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作品名:咎人戦騎 作者:松野栄司

第9回 第九話【銭奴】
   壱

 此の世の中は、金が総てだ。
 山村冴子が生きて来た五十年で、学んだ事は此の一点に尽きる物だった。子供の頃から、冴子は劣等感を抱いていた。自分と違って、他の子達は可愛らしく見えた。愛嬌が有って、周りの大人達に可愛がられている子供達が、羨ましかった。其れに引き換え自分は、醜い見た目をしていた。自分をブスに産んだ両親を、幾度となく恨んだ。
 暗い性格に育ったのも、不細工な外見の所為。ブスで不愛想な女の人生は、暗く悲惨な物だった。
 誰からも相手にされずに、面倒な事ばかりを押し付けられる。中小企業のOLをしていた時も、クレームの対応ばかりをやらされていた。ブス、不細工、不愛想。そんな言葉を毎日、浴びせられる。もっと酷い言葉も、数え上げられないぐらいに叩き付けられた。正に罵詈雑言の嵐だった。
 其の度に冴子は憎悪の心を、内に孕ませていた。
 最初の頃は、涙を流していた。其の度に周りの者達は、己を嘲笑っていた。ブスが泣いても、滑稽にしか見えない事を知った。其れ以来、冴子は泣く事を止めた。
 代わりに憤怒と憎悪の念を、積もらせた。やり場の無い感情だけが、残った。
 ――今に見ていろ。自分を嘲(あざけ)て見下している全ての人間を、いつか見返してやろうと想った。其の感情だけが、冴子を支えていた。
 冴子が二十五歳の時、一つの転機が訪れた。
 生まれて初めての彼氏が出来たのだ。相手の男は、新入社員の若い男だった。高卒で冴えない男で在ったが、真面目そうな外見だった。
 仕事に慣れていない為か、事在る毎(ごと)にミスをしては上司の叱責を受けていた。冴子はそんな男に優しい言葉を掛けて、励ました。自分でも驚く程に、積極的に男に近付いていた。
 其の甲斐が在ったのか、程無くして冴子と男は交際を始めた。数ヶ月の間は、冴子に取って夢の様な日々で在った。初めての経験に、感激で胸が高鳴っていた。男の温もりに、心が癒された。
 幸せを知った。
 男を知った。
 そして、失恋を知った。
 ――お前みたいな不細工で暗い女、本気で好きになる訳がないだろ。
 男の言葉に、冴子の心は深く鋭く抉られていた。
 ――年上で誰からも相手にされていないから、貢いでくれると思ったのに、見当違いだったな。
 男の吐き捨てた言葉に、悲しみよりも、憎しみの感情が込み上げていた。
 冴子は涙を流しながら、男に掴み掛かっていた。
 ――ふざけるな。貴様(きさん)みたいな男げな、此方(こっち)から願い下げたい。
 そう叫ぶ冴子の表情は、鬼気に染め上がっていた。冴子の気迫に押されて、男は其れ以上、何も言えなくなっていた。
 男と別れた冴子は其れ以来、誰にも心を許す事は無かった。誰も信用、出来なかった。
 此の世界で、頼れるのは自分一人だけだ。近付く者は、全て敵。そう思う様に成っていた。
 冴子が三十代半ばの頃に、再び転機が訪れた。
 十年前から買い続けていた宝くじが、当たったのだ。其の額は、七億円で在った。
 ――人生が、一変した。
 冴子は糞喰らえな神に、生まれて初めて感謝した。此れで、全てが変わるのだ。自分は生まれ変われる。
 金を手にした冴子は、真っ先に高級ブランドを買い漁った。身に纏った物の総額が、一千万円を優に超えていた。ホストクラブに行って、数百万円の金を一晩で溶かした。
 美形の男達が、自分を称賛した。愉悦に浸る心の奥底には、積もり積もった憎悪が沈んでいた。
 冴子は一週間、会社を無断欠勤している。遊び回って、一億円の金を溶かしている。
 豪遊する事に飽きた冴子は、男達への復讐を始めた。一週間振りに出社すると皆、奇異と嫌疑の視線を冴子に注いでいた。其れも、其の筈だ。無断欠勤をした上に、ふてぶてしい態度で現れたのだ。着てる服も、高級ブランドで固めていた。
 ――山村君。此の会社に、君の席はもう無いよ……。
 いつも強気な山下が、遠慮がちに言った事を今でも憶えている。山下は明らかに、動揺していた。
 以前までならば、自分を罵倒していただろう。
 ――知っとうばい。其れが、どげんしたと?
 小馬鹿にした様に、冴子はせせら笑う。脂ぎった山下の肌を、汗が伝っていた。
 ――今日はお前等に、今までの事を謝罪して貰おうと思って、こげんむさ苦しい所に来てやったんばい。
 狼狽える山下に、百万円の束をちらつかせる。其の瞬間、明白(あからさま)に周囲の人間が目の色を変えた。
 ――全裸で土下座して、謝罪した者(もん)には、百万ばくれてやるたい。
 其の場に居る全員が、息を呑むのが解った。
 冴子がバッグを逆さまに振ると、中から札束が大量に出てきた。
 其れを見た途端、男達の一人が服を脱ぎ始めた。其れを見て又、一人。又、一人と次々に服を脱ぎ始めた。五分も経たぬ内に、男達は皆、全裸に成っていた。
 ――なんば、ボサッと立っとるんね。さっさと、土下座ばせんね?
 言われる儘に、男達は冴子に土下座をしていた。
 快感だった。
 今まで自分を馬鹿にして、見下してきた男達が、自分に媚び諂(へつら)っている。
 金の魔力の前には皆、従順な犬畜生に成り下がる。
 更なる快感を求めて、冴子は金を求めた。
 会社を起こして、金融業を始めた。土地を買って、駐車場も経営した。金に対して貪欲に成った冴子は、みるみると金を稼いでいった。
 正に冴子は、金の亡者と化していた。
 此の世の中は所詮、金が総てだ。
 金以外に信用、出来る物なんて何一つ無い。
 不細工で不愛想な女が、人以上の幸せを求めるならば、金が要るのだ。
 そして自分には、唸る程の金が在る。其れなのに何故、こんな目に遭っているのだ。
「社長が悪いんですよ……。俺の事を散々、馬鹿にしておいて……クビにまでして。……俺、納得してないんですよ」
 狂気に染まった顔の山崎が、冴子の胸にナイフを突き立てながら言った。
 山崎は冴子が、営んでいる金融屋の社員だった。
 大した能力も無くて、人並み以下の仕事しか出来ない男だ。冴子に罵倒される毎日を送り、遂には解雇を言い渡された。
 其の事に腹を立て、強行に及んだのだ。
 ――死にたくない。
 薄れる意識の中で、冴子は思った。
 折角、此処まで成り上がったのだ。こんな事で、死にたくはなかった。
 ――俺が、助けてやろうか?
 冴子は事切れる寸前で、声を聞いた。地獄の底から聞こえる様な、禍々しい声で在った。
 ――誰でも良い。私を助けてくれるなら、誰でも良い。
 声の主が鬼でも悪魔でも、どちらでも構わなかった。自分が助かるのならば、何でも構わない。
 ――ならば、俺を受け入れろ。
 冴子は、魔徒と成っていた。

   弐

「香流羅よ、どうした?」
「入らないの?」
 家の前で立ち止まる香流羅に、二匹の霊獣が問う。
 霊獣は普段、其の実体を表には現さない。香流羅の衣服に、霊体として憑依しているのだ。
「邪悪な氣を感じる」
 《ガイア》の数珠を身に着けてから、感覚が鋭く成っていた。
 【人外の書】に依って、香流羅は遠くの氣の流れを察知する術を得ていた。故に以前にも増して、邪気に敏感に成っている。
 邪悪な氣は、一つでは無かった。複数の邪気が、別々の位置から感じられた。其れも、相当な力を有している。今の自分で在っても、果たして勝てるだろうか。
 ――此の御影町で一体、何が起きている。
 邪気の一つは、間違いなく魔徒に依る物だ。だが其れ以外の邪気は皆、気配が違う。幸い今は、成りを潜めている。
 闇が動き出す前に、更なる力を身に付けねば成らない。
「……お兄ちゃん。そんな所で、何してるの?」
 背後から、声を掛けられた。
 振り向くと刹那が居た。
「何故、封印が解けている?」
 刹那から力を感じた。
 砂羅と共に掛けた封印の術式が、完全に消えている。刹那に封印を解く術は無い。此れまで、何も教えずに普通の暮らしをさせていた。其の命を削りながら、力を使わぬ様に。無用な危険を、避けさせる様に。全ては刹那の事を想って、掛けた封印だった。
 其の封印が、何者かに解かれている。
 一人、思い当たる者が居る。
「神楽と契約したのか?」
 無言で頷く刹那。
 香流羅の問いに、刹那は狼狽えた様子は無い。
 全てを知った上の事なのだと、香流羅は悟った。
「まぁ、良い。ならば、お前も力を付ける事だ。自分で選んだ道ならば、覚悟は出来ているんだろうな?」
 厳しくも優しい光が、香流羅の瞳には宿っていた。
 香流羅に取って、刹那は大切な妹で在った。
 護るべき大切な存在だ。
「こいつを常に、持っておけ。必ずお前の力に成る」
「此れは……?」
 小さなナイフ程の短剣だった。
「《正者(せいしゃ)の剣(つるぎ)》だ。お前の心に共鳴して、相応しい姿と成る」
「ありがとう……」
 はにかむ様に笑う刹那。
 何よりも、愛(いとお)しい存在だった。

   参

 奥深い薫りが、鼻腔を擽る。
 其の薫りを楽しむ様に、羅刹は目を閉じていた。
 優美で心地良い薫りで在った。珈琲とは、此れ程迄に心を満たしてくれる物なのかと、厳(おごそ)かに感心していた。
 口に含むと、味わい深い苦みが口内を満たした。
 刹那に珈琲豆を貰って以来、目覚めた時と眠る前に、珈琲を飲むのが一日の愉しみと成っていた。
「お楽しみの処、悪いけど……羅刹、魔徒が現れたわ」
「又、珈琲が冷めちまうな……」
 立ち上がり、短剣を手に取る。
 黒いコートを身に纏い羅刹は、疾走(はし)った。
 魔徒の気配を探る。
「処で、タリム。俺に、何か隠してるだろう?」
「あら、何の話かしら?」
「惚(とぼ)けるな。でかい邪気の存在に、俺が気付かないとでも思ったのか?」
 先日から、とてつもなく邪悪で強大な力を感じていた。
 只成らぬ気配に、肌が恐怖で逆立っていた。何者にも恐れを抱かない自分が、気配だけで恐怖を感じるのだ。
 只事では無い。
「今の俺に勝てるのか?」
 試す様に、タリムに問う。
「あら、随分と弱気ね。貴方の事だから、てっきり斃(たお)しに行くと思ったのにね?」
「俺も、馬鹿じゃない。無策で勝てる相手かどうかぐらいは、解っているさ」
 本心では、恐れているのかも知れない。
 生まれて初めて、感じる恐怖。其れを克服、出来ぬ内は勝てない。
「此の気配の主は一体、何者だ?」
「貴方も名前ぐらいは、聞いた事が在るでしょう。邪悪なる魔獣・タタラの名は、全ての騎士が知っているもの……」
「伝承で聞いた名だな。確か……タリムはタタラと闘(や)り合った事が、在るんだろう?」
「長い歴史の中……三度、見(まみ)えたわ。其の内の二度は、契約した騎士の命を喪っている」
 其れ程迄に、タタラの力は強大なのか。
 正直な気持ちを晒すならば、見(まみ)えたくない相手で在る。
「だから、羅刹。タタラと遭遇したら、迷わず逃げるのよ……?」
「解っている。俺だって、タタラは恐い」
「なら……どうして、嗤(わら)っているの?」
 羅刹は知らず知らずの内に、好戦的な笑みを浮かべていた。
 怖さが在ったが、タタラと闘いたいと言う気持ちも在った。もしもタタラと遭遇したならば、逃げずに闘う道を選ぶだろう。其れ故に、恐いのだ。
 己よりも遥かに強い存在なのは、初めから解っている。だが、闘いたいのだ。
 恐怖と好奇心が、羅刹の内側には在った。
「とにかく今は、目先の魔徒に集中しなさい」
「解っている!」
 昂ぶる気持ちを抑えながら、羅刹は駆けた。

   肆

「早よ、金ば返さんか!」
 冴子は、女を睨み付けていた。
 女の名前は宮城静香。年齢は二十五歳。専業主婦をしていたが、重度のパチンコ依存症を拗らせている。冴子が経営するアネスト金融の客で在った。
「もう此れ以上は、ジャンプ出来んばい。利息の十万だけでも、返して貰わんと此方(こっち)にも、考えが在るんやが!」
 ジャンプとは、追加の貸付を受けて利息だけを返す事を言う。
 借金が雪ダルマ式に増える危険行為だ。
「もう少しだけ、待って下さい。本当に今、お金が無いんです!」
 涙目で懇願する女に、冴子は虫酸が走った。
 ほんの少し見た目が良いだけで、今まで男に持て囃(はや)されていたのだろう。そう言った輩が、冴子は気に喰わなかった。
 客層を若くて綺麗な女に搾ったのも、女達に地獄を見せてやる為だ。
「なら、風俗を紹介してやるたい。男の下半身ば、喜ばせてやるだけやが。好きやろうもん?」
 賤(いや)しい笑みを張り付けて、冴子は女に問い詰める。
 周囲の男達も、同じ様に嗤っていた。
 事務所には冴子と女以外に、三人の男達が居た。皆、一様に厳つい顔をしていた。
「そんな事をしたら、旦那に殺されてしまいます。勘弁して下さい!」
「なら、良か。旦那に取り立てに行けば、良い事やが!」
「そんな事されたら、困ります!」
「なら、さっさと金ば返さんか。ウチらも、商売にならんたい!」
 俯いて噎(むせ)び泣く女。
「泣くな。さっさと、決断せんか。風俗で働くんか、旦那に泣き付くんか。どっちか、決めんか!」
 契約書を突き付けながら、冴子は悪魔の様に囁いた。
 暫くの沈黙。
 女は遂に観念したのか、弱々しい声音で呟いた。
「……働きます」
 其の言葉を聞いて、冴子は嬉々とした表情を浮かべた。
 ……と、其の時だった。
 事務所の扉が、乱暴に開け放たれた。
「何だ、てめぇ……!」
 叫ぶ男。
 顔に傷の在る少年が、其処に居た。
 ――全く、忌々しい戦騎騎士だ。
「――どけ。お前に用は無い」
「何だと、此の糞ガキが!」
 少年に殴り掛かる男。
 難無く躱され、足払いを受けて派手に転んでいた。
「坊や、ウチは金貸したい。返済能力の無いガキは、用はなか!」
「魔徒のお前には、金なんて必要ない!」
 短剣で斬り掛かって来た。椅子を蹴り上げて、少年を遮る。少年は、椅子を斬り払った。
 冴子は横に飛んで、ナイフを投げ放っていた。
 左腕に突き刺さるナイフ。其れを見て、冴子は高笑いを上げていた。
 そして、全速力で逃走した。
「逃がすか!」
 後を追う少年に、男達が掴み掛かる。
 従業員達は既に、死者と成っている。
 冴子の意の儘に動く傀儡だ。
 大した戦力には成らないが、足止めぐらいには使えるだろう。

   伍

「久し振りだな、姉さん」
 穏やかな表情を浮かべて、香流羅は砂羅を見た。
「どうやら、禁忌の術を会得した様ね?」
 険しい表情をする砂羅。
 無理も無い。
 今の自分は、危険と常に隣り合わせの処に居る。力を得た代わりに一歩、間違えれば闇に墜ちてしまう。そうなれば恐らく、砂羅は自分を斬るだろう。
「言いたい事は、解っている。だが、俺達には力が要る。そうだろう?」
「嗟(ああ)。其の通りだ。だからこそ、己を見失うな……香流羅」
 砂羅の其の瞳には、哀しみの光が宿っている。
 十数年前、幼い自分達の前で母は殺された。
 闇に墜ちた男の手に依ってだ。
 力を抑え切れなければ、自分もそうなるかも知れない。
 其の事は重々、承知の上だった。
 決して自分は、闇には染まらない。愛する姉と妹を、必ず護り抜いてみせる。
「姉さん達を護れるならば、俺は修羅の道を行(ゆ)こう。必ず俺は、強く成ってみせる」
「だったら、お兄ちゃん。羅刹とも歪(いが)み合わずに、協力しようよ」
 刹那が割り込んで来た。
「其れは、出来ない」
「どうして?」
「《禍人の血族》と戦騎騎士は、互いに相容れない存在だからだ」
「そんな事ない。現に私は、羅刹と打ち解けてるじゃない!」
「其れは、お前が特別だからだ。其れに……俺には、戦騎騎士を許す事が出来ん!」
 脳裏に蘇る記憶を押し込めて、必死に冷静さを保った。
「待って……お兄ちゃん!」
 立ち去る香流羅を、追い掛ける刹那。
「帰って来て早々、落ち着きの無い子ね」
 溜め息混じりに、砂羅が呟いた。

   陸

「ガルムよ。此処は一体、何処だ。現世ではないのか?」
 戌咬出狗(いぬがみいずく)は戸惑っていた。
 漸く【闇の牢獄】を、暗黒戦騎ガルムと共に破る事が出来たと言うのに。漸く現世に舞い戻ったと思ったのに、目の前の光景は、不可思議で溢れ返っていた。
 無数の鉄の塊が、町を走っている。町行く人々は、見慣れぬ衣服に身を纏い。手には、奇怪な板を持っている。
 此処は一体、何処なのだ。
「間違いなく、此処は現世だ。出狗よ、お前には人々の闇が見えぬか。時が変われば、人の世は変わる。しかし、人の闇までは変わらぬ」
 饒舌に、ガルムが応える。
 ならば此の世界の何処かに、羅刹が居る筈だ。地獄で閻魔大王が、羅刹に言い渡した裁きを聞いていたから間違いない。戦騎騎士として、罪を償う為に羅刹は現世に蘇っている。尤も魔徒に討たれていれば、話は別だが簡単にくたばる奴ではない。
 そう易々と、くたばられては困る。
 自分は羅刹を殺す為に、現世に蘇ったのだ。
「其れにしても、此の強い邪気の持ち主は……一体、何者だ?」
 途轍(とてつ)もなく強大な気配を感じていた。
 真面(まとも)に闘(や)り合っても、勝ちの目は薄い。
「邪悪なる魔獣・タタラ。其の名ぐらいは、聞いた事が在るだろう?」
 突然、背後から声がした。
 気配は全く、感じられなかった。
「お前、何者だ?」
 不敵に笑う男。
 異様に高い背。鍛え上げられた体躯。金色の長髪。其の身からは、圧し潰されそうな程の威圧(プレッシャー)を感じた。
「不味いな、出狗。全力で、逃げろ!」
「四百年振りに、剣を振るう機会が訪れたんだ。其れも此れだけの上玉。逃げるのは、勿体ない!」
 其の顔を、狂喜に染めながら短刀を抜いた。
 短刀二刀を構えながら、出狗は男を窺う。
「其の男の名は、夷蕗竟(いぶききょう)。最強の騎士だ。闘うのならば、我を喚装しろ」
「ほう。此奴(こいつ)が、話しに聞く《金獅子》か。ならば、ガルム。喚装だ!」
 出狗の身体を、禍々しい程の黒い鎧が包み込んだ。
「凄いな小僧。鎧に喰われていないのか。俺の目的は、暗黒戦騎ガルムを斬る事だ。小僧……鎧を置いて去れば、見逃してやるぞ?」
「嘗めてるのか、貴様。咬み殺してやる!」
 出狗は動いていた。
 前傾姿勢の構えから、男に飛び掛かる。短刀二刀流に依る上下段への斬撃を放っていた。
「疾(はや)いな。其れに、斬撃が重い」
 男は一本のナイフで、出狗の攻撃を往なしていた。
「……竟。仮にも我が兄者を相手に、ナイフ一本では足許を掬われるぞ?」
 男の戦騎らしき声が聞こえた。
「そうだったな、レオン。小僧の戦騎は、お前とは兄弟分。なら、此方も喚装といこう!」
 男の身を金色の光が包んだ。
 金色に輝く鎧には、荘厳な獅子のレリーフが刻まれていた。其のレリーフが、何処かガルムのレリーフと似ている。
「ガルム、どういう事だ?」
「知れた事よ。奴の纏う金獅子戦騎レオンは、此のガルムの弟。奴等は強いぞ」
 男は腰に差した大剣を、引き抜いていた。
 優雅に構えながら、此方を見据えている。
「来るぞ!」
 ガルムが声を発した時には、既に男は突進を始めていた。
 出狗は極界から、暗黒の炎を召喚して身構える。男の見掛けからは想像も付かぬ程、素早い動きで間合いを詰めて来た。
 男の斬撃が、出狗の頭部を捉える。
 大剣が、出狗を両断した。其の刹那、炎の揺らめきと共に、出狗の姿は消えた。
 ――完全に背後を捉えていた。
 右の太刀を、男の背に叩き衝ける。
 だが、振り向き様に大剣の柄で受けられた。構わず左の太刀を、下段から放った。其れも、同じ様に防がれる。尚も連続して、斬撃を放つ。
 上下左右と縦横無尽に放たれた連撃。其の速度は、目で捉えられる物では無かった。
 出狗の剣は、まるで獰猛な獣の様で在った。故に其の剣は、獣刃(じゅうじん)と名付けられた。
「ぬるいッ!」
 僅かな隙を突いて、男は大剣を放った。
 出狗の剣は弾かれ、大きな隙が生まれた。
「終わりだ……小僧!」
 大剣の追撃が、出狗の身体を捉える。

   漆

「不味いわね……」
 タリムの声が、苛立ちに拍車を掛けた。
 左腕に力が、全く入らなかった。ナイフを受けた時は、大した傷では無かった。其れなのに、出血が止まらない。赤黒く変色して、どんどん悪化していく。
「どうやら……奴(やっこ)さんの能力は《貸付》みたいよ。受けたダメージを返さなければ、利息が付く様ね」
「奴(やつ)を斬らないと、傷の悪化は止まらないと言う訳か……」
 魔徒を追いながら、羅刹は焦りを感じていた。
「タリム。喚装して、奴を追うぞ!」
 戦騎の羽根を広げて、羅刹は飛んだ。
 飛行には通常よりも力が消費される為、喚装していられる時間が極端に短く成るのだ。
 魔徒との距離が、一気に詰まる。既に相手は、鬼神化していた。
「せからしかッ!」
 二本のナイフを、投げ放つ魔徒。
 剣で薙ぎ払う。だが三本目のナイフで、右腕を斬り付けられた。
「其の両腕ば、貰うけん。覚悟しんしゃい!」
 構わず魔徒に、斬り掛かる。
 剣先には炎を宿していた。羅刹の刃が、魔徒の胴を捉える。……が、ダメージには繋がらなかった。
 平然とした表情で、反撃をする魔徒。
 醜く肥大化した身体から、複数のナイフを飛ばして来た。
 虚を突かれて、羅刹は咄嗟に防御体勢を執っていた。全身をナイフが、五月雨(さみだれ)の如く襲う。
 ナイフを躱し、払うが、其の内の何本かが羅刹の身体に突き刺さる。
 全身に痛みを感じた。此の儘では不味かった。
「何故、奴に攻撃が効かない?」
「貴方が受けたダメージを、相手に返さなければ無駄みたいね。本当に厄介な相手だわ……」
 魔徒は又、距離を置こうと逃走を始めていた。
 攻撃と退避(ヒット・アンド・アウェイ)を繰り返して、此方が自滅するのを待つつもりの様だった。
 長期戦に成れば、羅刹に勝ちの目は無かった。受けたダメージの利息が貯まって、死に至ってしまう。其れに、戦騎を喚装していられる時間も、既に残り僅かだ。
 非常に苦しい展開で在った。
「此の程度の相手に、何を梃子摺(てこず)っている?」
 冷酷な声音が、背後から聞こえて来た。
 振り向くと、其処には香流羅が居た。
 雰囲気が、以前とは異なっている。全身を纏う氣の密度が、段違いに濃く成っていた。
「青丸、奴を討つぞ!」
「イエッサーッ!」
 香流羅の声に呼応して、青白い光の鷹が出現した。
 香流羅の使役する霊獣は、周囲の氣を取り込んで、みるみると巨大化していった。
 巨大化を続けながら、魔徒の元へと凄まじい速度で飛行していた。
「人に仇為す魔徒は、此の俺が討ち滅ぼしてやる!」
 鷹の霊獣が、魔徒を撃ち貫いていた。
 音も無く、魔徒が消滅した。
「戦騎騎士など、必要ない!」
 小太刀の鋒(きっさき)を、羅刹に突き付ける。
 香流羅に向けられた眼差しは、相変わらず憎しみに染まっていた。
 手負いで勝てる程、今の香流羅は甘くは無かった。
「だが……今回は、見逃してやる。此の間の借りが、在るからな」
 小太刀を納める香流羅。
「後悔する事に成るぞ?」
「今、お前を斬れば、彼奴(あいつ)に嫌われる」
 微かに、香流羅が笑った様に見えた。
 少し先の方から、刹那が駆け寄って来る。
「其れは、不味いな……」
 羅刹は、苦笑いを浮かべていた。
「だが、忘れるな。何(いず)れ、決着は付ける。必ずだ!」
 香流羅は去っていった。

   捌

 大剣が出狗の身体を捉える寸前で、竟の身体は弾き飛ばされた。
「危ない処だったねぇ!」
 出狗に駆け寄る女。
 全く面識の無い女だった。
「其奴(そやつ)を連れて、逃げるのじゃ。今、ガルムを喪えば……我々の計画は、大きく狂う事と成る」
 出狗の前方には、小柄な老人が胡坐を掻いて宙に浮かんでいた。
「はぁ〜い、老師!」
 どうやら、女と老人は師弟関係に在る様だった。
「矢張り、お前等が絡んでいたか」
 《金獅子》が、老人を睨み付けながら言った。
「皇渦陸仙(おうかろくせん)と暗黒戦騎ガルム。同時に相手取るのは、流石に不味いな」
「馬鹿を申すな。御主は……最強の名を、欲しい儘にしとる。戦力的には、未だ未だ足りておらぬぐらいだ」
 何時の間にか、周囲を無数の人影が囲んでいた。
 まるで気配を持たなかった。
「《嘲りの鉈椰九(しゃなく)》に其処まで言われるとは、光栄だな」
 《金獅子》は、余裕の表情を浮かべていた。
「死者を使うとは、お前等も随分、人手不足の様だな」
 辺りを見廻す《金獅子》を、出狗は睨み続けた。
「そんな顔をしなくても、ちゃんと斬ってやるさ」
 《金獅子》が何かを投げて、此方へ歩み寄って来た。其の刹那、周囲の死者達の首が飛んだ。力無く倒れる死者達。
 《金獅子》の投げた武器が、持ち主の元へと帰っていく。どうやら、円月輪の様だ。
「役に立たない駒だったな?」
 小馬鹿にした様に、老人を見る。
「そうでもない」
 刹那、邪悪な気配が現れた。
 死者達が、魔徒と成って蘇った。
「御主の相手は、其奴等(そやつら)がしてくれる」
 《金獅子》に襲い掛かる魔徒達。
「流石に、数が多いな。こいつは、骨が折れそうだ」
 言葉の割には、余裕そうな表情で在った。
 《金獅子》の両側から、二つの影が近付いて来る。円月輪を両手に投げて、後方に飛んだ。
 二体の魔徒が、飛散していった。
「さぁ、今の内に逃げるわよ!」
 女が出狗に笑い掛ける。
「出狗よ。此処は一旦、退いた方が良策の様だ」
 逃げる様に、促すガルム。
「解っている!」
 苛立ちながらも、其の言葉に従う。
 《金獅子》――夷蕗竟。
 其の名は、憶えた。
 次に相手取った時は、必ず斬ってやる。


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