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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第17回 八章 末路(後編)


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
 胸の苦しさはすっかりなくなっていた。
 でも、さっきのことを思い出すと、またすぐに胸が苦しくなってくる。
 せっかく仲良くなれそうだったのに、全部忘れられちゃうなんてつら過ぎるよ。セーブ機能が付いてればいいのに。
 マヤちゃん、春、金城さん。
 ほんの短い間しゃべっただけなのに、こんなにも別れが寂しいなんて……。
 自分を知ってくれている人がいるのって、こんなにも暖かなものなんだ。
 今までのミッションは、知らない人ばかりでずっと孤独だった。
 中には親切にしてくれる人もいたけど、知らない人は知らない人だった。
 だから、こんなにも……。
 だけど、いつまでも嘆いてはいられない。
 あたしにはまだ、最後の仕事が残ってるんだから。
 迷いを振り切って、再びアクセス。
 時刻設定は午後八時二十分。
 あたしは見つからないよう、電灯から離れた位置で事務所を見張る。
 五分後、事務所の灯りが消えた。
 それから三人が出てきて戸締まりをした後、春とマヤちゃんは別方向に歩き出した。
 どうやら二人の家は事務所のすぐ裏手にあるみたいだ。好都合。
 一人になった金城さんが夜道を歩き出す。
 よーし、尾行開始。
 あたしは電柱から電柱へ、ササッと移動ながら金城さんを追う。
 この時ばかりは電柱のある地域でよかったと思った。
 しばらくして、金城さんが角を曲がった。
 十秒くらいしてから、あたしも角を曲がる。
 すると、目の前に大きな壁が立ち塞がっていた。
 いや、壁じゃない。人だ。
「私に何かご用ですか?」
 頭上から低い声が降り注ぐ。
 見上げると、金城さんこちらを見下ろしていた。
 さっきとは全く違う、冷たい表情で。
「先生ではなく私をつけ狙うとは妙な方ですね」
 金城さんはまるで狩人のように鋭く目を細める。
「いったい何が目的だ?」
 ほんとに……ほんとにあたしのこと忘れちゃったの、金城さん?
『リセットします』
 次の瞬間、あたしの意識は暗転した。


 結局、金城さんが駅方面へ向かっているのを突き止めるのに十回もアクセスを繰り返すハメになってしまった。
 駅までは歩いて十五分くらいの距離だったのに、百メートルに一回は見つかってるよ。
 あたしって尾行に向いてないな。金城さんが鋭いっていうのがあるにしても、あんなにすぐ見つかるなんて。
 でもどうして、振り向きもしないで気付くんだろ? 
 足音で? ただの通行人とは足音が微妙に違うのかな?。
 だとしてもすごい勘だな。あの人は適性率高そうだ。
「ちょうど駅の近くに公園もありますし、声をかけるならこの辺りですね」
 キョウがモニターの映像を見ながら言った。
「じゃあ、これで終わり?」
「はい、あとは野川さんにお任せしましょう。本日のミッションは終了です。おつかれさまです、海」
「おつかれさまぁ」
 VFシステムの椅子から立ち上がり、「う〜ん」と伸びをする。
 とりあえず最低限の務めは果たせてよかった。明季とアイちゃんなら、うまく情報収集してくれるよね。
 さて、ミッションを終えたばかりだけど、達成感に浸ってはいられない。
 なにせ、あたしたちは命令違反を犯したのだから。
 あたしはキョウと向かい合う。
「それじゃ、一緒に所長室へ行こっか」
 それからどうなるかはわからないけど、キョウと一緒なら怖くない。 
 ところが、キョウは首を横に振る。
「いいえ、海はこれからメディカルチェックを受けてください。柳所長には私から報告しておきます」
「え、ダメだよ、そんなの! これはあたしたち二人の責任なんだから、二人で行かないと」
「ご安心ください。何も一人で罪を被ろうとは思っていません。それでは海が納得しないことくらいわかっていますから。あくまでも海の身体を気遣ってのことです。表面化していないとはいえ、アクセスによるダメージは少なからず蓄積されていますので、チェックは絶対に欠かせません。もしこれを怠れば、その方が重大な責任問題になってしまいます」
「じゃあ、メディカルチェックが終わってから一緒に行けばいいんじゃない?」
 キョウはまた首を横に振り、低く答える。
「いけません。ミッションが終わったら即映像を提出するよう柳所長から命じられています。これに背けば、データの改竄もしくは都合の悪い映像を消去したなどと疑いをかけられる可能性があります」
「改竄とか消去なんてできるの?」
「映像データには録画と同時にプロテクトがかけられますので、データの改竄はできません。もちろん消去もです。ですが、いかに卓越した技術でも人の作ったシステムです。時間をかければ絶対不可能とは言い切れません」
 それはそうだろうけど、仲間内でそんな……。
「あたしたち、疑われてるの?」
「VFシステムを悪用されないための規則ですから仕方ありません。とにかく、ここは聞き分けてください。でなければ余計に罪が重くなるだけです」
 そう言われてしまってはどうしようもない。引き下がるしかなかった。
「……わかった。なるべく早く行くから絶対無茶しないでね」
 
 
 メディカルチェックが終わったのは、それから約二十分後。
 今回も特に異常はなかった。
 急がなきゃ。
 メディカルルームを出る。
 すると、そこにスーツ姿の和香さんが待ち構えていた。
「……」
 言葉が出ない。
 和香さんは真顔のまま小さくため息をつき、歩み寄ってきた。
「海ちゃん、やってくれたわね」
「ごめんなさい。でもあたし……」
「話は所長室でするわ。付いてらっしゃい」
 ――所長室。
 応接ソファに柳所長が座っている。
 そのすぐ後ろには柳所長の秘書さんが立っていた。和香さんと交代で柳所長の補佐をしている人だ。
 所長室にいたのはその二人だけで、肝心のキョウの姿はなかった。
「どうぞ、こちらへお掛けください」
 秘書さんに促され、あたしは柳所長の正面の席に座る。
 柳所長の表情はいつもどおりよくわからない。
 なんとなく怒っているように見えるのは罪悪感のせいだろうか。
 とりあえず、一番気になっていることを尋ねてみる。
「あの、キョウはどうしたんですか?」
「高羽君には帰ってもらった。正式な処分は追って通達するつもりだ。それまでは自宅で謹慎してもらう。無論、訪問は許可しない」
 柳所長は淡々とした口調で言った。激怒しているわけではなさそうだ。
 あたしは続けて尋ねる。
「正式な処分ってなんですか?」
「内容は現在検討中だ」
「解雇……なんてことはないですよね?」
「それはない。謹慎期間が終われば、再びナビゲーターとして働いてもらう」
 よかった……。
 一番心配していた事態にならなかったことに、ひとまず安心する。
「それで、当然あたしにも同じ処分が下されるんですよね?」
「同じではない。君にはミッションは継続して行ってもらう」
 あたしは目を細めた。
「また特別扱いですか?」
「海ちゃん!」
 脇に立つ和香さんが叱るように声を上げた。
 それを柳所長が「いい」と制す。
「三波君、私は君を特別扱いしているわけではない。テスターとナビゲーターで扱いを区別しているだけだ。ナビゲーターの代わりはきく。しかしテスターの代わりはきかない。君一人の都合でミッションを遅らせるわけにはいかんのだ。わかるね?」
 感情的に納得できない部分はあるけど、今は反論できる立場ではなかった。
「わかりました。でもキョウが復帰するまで、あたしのナビゲーターは誰が務めるんですか?」
「葵君に代行してもらう」
 一瞬「誰?」と思ったけど、柳所長の後ろに立っていた秘書さんがお辞儀をしたのですぐにわかった。
 この人、葵さんっていうんだ。研究所に勤めて半年にしてようやく判明したな。
「葵君には私が実験でアクセスした際、ナビゲーターを務めてもらった経験がある。高羽君やアイシャと比べてもなんら劣ることはないから安心してくれていい」
 さっき柳所長が言っていた「ナビゲーターの代わりはきく」という言葉が早くも立証されてしまった。あんなに頼りになるキョウと同レベルの人がこんなにあっさり出てくるなんて、正直ショックだった。
「葵菜々(あおいなな)といいます。しばらくの間ですが、よろしくお願いします」
 秘書さんはそう言った後、もう一度丁寧にお辞儀をした。
 清楚なストレートロングヘアにキリッとした表情、縁なしの眼鏡。スーツもピシッと着こなして、いかにもお堅そうな印象だ。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
 あたしは座ったままお辞儀を返した。 
 柳所長が言うからにはもちろん優秀なんだろうけど、今さらキョウ以外の人とミッションを行うなんて気が重たい。もう、あたしのナビゲーターといえばキョウ――という感覚が完全に身に染み付いているから。
 そんなあたしの心境に構わず、柳所長は言う。
「ではそろそろ本題に入ろうか」
 う、きた。
「今回君たちが犯した命令違反についてだが、高羽君から事情を聞き、君の気持ちはよく理解できた。また、今回のミッションを許可した私にも責任はある。よって君には明日、私とともに研修を受けてもらう。以上だ」
「え、それだけですか?」
 予想外に早く本題が終わってしまったことに、あたしは拍子抜けした。
 もっとこう、長々と説教されるか怒鳴られるか、あるいは失望されて白い目で見られるか、いろいろと覚悟していたのに。そんなんでいいのかな?
 研修というのがなんなのか気になるところではあるけど。
「以上と言ったろう。今はミッションに集中することが、君にできる最大の罪滅ぼしだ。今後も励んでほしい」
 ……結局それか。とにかく、ミッション、ミッション、ミッション。
 あたしにはそれしかないんだ……。ある意味、罰せられるよりきついよ。
 でもまあ、この程度で済んでよかったとしよう。
「わかりました。迷惑をかけてすみませんでした」
 うん、あたしも大人になったな。


 翌日、午後二時。
「こんにちは、三波さん」
「こんにちはー」
 第二ブリーフィングルームであたしを待っていたのはキョウではなく、柳所長の秘書にして代理ナビゲーターの葵さん。
 ひょっとしたら可愛い衣装着てきてくれるかなぁ、と密かに期待していたけど、普通にオフィススーツだった。
 それから、めずらしくブリーフィングルームに柳所長がいる。所長直々に研修を行うのだろうか。果たして何をさせられるのやら……。
「来たようだな。ではさっそく研修を始めよう。葵君、説明を頼む」
「はい」
 ティータイムもなしか。シビアだな。こんなんが毎日続いたら気が滅入っちゃうよ。
 心の中で文句を言いながら、あたしは席に着いた。
「それでは説明を始めます。まず研修の目的ですが、それは三波さん、あなたにミッションの重要性を再認識してもらうことにあります」
 葵さんのメガネの奥にある鋭い眼光が、あたしに突き刺さる。
 そんなににらまなくてもわかってますよ。まだまだ認識不足なんですよね。
「そこで三波さんには、柳所長と共に百年後の世界にアクセスし、人類の末路の一端をその目で見ていただきます。今後百年で人間社会がどれほど変化してしまうのか。それを目の当たりにすれば、さすがの三波さんもこれ以上楽観的ではいられなくなるでしょう。いわばショック療法です」
 療法って、要するにあたしには治療が必要ってこと?
 遠慮なく言うなぁ、この人。そこはやっぱりナビゲーターなわけね。
「アクセスは都市部と農村の二ヶ所を予定しています。ここまではよろしいでしょうか?」
 いやいや、全然よろしくない。
「あの、さっき所長と共にって言いましたよね? それってどういうことですか?」
「はい、今回三波さんには、柳所長と二人でアクセスしていただきます」
 あたしは驚き目を開いた。
 まさか初のダブルアクセス(勝手にそう呼んでる)の相手が柳所長だなんて。
「何かご不満でも?」
 葵さんが険しい表情を向けてくる。
「いえ、不満とかじゃなくて、所長は目が……。どうやって行動するんですか? あたしが手を引いていくんですか?」
「それについては問題ない。アクセス中は視力が戻るということが、最近わかったのでな」
 柳所長が答えた。
「そ、そうなんですか!?」
 驚きの発見だ。
 それなら、その気になれば柳所長もテスターとしてミッションが行えるということになる。もちろん、運動不足と加齢による体力低下があるだろうから、無茶はしてほしくはないけど。
「でも、どうしてわかったんですか?」
「柴波君がアクセス中に飲み物を口にして、味がしたという報告があってね。もしやと思って試してみたのだ」
 なるほど……。発見自体はとても良いことだ。
 でもこの人の場合、できるとなれば自分もミッションを始めかねない。
 あたしは、柳所長が無茶しないよう気の利いた言葉でもかけてあげられないかと悩んだが、葵さんの声が思考を打ち消した。
「三波さん、他に質問はありますか?」
「あ……いえ……」
「なければ説明を終了させていただきます。所長からは何かありますか?」
「ふむ。では一つだけ三波君に言っておこう」
「な、なんですか?」
「すでに説明は受けたと思うが、二人同時にアクセスした際は、適性率に関わらずダメージを等分する仕組みになっている。つまり、適性率99・8%の君と80%に満たない私が共にアクセスをすれば、ほとんど一方的に私の負担を君に引き受けてもらうことになる。だから一度目のアクセスはともかく、二度目には今までにない疲労感に襲われることになるだろう。それをあらかじめ承知してもらいたい」
 なんだ、そんなことか。柳所長も心配性だな。
「大丈夫です! 元気だけがあたしの取り柄ですから」
 すると、それまで無表情だった柳所長の口元がニヤリと笑った。
「それは頼もしいな」
 葵さんも一瞬だけどクスッと笑った。
 なんだ、この人たちもちゃんと笑うじゃん。安心したよ。
「それでは、アクセスルームに移動しましょう」
 葵さんの口調は少しだけ穏やかになっていた。
 
 
 アクセスルーム。
 葵さんに手を引いてもらい、柳所長はVFシステムの椅子に腰かける。
 あたしも隣に腰かけた。
 初めてのダブルアクセス。
 しかも相方が柳所長ともなれば、かなり緊張する。
 その時、あたしはハッとした。
 ヘルメット被るならサングラスは外すよね!
 未だ見たことがない柳所長の素顔。
「所長、失礼します」
 葵さんがサングラスにそっと手をかける。
 さっきとは違う意味で緊張が増す。
 こういう場合、素顔はイケメンっていうのが定番だよね。
 あ、でも柳所長は四十八歳だからシブメンかな。
 ゆっくりと顔からサングラスが離される。
 シブ…………くない! イケメンだぁ!
 柳所長の顔はシワも少なく目もキリリとして、実年齢より十歳以上若かった。
 どう見ても三十代半ばくらいとしか思えない。
 なんで!? 和香さんといい、あなたたち夫婦はなんでそんな若いの!?
 秘訣教えてよ!
「三波さん、ヘルメットを被せますね」
 ああ、待ってよ、葵さん。もうちょっと柳所長の顔を見せて――
 視界が真っ暗になる。
 まあいいや、アクセスしたらいくらでも見られるんだし。
「それでは、これより研修を開始します」


 気が付いたら青空の下に立っていた。
 周囲には無数の太陽光パネル。十メートルくらい先にフェンスがあり、その向こうには何もない。
 高層ビルの屋上みたいだ。
 以前、無人兵器と暴徒が戦う様子を見るためにアクセスした地点と似ている。
「三波君」
 振り返ると、そこには素顔の柳所長が。
『お二人とも、何か異常はありませんか?』
 葵さんの声。
「問題ない」
「あたしもです」
『所長、目の具合はいかがですか?』
「ふむ」
 柳所長は首を左右に動かした後、空を仰ぐ。
「良好だ。やはり光があるのはいいものだな」
 それから顔を下ろしたところで、あたしと目が合った。
 やっぱりかっこいい。
 その温厚な性格とは印象の違う切れ長の目と、しわが少なく細い顔のライン。それがオールバック風の髪型と合わさり、柳所長の知的なイメージをいっそう際立たせている。
 少しの間見とれていると、柳所長はフッと穏やか笑みを浮かべた。
「ほう、三波君はこんな顔をしていたのか。声のイメージにピッタリだな」
「あ、はい」
 少しだけドキッとする。
 そういえば、柳所長があたしの顔を見るのも初めてなんだ。
「ではさっそく見てもらおうか。百年後の都市部の様子を」
 柳所長に促され、あたしはフェンス際まで行く。
「え……」
 そこに広がる景色に、あたしは驚愕した。
 そこは廃墟のように荒れ果てた街だった。
「ここって、ホワイトエリアですよね?」
「そうだ」
 かつてあった長大な壁の大半が崩れ、建物やインフラの白い塗装は剥げ落ち、街はグレーエリアと一体化してしまっていた。
「八十年後の街と、全然違う……」
 そうつぶやくと、
「これでよく見てみるといい」
 柳所長が横から双眼鏡を差し出してきた。
 あたしはそれを受け取り、街の様子を覗いてみる。
 ヒビ割れたコンクリートの壁、錆び付いた看板や標識、亀裂の走った道路、放置されたゴミの山。そして、疲れきった人々の姿。
 やっぱりグレーエリアと同じ……ん?
 倉庫のような建物から、柄の悪い三人組の男が米袋を抱えて出てきた。
 それを追って、作業着姿の夫婦らしき二人が出てくる。
 夫の方が何かを懇願するように、三人組の一人にすがりついた。
 声は聞こえないが、何が起こっているのかはだいたい予想がついた。
 三人組が食料を強奪しようとしているのだ。
 それを阻止する、というより何とかやめてもらおうとすがる夫に対し、三人組は殴る蹴るの暴行を始める。往来で白昼堂々と。
 妻が止めようとすると、三人組の一人が彼女を羽交い締めにして動きを封じた。 
 周囲の人たちは誰も助けに入らない。それどころか、巻き添えを食うのはごめんだとばかりに顔を背けて通り過ぎてしまう。
「どうして? せめて通報だけでもしてあげればいいのに」
「通報はできない」
 あたしは振り返って柳所長の顔を見上げた。
「どうしてですか? ……あ、もしかして、この時代にはもう携帯電話がなくなってるんですか?」
「いや、なくなっているのは警察組織だ」
「え……!?」
 信じ難い言葉に耳を疑う。でも柳所長がそんな嘘を付くはずがない。
 もう一度、双眼鏡でさっきの様子を見てみる。
 暴行は止んでいた。
 頭を抱えてうずくまった夫を、妻が泣きながら介抱する。
 三人組は再び米袋を抱え、高笑いしながら去っていった。
 通行人は誰一人見向きもしない。
 やがて、ふらつく夫を妻が支えながら、二人は倉庫の中に戻っていった。
 これで……終わり?
 あいつらはやりたい放題で、あの夫婦は泣き寝入りで終わりなの?
 柳所長が言う。
「そっちは序ノ口だ。それより、左手の大通りの方を見てみなさい。そろそろ来る時間だ」
 言われたとおり、柳所長が指す方角を見る。
 すると、二、三十台もの車両集団が砂煙を巻き上げながら走ってくるのが見えた。
「なに、あれ?」
 集団は磁気自動車に電気自動車、トラックにバイクと様々な車両で混成されている。
 嫌な予感しかしない。
 どう見ても、あの集団が正義を執行する側とは思えない。
 だって、こういうシーン、なにかの漫画で……。
 案の定、車両集団はいくつかのチームに分散し、各地で略奪行為を始めた。
 抵抗する者には容赦なく暴行を加えた。あるいは撃ち殺したりもした。
 さっき米袋を略奪した三人組も、今度は略奪される側になっていた。
 ショックで声が出せなかった。
 レンズに映る惨状を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
 そんなあたしに、柳所長は静かに言う。
「これが経済競争の末路、秩序が崩壊し暴力が人を支配する社会だ。資本経済を中心とした社会はもはや維持することができず、ついには政府機能が麻痺してしまった。当然、警察も機能せず、貨幣も無価値に等しい。こうなってしまえば原始時代と同じ、単純に力のある者が生き残る世界だ」
「そんな……」
 あたしは顔から双眼鏡を離す。
「それじゃあ、グレーエリアの人たちはいったい何のために戦って……」
「あの紛争はホワイトエリア側の勝利だった。だがこの光景を見れば、結果的には勝者も敗者もなかったことがわかるだろう?」
「はい……」
 あのおばあさんが言っていたとおりだった。
 壁の中にひきこもって安全を確保したところで、食料や資源の調達ができなくなればそれまでだ。どれほどの権力や武力をもってしても、ないものは搾取できない。その先に待つのは共倒れだ。
「紛争以前に、あの壁ができた時点でもう手遅れだったんですね」
「そうだ。しかし、これだけでは済まない」
 あたしが柳所長の顔を見上げると同時に、柳所長は中空を見上げる。
「場所を移そう。葵君、リセットを」
『はい』
 次の瞬間、あたしの意識は暗転した。


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
「三波さん、具合はいかがですか?」
 葵さんが声をかけてくる。
「大丈夫です。まだなんともありません」
「では引き続き、百年後へのアクセスを行います。次のアクセスポイントは農村です」
「はい」
 八十年後においては格差がありながらも、なんとか復興を遂げていた日本の農村だけど、百年後は果たして――
 

 アクセスした瞬間あたしの視界に広がったのは、ところどころ雑草の生い茂る荒野だった。周囲に人はいない。田んぼも畑もない。
「え、農村にアクセスするんじゃなかったんですか?」
 驚き尋ねると、
『そこが農村です』
 と葵さんの声が返ってきた。
「正確には元農村だな」
 すぐ横で柳所長が言った。
「どういうことですか?」
「見てのとおりだ。ここではもう農業は行われていない」
「どうしてですか?」
「どうしてだと思う?」
「う〜ん……」
 しばらく考えてみるが、思い付かない。
「ごめんなさい、わからないです」
「ではヒントをあげるから、一緒に歩きながら考えてみようか」
 柳所長はそう言って、民家のある集落へ伸びる畦道を歩き出した。
 あたしも横に並んで歩く。
「それで、ヒントは?」
「当然ながら、農業をやらないのは農業をする必要がなくなったからではない。やりたくてもできないからだ」
「それは、そうですね」
 まさか狩りが主流になったわけでもあるまいし。
「ではどうしてできなくなってしまったのか、よく考えてみなさい」
 え、ヒントそれだけ?
 ちょっと意地悪だなと思いつつも、あたしは頭を捻り、今までに得た知識を総動員する。確か四十年後の農村で、明季と話したおじさんが言ってたのは――
「気候変動のせいですか?」
「それもある。が、主な要因ではない」
「じゃあ、水不足?」
「幸い、日本で水不足は起こっていない」
「う〜ん」
 あと考えられるのは……。
「土壌汚染とか?」
 とりあえず思い付くままに言ってみる。
「そのとおりだ」
 正解だった。
 しかし、喜ぶのも束の間。
「では、汚染の原因は?」
 そう問われた瞬間、胸がドクンと鳴った。
 思い当たってしまったのだ。最悪とも言えるケースを。
 まさか……。でも、ここまで大規模な土壌汚染なんて、それしか……。
「気付いたか?」
 柳所長の冷静な声。
 あたしはガクガクと口元を震わせながら、短く答えを言う。
「放射能……」
「そうだ。この辺り一帯は、放射能汚染によって人が住めない状態になっている」
 はっきりと言われ、何か苦いものが口の中にまでこみ上げてきた。
 あたしは無駄とわかっていながらも両手で口を覆う。
「ってことは今、大量に放射能を浴びてるってことですか?」
「安心しなさい。短時間で身体に異変が起こるほどではない。作物を育てたり、長年住み続けたりはできないがな」
 口から手を離す。
 少なくとも、こうして歩いているだけなら普通の場所と何も変わらない。それにリセットすれば全部なかったことになるのだから問題はない。それでも、この胸の奥から口の中まで這い上がってくるような苦々しさは消えなかった。
「でも、どうしてこんなことになったんですか? 八十年後の日本じゃ、もう原発は使われてなかったはずなのに」
「原子力発電自体はすでに終わっていたが、原子炉が適切に廃炉されないまま放置されていたのだ。莫大な費用を惜しんでな」
 またきた。費用、お金。
 柳所長は続ける。
「やがて老朽化した原子炉から大量の放射能が漏れ出すことになるが、財政の逼迫した政府に対処する力はなく、応急処置に手間取っている間に放射能が広範囲に飛散してしまった。この地域だけではなく、日本各地でな」
「そんな! それじゃあ、日本に安全な場所なんてほとんどないじゃないですか!」
「そうだ。都市部の治安は先ほど見たとおり。そして、地方の多くは放射能の影響下にある。わずかに残った安全地帯に大勢の人が雪崩れ込めばどうなるか、言うまでもあるまい」
 争い、奪い合い。結局はそこに行き着くしかない。
 歩いているうちに集落に入った。木造の一軒家が建ち並ぶ住宅地は、百年も経っているというのに現代とあまり変わらない田舎の風景だ。違いといったら屋根に太陽光パネルが設置されている家が多いくらいか。
 しばらく歩いても誰一人見かけなかった。生活音もない。庭は雑草だらけ、建物は蜘蛛の巣だらけ。もぬけの殻だ。たぶん、ここに住んでいた人たちはもう……。
 柳所長が足を止める。
「もはや人類にそれほど多くの時間は残されていない。しかし、この光景を見てのとおり人類が自主的に経済競争をやめて持続可能な社会作りを目指すことはない。だからこそ、一刻も早く人類を正しき未来へと導くヒントを見つけなければならないのだ」
 そして、その切れ長の目で、あたしを真っ直ぐに見据えてくる。
「そのためにも、今は一つでも多くのミッションこなしてもらわなければならない。三波君、人類を救うにはどうしても君の力が必要なのだ。これで納得してもらえただろうか?」
「はい……」
 いくら能天気なあたしでも、この有り様を見ればさすがに事の重大さがわかる。悔しくも葵さんが言っていたとおりになった。これ以上ないショック療法だ。
 柳所長が中空に向かって言う。
「葵君、そろそろリセットを」
『かしこまりました』
 次の瞬間、あたしの意識は暗転した。


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
 う、気持ちわる……。
 まるで船酔いした時のような気だるさと嘔吐感が一気にこみ上げてきた。
 あたしは両手で胸元を押さえた。
「三波さん、大丈夫ですか?」
 葵さんが背中をさすってくれる。
「うん。でもこんなの、初めて……」
 みんな、こんな気持ち悪いのを我慢してミッションやってたのか……。
 ヘルメットを外してもらう。
 柳所長の様子が気になって見てみると、すでにサングラスを付けていた。早い!
 しかも、あたしと同じダメージを受けているはずなのに平然としていた。
 いつものように、首を動かすことなく口だけを開く。
「やはりダメージが残ったか。だがこれでわかったろう? 決して君だけが特別製というわけではない。それを体感してもらうのも研修の一環だったのだ」
 もしかしたら特別製どころか、ダメージに慣れていないあたしが一番劣っているのかもしれない。そう痛感せざるを得なかった。


 それから数日後。
 あたしは、謹慎期間を終えたキョウとブリーフィングルームで再会を果たした。
「キョウ、元気そうでよかったぁ」
「海の方こそ、お元気そうで何よりです」
 以前と変わらない、ピンと背筋の伸びたキョウの執事姿に安心する。
 でも喜ぶのはまだ早い。
 柳所長は謹慎や研修とは別に正式な処分をすると言っていた。
 それがなんなのか聞くまでは安心できない。
 あたしたちは判決を受けるべく、所長室に向かう。
「では、今回君たちが犯した命令違反に対する処分を言い渡すとしよう。二人には相応のペナルティを受けてもらう」
 向かい側のソファに座る柳所長は、いつもどおり穏やかな口調だ。
 隣に座る和香さんも特に変わった様子はない。
 もうちょっとピリピリした雰囲気を想像してたんだけど……。ペナルティっていっても、そんな大したことじゃないのかな。一週間掃除当番とか、その程度?
「実は最近話を聞いたのだが、三波君はずいぶんと食生活が乱れているらしいな」
 は……急になんの話?
「報告によるとだ。時折ご飯を炊く以外、自炊することはなし。コンビニ弁当、宅配ピザ、インスタント麺の頻度が高く、外食も多い」
 ちょ、ちょっと、ちょっと!
「アルコールこそ摂取しないものの、夕食後もお菓子、ケーキなどを口にし、一日の摂取カロリーは成人女性の平均を大きく上回るという――」
「ま、待ってください!」
 あたしは叫びながらソファから身を乗り出す。
「報告って、誰からのですか?」
「複数からの報告とだけ言っておこう」
 複数。心当たりがありすぎる。
「ふふふっ」
 急に和香さんが笑い出した。
 この人、その一人だぁ! 
 あとはきっと、明季、アイちゃん、柴波も共犯っぽい。
 キョウも……そうなんだろうな。
 でもまあ、みんな心配してくれてるからこそなんだろうけど。
 柳所長は続ける。
「それから高羽君。これも聞いた話なのだが、君は料理が得意らしいな。昼食には自分で作った弁当を持参しているとか?」
「はい。多少、自信があります」
 キョウは控えめに言うけど、実際すごい。一度だけ見せてもらったことがあるが、彩(いろどり)も栄養バランスも完璧ぽかった。あたしの分も作ってほしいと何度思ったことか。
「さらには栄養学にも通じていると聞いた。資格は持っていないようだから、独学かな?」
「はい。趣味の延長ですので専門の栄養士には及びませんが、基本的な知識は習得しています」
「そうか。ならば決まりだな」
 柳所長は少し間を置いてから告げる。 
「高羽君、今回のペナルティとして、君に三波君の食事の世話を命ずる。まずは食事内容の改善。それから、簡単な調理くらいは自分でできるよう一通り指導してあげなさい」
 えええー!
「はい! 喜んで……いえ、慎んでお受けします」
 今、喜んでって言った!?
「それから三波君」
「は、はい?」
「今後、食事に関しては高羽君の指導に従うように。それが君のペナルティだ。いいね?」
「はい……」
 いいの? ペナルティがこんなんで、本当にいいの?
 
 
 こうして、あたしの食生活改善プロジェクトが始まった。
 具体的には次のような内容になる。
 まず平日。
 夕食は毎日キョウが家まで作りにきてくれる。
 次の日の朝は夕食の残り。
 お昼はキョウがお弁当を家まで届けてくれる。
 休日も朝は同じで、夕方はお料理教室。キョウと一緒に夕飯を作って一緒に食べる。
 休日のお昼が唯一フリーになるのだけど、ジャンクフードはダメとか食べ放題の店はダメとか厳しい制限を受けている。
 そして、おやつは一日180キロカロリーまで。夕食後のお菓子は厳禁。
 キョウが夕食作りにきてくれるのは嬉しいけどさぁ。これはきついよ、精神的に。
 え、そんなのバレなきゃいいって?
 あたしもそう思った。
 でも甘くなかった。
 月一回、血液検査を行って血糖値が基準より高かったらアウトだってさ。
 どんだけ徹底してるの? これじゃ修行僧だよ。
 そんなわけで、これから毎晩キョウがうちに来ることになった。
「海さんの食生活については、俺も以前からどうにかしてあげたいと思ってたんです。それがこんな形で実現するなんて……。これはまさしく天命です。一緒にがんばりましょう」
「う、うん。そだね」
 キョウはいつになく張り切っている。
 毎晩家で二人きりというシチュエーションは倫理的にいろいろ問題がある気がするんだけど……。
 しかしその点、柳所長にぬかりはなかった。
「こんばんは、海ちゃん」
「あ、菜々ちゃん、いらっしゃーい」
 葵さんとはあれから親しくなって、互いに名前で呼び合うようになった。
 それで菜々ちゃん。
 歳は菜々ちゃんの方が一つ上だけど、気にしなくていいと言ってくれたから気にせずそう呼ぶことにした。仕事中と違って普段はそんなにお堅いわけでもなく、今では大事な友達の一人になった。
 ちなみに菜々ちゃんは和香さんと従姉妹同士らしい。つまり柳所長とも親戚同士となる。どうりで若くして重要なポジションにいるわけだよ。
 この日、あたしとキョウと菜々ちゃんの三人が夕食を一緒にした。
 ――翌日。
「高羽、今日は何を食わせてくれるんだ?」
「今日は野菜スープと鮭のホイル焼きです」
「またずいぶんヘルシーなメニューだな。ただでさえ細いのに何考えてんだ?」
「海さんの健康のためです。柴波さんはついでなんですから、あまりがっつかないでくださいよ」
 この日は柴波がやってきた。
 柴波は味覚を失ったというのにそんな素振りは露ほども見せず、キョウが作った料理をおいしそうに食べていた。
 本人曰く、食べたことがあるものなら想像で補えるらしい。
 たくましいな。
 ――さらに翌日。
「海さん、お久しぶりです」
「アイちゃん、久しぶりー」
 やってきたのはアイちゃんことアイシャ。
「なんだか機嫌よさそうだね。いいことでもあった?」
「ええ、とってもいいことがありましたよ」
「そっかぁ、よかったね。今日はあたしもお料理手伝うから、楽しみにしててね」
 こうして、夕食の時間になると研究所の人が誰かしらやってくるようになった。
 毎日にぎやかで楽しいね。
 でもやっぱり、明季だけは来てくれなかった。
 結局、命令違反を犯してまで調査しても、どうしてこうなったのかはわからずじまい。
 状況はたいして変わっていない。
 明季、今ごろどうしてるかな。アイちゃんの様子からして元気だとは思うけど。
 変わったのかな? 変わってないのかな?
 あたしは成長してるよ。
 まだつまずいてばかりだけど、一歩一歩着実に成長してる。
 明季はどう? 成長してる?
 いつか再会した時、あたしのことがっかりさせないでね。


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