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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第18回 九章 黒幕(前編)


 秋も深まり、紅葉のベストシーズンとなった十一月の中旬。
 朝は肌寒いものの、日中の気温は年間で最も過ごしやすい。自分の名前が明季だからではないが、僕はこの季節が一番好きだ。
 VFシステムによるミッションが開始されてから七ヶ月が経っていた。
 これまで行ってきたアクセス数はすでに百回を超えている。柴波は八十回、優は二十回、海にいたっては千回を超えているらしい。
 もちろん数を誇っても仕方がないし、そのつもりもない。未来を変えるための決定的なヒントは、まだ見つかっていないのだから。
 仮想未来の世界で、僕たちは幾度となく悲惨な光景を目にしてきた。
 でも、まるで希望がなかったわけではない。
 サイクルシティや民主政治のあり方など、現代人が学ぶべき未来の社会作りもまた、幾度となく目にしてきた。人類の未来は必ずしも絶望的なものではない。選択を誤りさえしなければ破滅的未来を回避することができる。そう確信しているからこそ、僕たちは過酷なミッションに何度でも挑むことができるのだ。
 それに、研究所には同じ志を持つ仲間がいる。
 中でも僕をサポートしてくれるアイシャの存在が大きかった。ミッションをサポートするだけでなく、テスターの心のケアまでしてくれるのがナビゲーターだ。
 はじめのうちは、それが仕事だからアイシャは僕に尽くしてくれていた。
 でも今は違う。今のアイシャは心から望んで僕を支えてくれている。
 彼女の表情や態度からそれが実感できるようになった。
 そのおかげもあって、近頃はこの研究所に来るのが楽しみになった。
 不謹慎なのはわかっている。アイシャは恋人じゃない。仕事仲間だ。たとえ両想いだったとしても、ミッションを続ける限り、僕たちはテスターとナビゲーターの関係でいなければならない。
 それでも、楽しみという気持ちまで否定するつもりはない。
 逆に少しくらい楽しまないと、モチベーションが維持できないこともわかった。
 以前の僕はこうした甘えみたいものが大嫌いだったが、今はそうでもない。
 その辺りは海の影響かもしれない。海のいつも前向きな姿勢には見習うべきものがある。甘え過ぎはよくないが、時には息抜きも必要だ。
 そういうわけで、二か月前にあのゲームセンターでの事件(?)があって以来、アイシャとは週に一度だけ、昼食を一緒に食べに行くようになった。
「明季、今日は何を食べに行きますか?」
「そうだな、アイシャは何が食べたい?」
「この間は、わたしの希望を聞いていただいたので、今日は明季の食べたいものを食べに行きましょう」
「そっか。じゃあ、ファミレスへ行こうか。それならいろいろ食べられるし」
 コミュニケーションが苦手な僕でも、アイシャとなら何気ない日常の話が自然にできるようになった。
 体力的に余裕がある時は、食事の後に本屋や雑貨屋などに寄ったりもした。
 今日も楽しいひとときを過ごすはずだった。


 研究所の建物を出た瞬間、謎の三人組が襲いかかってきた。
 一人が僕に、二人がアイシャに。
 いずれもサングラスと黒いスーツ、金髪の男たち。
 あまりにも突然の出来事に思考が停止する。
 ――が、身体が勝手に反応した。
 殴りかかってきた男の手首を取り、肘を支点に捻って投げ飛ばす。
「ぐはっ!」
 固いコンクリートの地面に叩きつけられた男がうめき声を発した。
 おそらくしとめた。
 この時ばかりは残心もとらず、すぐにアイシャの方を見る
 男の一人が背後からアイシャの口を塞ぎ、もう一人は前から両腕をつかんで無理矢理連れて行こうとしていた。アイシャは必死でもがくが、男たちの力に対抗できない。
 その光景に、ようやく思考が追い付いてきた。
 白昼堂々誘拐か!
 僕はすぐさま駆け出す。
 すると、アイシャの腕をつかんでいる方の男が懐に手を入れて、黒い物体を出す。
 な、拳銃――
 距離四メートル。間に合わない。
 パシュ、という気の抜けた音がするのとほぼ同時に、脇腹に衝撃が走った。
「ぐ……!」
 強烈なボディブローを叩き込まれたような衝撃に一瞬、息が止まる。
 だが致命傷ではない。
 歯を食い縛り、再び駆け出す。
 まさかこちらが防弾服を着ているとは思いもよらなかったのだろう。男は一瞬、硬直した。
 その隙に、懐から出した鉄扇で男の手首を打ち、拳銃を叩き落とす。
 続けざまに相手のこめかみを打とうとしたが、脇腹に激痛が走り、仕損じる。
 男はすばやく後退し、今度は腰の後ろからコンバットナイフを取り出した。
 まずい……!
 男の後方ではアイシャが車に押し込まれようとしている。
 こんな奴を相手にしていたら間に合わない。
 と、その時。
 突然、アイシャを車に押し込もうとしていた男がふらふらとよろめき、足をもつれさせて地面に倒れた。
 なんだ?
 視線を横にずらすと、麻酔銃を手にした細目の同僚が。
「浜名君……!」
 さらにもう一人。
「どいてな」
 僕の肩を押し退けて、大柄な男が前に出た。
「柴波!」
「こいつは俺に任せろ」
 そう言って、コンバットナイフを持った男と対峙する。
 仲間二人を失ったにも関わらず、男は動揺を見せなかった。
 敵を威嚇するように、低い姿勢で切っ先を前に突き出す。
 間違いなくプロだ。ナイフの扱いにも慣れている。
 それに対し柴波は素手。敵に対し半身になり、腕は下ろしたままでいる。
 何か策でもあるのか?
 ナイフの男はジリジリと柴波に近付きつつ隙を伺っている。
 武器の優位性があるにも関わらず、油断はしていないようだ。
 すると、柴波は相手からは見えない角度でお尻のポケットに手を入れる。
 武器か――と思ったが、取り出したのは革製の二つ折り財布。
 その財布を、いきなり男の顔面に向かって投げつけた。
 男はとっさに腕で顔面をかばう。財布の口が開き小銭が飛び散る。
 その隙に柴波は急接近。爪先で相手の脛を蹴った。
「――!」
 男は飛び上がるように片足立ちになる。
 地味だがあれは痛い。弁慶の泣き所と言われるだけあり効果は絶大だ。
 男はふらつきながらも、すぐにナイフを前方に構える。
 が、柴波に手首を蹴られ、ナイフはすっ飛んでいった。
 それでもなお、男は素手で応戦しようとファイティングポーズを――
「遅い」
 瞬間、柴波の正拳が男の顎を捉えていた。
 あの巨体で優にも引けをとらない速さだ。技の起こりが全く見えなかった。
 男は糸の切れた人形のように前のめりに倒れる。
 ややあって、僕はその光景に目を見張った。
 前から打たれたのに、前に倒れただと……!
 力任せにぶん殴るのではなく、突きの衝撃を余すことなく浸透させた証拠だ。
 そういえば、柴波は古流の空手をやっていると聞いた。それがどういうものか詳しくは知らないが、明治以降スポーツ化してしまった空手とは一線を画すに違いない。
 ふと、視界の端で動くものが目に付いた。
 見ると、最初に投げ飛ばした男が四つん這いで何かを探している。
 しまった、さっき叩き落とした拳銃か。あれを取り戻されたらまずい!
 僕も拳銃を探すが、なかなか見当たらない。
 どこだ、どこへいった?
「探しものはこれかしら?」
 高く澄んだ声がした後、男の額にサイレンサー付きの拳銃が突きつけられた。
「はい、ゲームオーバーね」
 現れたのは、和服姿の和香さんだった。


 まさか初めて防弾服が役に立ったのが仮想未来でなく現実世界とは……。
 防弾服は銃弾の貫通は防げても、着弾の衝撃まで完全に防げるわけではない。
 僕はあの後すぐ医務室に運ばれ、撃たれた箇所を検査してもらった。
 結果、肋骨に微かなヒビが入ってはいるものの、内蔵には異常なし。数日休めばミッションに復帰できると診断された。
 とはいえ痛い。銃弾を受けた部分は真っ黒になっていた。若干呼吸もしづらい。
 痛む脇腹を抱え、僕は第一ブリーフィングルームに足を運んだ。
 そこにいたのはアイシャ。それから、アイシャをここまで連れてきてくれた柳所長の秘書の葵さん。
「明季、大丈夫でしたか?」
 アイシャがポニーテールを揺らしながら駆け寄ってきた。
「僕は大丈夫。アイシャの方こそ、怪我はなかった?」
「はい。つかまれたところが赤くなっただけです」
「そうか」
 ホッと一息つく。今にして思えば本当に際どかった。
 ――もしアイシャが一人だったら。
 ――柴波たちが助けにきてくれなかったら。
 ――銃で頭を撃たれていたら。
 どれか一つ違うだけで大惨事だった。そう考えると生きている心地がしない。
 僕は失わずに済んだ大切な存在をこの手で確かめるため、そっとアイシャの肩を抱いた。
「アイシャ……」
 するとアイシャは、今まで堪(こら)えていたのだろう、目にいっぱいの涙を浮かべながら、僕の胸にすがりついてきた。
「明季……。わたし……わたし……怖かったです……!」 
「大丈夫、もう大丈夫だから」
 僕も怖かったが、アイシャはもっと怖かったはずだ。
 本当に無事でよかった。もしあいつらにアイシャがさらわれていたらと考えると、気が狂いそうだ。アイシャはここにいる。ちゃんとここにいる。
 アイシャの体温が手に伝わってくる。それから、優しいバニラの香りも。
 しばらくそうしていると、アイシャの身体の震えは徐々に収まっていった。
「お二人とも、そろそろよろしいでしょうか?」
 その声で、僕たちはパッと離れる。
 葵さんがいるのをすっかり忘れていた。
「す、すみません。なんでしたか?」
 葵さんは特に気にした様子もなく淡々と要件を告げる。
「野川さん、お疲れのところでしょうが、柳所長から第四ブリーフィングルームへ来るようにとの指示です」
「わかりました。すぐ行きます」
 第四ブリーフィングルーム。
 四つあるブリーフィングルームのうち、今は誰も使っていない部屋だ。
「葵さん、アイシャのことよろしく頼みます」
 僕は一礼した後、一瞬だけアイシャに目を向け、踵を返した。


「すみません、遅くなりました」
 第四ブリーフィングルームにいたのは、柳所長、和香さん、柴波、浜名君の四人と、捕らえた金髪の男三人。
 他のブリーフィングルームと違い、机も椅子もなければ飾り気もないこの部屋で、柳所長は車椅子、他三人は立っている。和香さんはさっき奪った拳銃を手に持っていた。
 男たちは縄で手足を拘束され床に転がっている。
 三人ともサングラスは外され、素顔があらわになっていた。
 いずれも金髪碧眼の白人男性、年齢は二十代後半から三十代前半くらいだ。
「明季君、お腹の具合はどう?」
 和服姿の和香さんが尋ねてくる。
「肋骨に少しヒビが入りましたが、問題ありません」
「そ。我慢できなくなったらいつでも言ってね」
「はい」
「それじゃ、尋問を始めましょうか」
 床に転がっている男たちに注目する。
 三人とも抵抗する様子はなく、おとなしくしている。
 一人は麻酔が効いて、まだ意識を失っているようだ。
 和香さんが一歩前に出る。
「さて、これが普通の誘拐事件なら警察に突き出しておしまいなんだけど、所長があなたたちに心当たりがあるって言うからそうもいかないのよね。というわけで、あなたたちの正体とか目的とか、いろいろ聞かせてもらおうかしらね。まずはこの中で日本語を話せる人はいる?」
「……」
「……」
 男たちは無反応だ。
 和香さんはムッとした。
「あら、だんまり決め込むつもり? そっちがその気なら、尋問タイムが拷問タイムに変わるわよ?」
 すると、それまで無表情だった男たちの目が大きく開かれる。
 一人が口を開いた。
「バカナ。日本デハ、拷問ハ禁止サレテイルハズダ」
 しゃべったのは最初に僕が投げ飛ばした男。訛ってはいるが間違いなく日本語だ。
「はい、お返事ありがとう。少なくともあなたは日本語が話せるみたいね」
「グ、シマッタ!」
 早くも和香さんのペースだ。相手が間抜けなのもあるが。
「単刀直入に聞くわね。あなたたち、三年前に北欧で未成年の女の子を誘拐しようとした連中の一味よね?」
 三年前、アイシャが記憶を失うきっかけとなった誘拐未遂事件。三人が西洋人ということもあって、なんらかの関係があるのではないかと僕も思っていた。
 当時、北欧に滞在していた柳所長はアイシャを危険から遠ざけるため日本に連れ帰ってきた。その後も事件は未解決。アイシャの記憶も戻らないまま現在にいたる。
 敵方がアイシャの居場所をつかみ、日本まで乗り込んできたということか。
「……」
 男は黙っている。
「ちょっと、無視しないでくれる?」
 和香さんは日本語をしゃべった方の男の前にしゃがみこみ、銃身で額をコツコツと叩く。
 男は、なおも無反応。
「ねえ、早くしゃべらないと、この銃が火吹くわよ?」
 いや、それではしゃべらないだろう。
 案の定、男は鼻で笑う。
「ウソダナ。日本人ハ銃ヲ持ッテモ撃テナイ民族ダ。撃テルモノナラ撃ッテミロ」
「あらそう」
 和香さんは静かにつぶやき、銃身に着いたサイレンサーを取り外す。
 待て、何をするつもりだ!?
「日本人なめんじゃないわよ」
 次の瞬間、耳をつんざくような銃声が室内に響いた。
 乾いた発砲音に一瞬気が遠くなる。
 本当に撃っただと!?
 撃たれた男はまばたき一つせず、パクパクと口を動かしていた。
 まさか死――いや、当たってない。
 それどころか発射すらされていない。外したなら跳弾の音がするはずだ。
 だいたい、室内で床に向かって撃つなんて危険なことを和香さんがするはずはない。
 でも、しっかりと火薬の匂いがする。煙が立ち昇るのも見えた。
 なんなんだ? 何をしたんだ?
「なんてね。本命はこっちでした」 
 和香さんは拳銃を持っていない方の手をこちらに見せる。
 その手に隠し持っていたのは――
 あ、あれは、運動会とかで使うピストル! いつの間にあんなものを。
 和香さんは振り向くと、浜名君に対しグッと親指を立てる。
 浜名君も同じ動作を返した。
 お前か! 
 しかし効果は絶大だったようで、男は口を開けたまま白目を剥いてしまった。
「あら、気絶しちゃった? 困ったわね、尋問できないじゃない」
 これには、さすがの柳所長も口を挟む。
「和香、やり過ぎだ」
「アハハ、ごめんね。でもほら、もう一人いるし」
「日本語が話せなかったらどうする?」
「話せるわよ、きっと。ねぇ?」
 和香さんは床に転がっているもう一人の男――僕を拳銃で撃った男に聞いた。
 男は冷めた表情でこちらを見つめてくる。銃声にも動じていないようだ。
 柴波にやられたとはいえ、さっきの男より明らかに格上の雰囲気。
 こいつがリーダーか。
「警告する。今すぐ我々を解放し、アルメリアの身柄を引き渡せ。さもなくば一時間後には第二部隊が突入することになっている」
 突然の流暢な日本語に驚かされる。
 いやそれよりも、この男、今……。
「待て、アルメリアって誰なんだ?」
 僕の発言に男は眉をひそめる。
「何を言っている? さっきお前と一緒にいただろう」
 まさか……アイシャのことなのか?
 振り返り柳所長を見る。
 柳所長にその動作は見えないが、空気が伝わったのだろう。簡潔に答えた。
「アルメリア・ベルナドッテ。アイシャの本名だ」
 場が静寂に包まれる
 柴波と浜名君も驚きの表情を浮かべていた。
 和香さんは知っていたのか、表情は変わらない。
 ――アルメリア・ベルナドッテ。
 僕はその名を胸に刻みつけるように、頭の中で繰り返した。
 ようやくわかったアイシャの本名。記憶を取り戻すきっかけになってしまうかもしれないからと、アイシャ自身にも伝えられていなかった名だ。
 僕は柳所長に聞く。
「教えてください。どうしてアイシャは狙われているんですか?」
「正確には違う。奴らの本当の狙いはベルナドッテ家そのものなのだ」
「アイシャの家がどうして――」
「待て、野川」
 柴波が僕の肩に手を置き、制止してきた。
「その話は後だ。それより先にやることがあるだろう?」
 指摘され、ハッとする。
「おい」
 柴波が床に転がっている男に問う。
「さっき一時間後に第二部隊が突入すると言ったな? それはどの時点から一時間後だ?」
「我々が作戦を開始してからだ。つまり、もう間もなくだ」
 男がニヤリと笑った。
 僕は腕時計で時間を確認する。現在、十二時五十分。
 確かアイシャとブリーフィングルームを出たのは十一時五十分頃だった。
 もういつ来てもおかしくない。
 だが、研究所に入ったからといって、地下にあるこのブリーフィングルームをすぐに見つけることはできないはず。
 そう思った次の瞬間、部屋の外から複数の足音が聞こえてきた。
 まさか……!?
 ブリーフィングルームのドアが勢いよく開けられる。
「全員動くな!」
 怒号とともに、黒いスーツとサングラスの男たちが十人ばかり部屋に入ってきた。
「くっ!」
 僕たちは身動きがとれなくなる。男たちが一斉に拳銃を向けてきたからだ。
「形勢逆転だな」
 床に転がっている男が勝ち誇るように言った。
 黒光りする銃口を前に、全身から冷や汗がにじみ出てくる。この数が相手では、もはや防弾スーツなどほんの数秒寿命を延ばすくらいにしか役に立たないだろう。
 突入してきた第二部隊のうち三人が、床に転がる三人を拘束する縄を切って解放する。
 二人は気絶したままだったが、リーダー格の男はゆっくりと立ち上がった。
「油断してたわ……。身ぐるみ剥がしておくべきだった」
 持っていた銃を取り上げられた和香さんが悔しそうに言う。
 一瞬なんのことかと思ったが、男が襟の裏側から何かを取り出し、見せびらかすようにこちらへ向けてきたことで合点がいった。男の手のひらには小型円形スピーカーのような装置が乗っていた。発信機。地下にあるこの部屋の位置まで正確にわかるとは、携帯のGPSとは段違いの性能だ。
 先にアイシャを見つけられなかったのは幸運だが、この状況ではどのみち時間の問題だ。どうする……。
 第二部隊の中から四十歳くらいの茶髪の男が前に出てきた。雰囲気からして、この男が隊長だろう。
 その隊長が流暢な日本語で問う。
「代表者は誰だ?」
「私だ」
 車椅子に座る柳所長が即座に答えた。
 茶髪の隊長は柳所長に拳銃を向けながら歩み寄る。
「ん……?」
 それから眉をひそめた。
 おそらく、柳所長が銃を向けられても動揺しないどころか、自分の方に顔を向けようともしないことを不審に思ったのだろう。
「貴様、目が見えないのか?」
「そのとおりだ。両目とも失明している」
「そうか」
 隊長は油断しなかった。銃を下ろさず、態度も変えない。
「だが状況はわかるだろう? おとなしくアルメリアを引き渡せ」
「ノーと言ったら?」
「全員射殺だ」
 こいつらは本気だ。現に第一部隊の男は躊躇なく僕を撃った。
 それでも、柳所長は臆することなく言う。
「そんなことをすれば君たちも無事では済まないぞ」
 当然だ。この日本で集団殺人を犯して簡単に脱出できるはずがない。空港あたりで捕まるのが関の山だ。
 しかし、隊長は余裕の笑みを浮かべた。
「警察のことを言っているのか? だとしたら期待はずれだ。警察は動かんぞ。圧力をかけられているからな」
「どういうことだ?」
 柳所長の返しに、隊長は低く威圧的に答える。
「我々の背後にいる存在がそれだけ強大な力を持っているということだ」
「背後とは誰だ? 政府関係者か?」
「それもある。だがここは、あらゆる権力者と言っておこう」
「あらゆる権力者だと?」
「そうだ。政治家、官僚、大資本家、王族、貴族、軍の将校にいたるまで、ベルナドッテ家を敵視する権力者は世界中にいる。彼らは、世界の流れを変えてもらっては困るのだ。ここまで言えばわかるだろう?」
 その言葉でピンときた。
 ベルナドッテ家がどのような活動を行っているかは知らないが、これは四十年後の世界でサイクルシティの市長が受けた経済至上主義者による妨害工作と同じだ。問答無用でいきなり爆破した四十年後よりマシとはいえ、ここまでやるのか。
 僕が言う。
「要するに、アルメリアを人質にとることでベルナドッテ家を黙らせ、自分たちの権益を守ろうということか」
 隊長は銃口を柳所長に向けたまま、顔だけこちらへ向けてきた。
「そういうことだ。だから降伏しなければ、お前たちはあらゆる権力者を敵に回すことになる。どうやっても勝ち目はない。命が惜しくばアルメリアを引き渡せ」
 アイシャが何者かに狙われているのは知っていたが、まさかここまで話が大きくなるとは。あまりの急展開に思考が追いつかない。膝がガクガクと震えるのを抑えるので精一杯だ。
 もちろん、アイシャをむざむざ渡すつもりはないが、このままでは全員殺された上でアイシャも捕まってしまう。それでは無駄死にだ。
 本当にどうにもならないのか……?
「早く答えろ。なんなら一人撃ってやろうか?」
 隊長が銃口を和香さんに向ける。
「よせ!」
 柴波が両手を広げて和香さんの前に立ちふさがった。
「動くなと言ったろう。そんなに撃たれたいのか?」
 隊長が目を細め、引き金にかかった指に力をこめる。
「リュウ!」
 和香さんの悲痛な叫びにも、隊長の表情は変わらない。
 まずい、撃たれる!
「待て!」
 柳所長が叫んだ。
 隊長の指が止まる。
「ようやく渡す気になったか?」
 隊長は視線とともに、再び銃口を柳所長に向けた。
「いや、アルメリアを渡すつもりはない。権力者だろうとなんだろうと、行く手を阻むものとは断固として戦うまでだ」
「ならば死ね」
「断る!」
 柳所長が叫んだ直後、突如視界が歪んだ。
 何かに引っ張り込まれるように身体が浮き上がる感覚。
 なんだ!? いったい何が――


 気が付いたら真っ白な空間に立っていた。
 まるで瞬間移動したようだ。
 この感覚は、仮想未来にアクセスした時と同じ……。
 周囲の状況を確認する。
 研究所のメンバーも、侵入してきた男たちも全員いる。配置もそのまま、手に持った拳銃もそのまま、場所だけがそっくり変わっていた。
 どこから床でどこから壁なのか区別もつかない、ただ真っ白な空間。
 照明もないのになぜか明るい。
 だが、この空間がVFシステムの仮想未来空間と同系統の技術で構成されているということは直感でわかった。
 柴波と浜名君も察しがついたのだろう、それほど驚いてはいない。
 和香さんは安心したようにホッと息をついている。事情を知っているようだ。
 そんな僕たちとは対照的に、敵の男たちは激しく動揺していた。
「なんだこれは!? 何をした!」
 隊長が狼狽しながら叫ぶ。
「お答えしよう」
 柳所長は車椅子から立ち上がった。
 そして、ゆっくりとサングラスを外す。
 初めて見る柳所長の素顔に、僕は目を見張った。
 異様に若い。四十八歳だというのに三十代半ばくらいにしか見えない。
 和香さんといい、この夫婦はいったいどうなってるんだ? 
 何か若さを保つ秘訣でもあるのか?
 柳所長の目はしっかりと隊長の顔を見据えていた。
 アクセス中は視力が戻るという話は聞いたが、ここでもそうなのか?
「貴様、失明しているというのは嘘だったのか?」
 隊長が憤る。
「嘘ではない。仮想空間においてのみ、私の視力は元に戻るのでな」
「仮想空間だと?」
「そう。あの場にいた全員を、強制的にこの仮想空間にアクセスさせたのだ」
「わけのわからんことを……。元に戻せ!」
 隊長は銃口を向け、柳所長を威嚇する。
 しかし、柳所長は全く動じない。
「私の意思で戻すことはできん。ここから戻る方法は二つ。外からリセットするか、私を殺すかだ」
 それから、中空に向かって問う。
「葵君、そこにいるな?」
『はい』
 どこからともなく声が聞こえてきた。
『空間内の様子はモニターで確認しています』
 葵さんの声だ。
 男たちは慌てて周囲を見回すが、声の主は見つからない。スピーカーなどの音声機器もない。本当にどこからともなく聞こえてくる。
 少なくとも葵さんはこの空間の外にいるようだ。おそらく一緒にいたアイシャも。
『こちらの状況を報告します、午後からの出勤者に自宅待機の指示を出した上で、研究所を全面封鎖しました。それから、残った所員は第一ブリーフィングルームに集めました』
「上出来だ。そこに所員は何人いる?」
『わたしとアイシャを合わせて十五人です』
「では、今から十人を第四ブリーフィングルームに向かわせてくれ。そこに侵入者が横たわっているから、武器を没収し身ぐるみを剥いだのち拘束するように。残りの者には研究所の中から周辺の調査をするよう指示を」
『かしこまりました』
「さて……」
 柳所長は再び隊長を見る。
「これで形勢再逆転だな。現実世界にいる君たちは一切抵抗できない。拘束が完了したのち、空間を解除させてもらう」
「馬鹿か貴様は? 貴様を殺せば元に戻れるのだろう。我々がのんびり待っていると思うか?」
 そうだ、ここで撃たれればそれまで。仮にVFシステムのような後遺症がなかったとしても、元の危機的状況に戻るだけだ。
 しかし、柳所長は余裕の表情だ。何か秘策があるに違いない。
「撃ちたければ撃てばいい」
「ではそうさせてもらおうか」
 隊長が合図をすると、部下たちが一斉に銃を構えた。
 恐怖で全身が硬直する。息がまともにできない。
 大丈夫だ、柳所長を信じろ!
「撃て!」
 
 ………………

 空間内がシーンと静まりかえる。
 いつまで経っても、銃弾は発射されなかった。
「馬鹿な!? なぜ撃てない!?」
 男たちは慌てて安全装置を確認したり、何度も何度も引き金を引いたりする。
 しかし、何をしても銃弾は一発たりとも発射されることはなかった。
「銃がダメならナイフを使え!」
 隊長が大声で命令する。
 男たちはすぐさま反応し、腰の後ろからコンバットナイフを取り出した。
 そして、一斉に襲いかかってくる。
 しかし――
「が!」
 男たちは、まるで透明な壁にぶつかったかのように次々と途中で弾かれた。
「いったい、どうなっている……?」
 呆然とする隊長に対し、柳所長は冷やかに告げる。
「無駄だ。この空間における一切の暴力行為を禁止事項に設定した。この空間にいる限り、誰も我々を傷付けることはできない。ただし――」
 柳所長は床に倒れている男の一人に歩み寄り、拳銃を奪い取った。
「この空間の支配者たる私だけは例外だがな」
 言葉とともに、銃口が隊長に向く。
「や、やめろ!」
 隊長は狼狽し、両手で顔面をかばう。
「安心しろ、ここで撃たれても死にはせん」
 直後、銃声が鳴り響いた。
「う……」
 隊長がうめき声を出し、尻餅をつく。
 当たっては……いない。 
 銃弾はどこにも着弾することなく、虚空の彼方へ消えたようだ。
「これでわかったろう。ここでは誰も私に逆らえない。だが私に人を傷付ける趣味はない。しばらくおとなしくしていたまえ」
 柳所長は拳銃を捨て、僕の方を向いてきた。
 初めて柳所長と目が合った。心臓がドクンと跳ねる。
「君が野川君だな?」
「え? あ、はい」
 とっさに返事をする。
「君が柴波君、そちらは浜名君か?」
 柳所長は視線を移しながら、順に問う。
「そういえば、この三人とは初のご対面だったわね」
 和香さんがそう言ったことで、ハッと気付いた。
 そうか、柳所長が僕たちの顔を見るのはこれが初めてなのか。
「みな良い顔をしているな」
 柳所長は我が子を慈しむ父親のように暖かく微笑んだ。
「こんな機会はめったにない。葵君から連絡がくるまでの間、君たちの顔を焼き付けておかないとな」
 それから十五分ほどの間に、僕たちは柳所長からこの白い空間についての説明を受けた。
 この仮想空間を構築しているのは、VSシステム(バーチャル・スペース・システム)という装置であり、VFシステムの開発過程でできた副産物らしい。
 仮想空間を構築する仕組みはVFシステムと同じだが、仮想未来と比べ遥かに単純な空間であるため、適性率の制約やアクセス後のダメージはなく、さらには広範囲の人間を一度に取り込むことができるという。
 さらに、空間を発動させた人間のみ、独自の設定を追加する機能がある。柳所長が暴力行為を禁止したのがその例だ。今も会話を聞かれないよう、敵の男たちには声が届かないよう設定したという。
 VFシステムほどではないが、これはこれですごいシステムだ。研究所の防衛にうってつけなのも今回実証された。ただし、使用電力量が非常に大きいため研究所の九割以上を自動停電させる必要があり、やたらめったに使えるものではないとのことだ。
 話が一通り済んだ頃、葵さんから通信が入る。
『所長、敵部隊の拘束が完了しました』
「ご苦労だった。では空間をリセットしてくれ」
『はい』
 次の瞬間、意識が暗転した。


 気が付いたら天井を見上げていた。
 ……ここは、第四ブリーフィングルームか。
 普段のミッションと同じような感覚なだけに状況把握は早い。
 おそらく、アクセスした瞬間その場に倒れたのだ。その後、所員の誰かによって床に仰向けの姿勢にされた。そんなところだろう。
 吐き気やだるさはない。すぐに動いても問題なさそうだ。
 僕は身体を起こす。
 周囲で、柴波、浜名君、和香さんも同じように起き上がっていた。柳所長は車椅子の上でピンと背筋を伸ばしていた。
 視線を横に移すと、下着一枚残して裸にされた男たちが、手足を拘束された状態で床に転がっていた。それから、見知った所員が十人ほど。
 男性所員の一人が柳所長に歩み寄る。
「報告します。全員の武器を没収した上で、身体検査を厳しく行いました。隊長と思われる人物の服から発信機が見つかりましたが、すでに破壊済です。見つかった武器は拳銃とナイフのみ。すべて別の場所に移しました」
「ふむ。研究所周辺の状況は?」
「数名の不審人物がこちらを見張っています。奴らも武装している可能性が高いかと」
「やはりそうか。それでは迂闊に研究所の外へは出られんな。かといってここに留まるのも危険か……」
 柳所長は顎に手を当てて考えるように唸った後、全員に向けて指示を出す。
「ただちに第一ブリーフィングルームにてミーティングを行う。全員、速やかに移動だ」
「彼らはどうしますか?」
 男性所員が、床に転がっている男たちを指す。
「とりあえず、ここに閉じ込めおこう。見張りは監視カメラで充分だ。寒いのは気の毒だが仕方あるまい」
 因果応報だ。同情の余地はない。
 僕たちは移動を始める。
 すると、うつ伏せで手足を縛られた茶髪の隊長が、バタバタと身体を揺すりながら大声で呼び止めてきた。
「待て、すぐに我々を解放しろ! このままでは済まさんぞ!」
 柳所長の車椅子を押す和香さんが足を止める。僕と柴波、浜名君も止まった。
「どう済まさないのだ?」
 柳所長が聞いた。
「これだけ時間が経っているのだ。外で見張っている者たちが不審に思って本部へ連絡したはずだ。数時間後には次の部隊が来るぞ!」
「ならばその部隊もさっきの空間に取り込むまでだ」
「そんなところに立てこもっても無駄だ。時間が経つごとに貴様らは不利になる。そもそも経済基盤が違うのだ。相手は世界中の権力者たちだぞ。女一人のために彼らを敵に回してもいいのか?」
「地球を敵に回すよりはマシだ」
 柳所長はそれだけ言って、和香さんに「行こう」と声をかけた。
 それから僕が言う。
「アイシャは渡さない。何があってもだ」
 次に柴波が言う。
「俺も同意だ。肥太った豚野郎どもに屈服するなんざ、死ぬほど屈辱なんでね」
 最後に浜名君が言う。
「ボクも同意です。そもそも、あなたセリフと格好が合ってませんよ」
 そのあと隊長が何か叫んでいたようだが、僕たちは無視して第四ブリーフィングルームを出た。


 第一ブリーフィングルームに十九名の所員が整列し、柳所長と和香さんが前に出た。
 合計で二十一名。二人か三人で使う分には広々としたブリーフィングルームも、これだけ集まると手狭だ。普段僕たちが使うテーブルと椅子は壁際にどけてある。
 柳所長は全員に向け、次に取るべき行動を指示する。
「すでに葵君から聞いていると思うが、奴らの狙いはアイシャだ。数時間後には増援がやって来るため、ここに留まることはできない。そこで君たちには、地下通路を使って研究所から脱出してもらう」
 ここの所員になった時、地下の脱出用通路の存在は聞かされていた。研究所が襲撃された際の備えらしいが、まさか本当に使うことになるとは……。
「脱出後は別命あるまで自宅で待機。連中の強引なやり方から考えるに、所員一人一人の顔まで把握している可能性は低いと思われるが、念のため帰宅後は外出を控え、必要時は変装するなど各個対処してほしい」
 柳所長が言い終えたところで、所員の一人が発言する。
「ですが所長、このまま連中に踏み込まれれば、VFシステムが発見されてしまいます」
 他の所員が続く。
「そうです! VFシステムが権力者の手に渡れば、それこそ世界の破滅です」
 所員たちの間でざわめきが起こる。
 柳所長は軽く手を上げ、所員たちの声を制してから応じた。
「もちろん、このままVFシステムを放置するつもりはない。私が奴らの動きを封じる。バーチャル・スペース・システムを使ってな」
 確かに、あの仮想空間ならVFシステムを守ることはできるだろう。
 ただ一つ大問題があるはず。
 それを指摘したのは、開発整備主任である呉だった。
「待て、柳。それではお前さんが脱出する方法がないではないか」
 呉主任のしわがれた声に一同がざわめく。
 思ったとおり、最低一人はここに残らなければならないようだ。
 しかし、柳所長は淡々と言葉を返す。
「構わん。そもそも私はVFシステムを置いて脱出するつもりはない。最悪の場合、奴らの手に渡る前にシステムを破壊しなければならないからな」
 呉主任は三白眼をぎらつかせ食い下がった。
「その役目ならわしが引き受ける。お前さんは皆と脱出して指揮を取った方が良い」
「ダメだ。この役目は長(おさ)たる私の務め。絶対に譲るつもりはない。これは所長命令だ」
 そう言われてしまっては議論の余地はない。柳所長の絶対は絶対だからだ。
 呉主任は悔しそうな表情を浮かべ、別の質問をする。
「では所員を逃がし、奴らの侵入を防いだとして、その後どうする?」
「まず、敵のターゲットであるアイシャをここから遠ざける必要がある。その役目を野川君、柴波君、君たちに頼みたいのだがどうだろう?」
「もちろん引き受けます」
 僕は即答する。
「ま、どう考えても断れる雰囲気じゃないでしょう。引き受けますよ」
 柴波もそう答えてくれた。
 助かる。主義主張の違いはあれど、仲間にするならこんな頼もしい男はいない。
 呉主任が柳所長に聞く。
「脱出後の指示はどうやって出すつもりかね?」
「こういう事態に陥った時の対策は和香に伝えてある。和香、ここからは君が指揮を取ってくれ」
「……」
 和香さんは苦々しい表情のまま返事をしなかった。
 当然だ。夫を残して脱出しなければならない和香さんが、この場で一番つらい思いをしているだろう。彼女はうつむき加減のまま視線を泳がせるばかりだった。
 沈黙の中、僕はふと思いついたことを口にする。
「所長、仮想空間にアイシャを匿うことはできないんですか? 下手に逃げるより、その方が安全なのでは?」
 柳所長は首を横に振った。
「ダメだ。仮想空間にアクセスすれば、点滴によってしか栄養分と水分を摂取することができない。用意してある点滴は一週間分だ。決して万全ではない」
 柳所長はあくまでも自分以外をここに残すつもりはないようだ。
「そんなの――」
「やめとけ」
 何か言いかけたアイシャを、柴波が制した。
「何を言っても所長の意思は変わらんよ。それは一緒に暮らしているあんたの方が知ってるだろう?」
「ですが!」
 アイシャは目に涙を浮かべて食い下がった。
 そうだ。記憶を失って以来、アイシャにとって柳所長は父親同然の存在だった。
 きっと和香さんと同じくらいつらいはずだ。
「アイシャ、落ち着きなさい」
 柳所長がなだめるように言う。
「私とて死ぬつもりはない。要するに、一週間でこの状態をなんとかすれば良いのだ。仮想空間を解除しても危険のない状態――つまり、権力者どもがアイシャにもVFシステムにも手出しできない状態にな」
「そんなことが、できるのですか?」
 アイシャは不安そうに聞いた。
「策ならある。私と和香を信じなさい」
 静かだが、力強い言葉。
「はい」
 アイシャは手で涙をぬぐいながら返事をした。
「和香、やれるな?」
 柳所長が聞いた。
 全員が和香さんに注目し、返事を待つ。
 ……
 …………
 やがて、和香さんは顔を上げる。
「わかったわ。やりましょう」
 その表情は決意に満ちていた。
「お願い、みんな力を貸して」


 地下一階にある脱出用の通路は、現在海が暮らしているマンションの地下駐車場とつながっているらしい。あまり大人数がマンションからぞろぞろ出てきては目立つので、五人ずつ四組に分けて脱出することになった。
 ちなみにマンションのオーナーは柳家の親戚らしく、その時間だけ他の住人が駐車場に入って来られないよう手を回しておいてくれるとのこと。
 しかし、脱出の前に問題があった。
 第四ブリーフィングルームに閉じ込めておいた男たちをどうするかだ。
 研究所内に放置すれば柳所長と共に仮想空間に取り込まれてしまう。当然、彼らの分の点滴などない。このままでは死人が続出して大問題になる。
「彼らは解放すればいい」
 僕の訴えに対し、柳所長は平然と返してきた。
「いいんですか?」
「構わん。あの格好のまま外に放り出せば、たちまち通報されるだろう。一般人からの通報であれば警察も動かざるを得まい。というより、圧力がかけられているのは上層部であって、所轄の警察は細かい事情など知らないだろうから普通に捕まるはずだ」
 その後すぐに手が回って釈放されるだろうがな、と柳所長は付け足した。
 しかし、まさか裸のまま警察署から出すわけにもいかないので、彼らの服を用意するのにそれなりの時間がかかるだろう。僕たち全員が脱出する時間は充分稼げる。
 そんなわけで、彼らは下着一枚の姿で解放した。
 十分ほどで外からサイレンの音が聞こえてくる。
 早いものだ。腐敗している部分もあるとはいえ、日本の警察がまだまだ優秀な部類だということに安心した。
 もちろん、彼らはこの研究所のことを警察には話さないはずだ。先に銃を持って攻めてきたのは彼らの方なのだし、話がややこしくなれば釈放もそれだけ遅くなる。
 また、十数人もの露出狂がいきなり街に現れたとなれば、全国的な話題になるだろうから、釈放されたところで迂闊に出歩くことはできまい。
 サイレンの音が消え去ってからすぐ、一組目が脱出を開始した。
 さらに五分後、二組目が脱出開始。
 アイシャは私服からオフィススーツに着替え、ウィッグとカラーコンタクトを付けて日本人のような姿に変装した。
 和香さんも和服からスーツに着替えた。
 さて、次は僕たちが脱出する番だ。
「それじゃあ呉さん、殿(しんがり)はお任せしますね」 
「お前さんたちが本命だ。気を付けてな」
 和香さんが、最終組である呉主任と言葉を交わす。
「野川さん、これを持っていってください。いざという時、役に立つかもしれません」
 浜名君が麻酔銃を渡してきた。彼らから奪った拳銃があるというのに、あえてこれを渡すところが彼らしい。
「ありがとう、そっちも気を付けて」
 最終組の残りの三人は柳所長をメディカルルームに連れて行き、バーチャル・スペース・システムを起動する準備をしている。
 三組目は、僕、アイシャ、柴波、和香さん、葵さんの五人だ。
葵さんは柳所長から指名はされなかったが、自発的にアイシャに付いていくことを申し出てくれた。
「いざとなったら、わたしがアイシャに変装して敵を引きつけるわ」
 葵さんはアイシャとほぼ同じ体格、服装も同じスーツなので、あとはブロンドヘアのウィッグを付ければ遠目には区別がつかない。
「ダメです! それでは菜々さんが危険です」
 アイシャは葵さんを心配して、はじめは断った。
「わかってる。でも、わたしと違って、あなたが捕まれば研究所そのものがおしまいだから」
「でも……!」
「それにね、アイシャがわたしを心配してくれるように、わたしもアイシャが心配なの。嫌って言っても付いてくからね」
 以前アイシャは、海を心配する僕に対して同じことを言った。アイシャは自分で言ったことは必ず守る。渋々ではあるが、葵さんの申し出を受け入れた。
 こうしたやりとりの後、僕たち五人は脱出を始める。
 薄暗い地下一階の廊下、第四ブリーフィングルームの先に、脱出通路へと通じる扉はあった。
 扉の向こうに照明はない。先頭を行く僕が懐中電灯で先を照らす。
 通路は狭い。横に並ぶことができないので縦一列で進む。天井は僕の頭がぎりぎり擦らない低さだ。後方にいる柴波は屈んで歩いているだろう。緊急用だから仕方ない。
 五分ほどで突き当たりに到達する。
 扉を開けると、薄暗い地下駐車場に出た。
 そこに人影があった。背が高く、ほっそりとした男。
直接会うのは初めてだが、彼が誰なのかはすぐにわかった。
「高羽じゃねえか」
 最後に扉から出てきた柴波が声を上げた。
高羽京次。海の専属ナビゲーター。
 ミッションの時は執事姿らしいが、今は私服姿だ。
「お待ちしてました。どうぞ、これを」 
 高羽が僕に車のキーを渡してきた。可愛らしい白うさぎのマスコットが付いている。
「これは?」
「海さんから預かったものです。必要なら、自分の車を使ってもらいたいとの言伝(ことづて)です」
「海が……」
「はい。皆さんのこと、とても心配してましたよ」
「そっか。わざわざありがとう」
「礼には及びませんよ。俺にできることがあったらなんでも言ってください」
 高羽は僕だけでなく全員に向かって言った。
「助かるわ、ありがとね」
 和香さんはお礼を言って、白いハイブリッドカーの助手席に乗り込んだ。
「貸しな、運転は俺がする」
 柴波が僕の手からキーをひったくり、運転席に向かった。まだ脇腹が痛むのでありがたい。
 アイシャと葵さんも、お礼を言ってから後部座席に乗り込んだ。
 僕は車に乗る前に高羽と向き合う。
 そして一言。
「海のこと、よろしく頼むよ」
「あなたに言われるまでもありません」
 彼は静かに返してきた。
「そうだな、つまらないことを言った」
 ミッション映像を見て、彼と海がすでに強い信頼関係で結ばれているのは知っている。
 今さら僕が保護者面するなどおこがましかった。
「ですが」
 高羽が言う。
「もしこの場に海さんがいたなら、こう言うと思います。アイシャさんのこと絶対守ってあげて、と」
「それこそ言われるまでもない」
 僕は苦笑した。
 高羽も同じように笑った。
「でしょうね。では、ご武運をお祈りしています」
「ありがとう。海にも礼を伝えておいてほしい」


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