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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第2回 一章 自然都市(前編)
 

 三波海(みなみうみ)は類い稀なる運動能力の持ち主である。
 小学生の頃は特にこれといったスポーツ団に所属していなかったが、体育の授業や運動会でその能力を大いに見せつけた。
 中学校に入学すると、評判を聞いた様々な運動部から勧誘を受けるも、そのすべてを断り、僕が通う合気道の道場に通うようになる。
 それからわずか一年で、四年間習っていた僕を手玉にとり、さらにもう一年が経つ頃には、先生以外は誰も敵わないくらいの技を身に付けてしまった。
 せっかくの才能、試合で生かしてみてはどうかという先生からの提案で、高校では柔道部に入部する。ここでもわずか一年で頭角を表し、二年生の夏には全国ベスト8まで勝ち進み、翌年には全国優勝を果した。
 当然、大学強豪校からのお誘いも引く手あまた。かなりの好条件が出され、在学中にオリンピック出場、金メダルも夢ではないとまで言われたが、海はあっさりとこれを辞退。僕と同じ大学を受験し、平凡な大学生活を送った。
 もちろん説得した。何度もした。
 海の両親と一緒になって説得したこともあった。
 でも、海は「あんまり目立ちたくない」の一点張りで柔道を続けようとはせず、また僕が通う合気道の道場に戻ってきた。
 そして四年の間に、名人と呼ばれた先生をも凌ぐ術技を身に付けた。
 僕もずいぶん腕を上げたつもりだったが、海のそれは桁違いだった。まるで重力を操っているかのようにポンポン人を放り投げる。海に頼めば一瞬だが無重力体験ができると言われたくらいだ。
 海は決して筋力が強いわけではない。体格も標準的だ。腕相撲みたいな単純な力比べなら小柄な僕にも勝てない。にも拘らず容易に技を決められるのは、相手の力を使うのが抜群に上手いからだ。相手が力を出す瞬間を見極め、その流れに自分の力を上乗せすることで自分より遥かに大きな男を投げ飛ばす。それをいとも簡単にやってのける天才なのだ。
 しかし、合気道には試合がないため注目を受けることもなく、次第に世間から忘れ去られていく。
 海は大学四年生になっても就職活動をせず、夏休みに入った頃から家に引きこもるようになった。オリンピックで金メダリストになれるかもしれないほどの才能を持つ海が、引きこもりになった。
 いったい何をしているのかと尋ねても、「勉強してる」とか、「本を読んでる」とか言うだけで、何のためかは教えてくれない。
 身体の具合が悪いとか精神的に追い詰められているとかいう様子ではなかったので、深くは追求せず放置しておいたのだが……。
 その海が突然、こんなことを言う。
「明季、実はね、あたしもテスターやることにしたんだ」
「は……?」
 予想外の言葉に、僕はあっけらかんとする。
「じゃあ行くよ。近くのファミレスでいいよね?」
 海は返事を待たず、エンジンをかけ車を発進させた。
 ハイブリッドカーだけあって音は静かだ。
 車が走り出してしばらく、僕は助手席から海に尋ねる。
「海、どうして言ってくれなかった?」
「言ったら明季、やめろって言うでしょ?」
 海は正面を向いたまま答えた。あくまでも安全運転だ。
「当たり前だ。ミッションは遊びじゃない」
「失礼だなぁ。そのくらいわかってるよ」
「けど――」 
「あ、今さらやめろたって遅いからね。もう車買っちゃったんだし」
 赤信号で車が停止。
 ブレーキをずっと踏んでいるのが面倒だからと、停車のたびにギアをニュートラルに入れるのは相変わらずだ。
 こちらへ顔を向けてきた海に、僕は言う。
「海、ミッションは運動が得意なだけでできるものじゃない。政治、経済、歴史、宗教、あらゆる知識がなければミッションで効率良く成果を上げることはできないんだ」
「わかってるよ。だからこの一年、猛勉強したんじゃない」
 そういうことだったのか。勉強していたなら、ただの引きこもりじゃないな。
 だが問題はそこではない。
「でも、海……」
 言いかけたところで信号が青に変わり、車が発進する。  
 その時、後部座席でずっと黙っていたアイシャがよく通る声で口を挟んできた。
「明季、海さんは適性試験をパスしています。学科の方はギリギリでしたが、それを補って余りある能力がありますから問題はありません」
「そういうことじゃない!」
 思わず大きな声を出してしまった。
 しかしアイシャは動じることなく、僕の心を見透かすような言葉を返してくる。
「海さんが心配だからですか?」
 僕も本心を隠すつもりはない。
「そうだ、海が心配だ。だって、下手をすれば廃人なるかもしれないんだぞ」
「それは明季も同じです」
 淡々とした口調のアイシャ。
「だけど……!」
「明季、あなたは自分勝手です。あなたが海さんを心配するように、海さんもまた、あなたを心配しているのですよ」
 これ以上ないくらいの正論に、僕は言葉を失う。
 そこへ畳み掛けるように海が声を発した。
「そうだよ。どうしてもあたしにやめろって言うなら、明季にもやめてもらうからね。だいたい、研究所やめちゃったらあたしどうすればいいの? 今さら柔道界に戻るなんてできないし、就職だって難しいし。それとも明季、あたしのこと養ってくれる?」
 海は小悪魔のような笑顔で、チラッとだけこちらを見てくる。
「いや、それは……」
「でしたら、明季に海さんのことをとやかく言う筋合いはありません」
 アイシャが、すかさず海を援護した。
 なんだこの二人、妙に息が合ってるな。打ち合わせでもしてあるのか?
「とにかく、あたしの決意は揺るがないんだから、暗い話はもうやめ! ほらもう着くよ」 
 海が言い出したら聞かない奴だってことは嫌というほど知っている。オリンピック出場という栄光さえあっさり蹴ったくらいだ。こうなったらもう説得する術はない。
「ハァ……」
 僕はため息をつき、がっくりとうなだれた。
 

 平日とはいえ昼時ともなるとファミレスは混雑していた。
 車のエンジンが止まったところで、後部座席のアイシャが言う。
「お二人ともわかっていると思いますが、店内でミッションの話は……」
 僕は振り向いてコクッと頷く。
 VFシステムの存在は極秘だ。未来のことがわかる装置なんて公にしたら、間違いなく悪用せんとする輩が続出する。こんな普通のファミレスで聞き耳立てている奴がいるとは思えないが、用心に越したことはない。
 しかし、海はそこまで気が回っていなかったようだ。
「あ、そっか! じゃあ、あとで詳しく聞かなきゃね」
 そう言って、テヘヘと笑ってごまかした。
 本当に大丈夫か? こんなのがテスターで。
 僕たちは入店し、席に着く。
「さーて、なんにしよっかなー」
 メニューを受け取ると、海は目を輝かせながらページをめくった。
 僕とアイシャもメニューをめくる。
 海の隣にアイシャ、その正面に僕という席位置だ。
 ここと同じ系列の店には何度か来たことあるが、メニューが豊富で毎回迷うんだよな。
「ええと、これと、これと、これかな」
 海は注文が決まったようで、僕の方を向いた。
「ねえ、明季はなんにする?」
「ん、これにする」
 僕は舞茸雑炊(328キロカロリー)の写真の上に指を置いた。
 すると、海はあからさまに表情をしかめる。
「はぁぁ? 病人じゃないんだから、もっと食べなきゃダメだよ」
「いや、今はミッションの影響で食欲がないから……」
「だからってそんだけじゃ足りないでしょ。ねえ、アイちゃんも何か言ってよ」
 海はアイシャの方へ視線を移した。
「そうですね。海さんの言うとおり、それでは少な過ぎます。明季、あと300キロカロリーほど追加してください」
「え……!」
 アイシャからの意外な指摘に困惑する。しかも具体的な数字まで。
「今日に限ったことじゃないけど、明季はもっと食べなきゃダメだよ」
 アイシャからの援護を得た海は得意気だ。
 やっぱり二人とも裏で組んでるだろ――と思いきや、
「海さんは多過ぎです。あと450キロカロリーほど減らしてください」
 そうでもなかった。
「ええー、なんで? いいじゃん!」
 子供みたいに駄々をこねる海。
 アイシャは母親が子供に諭すように言う。
「よくありません。いいですか、お二人とも。これからは食事にもちゃんと気を配ってください。体調管理も大事な仕事のうちなのですから」
 それは一理あるな。
 しかし、海は納得できないようで、なおも食い下がる。
「でも、それじゃあデザート食べらんないじゃん」
「食べる必要はありません。言っておきますが、食後のデザートは身体に毒なんですよ。過剰な糖分摂取は肥満の原因になりますし、食後のフルーツは消化不良を起こしやすく肌荒れの原因にもなります」
「ううう、そんなぁ」
 涙目になってうなだれる海。
 だが不平を言いつつも、
「じゃあデザートやめる……」
 と小さく告げた。
 アイシャの言うことは聞くのか!? 
 ……ここは僕も従っておいた方が良さそうだな。
 僕は舞茸雑炊をやめ、鯖(さば)の味噌煮定食(645キロカロリー)を注文することにした。良く噛んでゆっくり食べれば胃にもたれることもないだろう。
「ところで、アイシャはどれにする?」
「わたしはこれと、これにします」
 アイシャが指したのは、ほうれん草のカルボナーラ(505キロカロリー)と、シーザーサラダ(229キロカロリー)だった。
 どうやら、アイシャは少食でも大食でもないようだ。
「みんな決まった? 注文するよ」
 海が店員呼び出しボタンを押した。


 それから待つこと十五分。
 海の注文したハンバーグセット(995キロカロリー)が一番に届いた。
「いただきまーす」
 海は嬉しそうにナイフとフォークを手にし、ハンバーグの切り分けを始めた。
 それから、ハンバーグ、ライス、サラダを次々と口に放り込んでいく。
 相変わらず食べるのが速い。
 僕とアイシャの料理が届く前に食べ終わってしまいそうな勢いだ。
「海さん、一度食事を中断してください」
 唐突にアイシャが言う。表情が冷たい。
「ん?」
 海は目を丸くしながら、フォークを口に運ぶ動作を中断する。
「どしたの、アイちゃん?」
「どしたのじゃありません。もっとよく噛んで食べてください」
「え? あ、うん」
 海は素直に返事をして、さっきよりは幾分ゆっくり食べる。
 しかし、一分もしないうちに――
「海さん、元に戻ってますよ」
 アイシャに注意された海は、めんどくさそうな顔をする。
「いいじゃん、そんな細かいこと。戦場では速く食べるのが大事だって、どっかの軍人さんが言ってたよ」
「ここは戦場ではありません。誰も海さんの料理をとったりしません。早食いは身体に毒ですから、ちゃんと噛まないとダメですよ」
「えー、そんなこと言われても勝手に飲み込んじゃうんだよぉ」
「一度に口に入れる量が多いからいけないんです。もっと少しずつ食べてください」
 海は不満そうな顔をしながらも言われたとおりにする。
 その時、僕とアイシャの料理が同時に届いた。
 しかし、アイシャはそれには目もくれず、海に指導を続けた。
「海さんは水を飲み過ぎです。それでよく噛まずに飲み込むのが癖になってるんです」
「うー」
 海は口にものを入れたまま返事をする。
「ちゃんと飲み込むまで次の料理にフォークを刺さない」
「うー」
 だんだん涙目になってくる海。
 本人の行儀の悪さがいけないとはいえ、見ていてかわいそうになってきた。
「アイシャ、もうそのくらいで……。アイシャの分も届いてるんだし」
「ですが、目を放すとまた元に戻ってしまいますよ」
「だからって、ずっと見張ってるわけにもいかないだろう?」
 僕はそう言って、アイシャから海に視線を移す。
「海、アイシャに注意されなくても、ちゃんと自分でマナーを守れるな?」
「うん、守れる!」
 海は元気よく返事をした。
 正直、当てにならない。
 でも、この場を収めるには納得しておくしかない。でないとキリがない。
「わかりました。ですが、くれぐれもお忘れにならないでください。正しい食生活こそが健康管理の基本ですので」
 ようやくアイシャは引き下がってくれた。
 いくらなんでも厳し過ぎる。もし、海のナビゲーターもアイシャが担当するのだとしたらストレスケアどころじゃないぞ。研究所なら当然そのあたりは考慮してくれると思うが……。
 まあいい、とりあえず僕も食べるか。 
 海ほどひどくはないが、一人で食べることが多いから、僕も普段あまりマナーは意識していない。アイシャに注意されないよう気を付けなければ。
 食事を楽しむ余裕がすっかりなくなった僕たちは黙々と料理を口に運ぶ。
 そこで、ふと気になった。アイシャのテーブルマナーはどうなのだろうと。
 人に注意しておいて自分ができていないはずはない。
 これもマナー違反かなと思いつつも、僕は正面に座るアイシャの様子をこっそり伺う。
 洋食のテーブルマナーについてはそれほど詳しくないが、アイシャのそれが完璧であることはなんとなく雰囲気でわかった。
 本場イタリア人のようにスプーンを使わずフォークのみでくるくると器用にカルボナーラを巻き取り、ソースを一滴も飛ばすことなく口に運ぶ。
 もちろん、蕎麦をすするような音は立てない。
 サラダを食べる時もそう。
 日本人のように食器を持ち上げることなく、左手は添えるだけ。トマトやきゅうりはともかく、フォークでは突き刺しにくいレタスまで一度も取りこぼすことなく口に運ぶ。
 その一連の動作は優雅とすらいえた。ここは街中のファミリーレストランだというのに、まるでアイシャだけは高級レストランで食事をしているような錯覚を起こすほどだった。
 どう見ても一朝一夕でできるものではない。幼い頃からそういう教育を受けている感じだ。もしかして、アイシャの実家はとんでもなくお金持ちではなかろうか……。


 ともあれ、食事が済む。
 混雑している時に長々と居座っては待っている客に悪いので、僕たちは早々に会計を済ませ、ファミレスをあとにした。
 それから、アイシャを最寄りの駅まで送る。
 この辺りで一番大きく、建物がデパートと一体になっている総合駅だ。
 駅周辺にもカフェやファーストフードがあり、平日の昼間でも活気がある。
「それではお二人とも、今日はご苦労様でした。また明日お会いしましょう」
 アイシャは丁寧にお辞儀をしてからポニーテールを翻し、改札に向かって歩いていく。
「じゃあね〜」
 手を振る海に、アイシャは軽く振り返って小さく手を振った。
 彼女がどこに住んでいるのか、家族はいるのか、気になることは多いが、慌てて聞くべきではない。ミッションを進めていくうちに自分から話してくれるのを待とう。
 僕は海に顔を向ける。
「さて、これからどうする?」
「じゃあ明季の家に行っていい? ミッションで見た未来のこと教えてよ」
「そうだな」
 公共の場でミッションの話はできないとなると家しかない。
 僕と海は再び車に乗り込んだ。


 現在、僕は一人暮らし。
 研究所まで徒歩とバス合わせて二十分ほどの郊外にあるマンションに住んでいる。
 建物は新築の十四階建てで、見晴らしのいい最上階。間取りは2LDK。
 研究所が特別に手配してくれた物件だけあって申し分ない。
 海は部屋に上がると、あっちこっち見て回って「わぁ」と感心するような声を上げた。
「いいお部屋だね。あたしもこんなとこに住みたいなぁ」
 それから、僕が寝室として使っている部屋に入り、ベッドにダイブ。
 枕を抱きしめて、「う〜」と妙な声を出しながらゴロゴロし始めた。
 子供か!
 僕は頭を抱えたくなった。
 こんなのがテスターになっていいのか? いや、むしろ逆か? このくらい神経が図太い方がいいのか?
 あまり布団がくしゃくしゃになっても嫌なので、僕は「海」と呼び止める。
「なあに?」
 海はベッドにうつぶせ状態で止まり、顔を半分だけこちらへ向けてきた。
 その表情に悪びれた様子はない。
 このまま放っておいたら部屋中駆け回って遊び出しそうだ。
 だから早いところ重要な話を始める。 
「海のミッションはいつから始まるんだ?」
「ん、来週からだよ」
「早いな……。住むところはもう決まったのか?」
「う〜ん、まだかな」
「いつ決まるんだ?」
「わかんない……。なんも聞いてないし」
「え、あと一週間しかないのに?」
 ここから僕や海の実家がある地方まで行くには車で三時間以上かかる。毎日通勤するのは無理だ。
 海はベッドに正座して、抱えている枕で口元を隠したまま、こもった声で言う。
「明季、ものは相談なんだけどね」
「なんだ?」
「あたしも、ここに住まわせてくんないかな?」
「は……?」
 一瞬、言われたことが理解できず思考停止に陥った。
 そんな僕に構わず、海は勝手に話を進める。
「あ、もちろん家賃は半分払うから。お掃除もするし。お料理はできないから明季に任せるけど、代わりにお洗濯ならあたしがするよ。あ、でも、あたし畳むの苦手だから明季も手伝ってね」
「いや、待て」
 そこまで言われたところでようやく思考が回復し、言葉を返す。
「まず、家賃は研究所が全額負担してくれてるからいい。家事は、どうせほとんど僕がやることになるんだろうが、一人分も二人分もたいして変わらないからそれもまあいい。でもそれ以前に、同棲すること自体がまずいだろう?」
 すると、海は顔を赤らめながら大げさに手を横に振った。
「ちがうちがう! 同棲じゃないよ! これはルームシェアっていうんだよ!」
「ハァ……」
 まったく、ため息をつかずにはいられない。
「海、よく聞け。僕たちはもう子供じゃない。いくら付き合いが長いからって、異性が同じ部屋に住むのはルームシェアとは言わないんだ」
 いつまでも子供気分が抜け切らない海に、はっきりと諭してやる。 
 しかし、海はよくわかっていないようで、悲しそうに尋ねてきた。
「明季、あたしと一緒は嫌?」
「嫌ではないけど……」
「じゃあ――」
 その時、言葉をさえぎるように甲高い電話の着信が鳴った。
 海は苦々しい表情でハンドバッグからスマートフォンを出し、電話に出る。
「もしもし、アイちゃん? どしたの?」
 相手はアイシャのようだ。
「――うん、うんうん、え、そうなの?」
 海の表情が見る見る沈んでいく。
「うん、うん、わかった、じゃあね」
 通話を切る。
「なんだったんだ?」
「うん、実はね、あたしの住むとこ、アイちゃんが手配してくれてたんだって」
「そ、そうか……」
 よかった。さすがはアイシャ、気が回る。
 海が泣きそうな目で、じーっとこちらを見てくる。
「明季、さっき言ったこと忘れてくれる?」
「ん、さっきって?」
「ルームシェアのこと」
 アイシャに何か言われて、急に恥ずかしくなったのだろうか。
「わかったわかった、忘れるから」
 なんにしても、おかしなことにならず済んだのだから構わないが。
 それから二時間くらい、リビングで僕は海にミッションの話をした。
 話が脱線することも多々あったが、とりあえず伝えるべきことは伝えた。
 

 ふと窓の外を見ると、夕日が沈みかかっていた。
「もう夕方だね」
 ソファの上で海がつぶやく。
「そういえば海、明日も研究所に行くんだろ? 宿はとってあるのか?」
「ううん」
「まさか、今から家に帰るのか?」
「う〜ん、それもきついし」
 気まずそうに目を逸らす海。
 無計画な。
「ね、ねえ明季」
 海は、もじもじしながらうつむき加減になり、上目遣いでこちらを見つめてきた。
「……」
 そして何も言わない。でも言いたいことはわかる。
 うちに泊まるつもりか。
 またため息をつく。今日何度目だ?
 まあでも放っておくわけにもいかないし、一晩くらいなら仕方ないか。
「海、今日は――」
 言おうとした瞬間、海の電話が鳴った。
「またアイちゃん?」
 海はイラっとした様子で応答する。
「もしもし、どしたの? ……え、うん、そうだけど……。うん、わかった」
 通話を終えると、さっきと同じように海の表情は沈んでいた。
「あのね、アイちゃんがうちに泊まりに来るようにってさ」
 またか。それもこれ以上ないくらいのタイミングで。
 もしかしてこの部屋、監視されてないか? 
 ……まあさすがにそれはないとして、これは思わぬ助け舟だ。反対する理由はない。
「そうか。それならお言葉に甘えた方がいいな」
「うん……」
 海は小さく返事をして、ソファから立つ。
「じゃあ、またね」
 それからハンドバッグを手に、そそくさと部屋を出て行った。
 まるで台風が去った後のような静寂が戻った。 


 翌日。
 研究所に出勤し、地下の第一ブリーフィングルームに行くと、今日も見目麗しいメイド姿のアイシャが丁寧なお辞儀で迎えてくれた。
 二度目とはいえ、無機質な研究所が扉を開けた途端おしゃれなカフェのような空間に変わるギャップに胸が高鳴る。
「おはようございます、明季」
「おはよう、アイシャ」
 席に着くと、アイシャが温かい紅茶を淹れてくれる。
 昨日と同じように、まずはミッション前のティータイムだ。天気やニュースの話を軽くした後、海の今後の処遇について聞いた。
 今日明日の二日間、海はミッションを行うための研修を受けるらしい。
 その後、一旦実家に帰り、引越しの準備。
 今日から六日後、来週の月曜日にはミッションを始めるということだ。
 十五分ほどでティータイムは終わる。
 ティーセットを片付け、カウンターから戻ってきたアイシャは表情をキリッと引き締めた。
「では、そろそろ本題に入りましょう。本日のミッションですが、時間軸は四十年後、場所は都心部です。まだ二回目ですので、これといった指示はいたしません。前回と同じく街の様子を見て回りましょう」
 そうして、僕は二回目のミッションを開始する。
 結論から言えば、都心部の様子は驚くほど現代と変わりなかった。
 車が電気自動車なのと、外国人の姿が多いのは昨日と同じ。あとは自動販売機が一切見当たらなかったくらいか。
 もちろん、それはパッと見た感じであって建物の構造や素材は大きく変わっているかもしれない。少なくともプラスチックなど石油由来の素材は代替品に違いあるまい。
 ともかく、都心部ですら現状維持が精一杯といった感じだった。
 さらに翌日、水曜日から金曜日まで三日間は都内の各地を調査して回った。
 どの地区も中心街は栄えていたが、大通りや駅から少し離れると建物や道路の老朽化が目立つ荒んだ街に変わってしまった。初回に行ったあのモデル都市の周辺と同じだ。
 さすがに二度もテロ事件に遭遇することはなかったが、まるでスラム街のように不衛生で治安の悪そうな区域がところどころにあった。
 ちなみに、あのモデル都市のような街が他にもあるのか、公園で暇そうにしている人に聞いてみたところ、少なくとも日本国内にはないという。
 やはり人類は、少なくとも日本は、着実に衰退の一途をたどっていた。
 

 それから土曜日曜と休日を挟んで月曜日。
 そろそろミッションに慣れてきたということで、提案する。
「アイシャ、もう一度あのモデル都市に行ってみたい。もちろん、あの時と同じ時間軸で」
「テロ事件の調査ですね。ですが、具体的にどのような調査をなさるつもりですか?」
 アイシャの表情には少し不安が混じっていた。
 爆破事件が起きた地点にまた行こうと言うのだから無理もない。
「あの時、テロリストの一人が『市長はくたばったはずだ』と言っていた。それが気になっている」
「わたしもミッション映像を見て確認しました。それで?」
「あのモデル都市の市長に会ってみたい。僕の勘が正しければ、かなり有益な情報が得られるはずだ」
「そうなのですか?」
 アイシャは首を傾げた。
「あくまでも勘だけどね。あの都市の市長を務めるくらいだ。相当な先見性を持った人物に違いない。その人物との会話で、人類の未来を変えるヒントが得られる可能性は充分にある。そうでなくても、あの都市を構想した人物の話くらいは聞けるだろう」
「なるほど。ですが、どうやって市長と会うおつもりですか? いきなり訪ねていって話を聞いてもらうのは難しいでしょう?」
 相手は大勢の市民の生活を左右する政治家だ。ましてや治安の悪化した未来ともなれば、特別警戒心が強いことはわかっている。
「そう、だから爆破テロから市長を救うんだ。そうすれば話をする機会も得られる」
 その発言に、アイシャは血相を変えた。
「それは危険です! 爆発に巻き込まれるおそれがあります!」
「でも、それだけの価値はある」
 冷静に返す。無論、危険は百も承知だ。
「はっきり言って、僕たちのミッションは当てのない旅みたいなものだ。ここをこうすれば終わり、なんて指標はどこにもない。だから、その指標となりうる重要人物に接触することは最優先事項ではないかと僕は思っている」
 アイシャはその場でしばらく考え込む。
 それから静かに口を開いた。
「……わかりました。今から柳所長にその提案を申請してみます。許可が出れば、ミッションを行いましょう」
 アイシャはカウンターに設置された内線電話の方へ行く。
 それから一分ほどで戻ってくると、あまり嬉しくなさそうな顔で結果を告げた。
「所長から許可が出ました。本日のミッションは明季の提案に決定いたします。ですが、どうかお忘れにならないでください。仮想未来で死亡した際に掛かる負担は、通常の比ではありませんので」
「わかってるよ、アイシャ。無理だと判断したらすぐにリセットしてくれていい。そしたらこの件は保留にする」
「はい。ではミッションに合わせた装備を用意しましょう。しばらくここでお待ちください」
 アイシャはそう言ってブリーフィングルームを出て行った。
 
 
 十分ほど待つと、アイシャは若い男性スタッフを連れてブリーフィングルームに戻ってきた。
 作業着姿の男性スタッフが大きなアタッシュケースをいくつも乗せた台車を押している。
 アイシャがそのうちの一つを開け、洋服一式を持ってきた。
 今、僕が着ているものと同じ、ダークグレーのスーツと白のカッターシャツだ。
「明季、本日はこの服を着てミッションを行っていただきます」
 アイシャから一式を受け取る。
 見た目には普通のオフィススーツだが、手触りが微妙に違う。
 それに、わずかだが重い。
「これは?」
「防刃防弾仕様のスーツです。カッターシャツも同様です」
 危険とわかっている場所に行くのだから、これくらいは当然の装備か。
「それから、護身用に各種武器を用意しました。どうぞ、ご自分で使い勝手の良いものをお選びください」
 アイシャが指示すると、男性スタッフはアタッシュケースをテーブルに並べ、次々と開けていった。
 中にあるのは、どれも軽量で扱いやすい携帯武器。
 催涙スプレー、スタンガン、伸縮式の警棒。それからナイフが数種類。折り畳み式のものから軍用のコンバットナイフまで揃っている。
 それから拳銃――と思って手に取ってみたが、見たところ実銃ではない。
「そちらは麻酔銃です。さすがに実銃は用意できませんでした」
 男性スタッフが説明する。
「この麻酔銃は服の上からでも効くのか?」
 僕が尋ねると、男性スタッフは少し困ったような表情をした。
「相手が薄着ならともかく、分厚いコートなどを着ていると効かないかもしれません。もし使うのであれば、なるべく素肌を狙ってください」
「そうか……。それじゃあ護身用には向いてないな」
 麻酔銃を机に置く。
「アイシャ、せっかくだけど、ここにある武器ではダメだ」
「使いやすそうなものがなかったのでしょうか?」
 アイシャは申し訳なさそうに聞いてきた。
「いや、そうじゃないんだ」
 僕は首を小さく横に振る。
「この先テスターになる人たちのためにも覚えておいてほしい。武器を持つ時は、その武器を奪われた時のことも考えなければならない。安易に強力な武器を持てば、その武器で自分が苦しむこともある。特に刃物は危険だ。揉み合いになると自分に刺さることもあるし、躊躇せずに相手を刺すことも難しい」
「ですが、さすがに丸腰では……」
「ごめん、先に言っておけばよかった。実はもう武器は用意してあるんだ」
 僕はスーツの内ポケットからその武器を取り出す。
「え、扇子が武器なのですか?」
 アイシャは知らないようだが、男性スタッフが「あっ」と反応した。
「鉄扇ですね」
 鉄扇とは、扇の骨の部分が鉄でできている扇子のことだ。見た目は竹製の扇子と変わりないが、なんといっても鉄だ。武器としては充分な威力がある。
「これなら武器には見えないから持ってても怪しまれないし、たとえ奪われても使いこなせる人間はそうそういない。要するに、自滅するリスクがなく、練習を積まなければ扱えない武器こそ安全で護身用にふさわしい」
 鉄扇は長さが二十四センチしかないので、打撃武器としてはあまりにリーチが短く心もとない。しかし、徒手空拳で戦う力を持っている人間にはこれ一本でも心強い。素手で戦うよりリーチが十五センチほど長くなるし、拳を痛める心配もない。また、素手では防ぎようのない刃物を弾くことができ、扇を広げて顔に投げつければ目くらましにもなる。
「そうだったのですね」
 アイシャも納得してくれたようだ。
「戦闘が目的のミッションならともかく、護身用ならこれで充分だよ」
 もちろん、これも使わずに済むならそれに越したことはないが。
「わかりました。貴重なご意見ありがとうございます。今後のミッションの参考にさせていただきますね」とアイシャ。
 続いて男性スタッフが言う。
「今後も何か必要な物があればいつでも言ってください。可能な限りこちらで用意しますので」
 男性スタッフはテーブルに置かれたアタッシュケースを片付けると、台車を押して部屋を出ていった。
「では、わたしは先にアクセスルームに行きますので、着替え終わったら来てくださいね」 


 防刃防弾仕様のスーツに着替えた僕はアクセスルームに移動した。
 そして、VFシステムの椅子に座わる。
「明季、開始地点と時間はどうしますか?」
「そうだな……」 
 アイシャの質問に、少し考えてから答える。
「場所は市長のいる建物の中、時間は爆発の二十分前にしよう」
「二十分……それだけで大丈夫ですか?」
「説明している時間はない、という状況の方が好都合だからね」
「わかりました」
 アイシャはナビゲーター用の席に着き、ノートパソコンを操作する。
「以前爆発があったのは建物の三階。市長室もそこにあるはずです。開始地点は三階から屋上へ向かう階段の踊り場にします」
 そこなら人がいる可能性は低いだろうが……。
 僕はふと疑問に思ったことを尋ねる。
「一つ聞きたいんだけど、もしアクセスポイントの付近に人がいたとしたら、その人から見て僕はどんな感じで現れるのかな?」
「おそらく瞬間移動してきたように見えると思います」
「じゃあ、もし僕が出現するちょうどその地点に人がいたら? まさか混ざるなんてことは?」
 アイシャは一瞬目を丸くした後、穏やかに笑って言葉を返してきた。
「ご安心ください、そういった事態にはなりませんよ。システムが自動的に安全な位置へ送ってくれますので。人がいる半径五メートル以内にはアクセスできないようになっています。もちろん、壁の中などにもアクセスできません」
「そうだったのか。今さらだけど安心したよ」
「ふふ。気になることがあれば、またいつでも聞いてください」
 アイシャは席を立ち、映像と音声を送信するためのヘルメットを被せてくれる。
 その際、またバニラみたいな甘い匂いが僕の鼻腔をくすぐった。
 とても心が落ち着く優しい香りだ。
「それではミッション開始します」  


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