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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第19回 九章 黒幕(後編)


 新車特有の匂いがすっかり消えた海の車に乗り、僕たちは研究所から無事脱出を果たした。
 時刻はまもなく午後二時。
 そして、点滴が尽きるまで一週間。
 人が水なしで生きられるのは三、四日といわれているので、限界で十日。
 それまでにこの状況を打開できるかどうかは、和香さんが柳所長から授かった策にかかっている。
 しばらく後方を注意して見ていたが、不審な車は追跡してこなかった。
「どうやら追っ手は来ていないみたいですね」
 僕が言うと、車内が安堵の空気に包まれた。
 視線を前に戻し、シートに深くもたれかかる。
 直後、隣の席から「ぐぅー」というお腹の音が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさい。わたし、お昼ご飯まだ食べてなかったので」
 アイシャは恥ずかしそうにうつむいた。
 そういえば僕もだ。アイシャと食事に行こうとしたところを襲われたのだ。
「ごめんね、アイちゃん。さすがにこの辺のお店で――ってわけにはいかないから、しばらく我慢してくれる?」
 和香さんが助手席から申し訳なさそうに言った。
「はい……」
 アイシャは小さく返事をした。
「アイシャ、チョコレートならあるんだけど食べる?」
 葵さんがハンドバッグからチロルチョコを出す。
「菜々さん、ありがとう」
 アイシャはそれを受け取った。
「野川さんもよかったらどうぞ」
「あ、どうも」
 僕もチロルチョコを三つもらった。
 一粒50キロカロリーとして計150キロカロリー。一時間くらいはもつだろう。
 チョコレートを食べていると、ポケットのスマートフォンからメッセージの着信音が鳴った。誰だろう。
 確認してみると、優だった。

 明季さん、大丈夫ですか? 軽い怪我を負っただけで無事とは聞きましたが、心配なのでメッセージを送りました。もし時間があればお返事ください。それから、わたしにできることがあればなんでも言ってください。
 
 文面から察するに、銃で撃たれたことは聞いていないようだ。
 ……なら言わないほうがいいな。早く無事を知らせてあげよう。
 ちなみにメッセージは記録に残るので、万が一他の人に見られたら恥ずかしいので、兄妹設定ではなく普通のやりとりをしている。
 また車内にメッセージの着信音が響いた。
「わたしみたいね」
 今度は和香さんだった。
 続いて葵さんのスマートフォンからも着信音が。 
 しばらくの間、車内にメッセージの着信音が鳴り続けた。
 その多くは、脱出した所員たちが無事帰宅できたという報告だった。
 それから数十分後。
「さて、所員全員の無事が確認できたところで、そろそろ大事な話を始めましょうか」
 助手席の和香さんが前を向いたまま言う。
 よく通る声なので、後部座席にもはっきりと聞こえる。
「まず、事件の発端になったベルナドッテ家について話すわね」
 黒髪黒目に変装したアイシャが暗い顔をする。記憶がないとはいえ、実家が原因で研究所を巻き込んでしまったのだ。後ろめたい気持ちを抱いているのかもしれない。
「アイちゃん、そんな顔しないで」
 ルームミラーでアイシャの表情を見たのだろう、和香さんは優しく声をかけた。
「誰もあなたのことを恨んでなんていないわ。それどころか、わたしたちはベルナドッテ家に感謝しなきゃいけない立場なんだから」
 感謝……どういうことだ?
「なるほど、スポンサーか」
 柴波が低い声で言った。
「ご名答よ。わたしたちの活動はベルナドッテ家からの資金提供によって支えられているの。呉さんがそのことを知ってるから、今ごろ話が広まっているでしょう。事情を知れば誰も理不尽だなんて思わないわ。安心して、ね?」
「はい」
 アイシャは複雑な表情をする。
 そう言われても、すぐには受け入れられないのだろう。
「話を続けるわね。ベルナドッテ家は欧州でも有数の資産家で、経済界に多大な影響力を持っているわ。国家権力を以てしても容易には手が出せないくらいにね。そんなベルナドッテ家の当主を務めるのがアルフ・ベルナドッテさん。アイちゃんことアルメリアちゃんのお祖父さんにあたる人よ」
「アルメリア……。それが、わたしの本当の名前なのですね?」
「そうよ。アイちゃんが思い出さないように言わないって約束だったけど、お祖父さんからは、時がきたらすべて話すようにと言われているの。アイちゃんには悪いけど、今がその時よ」
 アイシャは首を横に振る。
「和香さんは悪くありません。わたしが、自分の過去からずっと目を背けてきたのですから」
「アイちゃん……」 
 和香さんが沈黙する。真後ろの席からでは、どんな表情をしているかはわからない。
 そこへ柴波が口を挟んだ。もちろん運転中なので正面を向いたままで。
「あんたたちが互いを思いやってるのはよくわかった。だから謝ったり悩んだりするのは後にして、早く話を進めてくれ」
 ぶっきらぼうではあるが、彼なりの気遣いが感じられる一言だ。
「そうね。じゃあ、お互い様ってことで、ここは気にせずいきしょうか」
「はい」
 アイシャは嬉しそうだった。
 一呼吸置いて、僕は最も重要なことを尋ねる。
「そもそも、どうしてベルナドッテ家は政財界から敵視されているんですか?」
「アルフさんが資産家でありながら経済活動の縮小を提唱したからよ。人類の経済規模がこのまま拡大していけば、間違いなく地球環境は破壊される。だからもっと慎ましやかに生きよう、ってね。もちろん、言うだけなら攻撃までされることはなかった。でもアルフさんは実際行動に移したのよ。それが欧州に大きな影響を与えてしまった」
 和香さんの話に、柴波が「ふん」と鼻で笑う。
「そりゃあ、既得権益で甘い汁吸ってる奴らには嫌われるわな。で、具体的に何をしたんだ?」
「アルフさんは突然、投資先を変えてしまったの。それまで資源採掘の分野に投資していたのを、再生エネルギー開発の分野にね。そこへ若い投資家たちが次々と追従したことで近い将来、既存のエネルギー分野を脅かすのではないかという意識が広がり始めたの。それは、いずれ資源が尽きてしまうこの世界にとって正しい選択に違いないわ。でも権力者たちはそれを認めなかった。それどころか妨害まで始めた。彼らは、最後の一欠片まで資源を貪り尽くさないと気が済まないのね」
 皮肉のこもった言葉だが、決して大げさな物言いではない。
 実際人類は、何億年という年月をかけて蓄積されてきた天然資源を、わずか三百年で採り尽くそうとしている。自分たちが使う分はここまでにして、あとは子孫のために残しておいてあげようという考えはない。採れるものは採れるだけ採ってしまうつもりなのだ。
 和香さんは一息入れてから続ける。
「で、どっかのおバカさんがついにやっちゃったわけ。アルフさんを脅迫するためにアイちゃんを誘拐する作戦をね。でも、偶然そこに居合わせた所長のおかげで犯行は失敗。それがきっかけで所長はアルフさんと懇意になって、アイちゃんを日本で保護するのと引き換えに研究所への出資を約束してもらったの。それから約三年。研究は順調に進んで、テスターも集まって、ようやくミッションが軌道に乗ったところで、居場所を突き止められちゃったわけね」
 そして、残念そうにため息を漏らした。
「ハァ……。どうしてこんなことになっちゃったんだろ?」
 車内が沈黙する。車の走行音だけが延々と響く。
 残念ながら、その疑問に答えられる者はいなかった。


 それから僕たちは、車で二時間程度の距離にあるビジネスホテルへと向かった。他の所員と違いアイシャが自宅に帰るのは危険なので、当面は外泊することにしたのだ。
 部屋の割り当ては、女性三人と男性二人で一部屋ずつ。
 柴波が相部屋とは気が重たいが、この緊急時に一人一部屋などと贅沢はできない。
 今の状況では、ベルナドッテ家から次に資金を受け取れるのがいつになるのかわからないのだから。
 とりあえず腹ごしらえのため、ホテルの売店で買ったパンを食べる。午後四時にしてようやく食事にありつくことができた。
 その後、女性組の部屋に来るよう和香さんから言われたので、柴波と二人で移動する。 
 部屋はシングルベッドを三つ備えたトリプルルームで、簡素ながらソファとテーブルもあった。
 僕と柴波はソファに、女性三人はそれぞれのベッドの端に座り、向き合う。
 場を仕切るのは、もちろん和香さんだ。
「さーて、始めましょうか。地球に害をなす利権の亡者どもを黙らせる作戦会議をね」
 長い修飾語だがそのとおりだ。
 わずか一週間から十日の間に、世界中のあらゆる権力者が研究所とベルナドッテ家に手出しできない状態にしなければならない。
「まどろっこしいのは嫌いだから、いきなり結論を言うわね。VFシステムの存在を世間に公表するわ」
 まさかの発言に、全員が驚きの表情を見せた。
 システムの存在を漏らすことは僕たちにとって最大の禁忌だった。緊急事態とはいえ、こんなことを告げられれば当然の反応だ。
 誰一人声を発することなく、和香さんの言葉を待つ。
「本来なら、VFシステムの存在は絶対秘密にしなければならないわ。なにせ未来のことがわかる装置があるなんて世間に知れ渡ったら、それを悪用せんとする輩が続々と現れるでしょうからね」
 そう。だからこそ僕たちは人知れず過酷なミッションをこなしてきた。
「でも今回の件で、今までベルナドッテ家を標的にしていた権力者たちの誰かが怪しげな研究所の存在に気付くわ。そしたらVFシステムのことがバレるのも時間の問題よ。システムの存在を知った人間はその存在を公表することなく、自分たちのためだけに利用することを考えるでしょう。研究所の人間を皆殺しにしてでもね」
 実際、僕たちは殺されかけた。
 人一人を誘拐するのにあれだけの部隊を用意した連中だ。単なる脅しだったということはあるまい。
「だったらいっそのこと、公表して世間様に注目してもらった方が安全じゃないかって話よ。わたしたちの活動を世間様に認めてもらうの。そうすれば彼らだって研究所に手出しできなくなるわ。もちろん、スポンサーであるベルナドッテ家にもね」
 和香さんは自信ありげな様子だ。
 そこへ柴波が意見する。
「妙案だがリスクは高いな。それをすれば、もう今までのようにミッションを進められなくなるだろう」
「そうね。ミッションを続けるにしても、わたしたちが私利私欲でシステムを使わないよう監視されることになるでしょうね。ミッション映像も、すべて公開しなきゃいけなくなるかもしれない。そしたらもう、あなたたちテスターは一般人ではいられなくなるわ。世界中から注目されることになる。批判する人だって必ずいる。相当な覚悟が必要よ」
 世界中から……か。
 気が重たいどころの話ではない。実際そんなことになったら、プレッシャーで胃潰瘍になってしまいそうだ。
「ですが」
 アイシャが口を開く。
「これはチャンスでもあります。世界中の人々に仮想未来の映像を見せることで、人類の進むべき道を考えてもらうきっかけになるのではないでしょうか?」
「無理だな」
 柴波が即座に否定した。
 アイシャはムッとした表情を見せるが、柴波は構わず言う。
「映像を見たくらいで人間の意識が変わるものかよ。それも一年後や二年後ならともかく、何十年も先の映像に危機感を抱く奴なんざ、まず滅多にいやしない。ミッション映像なんざ俺たち以外の人間とっては映画と同じだ。ほとんどの人間は、自分の家の窓から危険が見えるようになるまで何も変わらないんだよ」
「……」
 アイシャは言い返せず、しょんぼりしてしまう。
 悔しいが柴波の言う通りだ。人間はそんなに賢い生き物ではない。ごく一部の良識ある人間がいくらあがいたところで、破滅への行進は止まらないだろう。
 その絶望的状況を覆す奇跡の一手は、まだ見つかっていない。
「と・に・か・く」
 和香さんが大きめの声で皆を注目させる。
「VFシステムの公表は決定事項よ。ベルナドッテ家が潰されちゃったら、どのみちわたしたちの活動は立ち行かなくなるんだから。いくらリスクが高くても他に選択肢はないわ。いいわね?」
 全員がコクッと頷く。
 目立つのが大嫌いな海がこの場にいたら拒否反応を示したかもしれない。
「それで、どのように公表するんですか?」
 今までずっと黙って聞いていた葵さんが発言した。
「これよ」
 和香さんはテーブルの上にアタッシュケースを置き、それを開く。
 中には、ポータブルハードディスクがぎっしり収まっていた。
「このハードディスクに、今までのミッション映像のデータが入ってるわ。この映像をインターネットの動画サイトに投稿するの。手当たり次第、しつこいくらいにね」
 葵さんは眉をひそめる。
「それでは注目されるまでに時間がかかるのではありませんか?」
 確かに。インターネットがずいぶん普及したとはいえ、それだけでは決定打にならないだろう。やはりテレビで放送してもらわない限り、とても一週間かそこらで人々の注目を集めることはできない。
「もちろんわかってるわ。でも、この映像をいきなりテレビ局にでも渡したら、そこから権力者の手に渡ってしまう可能性がある。だからミッション映像が、まずは一般人に注目され、それから各メディアに取り上げてもらえるようにするの」
「でも、たった一週間でそんなことができるでしょうか?」
不安そうに言うアイシャを、和香さんは一喝する。
「やるしかないの。そのためにはわたしたちだけでなく、所員全員の力が必要よ。いいえ、所員だけでなく、家族、親戚、友人、知人、できるだけ多くの人に協力を仰いで、とにかくこの映像を広めて」
 和香さんはスーツケースからノートパソコンを取り出し、柴波、アイシャ、葵さんに手渡す。
「アイちゃんはまず所員のみんなにこのことを連絡して。菜々ちゃんはパソコン得意よね。映像の投稿は任せるわ。リュウは菜々ちゃんを手伝ってあげて」
 指示を受けた三人は素早く行動に移る。
「あの、僕は?」
「明季君はわたしと一緒に来てちょうだい。大事な話があるの」


 和香さんに連れられて、僕は隣の部屋に移った。僕と柴波が宿泊する部屋だ。
「すぐに準備するから、ちょっと待っててね」
 和香さんは椅子に腰掛け、テーブルの上にノートパソコンを広げる。
 それから電源を入れ、画面が立ち上がるまでの空き時間にカチューシャ型のインカムを着け、僕にも着けるように言って渡してきた。
「ビデオチャットでもするんですか?」
「そ。実は明季君と一度お話してみたいって人がいてね。まずはわたしがあいさつするから、そのあと話してあげてね」
「相手は誰なんです?」
「アルフ・ベルナドッテさんよ」
「え……!」
 想定外の返答に驚き、声を詰まらせた。
「そんな、いきなり……。しかも相手は大富豪ですよ? こっちにだって心の準備ってものが」
「アルフさんと連絡がついたのが、ついさっきなんだから仕方ないでしょ?」
 和香さんはキーボードとマウスを操りながら言葉を返してくる。
「でも、こっちと北欧じゃ時差があるでしょう。迷惑になりませんか?」
「北欧と日本の時差は八時間だから大丈夫よ。今ごろあっちは朝の九時くらい。別に迷惑じゃないわよ。さっきメッセージも送っておいたしね」
「でも……」
「そんなに焦らなくても、アルフさんは気さくな方よ。親戚のおじいちゃんくらいのつもりで話せばいいわ」
 いや、無理だろう……。
 そうこう話している間にも、操作はどんどん進んでいく。
「明季君、こっちにきて一緒に画面を見て」
 どうやら拒否権はなさそうだ。こうなったら仕方がない。
 僕は言われたとおり和香さんの斜め後ろに付き、立ったまま画面を覗き込む。
 画面に七十歳くらいの白人男性が映った。整った白い短髪に口髭。表情はとても穏やかで、厳格な感じはしない。てっきり世界史の教科書に載っている偉人みたいな人が出てくるかと思っていただけにホッとした。
 会話が始まる。
「こんにちは、アルフさん。こうして顔を合わせるのは久方ぶりですね」
『おお、和香君。無事で良かった。君は相変わらず若々しいな。三年経ってもまるで変わっておらん』
 流暢な日本語だ。
「でも今度ばかりは、ストレスのせいでシワができそうで困ってます」
『む、それはいかんな。君の美しさを保つためにも、早く正道君を救い出してやらねばな』
 ほんとに気さくだな。
 この様子だと、アルフ氏はだいたいの事情を把握しているようだ。
「そのためにも、現在ミッション映像を公開する作業を急いでいるところです」
『そうか。まさか、この時がこんなに早く訪れてしまうとはな』
「ええ、残念な限りです」
『だがこうなってしまった以上、出し惜しみをしても仕方がない。映像を広める作業、こちらでも協力させてもらおう』
「お願いします。ところで……」
 和香さんは僕の方をチラッと見る。
「今日は、アルフさんが以前からお話してみたいと言っていた野川明季君を連れてきました」
『ほう!』
 和香さんは「ほら、明季君」と小声で言って、僕に席を譲る。
 僕は画面越しにアルフ氏と相対した。さっきほどではないが、さすがに緊張する。
「はじめまして、野川明季です」
『おお、君が! はじめまして、私がアルメリアの祖父、アルフ・ベルナドッテだ。よろしくな』
 アルフ氏は嬉しそうな表情をしている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 僕は軽くお辞儀をした。
『野川君、君のことは和香君から聞いておるよ。アルメリアとは仲良くやっておるようだね』
「はい。アイシャ――いえ、アルメリアには、いつも元気付けられています」
 時々精神をひどく消耗させられることもあるが、それは言うまい。
『そうか。それは良いことを聞いた。元気付けられていたのはアルメリアだけではなかったのだな』
「どういうことですか?」
『アルメリアは、君とミッションを行うようになってからとても明るくなったと聞いた。つまり、君がアルメリアを元気付けていたのだ』
「僕が、彼女を……?」
 アイシャには助けられてばかりで、今までそんな実感はなかった。
『あの子は元々明るくて元気な子だったのだが、記憶を失ってからめっきりおとなしくなってしまったらしくてな。正道君のところに預けてからもずっと心配しておったのだよ。だが君のおかげで、その心配もなくなった。礼を言うよ。ありがとう』
「そんな……。僕の方こそ、アルメリアには感謝しています。困難なミッションに立ち向かうことができるのは彼女のおかげです。僕にとって、アルメリアは心の支えなんです」
『そうか……』
 アルフ氏は一度目を閉じた後、穏やかな笑みを浮かべた。
『あの子は遠く離れた異国の地で、良きパートナーに巡り会えたのだな』
 そこまで言われるとなんだか照れくさい。
 でもそれ以上に嬉しい。
 この人と話ができてよかった。
『さて』
 アルフ氏は表情を引き締め、まっすぐにこちらを見据えてくる。
『できるなら君とはゆっくり話がしたいところだが、こんな時だ。それはまたの機会にするとして、一つだけ君の意見を聞かせてもらいたい』
「はい。僕に答えられることならなんなりと」
『では率直に答えてほしい。人類は、本当に救うに値すると思うかね?』
「え……?」
 予想外の質問に面食らう。
『人類は自ら望んで滅びの道を突き進んでいるのだ。それを、君のような若者が命を賭してまで救う価値が本当にあると思うかね?』
 なるほど、綺麗事は一切抜きということか。
 それならばいつもどおり、ごまかさず、取り繕わず、思うままを言うだけだ。
「自分の欲求を満たすことしか考えない旧人類は滅ぶべきだと思っています。ですが、他者を思いやり慈しむことのできる新人類が滅されてしまうのは我慢なりません」
 アルフ氏はニヤリと笑った。
『良い答えだ。君のような若者がいる限り、人類もまだまだ捨てたものではないな。アルメリアのこと、よろしく頼むよ。できるなら、ミッションを成功させた上で、あの子を幸せにしてやってほしい』


 それから数日間、僕たちはホテルを転々としながら、ひたすらネット上でミッション映像を広め続けた。
 三十人の所員とその親類縁者、さらにベルナドッテ家の協力を以てしても、二日目では話題は浮上してこなかった。
 三日目も同様。僕たちがあれほど苦労して入手した貴重な映像がなかなか注目されないことに苛立ちを覚えた。
 しかし四日目には、一般ユーザーからのコメントが目に見えて増え始めた。
 その多くは謎のSF映画としか思っていないような内容だったが、次第にこれを真実ではないかと捉えるコメントも増えていった。
 そして五日目には、ついに大手サイトのトップページに載った。
 こうなればもう、僕たちが手を下さなくとも話題は破竹の勢いで広まる。
 六日目には、研究所の周りに報道関係者たちが続々と集まっているという報告を受けた。もはやテレビ放映されるのも時間の問題だ。
 案の定、その日の夕方には、ミッション映像の一部とそれについて論議する番組が全国放送された。
「機は熟したわね。これだけ話題になれば連中も迂闊に手出しできないでしょう。明朝、研究所に赴いて記者会見を開くわ。みんなあと一息、がんばってちょうだい」
 和香さんの言葉に全員が頷く。
 もう引き返すことはできない。
 世界が僕たちをどう扱うのか。いよいよ明日、命運が決まる。


 翌朝。
 テレビをつけると、さっそく研究所の門を取り囲む報道陣の姿を確認することができた。おそらく二、三十人はいる。外国人キャスターの姿もあった。
 僕たちは、たった今からこの中に飛び込んで行かなくてはならない。できるものなら逃げ出したい心境だ。
 だが、そうはいかない。
 今日ここで決着をつけなければ、僕たちに未来はないのだから。
「みんな、忘れ物はないわね? 研究所に着くまでは何があるかわからないから、気を引き締めて行きましょう」
 和香さんは研究所の代表代理として、今日も僕たちを引っ張ってくれる。
 この中で一番プレッシャーを感じているはずなのに、たいしたものだ。
 そして彼女の言うとおり、まだ安心はできない。
 敵の立場からすれば、僕たちが研究所にたどり着くまでが最後のチャンスだからだ。
 投稿したミッション映像と研究所の活動について公(おおやけ)の場で説明をしなければ、謎の映像が配信されただけの珍事件で終わってしまうおそれがある。
 故に各自準備には怠りなかった。
 アイシャは研究所を脱出してきた時のようにオフィススーツを着用し、ウィッグとカラーコンタクトで日本人の姿に変装していた。
 逆に葵さんは西洋人の姿に変装していた。アイシャの私服まで纏う徹底ぶりだ。
 僕と柴波は防弾スーツ。有事の際、女性陣を守るのが僕たちの務めだ。
 ホテル一階のカウンターでチェックアウトを済ませる。
 それから全員で建物を出ようとした時、先頭を行く柴波が急に立ち止まった。
「止まれ。さっそく敵さんが来やがったぞ」
 見ると、黒いスーツとサングラスの男たちが、この入り口を目指してツカツカと歩いてきている。今度は東洋人だ。
 僕は叫ぶ。
「早く裏口へ!」
 まさかホテルにまで乗り込んで来るとは。最後はなりふりかまわずか!
 怯えた従業員たちが悲鳴を上げる。通報を頼みたいところだが無駄だろう。
 おそらく、警察には手が回っている。
 僕たちは手荷物を放置し、急いで裏口へと走った。
 裏口の扉を開けると、そこにもサングラスの男が二人。
「野川!」
「わかってる!」
 武器を出されたら厄介だ。その前に倒す。
 僕と柴波は猛然と突っ込み、一撃で男たちを打ち倒した。
 僕は鉄扇、柴波は正拳突きだ。
 敵が動かなくなったのを確認し、再び駐車場へと走り出す。
 だが着いた途端、愕然とした。
 タイヤがパンクさせられていた。しかも、海の車だけでなく周囲の車まで。
 特定できなかったから手当たり次第やったのだろう。
 敵が姿を現す。今度は七、八人。
「柴波さん、付いてきて!」
 葵さんが突然叫び、敵のいない方向へ走り出した。囮になるつもりだ。
「ちぃ、仕方ねえな!」
 柴波も走り出す。
 変装した葵さんをアイシャと勘違いした敵は、次々と二人を追いかけていく。
 やはり本命はアイシャのようだ。
 しかし、二人は残った。こいつらは僕がやるしかない。
 男の一人が懐からスタンガンを出し、襲いかかってきた。
 僕はとっさに、鉄扇でそれを払いのけ――
「ぐあああ!」
 鉄扇を伝って、電撃が身体に流れてきた。
 一瞬意識が途切れ、鉄扇を地面に落とす。
 さらに男の二撃目。
 あれをくらったら終わりだ。
 僕はバックステップで辛うじてそれを回避した。
 危なかった……。電撃を浴びたのがほんの一瞬だったおかげで、やられずに済んだ。
 ガードはできない。武器同士の衝突でも負ける。
 スタンガン、かなり厄介だな。 
 男がスタンガンをこちらに突きつけるようにしてジリジリと迫ってくる。
 もはや出し惜しみをしている場合ではない。
 僕は懐から麻酔銃を出し、迫り来る男の顔面を目掛けて撃った。
 麻酔針は運良く男の首筋に命中。男は一瞬で事切れた。
「明季、左!」
 アイシャの叫び声に反応し、もう一人の男の拳撃をギリギリでかわす。
 男は奇襲に失敗したことにも動揺せず、すぐさま構え直した。
 そして、軽やかなステップワークを刻む。
 今度はボクサーか。武器も持たずに来るとはたいした自信だ。
 体格は僕より一回り以上大きい。先ほどのパンチの鋭さといい、相当な腕前なのだろう。もしリングの上で試合をやったのなら到底勝てない相手だ。
 だが、これは試合ではない。
 お前の敗因は三つ。
「えい!」
 この場に似つかわしくない可愛らしいかけ声の後、男の頭部に黒い物体が覆い被さった。アイシャがウィッグを投げつけたのだ。
 突然視界を奪われた男は、その場でうろたえる。
 ――一つ。勝手に一対一の勝負と思い込んだこと。
「えい」
 高く澄んだかけ声の後、男は大きくのけ反る。
「ああああああ!」
 背後から忍び寄った和香さんが、スタンガンを押し当てたのだ。
 ――二つ。仲間の武器が敵に渡る可能性を考慮していなかったこと。
 男は地面にうつ伏せに倒れ、ビクビクと痙攣を起こしていた。首筋ついた火傷の痕は痛々しいが、もちろん命に別状はない。
「ふ〜ん、便利なものね。ボタン一つでこの威力」
 和香さんは手にしたスタンガンをまじまじと見つめながら言った。
 ――三つ。扱い易く、殺してしまう危険性のない武器を持って来させたこと。
 以上だ。
 アイシャが拾った鉄扇を僕に手渡してくれる。
 ウィッグが外れたその髪は、普段のポニーテールではなくストレートロングになっている。
「安易に強力な武器を持てば、その武器で自分が苦しむこともある。以前、明季が言っていたとおりになりましたね」
「覚えてたのか」
「覚えてました」
 得意気に言って、アイシャは微笑んだ。
 僕も少し表情を緩めた。
「さ、早く行きましょう」
 そう言って歩き出す和香さんに、早足で追い付き尋ねる。
「でも、これからどうやって移動するんですか? タクシーを拾おうにも表には回れませんし」
「こんなこともあろうかと、今朝、救援を呼んでおいたの。もうじき高羽君が迎えにきてくれるわ」
 さすがは和香さんだ。手回しがいい。
 柴波と葵さんは無事だろうか。うまく逃げ切れていればいいが。
 そう思いながら角を曲がったところで、僕は絶句した。
 敵。それも十人はいる。後退しても逃げ場はない。
 震える声でアイシャと和香さんに告げる。
「ここは僕が、なんとしても突破口を開く。二人で逃げるんだ!」
 すぐさまアイシャが抗議。
「ダメです! 明季を置いていくわけにはいきません!」
 僕はそれを無視する。
「和香さん、アイシャを頼みます。スタンガンで威嚇すれば、そうそう近付けないはずです!」
「でも……!」
 さすがの和香さんも動揺は隠せない。
 そうして話している間にも、男たちはジリジリと迫ってくる。
 屈強な男たちの壁に隙間はない。
 ここまでなのか……。
 いや、十人いようが二十人いようが、あきらめるわけにはいかない。
 絶対に僕が守らなければ!
 死を意識する。
 五感を失うだけでは済まない、本物の死を。
 最後に、ほんの少しだけアイシャの顔を見る。
 できるなら、僕が君を幸せにしてあげたかった。
 そして、決死の突撃を敢行しようとしたその時――
「うわあああああ!」
 男が一人、宙を舞った。
「え……!?」
 僕は反射的に足を止める。
「なんだ、お前――うわあああああ!」
「何しやが――うわあああああ!」
「いい加減に――うわあああああ!」
 男たちが、まるでお手玉のように次々と宙を舞う。
 な、なんだなんだ?
 人間が、ましてや大の男が、あんなにポンポン飛ぶものなのか?
 ……いや、僕は知っている。
 こんな離れ技をやってのける、ただ一人の女性を。
「海!」
「明季!」
 ほんの一瞬だけ、目と目が合う。
 直後、背後から襲ってきた男を、海は振り向きもせず一本背負いで投げ飛ばした。
「早く行って! この先でキョウが待ってるから!」
 再会を喜んでいる暇などない。僕はアイシャと和香さんを見る。
 二人ともすぐに頷いた。
 ――走る。
 海が開いてくれた道を、三人で駆け抜ける。
 百メートルほど走ったところで、男の声が耳に届いた。
「こっちです!」
 高羽だ。
 彼の背後には六、七人は乗れるワンボックスカーが停まっていた。
 先にアイシャと和香さんを乗せ、最後に僕が乗り込んだ。
「よう」
「柴波……!」
 そこには傷だらけになった柴波と、ウィッグを外して黒髪に戻った葵さんがいた。
 葵さんが柴波の傷を消毒している。外傷は多いが重傷ではなさそうだ。
「無事だったんだな」
 ともかく、ホッとする。
「さすがに六人倒すのはきつかったけどな」
 柴波は不敵な笑みを浮かべた。
 あいつら全員を倒したのか。こいつはこいつでとんでもない男だ。
「出します」
 運転席に乗った高羽が告げる。
 それを僕が制した。
「待て、海は?」 
「もう一台救援の車が来てますから、海さんにはそっちに乗ってもらいます」
「そうか」
 僕は一安心して、シートに身体をうずめた。
 六人を乗せた車が研究所に向かって走り出した。


 それから追っ手が来ることはなく、二時間程で無事研究所に到着した。
 研究所の正門前には相変わらず報道陣が群がっている。
 まずは連絡をつけた所員たちと合流すべく、裏駐車場へと向かう。
 僕たちが車を降りると、十人ほどの所員が物陰から姿を現わした。
 その中には呉主任の姿もあった。
 まずは彼から現状の説明を受ける。
「研究所の正門と裏口を確認したが、誰かが侵入した形跡はなかった。結局、増援部隊とやらは来なかったようだ。解放した連中の誰かから話が伝わったのかもしれんな」
 仮想空間のことを信じたかどうかはともかく、武装した十人ものプロ集団が撃退されたとあっては迂闊には攻められないだろう。それより脱出したアイシャを探す方に力を入れたということか。結果的には無事だったとはいえ、かなり際どかった。
 呉主任は続ける。
「それから指示どおり、この辺りの狙撃ポイントは全部潰しておいた。ここ以外でもそこらじゅうで所員が見張っとるから、何かあればすぐに救援にいける。あとはお前さんの号令を待つばかりだ」
「ありがと、呉さん。さすがね」
 和香さんは所員たちに指示を出していく。
「今から研究所内の仮想空間を解除するわ。そしたら、あなたたちは所長の救出、あなたたちは出入り口で見張りをして。高羽君はここで海ちゃんたちが来るのを待って事情を説明してあげて」
 所員たちはそれぞれ返事をする。
「明季君たちはわたしに付いてきて。これから報道陣を研究所に入れて記者会見を開くわ。リュウはどう? いけそう?」
 和香さんは最も負傷の激しい柴波に聞いた。
「当然だ」 
 柴波は平然と答えた。
「あら、たくましい。頼りにしてるわよ」
 和香さんはジャケットの内ポケットから小さなリモコンを取り出す。
 バーチャル・スペース・システムの解除リモコンだ。
「それじゃ、解除!」
 ボタンが押される。外からではわからないが、これで研究所は元に戻ったはずだ。
 それを合図に、全員が任務を開始する。
「行くわよ、みんな」
 和香さんは僕たちを引き連れ、堂々と報道陣の前へと躍り出た。
 記者たちは一斉にこちらに注目し、駆け寄ってくる。
 そして、次々と突きつけられる質問とマイクに対し、和香さんは言った。
「わたしはこの研究所の所長代理である柳和香と申します。所長である柳正道は現在体調が優れない状態ですので、わたしが代理として今ネット上で話題になっている映像の真相と、この研究所の活動内容をお話させていただきます。記者会見の用意がありますので、皆様どうぞ、研究所の中へお入りください」
 こうして開かれた記者会見の席で、和香さんはVFシステムとミッションに関する詳細な説明を行った。
 それは同時に、人々に対する悲痛な訴えでもあった。
 VFシステムが開発された理由。僕たち所員の行動目標。
 それを話すこと自体が人類に対する問題提議となるからだ。
 多くの人が研究所の活動内容を知ることで、未来に関心を持ってくれれば……。
 そう思った。
 しかし、この場に集まった記者たちの関心はそこではなかった。
「なぜシステムの存在を隠していたのですか?」
「システムが悪用されるのを防ぐためです」
 和香さんは正直に答える。
「では、あなた方がそれを悪用しないという保証は?」
「それはミッション映像をご覧になれば、おわかりいただけると思います。もし利益のみを考えるなら、リスクを冒してまで何十年も先にアクセスする必要はありません。ほんの一、二年先にアクセスして株価の動向を探るだけで良いのですから」
 さらに質問は続く。
「ミッション映像はネット上で公開されたものがすべてなんですか?」
「残念ながらすべてではありません。テスターのプライバシーに関わるため、公開できない映像もあります」
 僕が自分の息子に会ってしまったミッションのことだ。それともう一つ、海が金城の身辺調査をした時の映像も閲覧禁止となり、ネット上には流されていない。
「システムの悪用を防ぐためにも、映像はすべて公開すべきだとは思いませんか?」
「テスターの素性は公開しないのですか?」
「明らかに子供と思われるテスターがいるようですが――」
「テスターの人権は――」
「テスターの報酬額は――」
 こんな質問ばかりが延々と続いた。
 どうやら、最初から槍玉に挙げることしか考えていないようだ。
 それでも、和香さんは一つ一つの質問に嘘偽りなく答えていく。
 調子に乗った記者たちは、どんどん質問をエスカレートさせていった。
「失礼ですが、所長代理は今おいくつですか?」
「ご結婚はされているのですか?」
「動画には代理の声も入っているようですが、やはりテスターとは親密な関係なんでしょうか?」
 芸能人にでもインタビューしているつもりだろうか。
 まあ、相手はマスコミだ。和香さんの美貌に飛びついてくる輩もいるだろうとは思っていたが、実際に聞くと不愉快なものだ。
「申し訳ございませんが、そういった個人的な質問にはお答えできません」
 さすがに和香さんもこんなのは相手にしない。
 すると記者たちは標的を変え、部屋の隅にいる僕たちに質問を投げかけてきた。
「そちらは所員の方々でしょうか?」
「テスターもいるんですか?」
「そちらの男性は、ミッションで負傷したんですか?」
「そちらの外国の方は、どういった役職ですか?」
「ぜひ、紹介してください!」
 こちらが答える間もないくらい次々と質問が飛んでくる。
 カメラのフラッシュがまぶしい。
「お待ちください! 質問はわたしにお願いします」
 和香さんの言葉も記者たちには届かない。だんだんと秩序が乱れてきた。
 ここまでだな。これ以上の質疑応答は無意味だ。
「柴波、もう止めよう」
「そうだな。俺もそろそろ我慢の限界だ」
「僕が記者団に声をかけるから、柴波は和香さんを――」
「待ってください」
 会話に割り込んできたのはアイシャだった。
 彼女の姿はビジネススーツにストレートのロングヘアのままだ。
「わたしが話をします」
「は……? どういうことだ?」
「ベルナドッテ家の代表として、わたしが話をするのです」
 アイシャは答え、和香さんの立つ壇上へと向かった。
 記者たちがざわめく。
 なんだ? 何を話すつもりだ?
 アイシャが和香さんに何かを告げる。ここからでは聞こえない。
 和香さんは一瞬驚く表情を見せたが、穏やかな表情で壇上を譲った。
 アイシャが記者団と向き合う。
 さっきまでの騒ぎが嘘のように会場が静まりかえる。
 僕は固唾を飲んで彼女を見守った。
「わたくしはアルメリア・ベルナドッテと申します」
 記者団の中から、またざわめきが起こる。特に海外記者団の驚きぶりが目についた。
 ざわめきが収まるの待ってから、アイシャは続ける。
「ここには欧州のベルナドッテ家をご存じの方もいらっしゃるようですね。お察しのとおり、当主アルフ・ベルナドッテは、わたくしの祖父に当たります。ベルナドッテ家は資金提供という形で研究所に協力する立場にあります。研究所は営利団体ではありませんので、投資ではなく提供です」
 和香さんにも負けないくらい堂々とした口調でアイシャは語る。
 まるで、記憶を取り戻して本当に当主代行を務めているみたいだ。
「わたくしは、この場を借りて皆さんにお伝えしたいことがあります。それは、人類の未来を守るために、現代を生きるわたくしたちがすべきことです」
 会場にいる全員がアイシャの言葉に耳を傾けている。
 もはやカメラのフラッシュもまばらだ。
「VFシステムがいかに優れた技術であろうとも、わたくしたちの力だけで未来を変えることはできません。未来を変えるには、もっと多くの力が必要です。ですから、皆さんにも協力をしていただきたいのです」
 アイシャは、ここにいる記者団だけに話しかけているのではない。
 メディアを通じ、全世界の人々に話しかけている。
「もちろん、協力といっても資金提供を求めているわけではありません。ただ、考えてほしいのです。わたくしたちの子孫によりよい世界を残す方法を、一人ひとりが考えてほしいのです。考えることこそが、未来を変える第一歩です」
 アイシャの言葉がいったい何人に届くのか、どれほどの心を動かせるのか。
 それはわからない。
 でも、この言葉を聞いた人は少なからず何かを考えるはずだ。
 何かを。
「VFシステムが見せた破滅的未来から人類を救う方法は、まだ誰にもわかりません。ですが、世界中の人々が考え、行動すれば、きっと明るい未来を作ることができると、わたくしは信じています。ですから皆さん、どうか協力してください。些細なことで構いません。未来のために、自分の力でできることを考え、実行してみてください」
 
 
 この日、アイシャが行った演説はメディアを通じて世界中に配信され、大きな話題となった。
 それによって世界がどう動くのかはわからない。
 願わくは、人類が正しき未来に向かって歩き出す第一歩となってほしい。


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