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作品名:バーチャル・フューチャー(仮想未来) 作者:hitori

第15回 七章 暴挙(後編)


 一時間弱で食事を終え、お好み焼き亭を出る。
 例によって僕もアイシャも食事中は一切会話しないので、あれから話は進んでいない。
 僕たちは、なんとなく駅方面へ向かって歩き始めた。
 このまま駅まで歩いてそこでお別れというわけにはいかない。
 とにかく、アイシャのことを聞いてみる。
「そういえば、アイシャは趣味とか、あるのかな?」
「趣味ですか?」
 アイシャは少し困ったような顔をした。
「お料理やお菓子作りが趣味と言えなくもありませんが、特には……。わたし、日本に来ていろいろと学ぶこと自体おもしろかったから、これというものがないんです」
「そっか……」
 あまりずけずけと私生活に踏み込むわけにもいかないので、話はそこで終わってしまう。
 他に話題はないだろうかと考えているうちに、駅前の繁華街に入ってしまった。
 うむむ、これではせっかくの時間が……。
「明季」
 不意にクイっと袖を引っ張られた。
「あそこへ行ってみたいです」
 アイシャが指した先にあるのはゲームセンターだった。
 意外だな、アイシャがゲームセンターに行きたがるなんて。
「もしかして、ゲームに興味が?」
「いえ、ゲームのことはわからないのでなんとなくです。それに、このまま帰ってしまうのがもったいないと思って……」
 どうやら、アイシャも僕と同じことを考えていたらしい。
 これは思わぬ助け舟だ。
「わかった。行ってみよう」
 ゲームセンターに入るのは久しぶりだ。最後に入ったのはいつだったろうか。よく覚えていない。実家が田舎の僕には無縁の場所だ。
 自動ドアが開き、冷房の効いた店に入る。平日だからか客は少ない。
 僕たちはとりあえず店内を一周してみた。
 規模はそこそこ大きな店だ。クレーンゲームにレースゲーム、ガンシューティングなど、いろんなゲームがある。
 正直やってみたいと思うようなゲームはなかった。元々ゲームに興味はない。
 そんなことより、プレイする人間がほとんどいないのにゲーム台だけが騒がしく光っている方が気になった。
 プレイする直前に電源を入れれば良いものを、なんという電気の無駄遣いだろうか。
 こんなことのために膨大な汚染物質を残してまで原発を動かしているのだと思うと、心が痛むばかりだ。
 まあ、そんなことは社会全体の問題だ。ゲームセンターだけを悪く言っても仕方ない。
 不満は胸の奥に押し込んでおいて、アイシャに聞いてみる。
「どうだった? 何かやってみたいゲームはあったかな?」
「はい、あれです」
 アイシャが指したのはクレーンゲームだった。
 中にある景品は猫のぬいぐるみ。
 実物の半分くらい大きさで、黒猫、白猫、三毛猫の三種類がある。
「クレーンゲームか」
「わたしにできるでしょうか?」
 アイシャは深刻そうな顔で聞いてくる。
「どうかな、僕もやったことないからわからないけど、とりあえず一回やってみたらいいんじゃないかな」
「では……」
 アイシャは財布から百円玉を取り出し、機械に投入する。
 やり方は簡単。矢印のボタンを押してクレーンを目標物の上まで持っていくだけだ。
 そのくらいはやったことのない僕でもわかる。アイシャもゲーム台に貼ってある説明を見て理解したようだ。
 しかしまあ、この手のゲームは、そう簡単には取れないようにできているんだろうな、きっと。
 初めての挑戦。
 アイシャが動かしたクレーンは、ぬいぐるみの真上から大きく外れた位置に降下した。
 クレーンのアームが白猫の頭をわずかに撫でただけで終わる。
「さすがに一回では無理ですよね。初めてなんですから」
 アイシャはそう言って二枚目の百円硬貨を投入する。
 二度目の挑戦。
 今度は、さっきよりはぬいぐるみの近くに持っていくことができた。
 しかし、重心が縦にずれている。アームは白猫のしっぽを少し動かしただけで定位置に戻った。
「だんだん近付いてきましたよ。次はいけるかもしれません」
 言葉とは裏腹に、アイシャは固い表情で三枚目の百円硬貨を投入する。
 三度目の挑戦。
 まるで囚われた我が子を助けんばかりに真剣な表情でボタンを押す。
 今度こそ、クレーンがぬいぐるみの重心をとらえた。
「あ……」
 アイシャは祈るように胸の前で手を組み、歓喜の声を上げ――
「……れ?」
 ――るはずが、大きく目を開いて固まった。
 クレーンはこれ以上ないくらい良い位置に降下したはずなのに、ぬいぐるみを一センチたりとも持ち上げることなくあっさりと定位置に戻ってしまったのだ。
 この不可解な出来事にアイシャは首を傾げる。
「おかしいですね。機械が壊れているのでしょうか?」
「いや、たぶんこういう仕様だと思うけど……」
 現に他の客がやっているクレーンも同じようなものだ。
「でもこのクレーンのアームには、どう見ても景品を支えるだけの力がありません。これではいくらやっても……」
 しょんぼりとうなだれてしまうアイシャ。
 そんなにこの猫のぬいぐるみがほしいのか。できれば取ってあげたいところだが、僕にはその知識もテクニックもない。
 と、その時。
 偶然、見覚えのある顔がゲームセンターの外を通りかかるのを見かけた。
 寝癖のようにあちこち跳ねている髪に、仏像を思わせる穏やかな細目の青年。
 あれは、浜名君。
 研究所の所員であり、ミッションで使う武器や道具の調達・開発・製作を担当。自他共に認める武器マニアで、石斧から核兵器まで古今東西ありとあらゆる武器・兵器の知識を持つ男、浜名幸一(はまなこういち)。二十一歳。
 防弾服や麻酔銃を用意したのも彼だ。
 今日は休みの日なのだろう。研究所ではいつも作業着姿の彼も、今はラフな服装で歩いている。
 確か彼はゲームが得意と言っていたな。ちょうどいい、聞いてみよう。
 小走りで店を出て声をかける。
「やあ、浜名君。ちょっといいかな」
「おや、野川さん。奇遇ですね」
 浜名君は丁寧にお辞儀をした。
 この男、武器マニアだからといって決して粗暴なわけではなく、極めて礼儀正しい好青年だ。武器を持つ者、力を持つ者にこそ礼儀が必要だという彼の持論は、武道に通ずるところがあり共感している。
 そんな彼に頼み事をする。
「実は今、ちょっと困ってるんだ。もし知っていたらでいいんだけど、クレーンゲームのコツを教えてくれないかな?」
「コツですか。そうですね」
 浜名君は僕と一緒に店に入ると、アイシャに会釈し、ゲーム台に近寄る。
「この手のゲームは、つかむんじゃなくて引っかけないとダメなんですよ。例えばこれなら、景品とタグを結ぶ紐にアームの先端を通すんです」
「な、なるほど」
 言われてみればそうだ。アームに景品をつかみ上げる力がない以上そうするしかない。
 しかし、そんな裏技的な方法でしか取れないなんて趣旨が間違ってないか?
 浜名君が、そっと耳打ちしてきた。
「ボクが見たところ、手前の左から三番目の三毛猫が取りやすそうです。野川さん、ここは彼女にいいとこ見せるチャンスですよ。がんばってください」
「あ、ああ……。ありがとう」
「うまくいったら今度奢ってくださいね」
 それだけ言って彼は去っていった。
 なんにしてもコツはわかった。せっかくだ、やってみるか。
「アイシャ、今度は僕がやってみるよ」
「え、明季が?」
「もちろん取れた時はプレゼントするよ。ただし、こういうのはハマるとキリがないからな。このぬいぐるみを買った時の値段を考えると、千円だ。千円で取れなかったらきっぱりあきらめる。それでいいね?」
「は、はい!」
 アイシャは青い瞳を輝かせた。
 そんなに期待されるとプレッシャーかかるんだけどな……。
 僕は千円札を両替し、ゲームを開始する。
 まずクレーンの動きや癖を観察。
 ボタンを離せばクレーンの移動は即座に止まるようだ。
 しかし、頭で思ってから実際に止まるまでにはわずかなタイムラグがあり、ほんの少し早めにボタンを離さなければ数ミリの誤差が出るだろう。
 アームの力はやはり絶望的に弱い。景品を持ち上げるのはもちろん、ポジションを変えるだけでも難しい。しかし、アームの生えている根元、クレーンのバーまで弱いわけではない。うまく引っ掛けさえすれば必ず持ち上がるはず。
 あとは位置だ。横から覗きながらボタンを押すことはできないので、奥へ進ませる時は距離感をつかむ必要がある。視力が悪いわけではないが、どうしても「ここだ」と思った位置と実際の位置とでは誤差がある。奥行に関しては、視力に頼るより呼吸で覚えた方がよさそうだ。
 僕は五百円かけてクレーンの性質を分析し、ボタンを離すタイミングを覚えていく。
 その間、景品はほとんど動かない。
 次第にチャンスが失われていくのを不安に思ってか、脇で見ているアイシャは落ち着かない様子だった。
 しかし、ここで余計な気休めは言わない方がいい。今は目の前のことに集中しよう。
 六回目も外れる。
 だが呼吸はつかんだ。そろそろ本気で取りにいくか。
 緊張で高鳴る胸に、そっと手を当てる。
 大丈夫だ。今まで僕は、ずっと人間相手に呼吸を合わせる合気道の稽古をしてきたんだ。ランダムに動く人間に比べたら、一定の動きしかしない機械など!
 七回目の挑戦。
 まずは横移動。これはよく見て集中すれば間違えることはない。
 次に奥行。やはりこれが厄介だ。
 距離感が正確につかめない以上、視力はかえって邪魔だ。
 僕はあえて目を閉じることで、呼吸に意識を集中させる。
 ボタンを押す。
 
 ――ここ!
 
 ボタンを離すと同時に目を開ける。
 アームが降下していき、先端が紐に通る。
 そして、アームの上昇とともに三毛猫の小さな身体が宙に吊り上がった。
 あとは取出口に持っていくだけだ。頼むぞ。
 心臓が大きく脈を打つ。
 落ちるな。落ちるはずがない。これで落ちたら詐欺で訴える。
 なんてことを考えているうちに、景品は取出口の真上へと無事たどり着いた。
 ぬいぐるみが落ちてくる。
「ふうー」
 急速に鼓動が収まってゆく。まったく心臓に悪いゲームだ。
「うまくいってよかったよ。ほら」
 景品のぬいぐるみを取り出し、アイシャに手渡してあげる。
「あ、ありがとうございます!」
 アイシャはうるうるとした目で、三毛猫のぬいぐるみを愛する我が子のように抱き締めた。
 買っても千円かそこらのぬいぐるみでこんなに喜んでもらえるとはな。なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
 仮に何万円もするバッグやアクセサリーを送ったとして、この十倍百倍喜んでもらえるだろうか? 
 そうは思えない。
 やっぱり幸せは値段に比例しない。高価であればあるほど良いわけではない。
 まさかゲームでそれを実感するとはな。
 かといって、またこのゲームをやるのはごめんだが……。
 ――ちょんちょん。
「ん?」
 アイシャが猫の手を操って僕の腕を突っついてきた。
「どうしたの?」
 僕は空気を読み、アイシャではなく猫に話しかける。
 すると、アイシャは猫のぬいぐるみで口元を隠し、上目遣いでこちらを見てきた。
「ニャアニャア、ボクに名前つけてほしいニャン」
 え――
 一瞬、耳を疑った。
 とてもアイシャのものとは思えない可愛らしい声だった。
「な、名前?」
 驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまう。
「可愛い名前つけてほしいニャン」
 アイシャは口元を隠したまま、じーとこちらを見つめてくる。
 可愛い名前っていわれても……。その前にアイシャが可愛いんだが。
「じゃあ、ミケっていうのはどうかな?」 
 アイシャは首をふるふると横に振った。
 三毛猫だからミケは安直だったか。
 困ったな。ミケがダメなら、ミ、ミ、
「ミィはどうかな?」
 ふるふる。
 これもダメか。
 それじゃあ、ミーちゃん、いや、ボクって言ってたからオスか。
「ミーくん……とか?」
 短時間で考えたにしては、悪くない名前だと思うが……。
「ニャーン!」
 突然、猫のぬいぐるみが胸に飛びついてきた。
「わ……!」
 とっさにそれを抱き止める。
 そうなると必然、ぬいぐるみを持っているアイシャとはかなり接近することになる。
 僕とアイシャは二人で小さなぬいぐるみを抱える形になった。
 重なった手が暖かい。
 バニラの香りがふんわりと漂ってくる。
 さっき収まったはずの鼓動が、再び高鳴ってきた。
 そのままどれくらい見つめ合っただろうか、僕は尋ねる。
「えっと、気に入ってくれたのかな?」
「はい」
 ほんの少しだけ声に嗚咽が混じっていた。
 ここまで人に喜んでもらえたのは、僕の人生の中でも初めてかもしれない。
 ――その時、ふと周囲の視線に気付いた。
 いつの間にか他の客たちに注目されている。ひそひそと話し声も聞こえてくる。
 ただでさえ目立つ容姿のアイシャとこんなことをしていれば当然だ。
 ぬいぐるみを落とさないよう注意しつつ、アイシャからパッと離れる。
「ア、アイシャ、そろそろ行こうか?」
「は、はい!」
 僕たちは逃げるようにゲームセンターをあとにした。
 早足で歩きながら、先ほどの失態を猛省する。
 迂闊。前後不覚とはこのことか。
 あまりにも夢中で周囲のことが見えてなかった。こんなことがミッション中に起きたらどうなるか……。
 でも楽しかった。こんなに楽しかったのはいつ以来だろう。
 なるほど、これだけ楽しければ遥か未来のことなど考えなくてもおかしくないな。今が楽しければ、今が幸せなら、そしてこの幸せを守るためなら、先のことなど……。
 危険だ。この考え方は危険だ。
 こういう考えが何億何十億と集まった時、地球環境にすら変化を与えてしまうのだから。
 僕たちはそうであってはならない。今、幸せになってしまっては……。
 そうして歩いているうちに駅に着いてしまった。アイシャが自宅に帰るのに使う駅だ。
 時刻は午後二時。
 まだ時間は充分にあるわけだが……。
「アイシャ」
 僕は立ち止まる。
 そして、決心が変わらないうちに言う。 
「今日は付き合ってくれてありがとう。とても楽しかった。明日はミッションの日だから、早く帰って身体を休めておこう」
 アイシャは一瞬名残惜しそうな顔をするものの、すぐに察してくれた。
「そうですね。こちらこそありがとうございました。わたしも楽しかったです。ミーくんのこと大切にしますね」
 そう言って、猫のぬいぐるみをキュッと抱きしめる。
「それじゃあ、また明日」
「はい、また明日」
 アイシャが去っていく。ゆっくり、ゆっくり、しかし振り返ることなく。
 やがて駅の中へと姿が消える。
 これでいい。これで……。


 翌日。
 地下一階の第一ブリーフィングルームの前まで来た僕は、そこで一度立ち止まった。
 まずは目を閉じて深呼吸。
 それから、自分に言い聞かせる。
 ここからは大事なミッションの時間だ。僕たちの働きによって人類の未来が左右されるかもしれない。浮わついた気持ちは捨てて一心不乱に取り組もう。
 扉を開ける。
 すると、そこには――
「おはようございます、明季」
 いつものメイドスタイルとは違う姿でアイシャが立っていた。
 白いカッターシャツの上にグレーのベスト、下はタイトスカートというビジネススタイルだ。ヘアスタイルはポニーテールのままだが、服装が違うだけでずいぶん大人っぽく見える。
 きっとアイシャも、僕と同じように危機感を抱いたのだ。その上ですぐに対応してくれた。さすがだ。
 少し寂しい気もするがミッションに集中するためだ。これでいい……。
「おはよう、アイシャ」
 僕はあいさつを返し、席に着く。
 それから、いつものようにアイスティーを飲みながら、天気やニュースのことなど当たり障りのない話をした。
「それではミッションの説明を始めます」
 アイシャの服装が違うだけで、ずいぶんと空気が引き締まる。これが仕事に臨む本来の姿だというのに、逆に新鮮さを感じてしまうのはおかしいだろうか。
「まずは昨日、海さんに調査をしていただいた件の報告です」
 僕はコクッと頷く。
「金城氏に接触できそうなのは、彼が職務を終えて帰宅するところです。時刻は午後八時半過ぎ。彼が向かう駅のすぐ近くに公園がありますので、声をかけた後そこでお話をすると良いでしょう。細かい判断は明季にお任せします」
「わかった」
 この情報を得るのに、海は何回アクセスを繰り返しただろうか。尾行とか苦手そうだし、五回や十回ではきかないかもしれない。
「それから、あの方≠ノ関する情報も、わずかながら入手できたそうなので報告します」
あの方≠ニはもちろん野川候補のことだ。親族を名乗るのに彼のことをよく知らなかったら不自然なのでありがたい。
「氏名は野川春(はる)。年齢三十八歳。彼が出馬した選挙は都知事選のようです。それも立候補者の中では最年少ながら、最有力候補として期待されているとのことです」
 都知事選の最有力候補か。こっちの息子もサイクルシティの市長に負けず劣らず立派に育ってくれたようだ。
「最後に今回のターゲットである金城氏について。氏名は金城時矢(ときや)。年齢二十五歳。野川候補の秘書であると同時にボディーガードも務めているようです」
 なるほど、それであんなに強かったのか。
 僕と市長を襲ったテロリストのうち二人を、彼が瞬時に倒したのを思い出した。
「説明は以上ですが、何か質問はありますか?」
「一つだけいいかな?」
「はい」
 僕は一呼吸空けてから、ゆっくりと言葉を出す。
「海は、野川春を見たんだろうか?」
 アイシャはほんの少しだけ眉をひそめ、小さく首を横に振った。
「わかりません。彼とは接触しないよう指示が出されていたはずですが、ターゲットの関係者である以上、目撃した可能性が全くないとは言い切れません」
「じゃあ、春や金城の情報をどうやって入手したんだ?」
「それもわかりません。まだ映像の閲覧許可が出ていませんので。わたしが知っているのは和香さんから聞いたことだけです」
 閲覧許可が出ていないのか……。
 通常、ミッション映像はミッションが終わったらすぐに和香さんか秘書が確認し、内容を柳所長に伝える。そして、問題がなければその日のうちに閲覧許可が出る。
 今のところその問題≠ェ発生したのは野川市長と会ってしまったあの一件のみ。
 何かあったんだろうか? 少なくともミッション中に死亡したなんてことはないはずだが……。
 ちなみに先日の一件は、優が電線と電柱の有無を発見し、しばらく会話したところまでで映像が終わっていた。野川候補が現れる最後の方はカットされていた。
「そうか、ありがとう」
 これ以上は気にしても仕方ないか。報告がない以上、海が無事だということは間違いない。今はミッションに集中しよう。
 席を立ち、アイシャと共にアクセスルームへと移動する。
 もう五ヶ月経つというのに、未だに手術室に向かうような気分は変わらない。
 こんな時、アイシャのメイド姿がどれだけ気持ちを和らげてくれたことか。
 それがなくなった今だからこそ、そのありがたみを強く実感できる。初めて会った時は彼女の常識を疑ったものだが、こんな意図があったとはな。
 後でお願いしようかな。やっぱりメイド姿でいてほしいと。
 ――いやいや、何を考えてるんだ僕は! そんな個人的な都合でミッションに支障をきたすわけにはいかない。これ以上甘えるな。
 アイシャがヘルメットを被せてくれる。
 ほんのわずかだが、いつもより身体と身体の距離が遠かった。
 バニラのような優しい香りが一瞬で過ぎ去ってしまう。
 それが偶然でないのは、僕にはよくわかった。
 そして、アイシャの意志が固いことも。
 目的は同じ。
 ならば迷うことなどありはしない。
「それではミッションを開始します」


 気が付いたら公園の木陰に立っていた。
 時刻設定は午後八時半なので暗い。
 周囲の家々から電気の光と人々の談笑がもれてくる。
 夕飯の後片付けも終わって一家団欒の時間といった様子だ。
『明季、何か問題はありますか?』
「問題ない」
『まずは公園を出て左に進んでください。そのまま道なりに歩いていけば駅に着きます』
「わかった」
 そうして、現代とあまり変わらない風景の住宅街を歩くこと数分。
 帰宅ラッシュの時間帯を過ぎているとはいえ、さすがに駅周辺は人が多い。
 この中から金城を見つけられるだろうかと心配したが、意外とあっさり見つかった。
 なにせ背が高い。行き交う人々の中で一人だけ頭が出ている。
 身長一八〇センチ少々だろうか。現代であれば注目するほどではないが、平均身長が十センチ近く下がったこの時代においてはかなりの高さだ。以前会った時は緊急事態の真っ只中だったので気にしていなかった。
 スーツの上からでもわかるくらいがっしりとした体型に、さっぱりした七分刈りの髪。
 そして、誠実そうな表情の中に潜む狩人ように鋭い目付き。
 柴波に勝るとも劣らない迫力だ。明らかに一般人とは違うオーラを放っている。
 職業柄警戒心も強いはず。慎重にいかなければ。
 僕は意識して彼の視界に入るように歩み寄った。
 それから、さも偶然見かけたかのような態度を装って声をかける。
「あの、もしかして金城さんではありませんか?」
「はい?」
 金城は少し驚いた様子で立ち止まり、僕の顔をまじまじと見つめてきた。
「あ、突然呼び止めたりしてすみません。僕は野川春の親戚の者です」
 そう言って軽くお辞儀をする。
 すると、金城はたちまち納得したような表情になった。
「先生のお身内の方でしたか! 失礼しました。私が金城で間違いありません。先生にはいつもお世話になっております」
 彼はそう言って深々とお辞儀を返してきた。
 背は高いが腰は低い、礼儀正しい青年だ。
「僕は野川夏(なつ)といいます。金城さんのことは春おじさんから聞きました。こうして会ったのも何かの縁ですし、よかったら少しお話をしませんか?」
夏≠ヘ、あらかじめ考えておいた偽名だ。まさか明季と名乗るわけにはいかない。
「もちろんです」
 金城はさわやかな笑顔で返事をしてくれた。
 仕事帰りで疲れているとは思うが、海が見つけてくれた数少ないチャンスだ。どうか許してほしい。
「では立ち話もなんですし、そこの公園のベンチにでも座ってお話しましょう」
「はい」
 現代なら喫茶店にでも誘うところだが、この時代に喫茶店はほとんどないし、あってもこんな遅くまで営業している店はない。バーは論外だ。
 僕と金城は公園に入り、電灯の下にあるベンチを選んで腰を下ろした。
 道行く人々の姿もよく見える。聞かれてまずい話をするわけではないので、暗くて人気のない場所は避けた方が安全だ。まあ、いくら治安の悪いこの時代とはいえ、わざわざこんな強そうな男を襲う奴がいるとは思えないが。
 さて、会話の主導権を握るためにも、まずはこちらから話を振らなければ。
「金城さんは、今おいくつなんですか?」
「二十五歳です。先生の秘書になってから二年になります」
「お若いんですね。将来は、やはり政治家を目指すのでしょうか?」
「いいえ、私はこの先もずっと先生にお仕えするつもりです。先生の力になることが、この国をよりよくするための一番の方法だと信じておりますので」
 金城の表情には一片の迷いもない。心底、春のことを尊敬しているようだ。
「そっか、噂には聞いてましたが、やっぱり春おじさんはすごいんですね」
「すると、最近は会っていなかったので?」
「はい。実はつい最近、海外留学から帰ってきたばかりなので、こっちのことはよく知らないんです」
「ほう、留学――」
「ですから、もしよかったらいろいろと質問してもいいですか?」
 留学先のことなどを尋ねられては面倒なので、少々強引に言葉を被せる。
「もちろんです。なんでも聞いてください」
 金城は嫌な顔一つせず、快く返事をしてくれた。
「ありがとうございます」
 よし、これで会話の主導権は握った。
 帰国子女設定は何度でも使える便利な手法だ。ただし、それはあくまでも会話のきっかけをつかむためであり、その後うまく情報を引き出せるかどうかは僕にかかっている。
「では、さっそく。さっき街を歩いてて気になったんですが、電線のあるところとないところがありますね。太陽子パネルの普及率にもバラツキがあります。もしかして、地区によって電力供給システムに違いがあるんでしょうか?」
「そうです。都内中心部の電力は太陽光や風力など、すべて再生エネルギーによる発電によって賄われています。それに対し郊外は、再生エネルギーの割合が四割程度しかありません」
「では、残りの六割は?」
「火力、水力発電がそれぞれ一割、残り四割が原子力発電です」
 信じ難い発言に、僕は耳を疑った。
「原子力が、そんなに?」
「残念ながら……。そして、この割合は首都圏だけでなく、全国的に見てもほぼ同じです」
「そんな……」
 嘘だろ、ここは四十年後だぞ。四割って、現代より増えているじゃないか。
「どうして、よりによって原子力を選んでしまったんでしょうか?」
「元をたどれば、石油価格の高騰が原因です。世界人口が増えたことで石油の需要が高まり、入手が困難になると、その代替品として天然ガスが使われるようになりました。しかし、天然ガスもまた需要が高まったことで価格が上昇し、もはや火力発電では電力を賄えなくなってきたのです。それをきっかけに、太陽光や風力などの再生エネルギーの利用拡大を始めるべきでした。ですが……」
「原子力を選んでしまったと?」
「すべての国がそうというわけではありません。ドイツやイタリアのように脱原発を達成した国もあります。ですが、この国は愚かなことに、またしても一部の権益者に躍らされてしまったのです」
 金城は、まるで我が失態を恥じるように苦々しい表情をした。
 この国のことを本気で憂いているようだ。
「でも、四十数年前の震災以来、原発事故は起きなかったんですか?」
「政府や電力会社はひた隠しにしているようですが、老朽化が始まった原子炉を中心に、事故はたびたび起きています。大きな事故が起きていないのはたまたま運がよかっただけで、今後の見通しなどあってなきようなものです。早い話が政府も電力会社も、過去の震災事故からは何一つ学ぶことなく、昭和時代から変わらぬ運営方針を貫いているのです」
 ひどい……が不思議な話ではない。
 人間社会がそういうものだということは、テスターになる前から知っている。
 原発によって生み出された膨大な核廃棄物が十万年先まで残ろうとも知ったことではない。今を豊かに生きることが大事なのだ。
 金城は話を続ける。
「火力発電の減少にともなった原子力発電所の増設は今なお続いています。このような暴挙は一刻も早く止めなければなりません。そのために、再生エネルギーへの転換政策を第一に推し進めておられるのが野川先生なのです」
 なんと。僕が気になっていたことと野川春の政策は一致していたのか。
『さすがは親子ですね』
 金城の話が途切れた隙にそう言われる。
 アイシャ、僕の心を読まないでくれ。
 当然、返事はできないので聞き流す。
 まだ主導権を渡すわけにはいかない。金城が口を開く前に発言を開始する。
「しかし、エネルギー政策の転換は五年や十年で達成できるものではないでしょう。それでは短期志向になりがちな有権者から票を取るのは難しいのではありませんか?」
「そのとおりです。大局的なものの見方ができない民衆に足を引っ張られて大胆な政策が行えない――まさに民主主義の弊害ですね。ですが、先生は民衆に媚を売る政治家とは違います。民衆に正しいものの見方を諭し、正しい方向へと導いてくれる、そんな政治家なのです」
「民衆を正しく導くだなんて、そんなことができるんですか?」
「先生ならできると私は信じています。人を導くのに最も大切なのは利益ではなく人を思いやる心なのだと、先生は常々おっしゃっています。利を以て票を取りにいくのではなく、徳によって民衆の心を動かす。それが野川春の真骨頂なのです」
 春のことを語る金城の表情は生き生きとしていた。
 未来が変わっても、彼らの生き様は変わっていないようだ。
「なるほど、徳治(とくち)主義というものですね。さしずめ、春おじさんは現代に蘇った孔子といったところでしょうか」
 金城は小さく首を横に振る。
「少し違いますね。儒学もその一部ではありますが、先生の根幹をなすものは日本人による日本人のための思想、すなわち武士道です」
「武士道……」
「かつて日本の支配階級だった武士は、民衆の模範となるべく自らを厳しく戒めていました。同時に、主君に仇なす者、主君の名誉を傷付ける者には一切の容赦をしませんでした。その姿勢こそが、政治家にも必要なのです」
「この場合の主君≠ニいうのは、国民のことですね?」
 僕が言うと、金城はニヤリと笑った。
「さすがによくわかってらっしゃる。封建社会と違い、今は国民主権の時代ですからね。そこを履き違えている人間を政治家とは呼べません」
 その論法だと、現代の日本に政治家はほとんどいないことになるな。
 フッと皮肉めいた笑みが込み上げてきた。
 金城は続ける。
「政治家は主君たる国民を時として諌(いさ)め、時として守らなければなりません。そのためには、いかなる圧力に対しても屈することなく、譲れない一線は命を賭してでも守り通す。それができるのは、誠の武士道精神を持つ野川先生だけなのです」
 やはり野川春の思想は僕の考え方を受け継いでいる。
 他者を思いやる心、そして、戦うべき時には迷わず戦う覚悟。それは僕が持っている武道精神と同じだ。ただし、武道が一個人の在り方であるのに対し、武士道は主君あってのもの。それを政治に応用するやり方は、僕にはない発想だ。
 野川春が都知事選の最有力候補ということは、民衆の間にも少なからず彼の精神が芽生えているということだ。それは喜ばしい。
 だが、このまま放っておけばその芽が潰されてしまうのは明白だ。
 八十年後の超格差社会に武士道精神などどこにもありはしなかった。サイクルシティの市長と同様、春もテロリストに抹殺されてしまうのかもしれない。
 そうならないためには、どうすれば……。
『明季、会話が途切れています』
 しまった、つい考え事を――
「そういえば、まだ夏さんのことをまだ聞いていませんでしたね」
 向こうから話しかけられてしまった。
「留学から戻ってきた直後ということは、今は大学に通ってらっしゃるのでしょうか?」
 こうなったらできる限り応じるしかない。
「そうです。今就職活動中なんですよ」
 スーツを着ているのだから、そう答えるのが自然だろう。
 金城は穏やかな表情のまま返してくる。
「ほう、就職活動ですか。防弾服で?」
「は……?」
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 そして思わず、自分の着ているスーツを見てしまった。
「やはりそうですか」
 金城の鋭い視線が突き刺さる。
 言われた直後に確認するなど、そうと認めるようなものだ。もうごまかせない。
「どうしてわかったんですか? 見た目は普通のものとほとんど変わらないのに」
「私が着ているのも防弾服ですので、間近で見れば微細な違いでもわかります。そして何より、生地の感触が違いますから。失礼ながら公園に入る前、背後から確認させていただきました」
 僕の服に触って確かめていたのか。全く気が付かなかった。
「それから、懐に何か忍ばせているようですね。その膨らみ具合から見て細長い形状の武器と思いますが、いかがでしょう?」
 そこまでわかるのか……。
 防弾服がバレているのに鉄扇だけ隠しても仕方がない。
 僕は潔く懐からそれを出し、彼に差し出した。
「鉄扇でしたか。ずいぶんとめずらしいものをお持ちなのですね」
 金城は受け取った鉄扇を広げ、また閉じる。
 それから、僕にそれを返してきた。
「いいんですか?」
「いいもなにも、あなたのものですから」
 その穏やかな物言いに意表を突かれながらも、僕は鉄扇を受け取り、懐にしまった。
 それから聞く。
「金城さんは、最初から僕を疑っていたんですね?」
「無礼は承知しております。ですが、何事もまず疑ってかかるのがボディーガードの仕事ですので」
 知らない人間が声をかけてきたら、ひとまず疑うのが護身術の基本だ。無礼でも何でもない。彼の柔らかな態度に、僕の方こそ油断していた。
「ではどうして、僕の話を聞いてくれたんですか? わかっていたなら最初から……」
「それはあなたの人間性を見極めるためです。武装しているとはいえ殺し屋やテロリストの類ではないことは、人目に付くこの場所に連れてこられた時点でわかりましたから、急いで問い詰める必要はありませんでした。ですから、話に乗る振りをして情報収集をさせていただいただけのことです。結果、少なくとも先生を狙う不届き者でないと判明して安心しております」
「なるほど……」
 情報収集するつもりが、こちらもされていたとは。この男、間違いなくプロだ。
 さすがにこれ以上のミッション継続は不可能か……。
「そろそろ、あなたが何者なのか聞かせていただけませんか?」
 金城はあくまでも穏やかな態度だ。僕に悪意がないことをわかってくれている。
 できるならもう少し話をしたかったが、仕方ない。
「残念ながら、その質問にはお答できません。というより答える意味がない」
「……どういうことですか?」
 金城は怪訝な表情をする。
「もうじき、全部なかったことになるから。――アイシャ、そろそろ」
『はい』
 これでミッション終了だ。
 と思ったその時。
「待ってください!」
 金城が大声を張り上げながら勢いよく立ち上がった。
 たまたま近くを通りかかった人たちが注目してくる。
 しかし、彼はそんな周囲には目もくれず、問いかけてきた。
「あなたは、いったい何者なんですか?」
 さっきと同じ質問だが態度がまるで違う。
 すでに状況が尋常ではないことに勘付いたようだ。
 答えても仕方がないので黙っていたが、なかなかリセットされない。
「どうした、アイシャ?」
 小声で問う。
『明季、せっかくですからもう少しだけ』
「これ以上何を話せばいい? もう嘘は通じないぞ」
『でしたら、本当のことを話しても構いません。リセットさえすれば記憶はなくなりますから』
 ……アイシャがそう言うなら。
「先ほどから、どなたと話してらっしゃるのですか?」
 金城が聞いてくる。
「失礼、仕事仲間です」
「その仕事とやらについても聞かせていただきたいものですね」
 僕は一呼吸置いてから彼をまっすぐ見上げ、告げる。
「わかりました、お答えします。だから、まずは落ち着いて」
「はい」
 金城は低く返事をして、ベンチに座った。
 さて、どう話したらいいものか……。
 サイクルシティの時は大事件の後で混乱していたこともあって信じ込ませることができたが、今はそういうわけにもいかない。あるいは、この時代に四十年前の僕の写真でも残っていれば……そんなものを探している時間はない。
 こうなったら彼の直感に頼る。
「金城さんは野川明季という人物を知っていますか?」
「先生のお父上ですね。それが何か?」
「会ったことは?」
「私が大学生の頃、何度か会いました。その際、護身術を指導していただきました」
 知っているのか。それなら――
「僕の顔をよく見てください」
「は……」
 怪訝な表情で目を細める金城に、はっきりと言う。
「僕が、その野川明季です」
「あなたが?」
「もちろん、同姓同名の別人ではありません。間違いなく、金城さんの知っている野川明季本人です」
 こんなことで信じてもらえるとは思えないが、何の準備もない現状ではそう言うしかない。
 しばらく無言で見つめ合う。
 やはり無理があるか。もうリセットしてもらうしか……。
 あきらめかけた時、意外にも冷静な声で彼は言った。
「では仮に、あなたがお父上本人だとしましょうか。すると考えられる可能性は、彼の生まれ変わりでしょうか? それともクローン人間? あるいは過去からタイムスリップしてきたとでも?」
 僕より頭が回ってるじゃないか。この短時間で三つも思いつくとは。
 あまりに非現実的な話だったせいで、かえって冷静さを保ってくれたか。
 なんにしても好都合だ。これなら話を続けられる。
「そうですね、あえて言うならタイムスリップが一番近いでしょうか。僕は四十年前の世界から未来を調査するためにやってきました」
 金城は表情を変えない。
「ほう。では仮にそれも本当だったとして、いったい何を調査しに来たのですか?」
「それは、先ほど金城さんが話してくれたようなことです。未来の姿を知ることで、人類の歩むべき道を探し当てるのが僕たちのミッションなんです」
「では、私もミッションのお役に立てたということですね?」
「はい。だから、感謝しています」
 これは本心だ。
 彼に限らず、仮想未来で関わる人たちを単なる情報源だとは思っていない。
 金城は顎に手を当てて、しばらく考え込むように視線を落とす。
 それから、フッと穏やかに笑った。
「まさか、先生のお父上がそのような大事業をなされていたとは……。しかも、私のような若輩者を頼ってくださるとは、まさしく光栄の極みです」
 からかっているとは思えない、まっすぐな彼の口調。
「こんな話を、信じてくれるんですか?」
「いえ、正直なところ、まだ信じられません。ですが、あなたの未来を想う気持ちは本物です。それだけは信用できます」
 ……まただ。
 教会でマヤと話をした時と同じように、また胸が痛くなってきた。
「でも……」
 今度は僕が視線を落とす。
「僕が元の世界に戻れば、僕がここに来てから起きた出来事はすべてなかったことになります。今こうして話していることも、金城さんはすべて忘れてしまう……」
 そうだ、こんな話をしても何の意味もない。
 それなのに、どうしてリセットしないんだ?
 まさか、また――
『システムトラブルは起きていませんので安心してください』
 また心を読まれてる!
 僕のしぐさも表情も見えないのに、どうやって言い当ててるんだ?
 ……まあいい、後で聞こう。何かしら意味はあるのだろう。
 しばらくの沈黙の後、落ち着いた表情で金城は言う。
「それは違います。すべてなかったことにはならないはずです。少なくとも、あなたの記憶は残るでしょう? そうでなければ調査をする意味がありませんから」
 僕はコクッと頷く。
「でしたら、あなたに伝えておきたいことがあります」
「……言ってください」
 彼が僕のことを忘れてしまっても、僕がその言葉をしっかり胸に刻んでおくから。
「どうか、あなた方の力で未来を変えていただきたいのです。野川先生は未来を変える力を持ったすばらしいお方です。ですが、登場が遅すぎました。この国の衰退を食い止めるにはもっと早くから、あなた方の時代から動き始めなければならなかったのです。この時代になってからではもう間に合いません。だから、どうかあなた方の力で……」
 金城は座ったままの姿勢で深く頭を下げた。
 ――未来を変える。
 四十年後ですら経済至上主義が横行しているというのに、現代でそれを成すことがいかに困難か。ほとんど夢物語だ。方法など思いも付かない。
 それでも、僕の答えは決まっている。
「約束します。未来は、僕たちが変えてみせると」


 気が付いたら暗闇の中で座っていた。
 アイシャがヘルメットを外してくれる。
「明季、お疲れ様でした」
「ごめん、集中力が途切れてしまって……」
「いえ、今回は充分な情報も手に入りましたし、ミッションは成功ですよ」
「そっか」
 そう言ってもらえると気が休まる。
「でもアイシャ、どうしてあの時、リセットせずにミッションを続行させたのかな?」
「それは……」
 アイシャは言いづらそうに視線を落とした。
 何か裏でもあるのか。
 まさかアイシャに限って――と思ったが、
「あまり一方的にリセットしては、かわいそうかなと思いまして」
「え、かわいそう?」
 ずいぶんと拍子抜けする理由だった。
「だって、すごく誠実な方でしたし、それに一応わたしたちの関係者じゃないですか。それなのに話を聞くだけ聞いて一方的にリセットしてしまうのは、とても心が痛みます。もちろん、危険な場面ではなかったことと、時間に余裕があったからこそですが……」
 その気持ちはよくわかる。データの世界とはいえ、そこにいる人たちは間違いなく実在する人間だ。彼らは彼らで生きているのだ。僕たちはシステムの力でその世界に無理矢理干渉しているに過ぎない。だから、最低限の礼儀はわきまえているつもりだ。
 でも、直に接している僕はともかく、映像を見ているだけのアイシャがそんな気持ちを抱くなんて……。
「アイシャは優しいんだな」
 自然と笑みがこぼれてきた。
「明季だって優しいですよ」
 アイシャも穏やかに微笑んだ。
 心温まる時間が緩やかに過ぎていく。
 こんな時間が、いつまでも続けばいいと思う。
 でも、そのためには未来を変えていかなければならない。
 今なら、まだ間に合うのだから。


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