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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第22回 終章 未来

 
 VFシステムの予測する未来が完璧でないといっても、それは細かな部分の話であって、大きな歴史の流れは間違っていない。柳所長はそう言っていた。
 つまり一五〇年後の人類は、少なくとも日本は、本当に大ピンチということ。
 実際、国内二十ヵ所を調査しても人っ子一人見当たらなかった。
 だからといって日本が滅びてしまったと断言するのはまだ早い。
 というわけで、今日もキョウと二人でミッションを遂行する。
「本日のミッションですが、内容は前々回と同じく一五〇年後の調査です。アクセスポイントも同じく、放射能の影響が比較的少ないと思われる地域を順に回っていきます」
「うん」
「では、さっそくアクセスルームに移動しましょう」
 部屋を移り、VFシステムの椅子に腰かける。
「海、注意事項は前々回と同じです。少しでも危険を感じたら、すぐに知らせてください」
「うん」
 それからヘルメットを被せてもらう。
 また視界が真っ暗になる。
 でも、もう平気。キョウがそばにいてくれるから寂しくなんてない。
 たとえ一五〇年後の世界に、誰もいなかったとしても。
「それではミッション開始します」


 気が付いたら森の小道に立っていた。
 周囲に人の気配はない。
『海、何か問題はありますか?』
「ううん、なんとも。前と同じ。とっても静か」
 聞こえてくるのは鳥の鳴き声だけ。
 でも、今あたしが立っている道には人が通った形跡がある。舗装はされていないものの草が生えておらず、人が二、三人は並んで歩ける平坦な道だ。
『地面に足跡はありますか?』
 その場でしゃがみ、確認する。
「ある、うっすらとだけど」
『人の往来があるということは、この先に集落があるのかもしれませんね』
 立ち上がって道の先を見る。
 この先に人がいたとして、どんな暮らしをしているのだろう?
 街はあるのか? 国はあるのか? 社会は機能しているのか?
 確かめるためには行ってみるしかない。
 そうして平坦な森の小道をしばらく歩いていると、道の向こうから何かがやってきた。
 あたしは立ち止まって目を凝らす。
 人? 動物?
 いや……浮かんでる! 磁気で動くロボットだ。
 円柱形の胴体に半球形の頭、二本のマニピュレーター。塗装はアイボリー。
 八十年後の都市部で見かけた実用型ロボットに近い。
 無人兵器のような武器は確認できないが油断はできない。
『海、少しでも攻撃する姿勢を見せたらすぐにリセットします』
「うん」
 ロボットは、あたしからニメートルくらい離れたところで停止し、地面に着地した。
 ピッというバーコードスキャンみたいな音を立て、小さな二つの目が赤く光る。
 そして、男とも女ともいえる微妙な高さの合成音でしゃべった
「ようこそ、三波海さん」
「え……!?」
 反射的に一歩退く。
 なんで、あたしの名前が!? さっきのピッだけで素性がわかったの?
 一五〇年前の人間までデータに入っているとは驚異的だ。
 ロボットの丸い目が今度は緑色に光る。
「わたしたちは、あなたを歓迎します」
 グリーンシグナルが安全や正常を意味するのはたぶん変わってないはず。
 歓迎って言っているし、少なくとも攻撃してくることはなさそうだけど……。  
 ロボットはクルリと反転し、ゆっくりふわふわと進み出した。
 あたしは追いかけながら聞く。
「もしかして、案内してくれるの?」
「はい。案内するのが、わたしの役目です」
 ロボットは前を向いたまま返してきた。
 もう一つ聞く。
「さっきわたしたちって言ったよね。それって人間のこと? それともロボットのこと?」
「両方です」
 ロボットは簡潔に答えた。
 両方ということは少なくとも人間はいる、滅びてはいないということだ。
 小声でキョウに聞く。
「ねえ、付いてっても大丈夫かな?」
『今のところ危険は感じられませんね。何かあったらすぐにリセットしますので、行けるところまで行ってみましょう』
「うん」
 虎穴に入らずんばなんとかって言うしね。ここは前向きに考えよう。


 歩いている間、あたしはロボットにいろんなことを尋ねた。
「ねえ、ロボットさんはお名前なんていうの?」
「わたしの名はタパオスと言います」
「じゃあ、タパオスにあたしを案内する役目を与えたのは誰? 人間?」
「人間ではありません。わたしの上位機種です」
「それって、タパオスの上司ってこと?」
「そうです」
「その上位機種さんが人間に命令することはあるの?」
「あります」
「人間がロボットに命令することは?」
「あります」
「そうなんだ。じゃあ、人間とロボットってどんな関係なの?」 
「わたしたちは良きパートナーです」
 タパオスの言葉が本当だとしたら、この先にある社会は人間とロボットは対等な関係ということになる。
「わたしもお尋ねしてよろしいですか?」
「なあに?」
「三波さんは、なぜ防弾チョッキのような服を身に付けているのですか?」
「え、わかるの?」 
「はい。先ほど生地の素材をスキャンさせていただきました。現代では、ほぼ入手できない希少な素材が使われていますので気になります。ぜひ教えてください」
 気になるんだ!
『隠しても仕方がありませんので、正直に答えてください』
 キョウからの指示。あたしも同意見なので、すぐに言葉を返す。
「えっとね、これはテロリストに襲われたりした時の対策なの」
「テロリスト……」
 つぶやきながら、タパオスは緑色に光る目を何回か点滅させる。
「古い言葉ですね。少なくとも、この地域にそのような輩は存在しません。本日は気温が高めですので、上着は脱いだ方が快適ですよ」
 わ、ロボットが気を遣ってくれてる! 
 ……でもいいのかな?
『ここは信じてみましょう』
 キョウがそう言うなら。
 あたしはいそいそとスーツジャケットを脱ぐ。
「よければ、脱いだものをお預かりしますよ」
 あたしはお言葉に甘え、スーツジャケットをタパオスに手渡した。
 タパオスは二本のマニピュレーターでジャケットを綺麗に折り畳み、背中の収納庫にしまった。
 これで身軽になった。森の中の澄んだ空気が身体の熱を冷ましてくれる。
「ありがとう。実はちょっと暑かったんだ」
「ロボットは嘘を言いません。そこが人間と違うところです」
 タパオスは得意気に言った。
「アハハ、それユーモア?」
「そんなところです。もっとも、ユーモアセンスでは人間には敵いませんが」
 なんだろう、ロボットなのにすごく暖かみを感じる。根拠はないけど、タパオスの言葉はプログラムではなく、本当に自分の意思で言っている気がする。
 それからもうしばらく歩いていると、
「着きました」
 不意にタパオスが動きを止めた。
「え、着いたって、ここは……」
 まだ森の中だ。街なんてどこにもない。
 と思いきや、木々の間に建物があることに気付いた。木造の真新しくて立派な山小屋だ。
「そこは市役所です」
「市役所!?」
 あたしが驚きの声を上げたちょうどその時、市役所の扉が開きライトグリーンで塗装されたロボットが出てきた。色が違うだけで形はタパオスと同じだ。
 ライトグリーンのロボットはふわふわとこちらに近付き、お辞儀をするように身体を傾けた。
「ようこそ、三波さん。わたしはこの街の市長です」
「え、市長さん!? でも、なんであたしのこと知ってるの?」 
 市長ロボットはタパオスと全く同じ声で答えた。
「三波さんの情報はタパオスから受信しました。そして協議の結果、三波さんは安全な人と判定されました」
 あたし、いつの間にか審査されてたんだ……。
 でも、考えてみれば当然か。あっちにとっては危険な侵入者かもしれないんだから。
 多くの疑問の中、一番気になることを聞く。
「ねえ、市長さん。さっきあたしの情報って言ったけど、どこまでわかってるの? 例えば、あたしの年齢はわかる?」
「はい、一七二歳です」
 なんと!  
 思わず一歩後ずさった。
「そ、それって怪しくないの? 普通人間ってそんなに生きられないでしょう」
「そうですね。三波さんが何者なのか、どのような手段でここに来たのかはわかりません。ですが、重要なのは社会的な役割や数値ではなく、人としての心の在り方です。三波さんの心は、とてもクリーンであると判定されました。それで充分なのです」
 そんなことまでわかるんだ……。心の在り方を判定するなんて、いったいどんなシステムなんだろう? でも、なんだか照れるな、クリーンだなんて。
「では引き続き、タパオスが道案内をしますので、存分にこの街をご堪能ください」
 市長ロボットはもう一度お辞儀をして、市役所に戻っていった。
「行きましょう、三波さん」
「うん」
 タパオスに続いて、再び歩き出す。
 さっきより道幅が少し広くなった。分岐路もある。
 でも街があるようには見えない。
 まだ先なのかな、と思っていると、また木々の間に木造の建物を見つけた。
「そこは郵便局です」
 数メートル先にもう一件。
「そこは税務署です」
 よく見ると、森のあちこちに建物がある。
「もしかして、ここがもう街なの?」
「そうですよ」 
 さらに進んだところで、木々がまばらになり、視界が開けてきた。
 二、三十メートル離れたところに、日本人らしき老夫婦が歩いているのを見かけた。
 人だ。人がいる!
 早足で追いついて、こっそり二人の様子を伺う。
 老夫婦は笑顔で会話をしていた。身なりもきちんとしている。
 他にも人がいる。
 道を進むごとに、だんだんと人通りが増えていく。
 老人だけでなく、いろんな年代の人がいた。みすぼらしい感じの人は一人もいない。
 さっきの老夫婦が特別裕福というわけではなさそうだ。
 人々に混じってロボットがふわふわ動き回っている。
 タパオスと同じ型で色違いのロボットが多いけど、違うのもいる。
 鳥型ロボットが郵便受けに手紙を投函しているところを見かけた。パトライトの付いた警備ロボットみたいなのもいた。他にも介護ロボットやペットロボットもいた。
 木々が途切れ視界が開けると、二階建ての大きな建物と運動場が目の前に現れた。
 学校だ。それも建物が木造の。
 視線を横に移すと、住宅がある、お店がある、病院がある。いずれも木造。
 コンクリートで固められた現代の街並みとはずいぶん違うけど、これは街だ。
 タパオスの言うとおり、ここには本当に街がある。
 でも――
 目の前をエゾシカの親子が横切っていく。
 道の脇で野うさぎがじゃれ合っている。
 木の上でリスが木の実をかじっている。
 澄んだ小川で魚が泳いでいる。
 まるで自然公園の中に街があるみたいだ。
 あれ、この光景、どこかで……。
 ……
 …………
 そうだ、サイクルシティ! 明季が初めてアクセスしたあの街と似てる!
 あたしは立ち止まり、改めて周囲を見回す。
 やっぱりそうだ。
 車が走ってないとか、建物が鉄筋じゃないとか、ロボットがいるとか、違いはあるけど、確かにここはサイクルシティだ。映像で見たあの街と同じ発想で作られている。
「三波さん、どうかしましたか?」
 タパオスが、こちらを向いて聞いてきた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
「こういう街って、ここだけなの? 他の場所にはないの?」
「いいえ、ここと同じような街は国内に無数にあります」
「じゃあ、その街っていうのは日本政府が統括してるの?」
「そうです。とはいえ、実際には各地域が独立しているといって差し支えないほど自主自立しています。中央は基本方針を決めるだけの機関です」
 一応、日本政府は存続しているみたいだ。中央集権から幕藩体制に戻ったような感じではあるけど。
「人口は? 日本全体の人口どのくらいなの?」
「推定ではありますが、およそ三千万人です」
「じゃあ、世界人口は?」
「こちらも推定ですが、およそ五億人です」
 一時は百億人を突破した人類が、たったの五億人に……。
「もしかして人類は、とんでもなく衰退しちゃったの?」
「いいえ、人類は衰退していません」
「どういうこと?」
「三波さんは過ぎたるは及ばざるが如し≠ニいう格言を知っていますか?」
「う、うん、知ってる」
 むしろ、ロボットにその格言を言われたことが驚きだよ。
「何事も多ければ良いものとは限りません。実際、人口が減ったことで地球の自然環境は急速に回復していきました。そもそも、この地球上で百億もの人間が便利で豊かな生活を追求すること自体、無理があったのです」
「だけど、いくらなんでも百億から五億なんて、減り過ぎじゃない?」
「減ったのではなく元に戻ったのです。西暦一六〇〇年代の世界人口が約五億人でした。その後、産業革命をきっかけに人口が爆発的に増加し、やがて食物連鎖の法則によって再び現在の人口に落ち着きました。このような現象は自然界において普通に起こり得ることです。ただ、人間が自分たちだけは自然界の枠組の外にいると勘違いしていただけなのです。五億という人口は決して少なくありません。むしろ適正人口です」
「そうなんだ……」
 あたしはタパオスに続いて再び歩き出す。
 タパオスの言うことは、きっと正しい。いかに発達した科学技術であっても、大自然の法則を捻じ曲げることはできない。人は神にはなれない。
 この時代の人たちは、そのことをよく認識している。だから、自然と共存する形で生きていく道を選んだ。
 その結果が、今あたしの前に広がる光景。


 完成形サイクルシティとも言えるこの街は、まるで数百年前のような暮らしぶりに見えるところもあれば、現代を遥かに上回るテクノロジーが使われていたりもする、なんとも不思議な街だった。
 建物は木造の他にレンガ造りもあった。鉄筋やコンクリートはなく、自動ドアやエスカレーターもなかった。
 道はほとんどが踏み固められた土のまま。中心街には石畳のところもあった。アスファルトはどこにもない。
 主な交通手段は徒歩。
 それから、磁気で動くミニバイクみたいな乗り物も見かけた。ただし、速度は歩くよりもほんの少し速い程度で、のんびりふわふわ動いている。運転は自動だそうだ。
 自動車や鉄道はない。大きな荷物を運ぶには、トロッコか牛が使われていた。
 交通事故は一件も発生していないらしい。
 電気も使われていた。
 発電は太陽光と風力、それからゴミを燃料にした火力発電によって賄われていた。人口が減ったことで電気使用量が大幅に減ったので、それで充分足りるそうだ。
 冷蔵庫や洗濯機など生活に必要な家電はちゃんとあった。パソコンやスマートフォンのような情報端末もあって、インターネットも使える。ただし、現代ほど多機能ではなかった。
 食堂や喫茶店もあった。
 この時代の食事は江戸時代のように質素だった。
 主食は玄米。
 タンパク源は魚と豆類で、肉・卵料理はあまり食べない。
 野菜・果物は季節の物、あるいは漬物。
 菓子は和菓子のみ。飲み物は日本茶のみ。お酒は日本酒のみ。
 合成品や輸入品はどこにもなかった。当然、ジャンクフードや食べ放題の店があるはずもない。太っている人は一人も見かけなかった。
 食料の生産は付近の農地で行われていた。
 かつてほど大規模ではなかったけど、街の人たちが充分に食べていける量が生産されている。無人の農作業車も健在だった。
 経営は企業ではなく公営で行っているらしい。気候変動やたび重なる台風にも負けない品種改良のおかげで、食料不足は今のところ起きていないとか。
 気になる原発はというと、老朽化した原子炉はロボットによって徐々に解体されつつあり、ほんのわずかずつだが人の住める区域が増えているそうだ。
 平均寿命は全盛期と比べ十年以上短くなったが、それが放射能の影響かどうかは不明。
 ざっとこんなところだ。
 あたしはこの街を見て、柳所長の「もっと慎ましやかに生きろ」という言葉を思い出した。ここは現代の先進国と比べたら、ずっと不便で飾り気のない街だ。でも、それは必ずしも不幸なことじゃない。この街に住む人たちの表情がそれを物語っている。
 現代の都市に住む人たちは、多くの犠牲を払って便利できらびやかな生活をしている。
 その分、不満も多い。
 この街は逆なんだと思う。不便だけど不満も少ない。
 リスクを冒して便利さや豊かさを追求するのか、リスクを避けて慎ましやかな生活を送るのか。どちらが正しいとは一概には言えない。
 地球環境に異変が起こるまでは前者の方が正しかった。人類の進歩のためにリスクを冒かすことは勇敢な行いだった。
 でも、地球の限界が見えつつある時代においては必ずしもそうとは言えない。百億の人口が五億まで減って、人類はやっとそれに気付いた。
 がむしゃらに進むだけが進歩ではないと。
 つまりだ。
 昔の偉い学者さんが言ってたとおり、社会は「見えざる手」とかいうのに導かれて、いずれなるようにはなるということだ。
 食料難も、紛争も、資源不足も、環境汚染も、すべて解決する。
 でも、それでいいの?
 そうなる前に、どれほど多くの人が犠牲になる?
 どれほど多くの生物が巻き込まれて絶滅する?
 それまで手をこまねいてていいの?
 そうは思えない。人類は、もっと賢明な道を歩むことができるはず。
 

 小一時間歩いたところで、あたしとタパオスは休憩のため公園に入った。
 サッカーグランドくらいの広さで、地面は芝生に覆われており、中央に青々とした巨木がある。人工的な施設は隅にある公衆トイレと木製ベンチだけのシンプルな公園だ。
 先客はお年寄りが数名。芝生の上で寝ている人や、座ってボードゲームをしている人たちがいる。
 あたしはベンチに座り、さっきタパオスに奢ってもらったガラス製タンブラーのフタを開ける。中に入っているのは温かいお茶だ。
 一息ついた後、あたしは正面にいるタパオスに尋ねる。
「ねえ、タパオス」
「はい、なんでしょう?」
 今あたしが見ている光景とタパオスの言葉は、後々世間に公表される。
 それならタパオスに言わせればいい。人類が歩むべき賢明な道とは何かを。
「さっき適正人口は五億って言ってたよね。じゃあ、百億とまではいかなくても、七十億くらいの人が地球上で安心して生きていくことは絶対無理なの?」
「絶対ではありません。困難ではありますが、方法はあります」
「どんな方法?」
「持続可能革命を起こすことです」
 明季に教えてもらって知っている言葉だ。内容も知っている。
 でも、あえてタパオスに言わせる。
「それって、どんな革命なの?」
「農業革命、産業革命に続く第三の世界的革命です。具体的には、天然資源の使用や地球の生態系に悪影響を与える経済活動を制限し、人類が永続的に暮らしていける循環システムを作り上げることです。ですが、七十億の人口でそれを達成しようとすれば、相当な努力と忍耐が必要になるでしょう。実現は非常に困難と言わざるを得ません」
「それでもやろうと思ったら?」
「持続可能革命以前に、人類の意識改革が必要となります。そのためには、経済的に豊かであることが幸福であるという認識を改め、自然との共存にこそ真の幸福があるという価値観を見出さなければなりません」
 やっぱり明季に教わったとおりだ。人類の破滅的未来を回避する方法は未来人でなくともわかっている。わかっていないのは人々をその気にさせる方法だ。
 それこそが、あたしたちの求める答え。
 すでに自然の淘汰を受けた後の世代がそれを知っているはずはない。これからタパオスが出す言葉は予想でしかない。
 それでも、あたしは聞く。
 たとえわずかであっても、この映像を見た人がその気になるように。
「その意識改革をするためには、どうすればいいの?」
「自然の淘汰を待たずして意識改革をするには、古い価値観を強制的に排除するしかありません」
「え……それってどういうこと?」
 どこかで聞いたことのある物言いだ。嫌な予感がする。
「意識改革とは、人々の意識を変えることではありません。人々の意識はそう簡単には変えられません。よって、古い価値観に囚われている人間を排除することで、人類全体の意識を底上げするのです。人口が七十億存在した時代の言葉を使うならば、既得権益を貪る人間を抹殺する――といったところでしょうか」
 やっぱり……。柴波が言ってたことだ。
 武力による強制排除。
 じゃあ結局、柴波が正しかったって言うの?
 本当に、そんな方法しか――いや、それよりまずい! 
 この映像で大勢の人が影響されたら、戦争が始まるかもしれない!
「ほ、他にはないの?」
 あたしは慌てて尋ねる。
「検索してみます」
 タパオスは緑ランプの目を数回点滅させる。
「わたしが持つデータ内には存在しません。本部に問合わせれば見つかるかもしれませんが、実現の可能性はさらに小さなものになります。それでもよろしいでしょうか?」
「うん、お願い」
「では少々お待ちください」
 タパオスは静止したまま何度も何度も緑ランプの目を点滅させる。
 一分、二分……。
 データを引き出すのに時間がかかっているのだろうか。それとも、いかに発達した人工知能でも存在しない答えを導き出すことはできないのか。
 やがて点滅が止まる。
「強制排除を行わずして意識改革を達成するには、教育の分野に最大限の力を注ぐしかありません。予算と時間と労働力を、可能な限り教育とその周辺分野に注ぐことで、人類全体の進歩を促すのです」
 それが、現時点で導き出せる最良の答え。
「ちなみに教育って、具体的にどんな?」
「それは哲学です。人は何のために生きているのか。社会は何のために存在しているのか。そうした物事の本質を考え、議論することで、人は自分を客観視できるようになります。哲学を学べば、きっと多くの人々が社会の暴走に気付くでしょう」
「ありがとう、タパオス」
 あたしはお礼を言ってベンチから立ち上がる。
「ちょっとだけ、ここで待っててくれる? 二分くらいで戻ってくるから」
「はい」
 タパオスに空になったタンブラーを持ってもらい、あたしは公園の中央にある巨木の下に足を運んだ。
『海、何をするつもりですか?』
 キョウが尋ねてくる。
「みんなに聞いてもらうの」
『みんな、とは?』
「この映像を見る人、みんな」
 あたしは一度深呼吸をする。
 そして言う。
「皆さん、タパオスの言葉を聞きましたね? これからの社会で一番大事なのは教育分野です。お金儲けではありません。政府は、もっと教育や子育てのために予算を割いてください。大人は、もっと子供たちのお手本になれるようしっかりしてください。お年寄りの方は、ちょっと我慢してください。本当に子や孫が大切なら、そのくらいできるはずです。みんなで力を合わせて、子供たちの未来を守ってください!」
 
 
 公園を出た後、さらに三十分くらい歩いて、また市役所の前まで戻ってきた。
 一時間少々で一周できる小さな街ということだ。
「案内はこれで終わりです。この街はいかがでしたか?」
「うん、とっても勉強になったよ。それに楽しかった。ありがとね、タパオス」
「お役に立ててなによりです。ところで三波さん、これからどうされるのですか? もしこの街に移住を希望されるなら、市役所で手続きをしていただければ、今日からでも住居を提供できますが」
 そう言われて胸が苦しくなる。
 できるなら「うん」と言ってあげたいけど……。
「ごめん、あたしがここに来たのは移住のためじゃなくて、調査のためだから」
「そうですか、残念です。三波さんなら大歓迎だったのですが……」
 タパオスは緑色に光る目を半分閉じて、ほんの少しだけうつむいた。
 ロボットなのに本当に残念そうだ。いや、そんな見方はおかしいのかもしれない。この時代のロボットは、あたしたちの時代のロボットとは違う。人間のそれとは少し違うけど、一種の感情を持っているのは確かだ。
 だから、あたしは本心を言う。
「ごめんね。でもここはすっごくいい街だよ。ほんとに住みたいくらい」
 すると、タパオスはパッと顔を上げてくれた。
「そう言っていただけて幸いです。それでは、また機会があれば、この街へお越しください。わたしたちは、いつでもあなたたちを歓迎いたします」
「え……!」
 あたしは聞き逃さなかった。
「い、今、あなたたちって?」
「はい。三波さんともう一人、そこでこちらを見ておられる方です」
「それって、もしかして――」
『私のことでしょうか?』
 キョウが驚きの声を上げた。
「今、何かおっしゃいましたね。声は聞こえませんが、三波さんの脳内から別人の信号を感知しました」
 ウソ、仮想未来でナビゲーターの存在が感知されるなんて……。
「ほんとに、キョウのことがわかるんだ?」
「はい。キョウさんとおっしゃるのですね。もし可能でしたら、今度は三波さんと二人でいらしてください」
 タパオスの言葉が、あたしの胸を締め付ける。
 二人でここへ……。
 それはきっと、叶わぬ夢。
 仮にVFシステムが進化を果たし、適性率50%台でミッションの遂行ができるようになったとすれば、テスターの人材不足は解消される。ナビゲーターとして優秀なキョウをわざわざテスターに転身させる理由なんてどこにもない。
 そんな約束はできない。でも、春やマヤちゃんの時のように本当のことを言ってつらい想いもさせたくない。
 だから、あたしは――
「うん、じゃあ、また来るからね」
 ほんの少し嗚咽の混じった声でそう答えた。
「では、また会える日を心待ちにしております」
 タパオスは、まるで喜びの感情を現すように緑色の目を点滅させた。
 次の瞬間、あたしの意識は暗転した。


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
「ご苦労様です、海。本日のミッションはこれで終了です」
 キョウがゆっくり丁寧にヘルメットを外してくれる。
「まさか、初回でこれほど貴重な情報を得られるとは。幸運でしたね」
「うん。でも、タパオスはもう、あたしたちのこと……」
 記憶のリセット。何度も経験しても、この寂しさは変わらない。
 あたしは差し出されたキョウの手を取って、椅子から立ち上がった。
「きっとまた歓迎してくれますよ」
「そうだね」
 いつか、また会えたなら……。
 
 
 それから、いつもどおりメディカルチェックを受けに行く。今日も異常なし。
 キョウは仕事が残っているそうなのでブリーフィングルームには戻らず、そのまま家に帰ることにした。
 その途中、研究所一階の廊下で声をかけられる。
「よう、お疲れさん」
 柴波だ。黒とグレーのカジュアルな服装をしている。
「高羽から聞いたぞ。今日はかなりの成果があったんだってな」
「まあね。ところで今日は仕事?」
「いや、個人的な用事だ」
「へえー、どんな?」
 あたしの反応に、柴波は顔をしかめる。
「どんなじゃないだろ。あん時の話、忘れたのかよ?」
「えーと、それって?」
「俺と付き合うかどうかの返事だよ」
「う……」
 心臓がドクンと跳ねる。
 今度こそはっきり言われた。
 あの時は、ぼかした言い方だったからこっちもぼかしたけど、今度は……。
「そんなこといきなり言われても……。あれからまだ三日しか経ってないのに」
「三日もだよ。……ったく、放っておくと、どんだけ待たされるかわかったもんじゃねえ」
「あたしはあんたと違ってミッションあったんだから、忙しかったんだもん」
 あたしは口を尖らせた。
 でも柴波は引き下がらない。
「ミッションはこの先も続くんだ。そうやって何かと理由つけて引き延ばしてたらキリがないぞ」
「うう……」
「難しいことは考えなくていい。直感的に答えてくれ」
「そ、それは……」
 直感的にと言うなら心の中では決まっている。
 正直、自分がこの人と付き合っているところが想像できない。歳は五つしか違わないけど、この人はあたしなんかよりずっと大人で、先生と生徒が付き合うような後ろめたさがある。いや、先生は言い過ぎか。教育実習生か家庭教師くらいかな。
 決して嫌いなわけじゃない。ぶっきらぼうだけど、根は優しいってことは知っている。
 はじめのうちは戸惑うことが多くても、慣れてくればきっと楽しくなると思う。
 それでも……それでも、あたしは――
「ごめん。やっぱりあたし、付き合うのは……無理」
 怖かった。
 もちろん柴波がじゃない。柴波と付き合うことで、自分が急速に大人にされてしまうのが怖くて仕方なかった。あたしは、このままゆっくりゆっくり大人になりたかった。
 柴波の反応が怖くて目を逸らしたくなった。
 でも、がんばって逸らさなかった。
「そうか……」
 柴波は静かに、それだけ返してきた。
「お、怒らないでね。あんたのこと、嫌いってわけじゃないから。恋人として付き合ったりはできないけど、人生の先輩としてすごく尊敬してるよ」
「そりゃ光栄だな。でもまあ不満を言うなら、もう少し早くはっきりしてほしかったんだがな」
「それは、あんたがあの閲覧禁止になったミッションの話をエサに近付いてきたから、ややこしくなったんでしょうが」
 柴波は苦笑する。
「そういやそうだったな。一応聞いとくが、あのミッションのこと今でも知りたいか?」
 あたしは首を横に振った。
「ううん、もういいよ。大事なのは心の在り方なんだってわかったから」
「そうか、振り切ったか」
 柴波はめずらしく穏やかに微笑んだ。
「うん、そこは、あんたのおかげかも」
「そうかい。それじゃ、これからも同じテスターの仲間としてよろしく頼むな」
「ま、前向きなんだね」
「フラれたからって悪いことばかりじゃない。これで新しい一歩を踏み出せる。停滞してんのが一番ダメなんだよ」
「新しい一歩……か」
 あたしはその一歩を踏み出すのにいつも躊躇してしまう。それをこの人は……。 
 すごいな、やっぱり。
 それから柴波が聞いてくる。
「で、高羽にはもう返事はしたのか?」
「ううん、まだ」
「いつするんだよ?」
「う〜ん、いつだろ?」
 首を傾げると、柴波は呆れたような顔をする。
「なんで悩むんだよ! そこはすぐじゃなきゃダメだろ」
「そ、そう言われても恥ずかしいし。それに、あたしはともかく、キョウはまだ十八歳だよ? 二十歳くらいまで待ってからの方がいいんじゃない?」
「よくねえよ。あいつは充分大人だよ。早くしてやれよ」
 柴波がまくしたてながら、こっちに迫ってくる。
「そ、そんな急かさなくても」
 あたしは両手のひらを向けてのけぞった。
 すぐ目の前で大きなため息をつく柴波。
「それぐらい言わないと、いつまで経っても動かないだろ」
「そんなことないよ。あたしだってやる時はやるもん」
「じゃあ約束しな。今日明日中に、高羽に返事をするって」
「ま、待ってよ! 明日はアイちゃんが帰国する日なんだから、まだ無理だよ」
「またそのパターンかよ」
「そんなこと言わないでよ。アイちゃんは大事な友達なんだから」
「わかったわかった。じゃあ一週間以内でいい」
「う、うん、それなら」
「約束だぞ? 後で高羽に聞くからな」
「うん、ありがと」
 お礼を言うと、柴波は意外そうな表情をした。
「なんで礼を言うんだよ?」
「だって……」
 あたしはほんの少しだけうつむく。
「あたしのために背中押してくれてるんでしょ?」
「む……」
 柴波は言葉を返してこなかった。
 しばらく沈黙が続く。
 あれ、違ったのかな? それとも図星だから照れてる?
 柴波は不意にこちらに背を向けた。それから言う。
「そんなんじゃねえよ。ただ悔しかったからムキになってただけさ」
 柴波の表情はわからない。今の言葉が本心かどうかもわからない。
 ただ一つわかるのは、柴波がたった今、前へ向かって歩き出したということだ。
 まだ見たことのない、新しい道を。
 でも――
「じゃ、がんばれよ」
 最後に一度だけ振り返って、励ましてくれた。
「うん」
 あたしは笑顔で返事をした。


 ミッション映像のことは振り切った。
 あのミッションで何が起きたかなんて、もうどうでもいい。
 でも、明季のことは完全に振り切ったわけじゃない。明季とは小学生の頃からの付き合いなんだから、そう簡単に割り切れるわけがない。
 事情はわからないままでいい。
 でも、明季に会えない現状だけはなんとかしたい。
 明季に会って、明季の気持ちをはっきり聞かない限り、あたしは前へ進めない。
 今日こそ決着をつけるんだ。
 ――コンコン。
 所長室の扉を叩く。
「どうぞ」
 柳所長の声が返ってきた後、あたしは所長室に入った。
「失礼します」
 室内には柳所長と和香さんがいた。応接ソファで向き合っている。
「どうしたの、海ちゃん?」
 和香さんが聞いてくる。
「あの、大事なお話があるんです」
「何かしら?」
「明季のことです」
 単刀直入に言うと、和香さんは少し驚くような表情をした。
 柳所長の表情は動かない。サングラスで隠れた目元以外は。
「とりあえず、ここに座って」
 和香さんはソファから立ち上がり、自分が座っていた場所にあたしを促してきた。
 言われたとおり、ソファに腰を下ろす。
 その間に和香さんは柳所長の隣の席に移動。あたしと夫婦二人が向き合う形になった。
 柳所長が口を開く。
「野川君の話だったな。言ってみなさい」
 あたしは遠慮なくストレートに言う。
「明季に会わせてください」
「会ってどうするつもりだね?」
「どうするも何も、友達同士、テスター同士、普通に会いたいだけです。閲覧禁止になったミッションのことは聞いたりしません。他にも条件があるなら聞きます。だから会わせてください!」
 柳所長はすぐに言い返してくる。
「三波君、前にも話したはずだ。君と野川君の接触を禁じたのは、やむにやまれぬ事情があってのことだと。そして、その事情を話せないことも」
「覚えてます。でも、その事情ってのは、あたしの努力じゃどうにもならないものなんですか? いくらなんでも、あたしと明季が会った瞬間、災いが起きるわけじゃないでしょう?」 
 実際、ホテルで襲撃を受けた時に一瞬すれ違ったけど、なんの問題もなかった。
 その場にいた和香さんも咎めなかった。
「要はあたしと明季の間で何か起きちゃまずいことがあるんですよね? だったら、それをしないって約束すれば、会っても問題ないんじゃないですか?」
「ふむ……」
 柳所長は顎に手を当てて、うつむき加減になる。
「確かにそのとおりだな。だが君たちはまだ若い。会えばいつ感情に流されるかわからない。私はそれを心配しているのだ」
 その返しに、あたしはムッとして身を乗り出す。
「意味がわからないんですけど。もしかして、あたしがアイちゃんに嫉妬して暴力を振るうとでも思ってるんですか? あたしのこと、そんな人間だと思ってるんですか?」
「そうではない。君と野川君が――」
「待って」
 柳所長の発言を和香さんが止めた。
「それはわたしから言うわ。正道さんは言い方が事務的だからいけないの。ここはわたしに任せて」
「……そうか。では頼む」
 柳所長は引き下がった。
 あたしは改めて和香さんと向き合う。
「海ちゃん、わたしは海ちゃんが暴力を振るうだなんて思ってないわ。もちろん正道さんもね。海ちゃんの明季君に対する気持ちは知ってたから、もしかしたらアイちゃんとケンカになるかもって心配はしていたわ。でも、海ちゃんはアイちゃんと仲良くしてくれた」
「アイちゃんは、別に悪くありませんから……」
 和香さんは穏やかに微笑んだ。
「そう言ってくれると助かるわ。アイちゃんも、この件に関しては悩んでたみたいでね。もしかして、海ちゃんに恨まれてるんじゃないかって」
「恨んだりなんてしません。あたしと明季は付き合ってたわけじゃないから、アイちゃんが好きになるのは自由です」
 本心を言えば、少しだけアイちゃんを恨む気持ちはあった。でも、今さらそれを言ったところで何の意味もない。だから、ここは大人の対応を選んだ。
「そ……」
 和香さんもそれ以上は言わなかった。
 言葉が途切れたところで、あたしは話を戻す。
「ところで、さっき所長が言おうとした、あたしと明季がどうとかっていうのはなんなんですか?」
「あ、うん、それはね」
 和香さんは少し困ったような顔をする。
「海ちゃんと明季君が愛し合った結果、ミッションができない身体になっちゃったらまずいのよ」
「はぁ?」
「要するにね、子供ができちゃったら困るってこと」
 子供…………!?
 あまりに予想外のワードに、あたしは勢いよくソファから立ち上がった。
「な、何言ってるんですか! あたしと明季が、そんなことになるわけないじゃないですか! まだ付き合ってすらいなかったのに、なんでそんな話になるんですか!?」
「お、落ち着いて、海ちゃん」
 和香さんに言われ、あたしはソファに座り直す。
「落ち着きましたから、ちゃんと答えてください」
「ごめんね、いきなり驚かせるようなこと言って。でも、海ちゃんと明季君って、付き合ってはいないにしても十年以上前からお互いを意識してたわけじゃない? そういう間柄って、ある一線を超えると一気に転がっていくものなのよ。要するに、それが怖かったの。わたしたちは、どうしても海ちゃんの力を失うわけにはいかなかったから」
 和香さんは申し訳なさそうに視線を落とした。
「なるほど……」
 あたしはソファに深くもたれかかった。
 それから、少し投げやり気味に言う。
「そういうことだったんですね。要するにミッションのためだったんですね」
 和香さんは顔を上げる。
「少し違うわ。ミッションのためというより、人類の未来のためよ」
「つまり人類の未来のために、あたしに恋愛するなって言いたいんですよね?」
 そう言い返すと、和香さんはまた申し訳なさそうに視線を落とした。
「ごめんなさい。そういうことになるわ。テスターの中でもとりわけ適性率の高い海ちゃんを失うわけにはいかないの。もちろん、ずっとってわけじゃない。この先、研究所の規模を大きくして人員を増やしていくつもりだから、そうすれば一人一人の権利確保だってできる。産休や育児休暇も取ってもらえるよう努力するわ。だけど、態勢が整うまで少なくとも二年はかかる。だから、せめてそれまで、ミッションができなくなるような事態にはならないよう気を付けてほしいの」
「…………?」
 いや、産休とか育児休暇とか言われても、まるで実感ないんですけど。まだ恋人すらいないのに。
 この人たちの立場からすれば、そうも言ってられないのはわかる。
 でも、あたしにはあたしの事情がある。
 だから、はっきり言う。
「あたしだって自分の立場は理解してますから、そのくらいの覚悟はできてます。でもそれなら、なおさら明季に会わせてください。はっきり明季の口から、本当の気持ちを聞きたいんです。そうでないと心のモヤモヤが消えないんです。新しい一歩を踏み出せないんです」
 感情的になってはダメ。あくまでも大人として、テスターとして――
「約束します。あたし、明季とそんなことになったりしません。あのミッションのことも絶対聞きません。だから明季に会わせてください。もうこんな中途半端な状態は終わりにしてください」
「海ちゃん……」
 和香さんは困惑と申し訳なさが混じったような表情をした。
 柳所長の表情は、まだ動かない。
 所長室がシーンと静まりかえる。
 しばらくしてから、和香さんが柳所長に言った。
「正道さん、もういいと思うの。この子たちなら、きっと大丈夫よ。信じてあげましょう」
「ふむ……」
 なおも悩む柳所長に、あたしは言う。
「所長にとって、アイちゃんは娘同然の子なんでしょ? だったら、そのアイちゃんが好きになった明季のことを信じてください。明季は絶対にアイちゃんを裏切ったりしません。あたしが保証します」
「……」
「お願いします!」
 しばらくの沈黙の後、柳所長の口がゆっくり静かに開く。
「三波君の言うとおりだな。他ならぬ君たちを信用せずして、ミッションの成功はありえまい。私の判断が間違っていたようだ。今まで本当にすまなかった」
 柳所長は座ったまま頭を下げた。
 そしてまっすぐ姿勢を正し、告げる。
「たった今をもって、命令を解除する」


 さて、明季との接触禁止命令は解除されたものの、すぐに会いに行くわけにもいかない。明日はアイちゃんが帰国する日だからだ。たぶん、今はタイミングが悪い。会いに行くのは明日アイちゃんが飛び立ってからにした方が良さそうだ。
 そんなわけで翌日。早朝、研究所前。
 明季を除く研究所の所員全員で、アイちゃんを見送る。
「アイちゃん、あっちに行っても元気でね。なるべく早く戻ってきてね」
「もちろんそのつもりです。この研究所がわたしの居場所ですから。それに、あまり長いこと会わないでいると、明季が浮気してしまうかもしれませんからね」
「アハハ……」
 浮気ときたか。
 そんな言い方をするのはライバルを牽制するためか、それともすでに恋仲になっているのか。あたしは、おそるおそる確かめてみる。
「ところでさ、アイちゃんと明季って……付き合って……るの?」
「いえ、まだそうわけでは……」
 少し悲しそうな表情と声。
 この子にはこの子の事情があって、大事な一歩が踏み出せていないみたいね。
 アイちゃんは続ける。
「ですから少し不安なんです。明季は誰にでも優しい人ですから、勘違いして強引に迫る女性が出てこないかと」
 それあたしのこと!? 
 さすがアイちゃん、本人を前によく言うなぁ。やっぱり牽制してんじゃん。
 でも今のあたしは大人だ。その程度では怒らないよ。
「大丈夫だよ。そんなのがいたら、あたしたちが追っ払ってあげるから。ね、優ちゃん」
「はい! 明季さんはわたしたちがお守りします。どうか安心して故郷でくつろいできてください」
 突然話を振ったにも拘らず、優ちゃんは見事に同調してくれた。
 きっと、あたしと同じ気持ちだからだ。
「あ、ありがとうございます」
 アイちゃんは少し困ったような顔をした。そりゃそうだ。
「アイちゃん、ちょっと来て」
「海さん?」
 あたしはアイちゃんの手を引っ張って、他の人には声が届かないところまで連れてきた。
「あのね、アイちゃん。あたし、アイちゃんと明季のこと、応援……まではできないけど、しばらくは見守ってあげよっかな、と思ってるの」
「……どういうことですか?」
 アイちゃんは目を丸くする。
「あたし、しばらく明季と会わないうちに自分の気持ちがわかんなくなっちゃって……。まずは気持ちを整理する方が優先というかなんというか……」
 自分でも何が言いたいのかわからなくなって、あたふたしてしまう。
 ちゃんと考えてこればよかった。
「よ、要するにね、アイちゃんが戻ってくるまで抜けがけみたいなことしないから安心して」
「……」
 アイちゃんは黙ったまま複雑な表情をした。
 信用されてないのかな、と不安になる。
 そこへ、優ちゃんが駆けつけてきた。
「あ、あの」
 優ちゃんは一瞬うつむいた後、意を決したように言った。
「……わたし、明季さんのことが好きです」
 い、いきなり何を言い出すの、この子は!?
「だから、もしアイシャのいない間に明季さんの気持ちが揺らぐようなことがあったら、その隙にわたしが取っちゃうかもしれません」
 あたしと違って、これ以上ないくらいストレートな言葉。
 この子、またあたしより一歩先に……。
「優、本気で言ってるんですか?」
 アイちゃんが真顔で聞いた。
 優ちゃんも真顔で答える。
「本気です。だから、明季さんのこと取られたくなかったら、ちゃんとつなぎ止めてください。たとえ記憶が戻っても、明季さんのこと好きなままでいてください。絶対に、絶対に忘れたりしないでください!」
 優ちゃん、もしかしてアイちゃんのために、わざと……。
 そんな優ちゃんに対し、アイちゃんは不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「大丈夫です。わたしと明季が結ばれるのは、もう決定事項ですから」
 優ちゃんも負けじと言い返す。
「まだわかりませんよ。未来は、わたしたちの手で変えられるんですから」
 アイちゃんはあからさまにムッとする。
「そもそも、明季は妹に手を出すような人ではありません」
 優ちゃんは挑戦的な顔でアイちゃんを見上げた。
「わたしがいつまでも妹でいると思ったら大間違いです」
「一度定着した印象は、簡単には覆りませんよ?」
「明季さんはそんな頭の固い人じゃありません」
 アイちゃんも優ちゃんも、一歩も譲らない。
 言い合いがだんだんヒートアップしてきた。
 ケンカになっちゃまずいし、止めなきゃ。
「まあまあ、落ち着いて。しばらく会えなくなるんだし、ここは仲良くしよ? ね?」
 あたしはそう言いながら二人の間に割って入った。
 すると――
「「それもそうですね」」
 アイちゃんと優ちゃんが同じことを同時に言った。
 二人は目を丸くして見つめ合う。
 それから、アイちゃんが穏やかに微笑んだ。
「優、あなたも知ってのとおり、明季は真面目で一途な方です。彼の気持ちを変えるのは容易ではありませんよ?」
「わかってます。だからって油断してたら、ほんとに取っちゃいますからね」
 優ちゃんは小悪魔のようにいたずらっぽい笑顔で答えた。
 ケンカになる心配なんてする必要なかったな。この二人、なんだかんだいっても仲がいいみたい。あたしの知らないところで、しっかりテスターとナビゲーターの信頼関係を築いてたんだな。
 その後、北欧からやってきたベルナドッテ家のSS(シークレットサービス)の人たちが、アイちゃんを車に乗せて空港に向かった。その車に明季も乗っていた。一緒に行って見送りをするみたいだ。
 アイちゃんの乗る飛行機が飛び立つのは午前十一時過ぎだから、明季は二時か三時くらいには帰ってくるはず。
 夕方頃、会いに行こう。


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