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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第20回 十章 指標(前編)


 アルメリア・ベルナドッテ。
 それがアイちゃんの本名だと聞かされて謎が一つ解けた。
 そっか、アイシャは本名じゃなかったのか。詳しく聞いてなかったから初めて知った。
 そうなると野川春の母親はアイちゃんで間違いなくて、明季とアイちゃんはやっぱり結ばれてたってことに……。
 これって失恋なのかな? ちょっと前まで明季のこと好きだったわけだし。
 いや、今でも好きなのかな? もうよくわかんなくなっちゃたから、ショックなようなショックじゃないような……。
 でもこんなの反則じゃない?
 あたしを引き離しておいて、その隙にくっついちゃうなんてさ。
 じゃあ離されなかったらアイちゃんに勝てたかって言われたら正直自信はない。
 アイちゃん可愛いし、真面目だし、その上押しも強いし。
 まあ、いつまでも行動を起こさなかったあたしが悪いんだけど……。
 小学生の頃からテスターになるまで、十年以上もチャンスはあった。
 でも、あたしはそれをふいにし続けた。
 いつかそのうち。そう思っている間に二十二歳になってしまった。
 さすがにもう時間切れだったのかな……。
 でも正直、あの根暗な明季が欧州の美女と結婚するだなんて冗談としか思えない。
 引っ込み思案の明季が積極的なアイちゃんを好きになるのはわかるとして、アイちゃんは明季のどこが好きなんだろう?
 はっきり言って、明季のいいところはわかりづらい。大抵の人が抱く明季の第一印象は、無愛想、不器用、神経質の三拍子がそろった典型的な社会不適合者だ。
 でも本質的には、とても優しい人間だということをあたしは知っている。
 アイちゃんも、そのことに気付いたのかな。
 ……気付いたんだろうな。
 その結果が春とマヤちゃんなんだし。これが運命っていうものなのかな。
 だからといって、このままじゃすっきりしない。せめて明季と会っちゃいけない理由くらい教えてほしい。じゃなきゃ、このモヤモヤは消えないよ。
 思いきって聞いてみようかな。アイちゃんと明季のこと邪魔しないって言えば、教えてくれるかもしれない。
 でも全然違う理由だったら恥ずかしいし、どうしよう……。
 そうして悩んでいるうちにアイちゃん誘拐未遂事件が起きてしまい、話を聞き出すどころではなくなってしまった。 
 でも、今まで極秘にしていたミッション映像を公開すると聞いた時は心臓が飛び出るかと思った。なにせ閲覧禁止になっていたあの映像を見れば、こんな境遇になってしまった謎がついに解けるのだから。不謹慎だとは思いつつも、あたしは胸を躍らせながら映像が公開されるのを待った。
 ところが残念。
 閲覧禁止になった二つの映像だけは、きっちり公開されてなかった。
 さすがは和香さん、さすがは研究所。そういうところは抜け目がない。
 とまあ、直接事件現場に居合わせなかったおかげで、さほど危機感もなく、個人的な悩みに悶々とする一週間を送ったあたしだけど、それも今日限り。
 明日、VFシステムが公表されれば、あたしの人生は確実に変わる。
 もし、あたしたちの活動が認められなければ、研究所は閉鎖、ミッションは凍結、所員は解散。そうなれば明季には会えるようになるだろうけど、キョウや柴波やアイちゃんには会えなくなる。
 最悪の場合、VFシステムを巡って国家間の戦争が起こる可能性もあるとキョウは言っていた。そして、特定の国家が自国の利益のためにシステムを使えば、間違いなく世界の秩序が崩壊するとも……。
 そうならないためにも、いざとなったらVFシステムを破壊すると柳所長は言っていたらしいけど、研究所がなくなればあたしは職を失う。今さら就職活動なんて考えたくもない。あたしだって社会不適合者なんだから。
 お願い、なんとか元の鞘に収まって!


 翌朝、あたしは電話の着信音で目を覚ました。
 薄暗い部屋の中で目を凝らして壁時計を見ると、まだ午前六時。
 誰? こんな早くから。
 ベッドから起き上がるのが億劫で、一瞬無視しようかという考えがよぎる。
 いやいや、ダメでしょ! 緊急事態だったらどうすんの!
 気力を奮い立たせてベッドから下りる。
 うー、寒い寒い。
 もう十一月も終わりに近付いている。
 朝の空気はひんやりして、お布団から出るのがつらい。
 机の上のスマートフォンを手に取る。発信者は和香さんだった。
「もしもし?」
『あ、おはよ、海ちゃん。朝早くにごめんね』
 普通にあいさつしてくれたことにホッとする。
 今まさに危険が迫っている状況ではなさそうだ。
「おはようございます。どうしたんですか?」
『あのね、急な頼みで悪いんだけど、今からわたしたちのいるホテルまで迎えにきてくれる?』 
「え、あたし今、車ないんですけど?」
『だから高羽君に先に電話して、そっちに向かってもらったわ。二人で一緒にお願い』
 もちろん、「めんどいから嫌です」なんて言えないから、とりあえず理由を聞く。
「でも、なんでまた急に?」
『ごめんね。覚悟はしてたんだけど、いざ当日になると不安で……。念のための保険になっちゃうけど、何かあった時のために来てほしいの』
 初めて聞く和香さんの弱々しい声に、あたしは一気に目が覚めた。
 そうだ、寝ぼけてる場合じゃない。今日はあたしたちの今後が決まる運命の日なんだ。
 柳所長が動けない今、和香さんがあたしたちの代表なんだから、何があっても守らなきゃ。敵にしてみれば和香さんたちが研究所に着くまでが最後のチャンスだ。なりふり構わず攻めてくるかもしれない。保険はかけておいた方がいい。
「わかりました。すぐ準備します」
 あたしはカーテンを開け、急いで出かける準備を始めた。
 何が起こるかわからないので防弾スーツを着ていく。
 それから、こんな時のために浜名君からもらった護身用の武器を携える。
 ミッションと同じ心構えだ。
 準備が完了した頃、タイミングよくキョウから電話がかかってきた。
 

 約二時間後、和香さんたちが泊まるビジネスホテルに到着する。
 あれから何の連絡もなかったから、何事もなく合流できるかなと思いきや――
 どうやら、悪い予感が当たったみたい。
 キョウが運転する七人乗りの車でホテルの敷地に入った途端、怪しい男たちが目に入った。
 よりによってこのタイミングで敵が現れるなんて。
 十五、六人はいる。
 ここから見た感じ、全員がサングラスと黒いスーツを着用した東洋人だ。
 表玄関が五人の男によって固められ、十人くらいが裏口の方へ歩いていく。
「あの人数配分からすると、和香さんたちは裏口から出てくる可能性が高いですね」
 キョウは深刻そうに言いながら、表玄関の男たちから見えない位置に車を停止させた。
 裏口に向かった男たちは、すでに視界から消えている。
 もしキョウの言うとおり和香さんたちが裏口から出てくるとしたら、今この瞬間にも敵と遭遇しているかもしれない。
「海さん、どうしますか?」
 作戦会議なんかしてる時間はない。早く行かなきゃ!
「キョウはすぐに発進できるようにしてここで待ってて。あたしがみんなを迎えに行ってくる!」
 急いでシートベルトを外し、助手席のドアを開ける。
「海さん!」
「大丈夫、武器は持ったから!」
 それだけ言って車から飛び出した。
 間に合って!
 建物の側面、裏口へ向かう通路で男たちの背中に追いついた。
 男たちの集団は、逃げ場を失った獲物を徐々に追い詰めるように、ゆっくりと歩を進めている。
「――!」
 男たちの向こう側から明季の声がした。
 何を言ったかわからなかったけど、確かに明季の声だ。
 なるべく足音を立てないよう最後尾の男に近付く。
 武器を使うのは後にして、まずは不意打ちで何人か仕留めよう。悪いけど、この人数相手じゃ手加減なんてできないから、いきなり全力でいかせてもらうね。
 あたしは、男の左手首を背後から両手でつかんで引っ張った。
「おお?」
 男のバランスが崩れる。
 その瞬間を狙って引っ張った手をねじり上げ、男を宙に放り投げた。
「うわあああああ!」
 固いコンクリートの地面に背中から落下した男は仰向けのまま白目をむき、ピクリとも動かなくなった。
 次!
「なんだ、お前!?」
 振り返った男がつかみかかってくる。
 飛んで火にいるなんとかだね。あたし、後の先が得意だから。
 男が向かってくる勢いを利用し、つかんだ腕をねじりながら宙に放り投げる。
「うわあああああ!」
 次!
「なにしやが――」
 しゃべりながら殴りかかるのはよくないよ。舌噛んじゃうから。
 また宙に放り投げる。
「うわああああ!」
 次!
「いい加減に――」
 しろ、って言いたいんでしょ。それこっちのセリフだよ。
 いい加減にしてよ、もう!
 またも宙に放り投げる。
「うわあああああ!」
 次――は来なかった。
 四人仕留めたか。上出来だな。
「海!」
 不意によく知った声が届く。
 あたしは反射的に声の方へ顔を向けた。
「明季!」
 ほんの一瞬だけ目と目が合う。
 あれから八ヶ月近く経つけど、やっぱり全然変わってない。
 ――背後から殺気。振り向く時間はない。
 あたしはあえて後ろに下がることで、迫りくる相手に背中からぶつかっていく。
 相手の胸板が背中に当たると同時に、あたしの肩の上を通過した腕を両手で捕らえた。
 そのまま一本背負い!
「ぐ!」 
 男が地面に激突し、動かなくなるのを確認する。
 それから、明季たちに向かって叫んだ。
「早く行って! この先でキョウが待ってるから!」
 明季はすぐさま反応し、和香さんとアイちゃんを連れて走った。
 それを追いかけようとする敵の前に、あたしは立ち塞がる。
 さすがに五人も一気にやられたとあってか、残りの敵たちは慎重に踏みとどまった。
 そして、武器を出した。全員がスタンガンだ。
 なるほど、あれで手っ取り早くアイちゃんを生け捕りにするつもりだったわけね。
 なんにしても、あんなのとまともに戦ってられない。
 風向きも良好なことだし、そろそろ武器を使うとしよう。
 あたしはジャケットの内側に手を入れて、ポケットサイズの催涙スプレーを二つ取り出した。それを両手に構え、敵に目掛けて噴射!
 サングラスのせいで目に直撃はさせられなかったけど、口や鼻から入った催涙ガスは男たちを呼吸困難に陥らせるには充分だった。
 その威力たるや、一人残らず地面に転がるくらいだ。
 さすが浜名君のカスタム武器。これなら目にも相当入っているだろうから、当分は行動できないはず。
 しかし威力がある分、ガスの容量が尽きてしまうのも早かった。これでもう手持ちの武器はない。空になったスプレー缶をジャケットの内ポケットにしまう。
 さて、あたしも研究所に行こうかな。明季たちはキョウの車で脱出したはずだから、あたしは自分の車に乗っていこう。ちゃんとスペアキーも持ってきてあるし。
 早足で駐車場に行く。すると――
「あああー!」
 タイヤがパンクしていた。しかも念入りに後輪が二つとも。
 スペアタイヤは一つしかないから応急措置もできない。どうせそんな時間はないけど。
「どうしてくれんの。これじゃあ帰れないじゃない!」
 表にはまだあいつらがいるからタクシーは拾えない。
 その時、メッセージの着信音が鳴った。
 見ると、発信者は和香さん。
「なんだろ?」
 新着メッセージのアイコンをタッチする。

 ごめんね、実は今朝、言い忘れてたことがあるんだけど、あのあと浜名君と優ちゃんにも応援を頼んだの。もうそろそろ着く頃だと思うから、帰る時は一緒に乗せてもらってね。

 そういうことね。帰る足が確保できてよかった。
 それにしても優ちゃんか。ミッション映像で見たことはあるけど会うのは初めてだな。
 とりあえず、危ないから早くここを離れよう。また車取りに来るの面倒だなぁ。
 心の中でぼやきつつ、来た道を引き返す。
 すると、複数の足音が聞こえてきた。
 表の連中に気付かれた? 
 身を隠す暇もなく、また同じ格好をした男たちが現れた。
 懲りないなぁ。十人が倒されてんの見て、どうして五人で来るかなぁ。
 と思ってはみたけど、今度は武器がない。不意打ちもできない。
 敵は全員スタンガン持ち。
 ……まずい、これ勝ち目ない!
 あたしは踵を返し、一目散に逃げ出した。
 ホテルの敷地は塀に囲まれているから外には逃げられない。
 こうなったらホテルに匿ってもらおう。 
 そう思い、裏口まで走ってドアノブを捻るが―― 
 開かない! 閉鎖されてる!
 すぐに足音が近付いてきた。
 ゾクリ、と悪寒が走る。
 本気でまずい。いくらなんでもスタンガンを持った五人に素手で勝つ方法なんて思いつかない。あの先端の部分に少しでも触れたらアウトなんだから。
 武道にしろ格闘技にしろ、強く打たせない、クリーンヒットさせないことはできても、全くかすらせもしないなんて、よほどの実力差があっても難しい。ましてや五対一ともなれば、すべての攻撃を回避するなんて不可能。
 男たちが追い付いてきた。
 あたしは無駄とわかっていながらも、ドアに背中を張りつけて少しでも距離を稼ぐ。
 男たちはスタンガンを前にかざし、ジリジリと間合いを詰めてくる。
 スタンガンで死ぬことはない。大怪我することもない。
 一定時間しびれて動けなくなるだけだ。
 でも、それだけで済むはずがない。
 きっと、あたしは動けなくされたあと連れ去られて、それで、それで――
 不意に、ゴッという鈍い音がした。
 男が一人、前のめりに倒れる。
 え……?
 そこに、制服姿の女の子がいた。
 小さな身体に、あどけない顔、ミニのツインテール。
 でも、その手に持っているのは、可愛らしい容貌とは不釣り合いな鍔付きの木刀。
 女の子が言う。
「わたし、悪い人には容赦しません」 
 直後、電光石火が走った。
「がっ!」
 気が付いた時には、木刀が男の側頭部を捉えていた。
 は、速……!
 男は一撃で昏倒した。
 別の男がスタンガンで女の子に襲いかかる。 
 女の子はすぐさま反応し、男の小手を打った。
「ぐ!」
 男の手からスタンガンが落ちる。ほぼ同時に、前屈みになった男の脳天に木刀が降り下ろされた。
 叩くように相手を打つ剣道のメンと違い、日本刀で斬り捨てるような打ち方だった。
 三人目も昏倒する。
 残り二人となった男たちは、あからさまに怯んだ。
 女の子は息も切らさず無表情のまま、再び木刀を正眼に構える。
 その姿に、さっきとは違う意味でゾクっとした。
 なんなの、この子……。この迷いのなさ、尋常じゃない。
 一方の男が、小声で隣の男に何かを言った。
 次の瞬間、二人が同時に女の子に襲いかかった――直後、左の男が喉を突かれ昏倒した。
「な――!」
 右の男が目を剥いて驚く。
 ほぼ同時に、男のこめかみを木刀が捉えた。
 最後の男が力なく昏倒。
 まるで屍のようにピクリとも動かなくなった男が五体、無残に転がった。
 それを見下ろすように立っているのが身長一五〇センチにも満たない女の子というのは、なんとも異様な光景だった。
「三波さん、大丈夫ですか?」
 女の子が駆け寄ってくる。
 一瞬ビクッっとしたが、さっきまでとは様子が違うことに気付き安堵した。
 女の子は穏やかな表情をしていた。
「あ、ありがと。助かったよ」
 緊張から解放されたせいか、身体中の力が一気に抜ける。
「三波さん?」
 ふらついて倒れそうになったところを女の子が支えてくれた。
「ご、ごめん。茅森優ちゃん……だよね?」
「はい。ここはまだ危険です。早く行きましょう」
「そだね」
 女の子の肩を借りて、よろよろと歩き出す。
 あたしカッコ悪いな。無計画に飛び出したあげく、年下の子に助けられるなんて。


 しばらく進むと、また男たちと遭遇した。四人。
 しつこいなぁ。アイちゃん一人さらうのに何人投入してんの。
 っていうか、もうターゲットここにいないんだけど? 的外れなんだけど?
 男たちは、そんなことお構いなしに迫ってくる。
 困ったことに、まだ身体に力が入らない。
 これでは優ちゃんの足手まといになってしまう。
「三波さん、大丈夫です」
 優ちゃんがささやきかけてくる。
「でも、今度はさっきみたいに不意打ちできないよ?」
「いえ、そうではなく……」
 優ちゃんが言い終わるや否や、男たちの足元にコロンコロンと金属音を立てて、丸い物体が転がってきた。
 え、あれって……。
 約二秒後、丸い物体が動きを止めたことで、その形状が明らかになる。
 ええ、手榴弾!?
 あたしは、とっさに優ちゃんをかばうように抱きつく。
 直後、くす玉が弾けるような音がした。手榴弾にしては音が小さい。
 見ると、男たちの周囲を白いガスが覆っていた。
「うわあああああ!」
 男たちの悲鳴。手榴弾ではなく催涙弾だ。
 視線を横にずらすと、そこには浜名君が。
 もう、まぎらわしいな!
 白い煙幕の中から、ゲホゲホと咳き込む声が聞こえてくる。
 効果は催涙スプレーと同じだ。これなら四人ともただでは済まないはず。
 と、思いきや。
 煙幕の中から男が一人、飛び出してきた。
 男は苦しそうに顔をうつむけながらも、浜名君に突っ込んでいく。
「あ、危ない!」
 あたしが叫んでも、浜名君はなぜか動かない。
 このままじゃやられる――と思った瞬間、男は浜名君の手前三メートルくらいのところで何かに足を引っかけて盛大に転んだ。
「ぐあああ!」
 男は痛そうに足を抱えて叫び声を上げる。
 その靴の裏をよく見ると、なにやらトゲトゲしたものが刺さっていた。
 あ、あれは、忍者が使うマキビシ! いつの間に!
 っていうか、なんでそんなん持ってんの!?
 浜名君は、とどめとばかりに男の額に麻酔弾を打ち込んだ。
 男はピクリとも動かなくなる。
 うわ、容赦ないな、この人も。武器使いってみんなこうなの?
「お二人とも、早く」
 浜名君に促され、あたしはハッと優ちゃんを放す。
 それから、近くに停めてあった彼の軽自動車のところまで案内された。
「では行きましょう」
 運転は浜名君、あたしと優ちゃんは後部座席に乗り込み、車は出発した。
 

 それからしばらく、追っ手が来ないか注意しながら後ろを見ていたら……。
 明らかにそれっぽいのが来た。
 いかにもな感じの黒塗りのセダンが猛烈な勢いで追いかけてくる。
 この軽自動車では逃げ切れそうもない。
 しかし、浜名君は動じることなく冷静に言う。
「茅森さん、あれを」
「はい」
 優ちゃんは座席の脇に置いてあった四角いケースから大きな銃を取り出した。
 その銃が本物でないことは一目でわかった。銃はプラスチック製で、オレンジ色の液体の入ったタンクが付いている。ペイント弾だ。
 優ちゃんは後部座席の窓を開ける。冷たい風が車内に入り込んでくる。
「連中の他に後続車がいないか、よく確認してください」
「はい」
 浜名君に言われ、優ちゃんはリアガラス越しに後方を見る。
 念のため、あたしも見る。
「確認しました。後続車は敵の一台だけです」
「ではお願いします」
 優ちゃんは窓から上半身を乗り出し、後続車目掛けてペイント弾を撃った。
 敵の車のフロントガラスにオレンジ色の塗料が付着する。
 敵はすぐさまワイパーを起動させるが逆効果だった。粘性のある塗料はワイパーでは拭い切れず、かえって塗料が広がる結果となった。
 視界をさえぎられた敵の車は、あえなくガードレールに激突。
 くるくると車体を回転させて後、動きを止めた。
 車がみるみるうちに遠ざかっていく。もう追ってくる心配はなさそうだ。
「敵、沈黙しました」
 優ちゃんは窓を閉め、風で乱れた髪を軽く整えながら報告する。
「ご苦労様でした。これで我々の任務は終了ですね。あとは研究所に戻って成り行きを見守りましょう」
 浜名君の言葉に安堵する。
 そっか、ようやく終わったんだ。
 時間にすればほんの二十分くらいだったけど、長かったなぁ。
 あたしはホッと一息ついて、シートに深くもたれかかった。
 それにしてもすごかったな。次から次へといろんな道具が出てくるんだもん。
 武器組恐るべし。今度あたしも教えてもらおうかな。
 ふと隣を見る。ペイント弾をケースにしまい終えた優ちゃんと目が合った。
「あ、あの」
 優ちゃんがあたふたしながら声を出す。
「ごあいさつが遅れました。わたし、茅森優といいます。三波さんのことは、野川さんから聞いています。どうか今後ともよろしくお願いします」
 優ちゃんは膝の上に手を置いて、ペコリと頭を下げてきた。
 礼儀正しい子だな。あと可愛い。
 さっき木刀で男たちを張り倒した子とは思えない。
「うん、こちらこそよろしくね。あ、あたしのことは名字じゃなくて名前で呼んでね。あたしも優ちゃんって呼びたいから」
「わかりました。では、海さんとお呼びしますね」
「うん」
 それから研究所に着くまで、ずっと優ちゃんとお話をした。
 話してみると、優ちゃんはやっぱりイメージしていたとおり、真面目で、しっかりしていて、優しくて、でも気が小さくて、すぐにあたふたしてしまう子だった。
 ただイメージと違っていたのは、やるべき時はやる芯の強い子だということ。
 あたしは、たとえ敵であってもなるべく傷付けたくないと思っている。そこは優ちゃんも同じ。でも、それができない場合。そうしないと自分や仲間が傷付いてしまう場合。  
 そんな時の心構えを、優ちゃんは淡々と語る。
「わたしは大切な人を守るためなら、敵を殺すくらいの覚悟で戦います。過剰防衛のことは考えません。法律は現地まで人を守りに来てはくれませんから。人を守れるのは、人の力だけです」
 言葉どおり、さっきの優ちゃんには迷いがなかった。
 木刀で頭を打ち据えるのは竹刀で叩くのとはわけが違う。打ち所が悪ければ死に至る可能性すらある。並大抵の精神力でできることじゃない。
 そんな優ちゃんが、
「あ、これはお父さんの受け売りであって、わたしが考えた言葉じゃないんですけどね」
 そう付け足して照れ笑いもした。
 どっちも同じ優ちゃん。二重人格とは違う二面性。
 この歳にしてこれほど割り切った考え方ができるなんて……。
 見た目や年齢はともかく、中身は立派なテスターだということを強く実感した。


 あたしたちが研究所に着いた頃には、すでに記者会見が始まっていた。
 今から会場に入るのはやめた方がいいとキョウに言われ、別室で生中継を見ることに。
 壇上に立つ和香さんが記者団の質問に受け答えする。記者たちの意地の悪い質問にも、何一つ偽ることなく堂々とした態度だった。
 ところが、調子に乗った記者たちがいやらしい質問を始めると、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。部屋の隅にいる明季や柴波たちにまで質問が飛んだ。
 そんな時、颯爽と壇上に姿を現したのがアイちゃんだった。
 アイちゃんは記者団たちを前に、少しも臆することなく堂々と名乗りを上げる。
 アイシャではなく、アルメリア・ベルナドッテと。
 いつものポニーテールではなく髪を下ろしたその姿は、今この瞬間に記憶が戻ったのかと思わせるほど高貴な雰囲気を醸し出していた。
 
 ――自分の力でできることを考え、実行してみてください。
 
 わかりやすくて、とても心に響く言葉だ。
 でも何かが足りない。あたしはそう思った。
 考えることはもちろん大事。でも考え方は人それぞれだから、具体的な指標がないと人は導けない。
 やっぱりあたしたちには、まだまだパズルを完成させるためのピースが足りない。
 世界に向けて研究所の意志を発信できるこのチャンスに、不完全な言葉しか伝えられなかったことを悔しく思った。
 アイちゃんの話が終わった後、記者団はさらに質問を続けようとしたが、明季と柴波がそれをさえぎり、半ば強制的に記者会見を終了させた。
 テレビがコマーシャルに入ったので電源を切る。
 さて、これで一件落着というわけにはいかないけど、とりあえず一段落はついた。
 テレビ放映されることで、ネットを見ない中高年の世代にも今日明日中にはVFシステムの存在が知れ渡るはず。
 これでもう権力者といえども誘拐や暗殺なんて真似はおいそれとできない。今そんなことをすれば世界中から注目を浴びてしまう。世間は犯人探しに躍起になる。そうなれば、権力の裏に巣食う自分たちの悪行まで世にさらすことになりかねない。スキャンダルを何より嫌う彼らが、そんなリスクを冒してまで行動を起こすことはないはず。
 こうして柳所長の目論見どおり事は順調に運んだけれど、それはあたしたちの身の安全が確保されたというだけで、これまでどおりミッションが継続できるかどうかはまだわからない。
 これからどうなるんだろう?


 記者会見が終わった後、テスター四名、ナビゲーター二名に対し、出勤停止の指示が出された。今後の方針が決まるまで待機するようにとのことだ。
 外出は普通にできるようになったので、今夜からまたキョウが夕飯を作りに来てくれる。今日一緒に来たのは優ちゃんと柴波だった。
 時刻は午後五時。
 夕飯の支度の前に、あたしたちはリビングで向き合う。
 今日四人が集まったのは食事をするためだけでなく、今後のことを話し合うためでもあった。
 四人分のお茶を配り終えたキョウがソファに腰を下ろし、話を始める。
「それじゃあ、今わかっていることを報告しますね。まず柳所長の容態ですが、幸い大きな問題はありませんでした。ただ、この一週間で衰弱した身体が元に戻るまで数日のリハビリが必要とのことです。現在は自宅に戻って療養を始めています」
 そっか、柳所長無事だったんだ。よかったぁ。
 キョウは続ける。
「次に今後の予定ですが、ミッションの再開がいつになるかは決まっていません。今のところわかっているのは、近日中に政府が派遣する調査団による研究所への立ち入り調査があるということだけです」
「立ち入り調査? なんで? 違法行為やってるわけでもないのに」
 あたしの不満に対し、柴波が皮肉っぽい笑みを浮かべて答える。
「違法じゃないからって放っておくわけないだろう? もしVFシステムの再現する未来が本物なら、使い方次第では世界の覇権だって握れる代物だ。誰だって手に入れられるものなら手に入れたい。とはいえ、公表された映像と和香の発言だけでは信憑性に欠ける。だからまずは調査させろって話だ」
「じゃあ調査して本物だったら、政府が押収しちゃうわけ?」
「そうはいかねえさ。そんなことしたら余所の国が黙っちゃいない。日本にシステムの恩恵を独占されちゃ困るからな。かといって、強引に手を出せば戦争にも発展しかねない。しばらくは各国が牽制し合いながら調査を進めていくような状態が続くだろうよ」
「じゃあ、あたしたちは何をすればいいの?」
「残念ながら」
 キョウが答える。
「今の俺たちにできることはありません。次の指示があるまでひたすら待機です」
「そんな……何もできないなんて。なんとか、所長や和香さんの力になれないの?」
 あたしの言葉に対し、キョウは首を横に振った。
「下手に動いてはかえって危険です。特に適性率のことが知れ渡れば、今度は海さんが最重要人物としてマークされるかもしれません。ここは辛抱してください」
「うん……」
 視線を落とし、小さく頷いた。みんなに迷惑はかけられない。
「報告は以上です。また新しい情報が入ったらすぐにお知らせします。何か気になることがあったらいつでも聞いてください」
 キョウがソファから立ち上がる。
「じゃあ、今から夕飯の支度をしますので、しばらく寛いでてくださいね」
 少しぎこちない笑顔でそう言って、キッチンの方へ歩いていった。
「ハァ……」
 あたしはため息をつき、ソファに深くもたれかかる。
 それから、「こういう時テスターって無力なんだな」と言おうとしてやめた。
 あたしはともかく、他の三人まで無力だなんて決めつけるのはよくない。
「海さん、落ち込まないでください」
 優ちゃんが優しく声をかけてくれる。
「この先きっと、わたしたちの力が必要になる時がきます。それまで、みんなを信じて待ちましょう」 
 すごいな優ちゃん。あたしより七つも年下なのに、こんなに落ち着いてられるなんて。
 これ以上優ちゃんにカッコ悪いところは見せられない。
「そうだね」
 気を取り直して、今できることを前向きに考えてみることにした。
 ……あ、そうだ!
 さっそく思い付いたあたしは、柴波を見る。
「そういえば、あんたもあの事件の現場にいたんだよね? あたしまだ詳しいこと聞いてないからさ、知ってること教えてよ」
「ん、そうだな。テスター同士で情報共有はしておかないとな」
 それから、あたしと優ちゃんは誘拐未遂事件以降の詳しい経緯を説明してもらった。
 明季が銃で撃たれたこと。
 バーチャル・スペース・システムという装置を使って窮地を脱したこと。
 ベルナドッテ家が研究所のスポンサーで、権力者からにらまれていること。
 重要なことを次々と聞かされて、ちょっと頭が混乱した。
 でも詳しい事情を知ったことで、ようやく明季たちに追いつけた気がして安心もした。
 

 さて、話は一段落したわけだけど、料理ができるまでまだ時間がある。
 今のうちに話しておくべきことはと考えて思い浮かぶのは……やっぱりあのこと。
 ちょうど目の前に事情を知っている人がいるので聞いてみる。
「ねえ、話は変わるけどさ、閲覧禁止になった明季のミッションのこと教えてくれない?」
「え、柴波さん、知ってるんですか?」
 優ちゃんが驚きの声を上げた。
 この子も気になってるんだ……。
「なんだよ、いきなり。ダメに決まってるだろ」
 柴波は素っ気なく返してきた。
「なんで? 教えてくれたっていいじゃん。ね、優ちゃん?」
「は、はい! わたしも聞きたいです」
 柴波は顔をしかめる。
「ダメなものはダメだ。閲覧禁止になってんだから、それくらいわかるだろ」
 うむむ、一筋縄じゃいかないか。
 それじゃあ取っておきの隠し玉を使おう。
「そういえばさぁ、あんたが初めてここに来た時、取引したじゃない? あたしが武道の技を教える代わりに、あんたはミッション映像のこと話すって。あたしまだ何も聞いてないんだけど?」
 優ちゃんの手前、不法侵入とは言わないでおいてあげた。
 でも、柴波の表情は変わらない。
「おいおい、今さらあれを蒸し返すのかよ。自分から権利放棄したんだろうが」
「放棄なんてしてないもん。保留しただけだもん。あたしはあの時『帰って』と言っただけで、『話さなくていい』とは言ってないでしょ?」
「それは、ちと苦しくないか? 保留するにしても、その場で言わなきゃダメだろ普通」
 やはり難色を示す柴波。
 苦しいのはわかってる。でもここは押し通す!
 あたしは、ちょっと大げさに口を尖らせた。
「でも約束は約束でしょ。こういう時だけ細かいこと言わないでよ。普段はもっと大雑把なくせに」
 それでも、柴波は首を横に振った。
「ダメだ、あの時とは状況が違う。あのミッション映像については絶対に誰にも話さないと和香と約束した。いくらあんたの頼みでも、パートナーとの約束は破れない」
 ちっ、和香さんの名前出してきやがったよ。しかもパートナーときた。
 これは絶対崩れないな。
 ……仕方ない、ここは一旦引き下がる振りをして、後でさりげなくヒントでも出してもらおう。
「もういいよ。優ちゃん、あんなヤツ放っておいて二人で推理しようね」
 あたしは二人用ソファの隣に座る優ちゃんに、横からピッタリとくっついた。
「ねえ、優ちゃんはあのミッションで何があった思う?」
「う〜ん、そうですね……」
 優ちゃんは少し考えるようにしてから答える。
「やっぱり、海さんが関係していると思います。あの時点でテスターは野川さんと海さんだけでしたから。未来の海さんに会ってしまったとか、もしくは、海さんの関係者に会ってしまったのかもしれません」
「関係者かぁ。それだと心当たり多すぎだよ」
「だったら、海さん本人に絞って考えてみましょうか。野川さんが四十年後の海さんに会ってしまったという想定で」
「四十年後のあたしかぁ、想像したくないな」
 六十二歳だもんね。もう還暦過ぎてるよ。
「で、明季が未来のあたしに会ったとして、どうなったんだろ?」
「それはわからないですけど、何もなかったってことはないはずです」
「だよねぇ。ただ会っただけなら隠すほどのことじゃないもんね。知られちゃまずいことが何かしら起きてるはずなんだよね」
「はい。でも、未来の海さんに会ってすぐにリセットしなかったということは、途中まで気が付かなかったってことです。もしそうなら……おかしいですね」
 優ちゃんは首を傾げた。
 あたしもつられて同じ動作をする。
「変だよね。四十年後とはいえ、お互いに気が付かないなんて。明季はともかく、未来のあたしが明季を見て何とも思わないなんてなさそうだよね。いや、ないよ」
 六十二歳でそこまでボケてるはずはない。
「そう考えると、海さん本人の線は薄いかもしれませんね」
「じゃあ、あたしの関係者?」
「海さんだけでなく、海さんと野川さん共通の関係者じゃないでしょうか」
「あたしと明季の?」
「はい。もちろん研究所の人以外で。心当たりはありませんか?」
 あたしは、また首を捻る。
「う〜ん、あたしも明季も友達少なかったからなぁ。共通のとなると皆無に等しいんだよね。昔の同級生だって、四十年も経ってればパッと見わからないだろうし」
「じゃあ家族は? 海さんの家族と野川さんは知り合いではなかったんですか?」
「ううん、うちの親は明季のこと知ってるよ。でも、四十年後には九十歳近いし、仮に生きてたとしても明季のことわかんないかも……」
「じゃあ家族は家族でも、これから生まれる家族だったらどうでしょう? 例えば、海さんの子供とか」
「あ、あたしの!?」
 驚きのあまり声が裏返ってしまった。
「は、はい」
 優ちゃんは気まずそうに返事をする。
 子供って、あたしが生む子供だよね? 
 だったら相手は?
 明季? キョウ? それとも――
 あたしは斜め前の席に座る柴波に、チラッと目を向けた。
 柴波は真顔のまま表情を変えることなく、こちらを見ていた。
 あたしはサッと目を逸らす。身体が熱い。
 ううう、聞かなきゃよかった。
 確かに子供の線はあるけど、今ここで話すのはダメだ。恥ずかしい。
「ごめんなさい。この話はやめましょう」   
 優ちゃんはあたしの気持ちを察してくれたのか、そう言ってくれた。
「それがいい。いくら推理したって所詮は憶測だ。わかりゃしねえよ」
 いきなり柴波が口を挟んできた。
 その無遠慮な物言いに、あたしはムッとする。
「だったら教えてよ。そうすれば解決するんだから」
「いや、それよりもっといい解決方法がある」
「なに?」
 すると、柴波はニヤリと笑ってから自信たっぷりに言った。
「俺が野川のこと忘れさせてやるよ」
「……は?」
 言葉の意味がすぐには理解できなかったので、少し頭を捻らせる。
 えーと、今のって、明季のこと忘れるくらい夢中にさせてやるってこと……だよね。
 まさか頭殴って記憶飛ばすわけじゃあるまいし。
 ってことは、これって告白? あたし告白されたの?
 気まずさのあまり、とっさに目を背ける。
 柴波は構わず言葉を続けてきた。
「野川のことが頭にこびりついてるせいで新しい一歩を踏み出せないなんて、馬鹿げてると思わないか? 既得権益の亡者じゃあるまいし、いつまでも過去にしがみつくな。前を向け。人類の未来を変えるテスターが、自分の未来を変えられなくてどうする?」
 その言葉は、あたしの胸をグサリと刺した。
 ――既得権益の亡者。
 言われてみれば、過去にしがみついている点ではあたしも同じ。
 人類の敵と同じだなんて、なんたる屈辱。
 でも、だからって、だからって――
「な、なんであたしなの? 和香さんの方があんたの好みって感じがするんだけど」
 とっさにそんなことを言ってしまう。
 馬鹿だ、あたし。和香さんの方に振り向かせてどうすんの? もし柴波が本気にしちゃったらまずいでしょうに。
 でも柴波は、あたしの心配を余所に平然と言い放った。
「俺に人妻を寝取る趣味はない」
「え……!」
 リビングが静寂に包まれた。
 遠くから包丁のトントンする音だけが聞こえてくる。
 柴波は無表情。
 優ちゃんは事情を知らないのか、キョトンとしている。
「し、知ってたの?」
 あたしは、やっと声を出した。
「なんとなくそんな気がしたから調べてみたんだよ。所長の娘なら歳は俺より若いか、せいぜい同い年ってとこだろう。けど、そうは思えなかった。見た目はともかく、口調や態度がな。そしたら案の定だ」
 柴波は騙されていたことを悔しがる様子もなく、淡々と語った。
 あたしは脱力して、ため息をついた。
「なんだぁ、バレてたのかぁ」
 すると、柴波は一変して不満そうな表情をする。
「なんだ、そのつまらなそうな態度は。和香に不倫してほしかったのか?」
「いや、そうじゃないけどさ。見てておもしろかったから」
「ふざけんな」
「ごめんごめん。それは謝るよ」
 あたしは顔の前で手を合わせた。
「もういいよ」
 今度は柴波がため息をついた。
 よかった、そんなに怒ってないみたい。
 それから改めて質問する。
「じゃあ聞くけどさぁ。もし和香さんが独身で二十代だったらどう? 好きになりそう?」
「人妻が人妻でなかったと想定しろ言われても難しいが……まあないな」
 驚いた、バッサリだよ。
「なんで? 子供っぽい子が好みなの?」
 自分で子供っぽいとか言っててむなしいけど。
「違うな。子供っぽいとかじゃなくて、気楽に付き合える相手がいいんだよ。俺は恋人と駆け引きなんかしたくない。和香やアイシャみたいなのは仕事仲間としては頼りになるが、恋愛関係となれば別だ。俺はああいうのと一緒にいても心が休まらないんだよ」
「なんか、あたしのこと遠回しに馬鹿にしてない? 単純だって」
「言っとくが単純と馬鹿は別物だぞ。単純なのは別に悪くない。むしろ単純な方が、お互いの気持ちがわかりやすくていい。恋人といちいち腹の探り合いをするなんざ、まっぴらごめんだ。あんたは、あんたが思ってる以上に魅力的なんだよ」
 柴波は決して目を逸らさず、まっすぐにこちらを見つめてきた。
 あたしは何がなんだかわからなくて、すぐには返事ができなかった。
 魅力的だなんて言われたの初めてだから……。
 スポーツや武道ではたくさん褒められてきたけど、あたしの性格が褒められたのは初めてだった。正直、すごく嬉しい。でも――
「あ、あのねぇ、優ちゃんがいる前でそんなこと言わないでよ!」
 恥ずかしさのあまり、ついつい話を逸らしてしまう。
 とことんダメだな、あたし。 
 こんな時だというのに、優ちゃんがどんな顔して聞いているか気になって見てみる。
「え? あ、はい!」
 何も聞いてないのに、優ちゃんは突然返事をした。
 えらく熱心に聞き入っていたみたいだ。
「本人は興味津々みたいだな」
 柴波は勝ち誇った表情で言う。
「あ、いや、わたしは……」
 優ちゃんはあたふたとごまかすが、さっきの表情で本心はバレバレだ。
 ちょっとずるいかなと思いつつも、柴波の告白めいた話をあやふやにするために、あたしは優ちゃんに尋ねてみた。
「優ちゃん、恋愛の話に興味あるんだ? もしかして今、気になってる人とかいる?」 
「いえ、わたしは、まだ……」
 もじもじする優ちゃんかわいい。これはいじわるしたくなるタイプだな。
 こうなると是が非でも聞き出したい。
 どうやって攻略してやろうかな、と思った矢先、柴波に口を挟まれた。
「野川だろ?」
 優ちゃんの身体がビクンと跳ねた。
 え、この反応、ほんとに明季なの?
「いえ、まだ好きってわけじゃ……」
 はっきりしない態度だけど、少なからず好意を抱いているのは間違いなさそうだ。 
 まさか優ちゃんまで……。明季ってそんなモテキャラだったけ? 信じられない。
 優ちゃんはそれ以上何も言わない。
 あたしも興味本位でこれ以上聞く気にはなれなかった。
 短い沈黙を破ったのは柴波だった。
「ちょうどいい機会だ、茅森にも言っておいてやる。茅森と野川は性質が似ている。会って間もないのに親しくなれたのはそのおかげだろう。だが、お前たちみたいなタイプは、似ていることがかえって障害になって進展しないことが多い。お互い引っ込み思案なんだからな。兄妹になれても恋人にはなれない。いいか、野川みたいなのを落とそうと思ったら、果敢に攻めなきゃダメだ。それも正攻法じゃなく、これでもかってくらい搦め手を使ってな」
「か、搦め手……!」
 優ちゃんはゴクリと固唾を飲んだ。
 搦め手とは、要するに相手の弱点とかツボを徹底的に突くことだ。
「こ、こら! 優ちゃんに余計なこと教えちゃダメ!」
 あたしは優ちゃんを魔の手から守るように、横からギュッと抱き締めた。
「本人は聞きたがってるみたいだぞ?」
 あたしは柴波を無視する
「優ちゃん、騙されちゃダメだよ。優ちゃんは今のままでいいからね。だいたいあいつ、さっきは単純なのがいいって言ってたくせに、今度は搦め手とか言ってるんだよ。おかしくない?」
「おいおい」
 すぐさま柴波が抗議してくる。
「それはタイプによるだろ。野川みたいなのには搦め手、俺みたいなのには正攻法がいいんだよ。そういった意味では、茅森には案外さわやかタイプの高羽が合ってるかもな」
「え、高羽さんが?」
 あたしの腕の中で優ちゃんがパッと目を開いた。
「何度か送り迎えしてもらって、それなりに話したことあるんだろ? 歳も近いし、すでにアイシャにぞっこんの野川より遥かに現実的だと思うがな。どうだ、このあと声をかけてみたら」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 あたしは優ちゃんから手を離し、ソファから勢いよく立ち上がった。
「キョウはダメ! キョウは、その……あたしのご飯作ってもらわなきゃなんないんだから!」
 自分でも何が言いたいのかわからなかった。
 柴波は目を丸くする。
「ご飯って、その言い方ひどくないか? それじゃ家政夫だろうが」
 うう、確かに。
 そうじゃなくて、キョウは、キョウはあたしの――
「家政夫じゃなく、専業主夫というのはどうでしょう?」
 不意に、視界の外から低く深みのある声がした。
 振り向くと、そこにはトレイを持ったエプロン姿のキョウが。
「皆さん、料理ができましたので部屋を移ってください」 
 あたしたちは話を中断し、リビングからダイニングへと移動した。
 席に着くと、キョウがトレイからスプーン、フォーク、お皿という順に配っていく。
 私服姿であっても執事モードの時と変わらない流麗な動作だ。
 今日は洋食みたい。
 全員分の食器が行き渡ったところで、柴波が尋ねる。
「高羽、さっき家政夫じゃなく専業主夫と言ったな?」
「はい。言いましたが?」
「それじゃあ雇われてるか夫婦かってだけで、家事全般を引き受けることに変わりないだろうが。それでいいのか?」
「何がいけないんです?」
 平然と聞き返すキョウに対し、柴波は呆れるようにため息をついた。
「あのなぁ、お前みたいに甘やかしてたら、三波が本当のダメ女になっちまうぞ」
「ちょっと、勝手に決めつけないでよ!」
 あたしは抗議するが、
「じゃあ、ちゃんと一人で家事ができるのか?」
「う……」
 一瞬で黙らされてしまった。
 助けを求めるようにキョウの顔を見上げる。
 そんなあたしに、キョウは慈しむような笑顔を向けてくれた。
「家事ができなくたって、海さんはダメ人間なんかじゃありませんよ」
「なぜそう言いきれる?」
 あたしの代わりに柴波が尋ねた。低く、威圧するような声で。
 そんな柴波の態度にもキョウは笑顔を崩すことなく、堂々と答える。
「海さんには、海さんにしかない特性があります。それに比べれば家事が苦手なくらい些細な欠点です。そもそも人は支え合う生き物です。家事が苦手なら、それを補う人間が身近にいればいい。海さんの特性を最大限に活かすには、専業主夫となる人間が必要なんですよ」
 専業主夫。主夫。夫。
 そ、それって、告白どころかプロポーズ? あたし、プロポーズされてるの? 
 いや、違うよね。もののたとえだよね?
 しばらくしてから、柴波がポツリと言う。
「専業主夫か。俺にはない発想だな」
「それは柴波さんも、どちらかというと世話してもらうタイプだからですよ。それじゃあ恋人として付き合ってる間はまだしも、その先困りますよ?」
「その先って、未成年のくせにそこまで考えてんのかよ」
 柴波は苦笑しながら返す。
 でもキョウは大真面目だった。
「何言ってるんですか、未来のことを考えるのが俺たちの仕事でしょう? 自分の未来を冷静に考えられない人間に、人類の未来が考えられますか?」
「言ってくれるじゃねえか」
 柴波がギロリとにらむ。
 キョウは余裕すら感じられる表情で、柴波を見返した。
 いつかのような一触即発状態に、あたしは焦る。優ちゃんもおろおろしてる。
 ケ、ケンカはやめて! 二人とも仲良くして!
 すると、あたしの祈りが通じたのか、二人は同時にフッと笑った。
「腹が減ったな。とりあえず飯にしよう」と柴波。
「そうしましょうか」とキョウ。
「え、え? 急にどうしちゃったの?」
 あたしが聞くと、二人同時にこちらへ顔を向けてきた。
「誰かさんがケンカ嫌いなのを思い出してな」
「それに、俺たちがいくら言い合ったって、結局最後に決めるのは本人ですから」
 え、あたし?


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