を理解したのか、自嘲気味に笑った。
 もちろん僕にもわかった。
 柴波をテスターとして扱うにはリスクが伴う。ならば柴波にもリスクを負わせればいい。リスクにはリスク。柳所長がこの男を採用したのも、それなりの対策があってのことだったのだ。
 アイシャが冷たく問う。
「何か不都合なことがありますか?」
「いや、構わない。それはそれでおもしろそうだ」
 その言葉が本心なのか強がりなのかはわからないが、柴波はアイシャから目を逸らし、それ以上は何も言わなかった。
 今度は僕が質問する。
「アイシャ、前から気になってたんだけど、どうして四十年後なのかな? その数字に何か根拠でも?」
「柳所長の研究成果によりますと、今から約四十年後、二〇五〇年代後半が人類にとって重要なターニングポイントになると予測されるからです」
「ターニングポイント?」
「もし人類がこのまま経済活動の拡大を続けるのであれば、人口増加、資源の枯渇、環境汚染などあらゆる悪因が重なり、約四十年後には現行社会の限界が訪れるでしょう。その未曾有の危機に備え、どのような対策をとるのかが人類存続の鍵となるのです」
「なるほど。でも四十年後とは意外に早いんだな。僕たちが生きている間くらいは大丈夫かと思っていたんだが……」
「それは経済成長と環境汚染の相互関係を無視した楽観的な予測と言わざるを得ません。例えば、経済を活性化させるためには物をたくさん作らなければなりません。ですが、形ある物はいずれ壊れるという言葉通り、作ったものはいずれゴミになります。物をたくさん作るということは、未来のゴミをたくさん作るのと同義なのです。そうした負の部分を考慮せず、経済はどこまでも成長すると信じ込んでいる楽観主義者が立てた予測など当てになるはずもありません」
「確かにな……」
 一呼吸置いて、アイシャは続ける。
「楽観主義者の未来予測は、経済成長によって発生するゴミや汚染物質の存在を無視しています。ですが、経済成長とは人間が健全に生きていける環境という大前提があってこそなし得るもの。環境という土台が崩れてしまえば経済どころではありません。すべては環境ありきなのです」
 野川市長も同じようなことを言っていた。きっと、それに気付いている人間も少なくないはずだ。それでもなお、人類は経済競争に明け暮れている。
 経済成長を捨てても自然環境に配慮を始めた正しい国があったとして、他国はそれを見習うだろうか? 国民の生活水準を落としてでも自然環境を守ろうとする政治家がいたとして、その政治家は当選できるだろうか?
 答えは否だ。
 それがわかっているから誰も手を引けない。
 引くに引けない不毛な争いの果てに全人類が危機に陥る。
 そんな人類の未来をアイシャは冷たく語る。
「この先、世界各国が一致団結して経済成長よりも環境保護を優先する方針に転換しない限り、現行社会の限界は思いのほか早く訪れることになるでしょう」
「それがおよそ四十年後ということか」
「はい。ご理解いただけたでしょうか?」
「ありがとう。よくわかったよ」
 もちろん、わかったのはアイシャの説明であって、この先どうすれば世界を変えられるかは想像もできないが。
「一致団結か。夢物語だな」
 それまで黙っていた柴波が不意に声を出した。
 一瞬、不快感がこみ上げる。
 だが柴波の深刻そうな表情を見て、その感情は消え失せた。
 彼の言うことに耳を傾ける。
「だがそれでも、人類が一致団結する方法があるとしたら、たった一つだけ――それ以外は考えられない方法がある」
「よかったら聞かせてくれないか。そのたった一つの方法とやらを」
 そう促すと、柴波は自嘲気味な笑みを浮かべ言葉を発した。
「既得権益を貪る連中を滅ぼすのさ。圧倒的な武力を以て有無言わさずな。そして、その後も武力によって強制的に経済活動を制限する。反対者は滅ぼす。容赦なくな」
「そんなこと――」
「言っとくがゲームの話をしてるんじゃないぞ」
 僕が反発しようとしたところへ、柴波が被せてきた。
「現実はゲームの世界とは違う。悪の魔王を倒してみんな幸せ大団円とはいかないんだ。無理矢理だろうがなんだろうが力尽くで押さえ込まなきゃ、この馬鹿げた経済競争は終わらない。違うか?」
 認めたくはないが、すぐには言葉を返せなかった。
 柴波の言うことは暴論だ。だが反論しようにも他の案はない。
 もしそれ以外の、犠牲を全く出さずに世界を変える方法があるとすれば、人類はそれをとっくに実行しているはずだから。
 それでも、苦し紛れとわかっていながらも言葉を絞り出す。
「そんな方法では大勢の犠牲者が出てしまう。何か他の方法を探るべきだ。そのためのVFシステムだろう?」
「で、何か見つかったのか? 一ヶ月間のミッションで、少しでも実現性のありそうなヒントは見つかったのか?」
「いや……」
 柴波の問い返しにも、僕は対応できなかった。アイシャもだ。
 一瞬、あのサイクルシティの構想が頭に浮かんだが、すぐに無理だという結論が出た。
 四十年後の社会はサイクルシティの開発に非協力的などころか、テロによる妨害までやってのけた。とても実現性があるとは言えない。
 沈黙する僕たちに、柴波は諭すように言う。
「あんたたちの言いたいことはわからないでもない。本当に争うことなく世界を変えられるなら、それが一番さ。だがな、遥か昔から人類が繰り返してきた歴史の必然性をたかだか四十年かそこらで変えるのは不可能だと俺は思う。理想論を追求している暇があったら、現実的になんとかなりそうな方法を考えるべきじゃないのか?」
 すぐに切り返すだけの考えは、やはり僕の中には存在しなかった。
 だが、不思議と悔しくはなかった。それは、柴波が断じて戦争好きの野蛮な男ではないとわかったからだ。彼は彼なりに人類の未来のことを考え抜いている。
 そして手段はどうあれ、リスクを承知の上でテスターになる道を選んだのだ。
 柴波に対するわだかまりが晴れてきたおかげで僕は平静を取り戻し、反論の糸口が見えてきた。
「確かに、具体策もなしに理想論を振りかざすのは間違っていたようだ。だけど、それでも、闘争による変革は認められない」
「なぜだ?」
「それは、現代の兵器が強力過ぎるからだ。刀や鉄砲で戦争をしていた時代と違い、現代の戦争行為は人類滅亡に直結しかねない。君の考え方は、ある意味で人間の善意の上に成り立っている。やぶれかぶれで核ボタンを押す人間がいないことが前提になっている。今までのやり方で世界に変革をもたらそうとするのは、やはり危険過ぎるんじゃないのか?」
「なるほどな……」
 僕の言葉に、柴波は驚くほど素直に頷いてみせた。
「確かにそれは一理あるな。言われてみれば、俺もずいぶん楽観的だったようだ。人のことは言えねえな……」
 柴波はそれだけ言うと、腕を組み、口を閉じた。
 予想外の反応に多少面食らいながらも、僕は柴波の本質を垣間見た気がした。
 この男は、正しいと思った意見にはそれが誰の意見であれ、冷静に受け入れるだけの器量がある。ぶっきらぼうではあるが、根っからの破壊主義者ではない。そう感じた。
 それに比べ、なんとなく気に入らないというだけで、この男の一挙手一投足に腹を立てていた自分が情けないとすら思った。
 柴波が反論しない以上、僕も言うことはない。
 突発的に始まった議論が、拍子抜けしたような形で終わる。
 すると、それまで黙っていたアイシャが問いかけてきた。
「ミッションについて、他に質問はありますか?」
「一つ」
 柴波が反応する。
「俺のナビゲーターはどうなる? あんたがやるのか?」
「いいえ、わたしは明季専属のナビゲーターですので、柴波さんには他のナビゲーターが就きます」
 そう聞いて僕はホッとする。
「どんな奴だ?」
「それは会ってからのお楽しみということで」
 柴波の質問に、アイシャは少しいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
 つられるように、柴波もフッと笑う。
「おもしろい。そう言うからには、よもや凡人ではないだろうな?」
「もちろんです。あなたにふさわしい、とても優秀なナビゲーターです」
「そういうことなら明日を楽しみにさせてもらおう」


 説明が終わると、柴波は上機嫌で帰っていった。
 一抹の不安は残るものの、テスターが増えてくれるのはありがたい。
 どういった経緯で柴波が採用されることになったのかはわからないが、ここは前向きに考えた方が良さそうだ。
 カウンターに食器を片付けに行ったアイシャが戻ってくる。
 さて、ここからが本番だ。
「それでは本日のミッションの説明を始めます」
 僕はコクッと頷く。
「先ほども言いましたとおり、明季にアクセスしてもらうのは引き続き四十年後の世界です。本日からは農村部で未来の農業について調査していただきます」
「農業か」
 今まで調査した都市部においては、コンビニ、スーパー、デパート、個人商店に至るまで、軒並み食料品の価格が高騰していた。また、現代にはあれほど溢れかえっている輸入品がほとんど見当たらなかった。
 未来の世界において食料不足が深刻なのは明らかだ。
 アイシャは説明を続ける。
「極端な話、石油や電気がなくても人は生きていけます。ですが、食料なしでは絶対に生きていくことができません。衰退が予想される今後の社会において、食料問題は最重要項目といえるでしょう」
「そうだな。ましてや日本は食料の自給率が極端に低い。人口爆発や石油の枯渇で輸入も難しくなるだろうし、国がどういった対応をとるかが重要だろうな」
「今回のアクセスポイントは農業の盛んな地方の農村です。時期は稲の収穫期に当たる九月の下旬、日中はまだ暑いと思うので時刻は朝八時頃に設定します。可能であれば現地の人から話を聞いてみましょう」
「わかった」
「説明は以上です。何か質問はありますか?」
「いや、大丈夫だ」
「ではアクセスルームへ移動しましょう」
 席を立つ。すでに防弾スーツを着てきているので準備の必要はない。
 農村にオフィススーツいうのは不自然かもしれないが、何が起こるかわからない以上やむを得ない。この防弾スーツが役に立つような事態にならないことを祈りつつ、僕は護身用の鉄扇が懐にあることを確かめた。
 アクセスルームに移り、VFシステムの椅子に座る。
 それから、アイシャがヘルメットを被せてくれる直前、不意に耳元で優しくささやきかけてきた。
「明季、さっきは嬉しかったです」
「え、さっきって?」
 アイシャから発せられるバニラのような香りに胸が高鳴る。
「柴波さんの言ったことに怒ってくれて」
「……そのことか。前にも言ったけど、僕は記憶のことなんて気にしてない。アイシャは今がんばってるんだから、それでいい」
 思ったことを口にすると、アイシャは嬉しそうに微笑んでくれた。
「今日も一緒にがんばりましょう」
 ヘルメットを装着。椅子に体重を預ける。
「これよりミッションを開始します」


 気が付いたら森の中に立っていた。
 周囲に人の気配はない。
『明季、何か異常はありませんか?』
 頭の中でアイシャの声が響く。
 まるでテレパシーのようなこの通信にも、もう違和感がないくらいに慣れた。
「問題ない」
 早朝とはいえ長袖二枚の服装は少々暑いが、我慢しきれないほどではない。
『まずはそのまま真っ直ぐ進んでください。すぐに森から出られるはずです』
 指示に従い前進すると、ほんの十メートルくらいで森林地帯から抜ける。
 同時に、一面黄金色の田園風景が出現した。
「これは……」
 視界の半分以上を埋める膨大な稲穂の群れが、穂先を垂れ下げた状態で風に揺らいでいる。
「すごい規模だな」
 まるでアメリカやオーストラリアの大規模農場のような光景だ。
『食料不足を補うために、農地を大規模化することで生産性を高めたのでしょうか』
「おそらくそうだろうな。輸入ができないとなれば自給率を高めるしかなくなる。自然と言えば自然な流れだ」
『それでも不足しているということは、生産が追いついていないのでしょうか。この光景を見る限り、そうは思えないのですが……』
「他に理由があるのかもしれないな。考えてわかることじゃないし、現地の人を探してみよう」
 森から出て小道を少し歩いたところに、ただ一本だけ鋪装された道路がある。そこを歩いていれば、そのうち集落にたどり着くか、あるいは車が通るかもしれない。
 運任せになるが仕方がない。
 僕は道路に下り立ち、あてもなく北へ向かって歩き出した。
「それにしても、のどかな風景だな」
 見渡す限り田んぼと森と川、遠方には山、それしかない。民家は一軒もなく、電柱すらない。人工物といえば、田んぼに水を送る水路の他は、交差点も信号もなく、ただひたすら直進するこの道路だけだ。
『でも、ここまで人気がないと、のどかを通り越して殺風景だと思います』
 アイシャの率直な物言いに、僕は苦笑する。
「そうだな。この風景も人間が合理性を追求した結果できたものだから、のどかな――というのはおかしいかもしれないな。それでも、雑然とした都会の喧騒よりはずっといいよ」
『明季は静かな場所がお好きなんですね』
「騒がしいのはどうにも苦手でね」
『明季らしいですね』
「アイシャは都会の方が好きなのかな?」
『そうでもありません。わたしも騒がしいところは苦手です。でも、にぎやかなところなら嫌いじゃありませんよ』
「それは違うのか?」
『違いますよ。にぎやかなのは悪くありません』
「そっか……そうかもな」
 言われてみれば、言い方一つでずいぶん印象が違うものだ。その前向きな姿勢は見習うべきだな。
 そうして話をしながら二十分くらい歩いただろうか。
 不意に、後ろからクラクションの音が響いた。
 振り返ると、白い中型トラックが近付いてきて目の前で止まった。
 クラクションを鳴らされるまで接近に気が付かなかった。
 このトラックもガソリン車ではなく電気自動車ようだ。
 運転席の窓が開き、四十代半ばくらいの作業着姿の男性が顔を出す。
「兄さん、こんなところで何してるんだい?」
 男性は不思議そうな表情でこちらを見ている。
 この場に僕のような人間がいるのが不自然なのだろう。
 僕はあらかじめ考えておいた言葉で応対する。
「こんにちは。私はフリーライターのアーネスト・野川という者です。今日は取材をさせていただきたくてこちらへやってきました」
「なんだ記者さんか。アーネストっていうのは芸名みたいなものかね?」
「いえ、私は日系アメリカ人ですので本名です。それで、お忙しいところを申し訳ございませんが、ぜひ日本の農業の実態について取材をさせていただきたいのです。ご協力お願いできますか?」
 外国人だから日本のことをよく知らない。これである程度は不自然でも話は通じる。
 海のナビゲーター、高羽といったか、彼の考えた策を応用させてもらった。
「ああ、構わないよ。それじゃあ管理センターまで一緒に来てくれるかな?」
 男はそう言って、トラックの助手席を肩越しに指した。もちろん乗れという意味だ。
「ありがとうございます」
 僕は笑顔でお礼を言い、助手席に乗り込んだ。


 延々と景色の変わらない一本道をトラックで十分ほど走り、管理センターとやらに到着した。
 周囲の田園風景になじまない鉄筋の無機質な建物だ。隣接する土地に、大量の太陽光パネルが設置された区画がある。
 建物は二階建てで、一階部分は車庫になっており、大小さまざまな農作業用の車両が収まっていた。
 男に連れられて二階の一室に通される。
 そこには、無数に設置されたモニターを眺める五人の男性作業員がいた。
 モニターには外の田園風景が映っている。
 作業員たちは三十代から四十代くらい。作業着に汚れはなく、日に焼けてもいない。
 皆、農家というより会社員のようだ。
「おつかれさまです、支部長」
 作業員の一人が振り向いてあいさつをした。
 どうやら、ここまで案内してくれた男はここの支部長らしい。
 支部長が作業員たちに言う。
「こちらはフリーライターのアーネスト・野川さんだ。なんでも、日本の農業を取材したくてアメリカから来たそうだ。俺はこれから取材に応じるから、各自で作業を開始してくれ」
「はい」
 作業員たちは軽快に返事をした。そんなに忙しいわけではなさそうだ。
「それじゃあ記者さん、あちらの部屋で」
 僕はモニター室のすぐ隣にある応接室に案内される。
「そこに座ってくれるかな」 
 支部長に促され、互いに向き合う形でソファに座る。
 それから、胸のポケットに入れておいたメモ帳とボールペンを用意。この時代に手書きでメモをしながら取材するのが適切かどうかはわからないが、支部長が気にしていない様子なので質問を始める。
「ここに来るまでの間、先ほどの五人しか従業員を見かけませんでしたが、他の方は外に出払っているのでしょうか?」
「いや、ここにいるのは俺を含めて六人だけだよ。あとは交代用員が四人いる」
「ということは、たった十人でこの広大な農地を運営してらっしゃるんですか?」
「そうだよ、それで充分だからね。作業のほとんどは機械がやってくれるから、我々はここで操作するだけだ。もちろん、トラブルが発生した時の対処はしなきゃいけないがね」
 どうやら、農業の機械化がかなり進んでいるようだ。さっきのモニター室から車庫にあった車両を動かすということか。どう考えても現代のような家族経営的なやり方ではない。
 メモ帳にペンを走らせる振りをした後、次の質問をする。
「この辺りに人は住んでいないのですか?」
「住んでないよ。我々作業員が交代で駐在するだけだ」
「では、以前ここに住んでいた人達は?」
「以前? 廃村になる前のことかい?」
 意外な言葉が返ってきたことに、僕は眉をひそめた。
「廃村……ですか?」
「ああ、もう三十年以上前かな、関税撤廃条約で農業が大打撃を受けて、さらに少子高齢化の影響もあって、ついには住人が一人もいなくなる村が続出するようになったんだ。ここもその一つさ」
 関税撤廃条約。やはりグローバル化の波には逆らえなかったということか。
 ただでさえ過疎化に悩んでいた農村などは、ひとたまりもなかったに違いない。
 支部長が続ける。
「ところが、それから十年くらいして急に食料が高騰し始めたもんだから、企業が廃村になって使われなくなった土地を買い取って、大規模農業を開始したってわけだ」
「なるほど。企業が農業に進出したのですね」
 現代でもヨーロッパではすでに企業によるアグリビジネスが始まっている。十年遅れで日本もようやく開拓を始めたということか。
 ペンを動かしながら言うと、支部長は呆れた様子で続ける。
「まったく、昔の政府は馬鹿なことをしたもんだよ。目先の利益ばかり考えて農業をないがしろにしてね。もっと早くから食料難に備えていれば、こんなことにはならなかったのに。何年もほったらかしにした土地を蘇らせるのだって簡単じゃあない。俺も若い頃は苦労させられたよ」
 支部長の言う当時とは今まさに僕が生きている時代のことだ。
 今の時代に、将来起こるであろう食料難について本気で対策を考えている政治家などほとんどいまい。有権者の一人として心苦しく思う。
 さらに次の質問をする。
「ですが、これほど大規模な農場が運営されているというのに、食料が足りないのはなぜでしょうか?」
「う〜ん、それはねぇ……」
 支部長は腕を組んで、少し考えるように視線を宙に泳がせる。
 それから、困ったような表情で返してきた。
「まあ一言では言い切れない、いろんな事情があるんだよ」
 おそらく農業以外の事情も複雑に絡み合っていて説明が難しいのだろう。
 だが、それこそが今一番ほしい情報だ。
 僕はソファから身を乗り出すようにして、少し口調を強める。
「ぜひ教えてください! 知っている限りのことで構いませんので」
「そうだな……。まず大きいのは、地球温暖化の影響で気候が不安定になったことかな。その年や地域によって、降水量が極端に多かったり少なかったりするんだ。それに台風の被害もひどい。たまたまこの地域が今年うまくいったというだけで、全国的な作物被害は昔と比べものにならないくらいひどいんだよ」
 僕は頷きつつ、ペンを走らせる。
 地球温暖化については誤情報が錯綜しているせいで詳しくはわからないが、世界レベルの気候変動が起こっているのは疑いようのない事実だ。現代の日本でも「記録的〇〇」とか「観測史上最大の〇〇」とかいうニュースが毎年のように流れている。
「では、他には?」
 ペンを止め、尋ねる。
 支部長は少し首を捻り、再び口を開いた。
「石油の代わりにバイオ燃料が使われるようになったのも大きいな。車は電気で動かせるようになったけど、船や飛行機はそうもいかない。プラスチック部品やタイヤだって作らなきゃいけない。だからせっかく大規模農業を展開しても、全部が食料のために使われるわけじゃないんだよ。その方が儲かるからって、人間様を差し置いて機械に食わせる燃料ばかり作ってる企業がけっこう多いんだ」
「バイオ燃料ですか……」
 トウモロコシやサトウキビを原料とするバイオ燃料は、現代でもアメリカやブラジルを中心に普及し始めている。バイオ燃料は石油と違い枯渇することのない再生エネルギーである反面、食料の高騰を招く諸刃の剣だ。ましてや、八人に一人は飢餓状態といわれるこの世界で食料を燃料として使うなど、当然非難の声もある。
 だが、石油の枯渇という大問題に、他に有効な手段が見つからなかったのだろう。まさに恐れていた事態が現実になったわけだ。
「それからそれから……」
 支部長は少しの間「う〜ん」と唸った後、尋ねてきた。
「そうだ、記者さん、あんた日本で肉料理を食べたことはあるかい?」
「ぇ……?」
 肉料理……何を言ってるんだ? そんなのあるに決まって――
『明季、ないと答えて』
 突然のアイシャの声に思考が停止する。が、すぐに従った。
「……いえ、食べてませんね」
 少し声がうわずってしまったが、なんとか不自然でないくらいの間で答えられた。
 支部長は特に気にした様子もなく続ける。
「そうだろう。なんたって今や肉料理はとんでもない贅沢品だ。食肉を作るには、その何倍もの穀物が必要になるからな。バイオ燃料のせいで食料が不足してるってのに、その上、動物にまで食わさせるもんがあるかって話だ」
 危なかった……。アイシャのフォローがなかったら完全に終わっていた。
「俺が子供の頃は庶民でも普通に肉料理が食えたんだがなぁ。記者さん、あんた牛丼って知ってるか? 大きなどんぶりについだご飯の上に牛肉が山盛りに乗かってるんだが、それがたったの四百円くらいで食えたんだ。信じられないだろう?」
「そんな料理が四百円で! 考えられませんね!」
 僕にとっては支部長の話の方が信じられないが、まさかそんなことを言うわけにはいかないので大げさに驚いて見せた。
 支部長はさらに続ける
「もちろん食えなくなったのは肉だけじゃない。家畜が育たなきゃ卵だって乳製品だって食えない。海洋汚染や燃料高騰のせいで魚もあんまり捕れないし、もう日本人のタンパク源は大豆しかないわけだな。そうなると、大豆畑を作るのにまた土地がたくさん必要になるわけで、それも食料不足の原因だな」
「なるほど、本当にいろんな事情が絡み合っていますね」
 まるで食物連鎖のようだ。どこか一つが狂えば他も連鎖反応を起こして狂っていく。
「ほんと、時代は変わったよ。俺たちの親世代はともかく、そのまた上の世代の人たちは、それはもう贅沢な生活をしてたんだ。石油を大量に使って食料を大量に輸入して、そのうちの三分の一は捨てちまうんだぞ。食べ放題やら大食い競争やら、呆れるくらい食べ物を粗末にして、滅茶苦茶やってたんだ。しかも、その贅沢な生活がいつまでも続くと勘違いしてやがったのさ。そのツケが俺たちの世代に回ってきてるんだからな。たまったもんじゃないよ」
支部長は大きなため息をついた。
「そうですね……」
 僕にはそれしか返せなかった。もちろん、食べ物を粗末にしないよう気を付けてはいるつもりだが、この時代の人たちに言わせれば僕の食生活もきっと贅沢に違いない。
 胸がキリキリと痛む。
「でも記者さん、アメリカだって似たようなもんだろう? その上あっちじゃ水不足が深刻だとか聞いたが、どうなんだい?」
 まずい、想定外の質問だ。
「……はい、そうですね。水不足は深刻です。その点、日本は水資源が豊富でうらやましいです」
 とりあえずそれっぽいことを言ってみた。
「そうだろう」
 支部長はフッと皮肉めいた笑みを浮かべる。
「日本はな、古来より自然と共に生きてきた歴史ある国なんだよ。食料も燃料も江戸時代まではずっと100%自給の国だった。それを大砲で脅して開国させて、世界戦争に巻き込んで、挙げ句の果てはグローバリズムだかなんだか欧米の価値観を勝手に世界基準にして。それが今こうして裏目に出てるんだから、まったくいい迷惑だよ」
 支部長のこの態度、少なからず欧米人に嫌悪感を抱いているようだ。
 日本の農業に大打撃を与えた原因なのだから無理もないが、話しているうちにだんだんと僕の方に矛先が向いてしまっている。
 日系アメリカ人の設定が裏目に出たようだ。
「日系ってことは記者さんにだって日本人の血が流れてるんだろ? なら、国に帰ったらこのことをきちんと記事にしてくれよな」
「はい。それはもちろん」
 そう答えるしかない。
 いつの間にか会話が向こうのペースになっている。向こうからの質問に下手なことは言えない。そろそろ限界か……。
『明季、お手洗いに行ってください』
 アイシャからのフォロー。
 頃合だ。僕はすぐさま反応する。
「あの、お話の途中すみませんが、お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ん、ああ。トイレなら一階だけど、案内しようか?」
「いえ、場所さえ教えてくれれば一人で行けますので」
「そうかい。じゃあ、そこを出て階段を下りたところすぐにあるから。用が済んだらすぐ戻ってきてくれよ」


 応接室から逃げるように退出した僕は、一階に向かって階段を下りた。
 支部長はもちろん、他の作業員たちも部屋から出てきた様子はないので、遠慮なくアイシャに話しかける。
「さすがに四十年後ともなると、話を合わせるのが難しいな」
『仕方ありません。ですが、有益な情報も手に入りましたし、今日のところは充分な成果ですよ』
「そう言ってもらえると助かる」
『せっかくですので、最後に未来のお手洗いを調査しておきましょう』
「そうだな」
 階段を下りきると、すぐにお手洗いの表札が見つかった。
 男性用の方に入って、ざっと様子を見る。
「現代とほとんど変わりないな」
『そのようですね』
 水洗なのはもちろん、個室の洋式には洗浄機能も付いている。
 先ほど自分でいったとおり水資源だけは豊富なようだ。天の恵みに感謝したい。
「でもフタや便座にはプラスチックが使われている。見た感じそんなに古くはなさそうだし、もしかしてこれも……」
『おそらく、それもバイオ燃料から作られているのでしょうね』
「バイオプラスチックか……」
 一度手にした便利さや豊かさは、そう簡単には手放すことはできない。たとえ自分の知らない場所で大勢の人が飢えに苦しんでいようとも。
 その点もまた、現代と変わらないようだ。
 
 
 お手洗いを出て、廊下の窓から外を見る。
 三十メートルくらい離れたところで、運転席のない大型トラクターが整然と稲刈りを行っていた。
 窓を開けてみる。
 エンジン音が聞こえてこないところからすると、あれも電気式なのだろうか。
 やはり四十年で技術は進歩している。だけど、どうも素直に喜べない。
 逆境にあっても前進をやめない人間の姿勢が、この先、吉と出るか凶と出るか……。
『明季、そろそろ終了しましょうか』
「そうだな」
 と、その時。
 目の前の駐車場に、軍用車両のようにモスグリーンに塗装されたワゴン車が何台も入ってくるのが見えた。
 ワゴン車のサイドには青浄会≠ニ大きく書かれている。
「なんだ、あの車は?」
 どう見てもここの関係者とは思えないが……。
 気になって建物の外へ様子を見に行く。
 すると、全部で五台並んだワゴン車から、迷彩服にゴーグル、ヘルメットという姿の者たちが次々と降りてきた。
『明季、隠れて!』
 僕はすぐさま物陰に身を隠した。
 そして連中に気付かれないよう、そっと向こうを覗く。
「なんなんだ、あいつら?」
 全員が若い。そして、手に丸い金属の物体を持っている。
 まさかあれは……嘘だろ!
 迷彩服の若者たちは、車庫にある農作業車に向かって次々と手榴弾を投げつけた。
「くっ!」
 反射的に建物の陰へ身を引き、両手で耳を塞ぐ。 
 直後、巨大な爆発音が連続して鳴り響いた。
 こいつら正気か!? ここを破壊したら自分たちの食べ物だって危ういだろうに!
 しばらくして爆発が止むと、連中の指揮官らしき男から命令が飛んだ。
「よし、次は内部を制圧しろ!」。
 迷彩服の若者たちは拳銃を手に、建物の中へ突入していく。
『明季、これ以上は危険です』
「大丈夫だ、まだ見つかっていない。それに見てくれ。あの指揮官を除いた全員が建物の中に入っていった。今ならあいつは無防備だ」
『どうするつもりですか?』
「あいつを捕らえて目的を吐かせる」
『危険です! あの男だって銃を持っているかもしれないんですよ!』
「仮に持っていたとしても、今銃を手にしているわけじゃない。背後に回り込んで三、四メートルくらいの位置まで接近できれば僕の方が速い」
『でも……』
 なおも食い下がるアイシャに、僕は諭すように言う。
「アイシャ、僕のことを心配してくれるのは嬉しいが目的を忘れるな。この先、海が安全にミッションを行うためにも、ああいった危険集団の情報はできるだけ集めておく必要がある。協力してくれ」
 わずかな沈黙の後、アイシャは渋々返事をした。
『……わかりました。ですが、いよいよ危険が迫った場合は、わたしの判断で終了させていただきます』
「任せる」
 僕は物陰から指揮官の様子を伺い、こちらを見ていない隙を狙って、静かに移動を開始した。
 おあつらえ向きに、連中の乗ってきたワゴン車がいい隠れ場所になった。
 あの指揮官はここから三台先のワゴン車のそばにいる。
 一台一台ワゴン車の陰に移り、ついに指揮官のすぐ後ろまで接近した。
 距離は三メートル足らず。この距離なら銃を抜く間も与えない。
 ワゴン車の陰から飛び出す。
「ん?」 
 指揮官はこちらに気付き振り向こうとしたが、時すでに遅し。
さっき手榴弾を投げるところを見てわかったが、この連中は格好だけで本物の兵隊ではない。しかも、この男は小柄で細身だ。
 手刀で頚椎を打ち、ふらついたところで投げ飛ばす。
「ぐっ……!」
 ほとんど抵抗されることなく、瞬時に男を取り押さえることができた。
 うつ伏せに倒した状態で腕をねじ上げ、さらに膝で背中側から肺を押し潰すように乗りかかる。これでこの男は大声が出せない。
 苦しそうに呻く指揮官に、低い声で問う。
「お前たちは何者だ? なぜこんなことをする?」
 しかし、指揮官は質問には答えず、ジタバタと抵抗する。
「なんだ、貴様は!? どけっ……! 放せ……!」
 僕は指揮官の背中を押さえ付けた膝に、さらに体重を掛ける。
「ぅぁぁぁ!」
 声にならない叫び。
 しばらくして指揮官がおとなしくなったところで、再び問う。
「もう一度聞く。お前たちは何者だ? なぜこんなことをする?」
 ほんの少しだけ力を緩めてやると、指揮官は数秒間呼吸を整えた後、わずかにこちらへ顔を向け、鼻で笑った。
「ふん、青浄会(せいじょうかい)を知らんとは、とんだ世間知らずだな」
「あいにくと僕は日系アメリカ人だからな」
「ならば覚えておけ。我ら青浄会は、青く美しい地球を守るための善なる組織だ」
「なに? それがどうして破壊活動につながるんだ?」
「知れたこと。人類こそが地球を汚す元凶にほかならないからだ。美しい自然を守るため、見境なく毒を撒き散らす人類をこの地球上から排除しなければならない!」
 指揮官は苦しそうに喘ぎながらも力強く主張した。 
「では、なぜここを狙った?」
「他の動物を巻き込まず人類のみを抹殺するには、食料を絶つのが一番だからだ」
 なるほど、それで理由はわかった。だからといって納得できるはずがない。
「だったら自分たちはどうなんだ? 同じ人間だろう? 自分たちだけは特別か?」
「見くびるな! 目的を成就した暁には、自ら命を絶つ覚悟はできている!」
 本気なのか……。いや、洗脳されている可能性もある。
「誰かに命令されているのか?」
「違う、命令などではない。これは自分たちの意思だ!」
 男は一片の迷いもなく言い切るが、信じられるはずもない。人間は洗脳されてしまえば、自分の意思でないことが自分の意思になってしまうからだ。
 おそらく、この連中は利用されているだけだ。この男は一部隊長に過ぎない。もっと上の黒幕がいるはずだ。そしてそいつは、決して自分の手は汚さず、安全な場所から盲目な信者を動かし、最後の最後で配下を切り捨てる。
地球を守るなんて大義名分に過ぎない。混乱に乗じて利権を掠め取ろうとする悪党が必ず背後にいるはずだ。
その時、こちらの様子に気付いた五、六人が血相を変えて走ってきた。
 そのうちの一人が叫ぶ。
「そこのお前、何をしている!」
 その声に続き、全員が一斉にこちらへ拳銃を向けてきた。
 僕はとっさに指揮官の身体を起こし盾にする。
『明季、ここまでです』
「わかった」
 さすがにもう限界だ。
「構わん、撃て!」
 指揮官が叫ぶ。
 部下たちは自分の指揮官を撃つことに微塵のためらいもなく、引き金に指をかけた。
 狂ってる……。いや、社会が狂わせたのか。
 次の瞬間、僕の意識は暗転した。


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
 この奇妙な感覚にはもう慣れたが、目の前に銃をかざした連中がまだいる気がして緊張が抜けなかった。
「明季、気分はいかがですか?」
 アイシャがヘルメットを外してくれる。
 約一時間ぶりに目に飛び込んできたまばゆい光が、僕を現実に引き戻してくれた。
「吐き気が少し。それに頭がグラグラする」
 答えると、アイシャは顔をしかめた。
「無茶するからです。もう少しで撃たれるところだったんですよ」
「アイシャなら、その前にリセットしてくれると信じてた」
「もう……。心配するわたしの身にもなってください」
 少しうつむき加減でつぶやくアイシャ。
 その反応が、なんだか嬉しかった。
「それにしても青浄会か……。サイクルシティの爆破テロといい、日本の治安がここまで悪化しているとはな」
「それだけ人々が追い込まれているということですね」
「だとしても戦うべき相手が違うだろうに……。なぜこうなってしまうんだ?」 
 そんなことはわかるはずもない。ただ声に出さずにはいられなかった。
「とにかく、ミッションはこれで終了です。あとのことは解析スタッフに任せて、ゆっくり休んでください」
 アイシャは僕の沈んだ気持ちを察してか、優しく言ってくれた。 


 メディカルチェックを受けた後、僕は所長室に向かった。
 ――コンコン
 木製の扉を軽く叩いてから所長室に入る。
「失礼します」
 室内には、いつものように柳所長と女性秘書がいた。
「野川君か。ミッションご苦労だったな。何か用かね?」
「所長、二つお尋ねしたいことがあります」
「聞こう。まずは座りなさい」
 僕は応接ソファに腰掛けた。
 柳所長も、秘書の手を借りて応接ソファに腰掛ける。
 向かい合ったところで、話を始める。
「まず一つ目の質問ですが、なぜ柴波を採用したのですか?」
「三波君に頼まれたからだ」
 柳所長は率直に答えた。
「海に?」
 僕は眉をひそめる。海の名前が出てくるとは思わなかった。
「なぜ海が?」
「このままでは君の負担が大きいから、なんとかするようにと頼まれたのだ」
「それで柴波を?」
「そうだ」
「ですが所長、あの男の考え方が危険と判断したからテスターにしなかったのでしょう? それなのにいいんですか?」
「無論、承知している。だが柴波君の他に適任者がいないのも事実だ。君の負担を減らすためにも、多少のリスクはやむを得ないと判断した」
 そうだったのか。
 海は、僕が無理をさせられていると思って柳所長に訴えてくれたのだ。
 あんな言い方で突き放した僕のことを気遣って……。
 この一ヶ月間、無理をしていたというのは嘘ではない。海がそれを気にしてミッションに集中できないのなら、僕はかえって足手まといになってしまう。
 疑問が払拭された以上、この件について追求することはない。
「わかりました。では、もう一つの質問です。所長は、アイシャを誘拐しようとした犯人に心当たりがあるのではありませんか?」
「ふむ」
 柳所長は顎に手を当てて、しばらく考えるような仕草をした後、質問を返してきた
「あの子は、どこまで話した?」
「知っていることは全部と言っていました」
「では、なぜそう思う?」
「ただの誘拐事件なら三年も日本で匿う必要はないでしょう? アイシャが自分の国に帰れない理由があるはずです。そして、所長はそれを知っている」
「仮にそうだとして、聞いてどうするつもりかね?」
「いつまでもこのままというわけにはいかないでしょう? アイシャと家族のためにも、いつかは国に帰れるようにしてあげないと。そのために、僕も力になりたいんです」
「そういうことか。だが今は不要だ。気持ちだけ受け取っておこう」
「でも……!」
 僕は納得できず食い下がる。
 柳所長はすぐに言葉を返してきた。
「もしアイシャが本気で過去と向き合う気があるのなら、私はいつでも真実を告げる用意があった。だが三年経っても、あの子はそんな素振りを見せなかった。あの子は、この日本で幸せそうに暮らしていた。それなのに誰が無理強いできる?」
 語気がだんだんと強くなっていく。それは、本当にアイシャのことを娘のように大切に思っている証拠だ。
 僕は何も言い返せない。
 柳所長は続ける。
「君が察しているとおり、私はアイシャを狙った犯人の目的を知っている。その犯人を操る黒幕が、今なおアイシャを狙っていることもな。しかし当時はもちろん、今の我々にもその者たちに対抗する力はない。現状ではあの子を国に返してやることはできないのだ。真相を伝えたところで、かえってあの子を苦しめるだけだ。だからアイシャが自発的に聞いてこない限り、私は何も話さないことにした。それでは納得してもらえないかね?」
 どのみち祖国にいられない以上、記憶を失っている方が、気が楽だとアイシャは言っていた。柳所長はそんなアイシャの気持ちを汲んであげたのだ。
 どうにかしてアイシャの力になれないかと思ったが、今はこれ以上踏み込まない方がよさそうだ。
「いえ、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
 僕は柳所長に頭を下げた。視力を失った彼には見えないとわかっていても、そうせずにいられなかった。
「謝るようなことではない。むしろ、君があの子のことをそこまで気にかけてくれるのが嬉しいくらいだ」
 柳所長の口調は先ほどまでとは違い穏やかだった。
「野川君。あの子はミッションの時は気を張っているようだが、本当は優しくて繊細な子なのだ。あの子の親代わりとして頼む。これからも、アイシャのことをよろしくしてやってくれ」
「はい」
 柳所長にそう言ってもらえたのが嬉しかった。
 拒絶されたわけじゃない。ただ、今はその時期ではなかったというだけのことだ。
 思えば、アイシャとは初めて会ってからまだ一ヶ月しか経っていない。焦る必要などなかった。これからゆっくり距離を縮めていけばいい。
 柳所長が言う。
「それから柴波君のことだが、君は心配しなくていい。すでに手は打った」
「どういうことですか?」
「柴波君のナビゲーターは和香に任せることにした。和香なら彼を上手くコントロールしてくれるだろう」
 柳所長は珍しく口元をニヤリとさせた。
 なるほど、和香さんか。柳所長の奥さんであり、アイシャの師とも言うべき人。
 言ってみれば、あのアイシャをグレードアップさせたような人だ。
柴波の慌てふためく顔が思い浮かび、僕もニヤリとした。


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