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作品名:咎人戦騎 作者:松野栄司

第7回 第七話【魔窟】
   壱

 霧深い山の中を、香流羅は一目散に歩いていた。
 山全体に張られた大きな結界を破るのに、五日も掛かった。破ると言っても、小さな穴を空けた程度で在った。其れでも、人間一人が通る入口としては、問題は無かった。
 山中に人の気配は全く無い。代わりに死屍累々と築き上げられた獣達の屍が、無数に転がっていた。普通の山とは、明らかに一線を画している。
 山の至る処に、魔徒の気配を感じた。一つ一つの気配は弱いが、其の数は百を越えているのは明白で在った。どうやら山全体が、魔徒の巣と化している様だ。
 古の時代から、人々に魔窟として恐れられた此の山の何処かに、香流羅の目的の物が在る筈だ。
 ――人間よ、我にお前を喰わせてくれ。
 猪に取り憑いた魔徒が、囁き掛けて来る。
 ――我にも、喰らわせろ。
 背後からも、魔徒の気配がする。
 ――否(いい)や、我に喰わせてくれ。
 至る処から、魔徒が狙って来ている。
「香流羅ぁ……帰った方が、良いんじゃない?」
 鷹の姿をした青丸が、不安げな声を投げ掛ける。
「情けない事を、言うな。赤丸、全部で何匹ぐらいだ?」
 狼の姿をした赤丸が、鼻を効かせて魔徒の気配を探った。
「全部で八匹だ。前方に三匹。後方にも、三匹。上に一匹。最後の一匹は……」
 隆起する土の気配を、鋭敏に感じ取って一同は飛んだ。
 瞬時に青丸を、腕に宿らせる。青い光が羽根と成って、両の腕(かいな)を纏う。小太刀で鳶(とんび)に憑いた魔徒を斬り滅ぼして、光の羽根を前後の魔徒に送る。起爆札も織り交ぜた攻撃を受けて、散々(ちりぢり)に飛散し、消滅する魔徒達。残った土竜(もぐら)に憑いた魔徒を、赤丸が噛み殺していた。
「こいつ等は、只の雑魚だ。さっさと、目的の物を見付けるぞ」
「解ってるよぉ、香流羅〜!」
「なら、さっさと行くぞ!」
 二匹の霊獣が、香流羅に付き従う。赤丸も、青丸も、神に与えられた神の眷属だった。
 彼等を使役するには、氣を操る術(すべ)を身に付けねば成らない。才覚の在る香流羅には、二匹の霊獣を使役する程の操氣術が在る。だが御法院の歴史で見れば、香流羅は未々、未熟で在った。神に与えられた【天涯の書】には、龍脈の流れが記されている。龍脈とは、大きな氣の流れで在り、氣は川の様に流れている。氣が集まる場所には、土地神が宿る。此の書には、龍脈の歪みが生まれる場所と、其の周期が記されている。そして【人外の書】には、氣を操る術が記されている。即ち、龍脈の氣を取り込み、己(おの)が力とする術が記されているのだ。
 大きな氣を操る為には、魔徒の骨で造られた数珠が必要で在った。
 此の名も解らぬ山の何処かに、目的の物が祀られている社が在る。
 其れを見付ける迄は、山を降りる気は無かった。

   弐

「何の用だ?」
 一人、短剣を振るう羅刹を見ながら、刹那は申し訳なさそうに呟いた。
「家(うち)に来てみない……?」
「戦騎騎士で在る俺が、《禍人の血族》の家にか?」
 刹那は良く解っていなかったが、どうやら其れが不味い事なのは解っている様だった。
「安心して。家には今、お姉ちゃんしかいないから……。其れに……お姉ちゃんも、羅刹に逢ってみたいって言ってるの」
「何も知らない様だから、教えてやる。《禍人の血族》とは、戦騎騎士に見捨てられた人間が、魔徒に対抗する為に、神と契約した一族の事だ。騎士達と《禍人の血族》の対立は、何千年も前から続いている。千年前に起きた魔徒達との大きな戦いの際に、其の溝はより大きな物に成った」
 一息に捲し立てる羅刹。
「千年前に一体、何が起きたの……?」
「騎士達は《禍人の血族》達を、捨て石に使ったのよ。其れが伝承に依って、大きく歪んで伝わっていったわ。《禍人の血族》に取って、戦騎騎士とは、魔徒以上に憎い対象と成っているの」
 タリムが諭す様に、付け加える。
「だって……羅刹は、私を護ってくれたでしょ?」
「あぁ。だが……他の《禍人の血族》は、俺なんかには護られたくない筈だ。現にお前の兄貴は、俺を憎んでいた」
「お兄ちゃんに、会ったの?」
「二度、刃を交えた」
 香流羅の眼は、憎しみに染まっていた。
 其の感情は、戦騎騎士で在る自分に確実に向けられていた。香流羅の瞳に宿る憎しみは、自分の眼にも宿っている。自分と香流羅は、似た者同士なのかもしれない。
 故に互いに解り合う等、不可能に等しかった。
「ご免なさい。……けど、お兄ちゃんは私が必ず説得して……」
「――無理だ!」
 刹那の言葉を遮って、羅刹は叫んでいた。
「二人共、少し落ち着きなさい!」
 二人を諫(いさ)めるタリム。
「兎に角。一度、刹那ちゃんのお姉さんに逢ってみなさい」
「本気で言ってるのか?」
 意外そうに、羅刹が問う。
「其れと……私は【裁きの門】に喚ばれているから、着いて行けないからね?」
「タリム、お前……面倒事を俺に押し付けて、逃げるつもりか?」
「あら、其れとも……貴方も【裁きの門】に着いて来るのかしら?」
「否(いや)、在の女は嫌いだ」
「なら、決まりね。行ってらっしゃい!」
 愉しそうに言って、タリムの気配は消えた。
 極界に在る【裁きの門】に向かったのだろう。
「羅刹……?」
 窺う様に、刹那が此方を見る。
「仕方がない。今回だけだからな」
「うん!」
 表情を明るくして、刹那は頷いた。

   参

「此処か……」
 五十匹以上の魔獣を屠った頃、漸(ようや)く目的の社が見えて来た。
「貴様、此処に何の用だ?」
 今度は人の姿をした魔徒が、行く手を塞いでいた。
 身形からして《禍人の血族》だと解った。恐らく自分と同じ様に、数珠を求めて此処に来たのだろう。そして魔徒に討たれて、魔徒に成り下がった。恐らく、そんな処だ。
 鬼神化こそはしていないが、自分と同じく《禍人の血族》ならば、術を使う筈だ。
 ――もう、使っているよ。
 何処からか、声が聴こえた。
 光の輪が、身体を拘束している。身動きが取れずにいると、目の前の男が槍を構えていた。逃げる暇(いとま)は無さそうだった。
「赤丸!」
 香流羅の声に呼応して、炎の鎧が身を包んだ。
 放たれた槍が、先端から炎の熱で溶けていく。此方も術を使って、拘束を解いた。
「香流羅、後ろ!」
 敵が二人以上、居るのは解っていた。
 背後から、閃光に包まれた弓が飛来していたが、飛んで躱した。空中で、青丸の羽根を纏う。弐の矢、参の矢と追撃をしてくる女。光の羽根を利用して、女目掛けて滑空する。
 背後で雷鳴が、鳴り響いていた。どうやら男は、雷を操る様だ。前後から閃光が襲い掛かっていたが、燕の様に素早い動きで其れ等を躱していた。
「貰った!」
 光の羽根と共に、起爆札を女に飛ばしていた。
 爆発と共に、女の気配は消滅した。
 香流羅は空中で旋回して、男に目掛けて飛来した。
 雷を放つ男の顔は、修羅の形相で在った。余程、此の世に憎しみを遺していたのだろう。尤も憎しみを持たない《禍人の血族》は、かなり稀な存在だ。
 紙一重で雷を避けて、男の胸に小太刀を突き刺していた。
 此方にも、譲れぬ事情が在る。こんな処で、躓いている時間は一寸も無い。
「大人しく、消えるが良い!」
 小太刀を斬り上げながら、香流羅は叫んでいた。
 体力的にも精神的にも、随分と疲弊していた。だが、休む訳にはいかない。香流羅は懐から、御法院家に伝わる丸薬と栄養ドリンクを取り出した。
 近年の栄養ドリンクには、砂糖やカフェイン等が大量に含まれている。丸薬と合わせて飲めば、かなり体は楽に成る。
 こんな処で、立ち止まって等は要られない。
 自分は必ず戦騎騎士を斬る。
 一族を護り、怨みを晴らすのだ。
 亡き父と母の為にも、愛する者達の為にもだ。

   肆

「白鷹戦騎タリムよ、良くぞ参られた」
 【裁きの門】の番人、嘆きのエリザが厳かに言った。エリザは天界の神々の眷属で在るが、千年前に罪を侵して極界に追いやられた。以来、此処【裁きの門】の番人としての役目を与えられていた。
「羅刹は、漸く騎士としての使命が芽生えた様ですね」
「はい。今は在の子に取って、大切な時期。厳正なる御裁きを願い申し上げます」
 羅刹の処遇は、エリザの気分次第で幾らでも変える事が出来る。
 零落(おちぶ)れたとは言え、エリザは神々の眷属で在る。其れだけの権限が、彼女には与えられていた。
「今日は羅刹の事で、貴方を招いた訳では在りません」
「其れでは、どう言った御用向きで御座いましょうか?」
 エリザの招集は、何時だって悪い予感しかしない。
 きっと面倒事を、仰せ付けられるに違いない。
 身構えるタリム。
「邪悪なる魔獣・タタラが、現世に蘇ってしまいました」
「タタラが……そんな、馬鹿な。奴の復活は、未だ千年以上も先の話では、在りませんか?」
 タタラとは、古の時代より多くの人々を苦しめ、数多の戦騎騎士を屠って来た魔徒の名だ。
 強大な力を有した魔徒を、数百年前に多くの騎士や犠牲と引き換えに、漸く封印したのだ。其の闘いにタリムも又、参加していた。
 タタラの巨悪な力は、其の身に嫌と言う程に染みている。
「万が一、タタラと相対したら……倒せとは、言いません。人々を安全な場所へと避難させなさい」
 本当にタタラと相対したのならば、逃げる事すら至極困難な事で在った。
 其れに羅刹の性格を考えれば、逃げる事は絶対にしない。
 面倒事が又、一つ増えてしまった。
「我々は、貴方を失いたくは在りません。良いですね。呉々(くれぐれ)も慎重な行動を御願い致しますよ」
 要するにエリザは、自分の保身を考えているのだ。
 先の大戦で、多くの戦騎を失った。現存する戦騎の数は、千年前の十分の一しかない。魔徒達との闘いに勝ちこそはしたが、エリザの立案した作戦の所為で、多くの戦騎を失ったのも事実。エリザの立場からしたら、此れ以上の失態を晒す訳にはいかなかった。
「何(いず)れ天界より、タタラ討伐隊が編成されるでしょう。貴方は其れまで、何としても生き延びなさい。話は以上です」
 エリザは直ぐにではなくて、何れと言った。詰まり未だ、タタラ復活の報告を、天界にしていないと言う事だ。
 そうでなければ、天界で非常事態が起きているかだ。どちらにしても、タリムにどうこう出来る話ではなかった。
「畏まりました……」
 タリムには、渋々ながらに受け入れる他なかった。

   伍

「さて、数珠は此の奥か……」
 社に入った途端、魔徒以外の気配を感じていた。
 気配は二つ在った。
 其の内の一つが、此方に接近していた。
「珍しい事も在るな。此処に、人間の来客が在るのか?」
 何時の間にか、もう一つの気配が背後に在った。
 振り返り身構える。
「止めておけ。私達に、闘う意志は無い。其れに、お前では勝てん」
 魔徒では無い。人でも無い。此の気配は、神に近しかった。
「お前等は一体、何者だ?」
 警戒を強めながら、攻撃の機会を窺う。不用意に掛かれば、此方が死ぬ事に成る。
 其れだけの手練れが、二人も居る。闘うのは得策では無かった。だが、退く訳にはいかない。
「按(あん)ずるな。私達は、敵ではない。見ての通り私は、半神半人の半端者。其処に身を潜ませているのは、私の従者だ。菴(いおり)、姿を現せ!」
 女に言われる儘に、狐面を付けた小柄な女が姿を現した。
「私の名は舞織神楽(まいおみかぐら)。一応、今の世に馴染む為に、女子高生と言う奴をやっている。此処は、一時的に寝床として使っているだけだ」
 邪気や悪意は、全く感じられなかった。
 女の言葉を信じる訳ではなかったが、嘘ではない様だ。
「俺は此の奥に在る物に、用が在る。通らせて貰うぞ」
「別に止めはせんが、止めておいた方が身の為だ。此の奥には、魔徒がうようよ居る」
 気配から、十や二十ではない事は解っていた。
 だが、退く気は無かった。
「忠告は、無用だ。何が在ろうが、俺は目的を果たさねばならん」
「なら、菴を連れていけ。きっと、役に立つぞ」
 信用は出来ないが、此の先の気配から、一人では危険なのは解っていた。
「なら、面を取れ。素顔を見せん奴は、信用ならん!」
「此れで、満足か?」
 狐面を取ると幼い顔が、顕わになった。
 妹の刹那よりも、幼い。
 僅かだったが、香流羅の警戒が緩んだ。正確には、油断しているのだ。
「直ぐに警戒を解いては、いかんな……」
 僅かに生まれた隙を衝いて、菴は小太刀を抜いていた。
 太刀筋が、見えなかった。気付いた時には、喉元に鋒(きっさき)を突き付けられていた。
 ――成る程な。
 自分の弱点は、油断をする所に在る様だ。
 神と同じ言葉と刃を向けられて、今の自分では二人に勝てない事を悟る。
「菴、刀を納めよ」
 女に従う菴。
「そう言えば、御主の名を聞いて無かったな?」
 微笑を浮かべる女。
 美しい顔をしていた。
「御法院香流羅だ」
「では、香流羅よ。無事に帰って来る様、呪(まじな)いを掛けてやろう」
 女が手を翳すと、香流羅の全身を温かい光が包んだ。今の所、二人は自分に味方してくれる様で在った。
 菴を連れて、香流羅は社の奥深くへと消えて行った。

   陸

「貴方が、羅刹ね。刹那ったら中々、良い男を連れて来るじゃない」
 品定めをする様に、砂羅は羅刹をまじまじと見た。
 《禍人の血族》特有の不思議な力を、砂羅から感じた。恐らく砂羅は香流羅よりも、遥かに強い。
 タリムが居ない今、闘いに成れば勝てる気がしなかった。
「あら、嫌だわ。取って喰ったりはしないから、そんなに身構えないで」
 愉しそうに、笑みを浮かべる砂羅。
 敵意は全く感じられない。
「貴方には、何の怨みもないわ。其れに私は刹那を護れれば、其れで良いのよ。だから、貴方が刹那を護ってくれて、感謝してるのよ」
 優しい眼差しを向ける砂羅。
「ほら。お姉ちゃんだって、こう言ってるんだから。戦騎騎士と《禍人の血族》だって、きっと解り合える日が来るわよ!」
「其れは、無理だ」
「其れは、無理よ」
 羅刹と砂羅の言葉が、重なる。
「私は彼の敵には成らないけど、香流羅は違うわ」
「どうして、そんな事を言うの?」
「あの子は、憎しみに囚われているわ」
「俺も、そう思う。奴と刃を交えた時に、奴から計り知れない憎しみを感じた」
 憎しみに妥協は生まれない。
 狂気に染まった炎の様に、相手だけではなく己までもを焼き尽くす。
 其れに香流羅の過去には、何か在る様に思えて為らない。其れが何なのかは解らないが、憎しみの根源は其処に在る気がした。
 そして恐らく、砂羅は何かを知っている。
「……さ、こんな所で立ち話も何だから、上がって。御節と御雑煮ぐらいしかないけど、心から持て成すわ!」
 砂羅の笑顔は、刹那と同様に屈託がない。其れに、温かかった。
 羅刹の警戒心は、何時の間にか解(ほぐ)れていた。

   漆

 魔徒を討ちながら、香流羅は菴を見ていた。
 素早い太刀筋に、眼を凝らすが見えなかった。此れ程迄の剣捌きを一体、どうやって会得したのかは解らない。相対すれば、今の自分では太刀打ち出来ないだろう。
「余所見している暇は無いぞ、香流羅よ!」
 咎める様に、赤丸が促す。魔徒の数は、百を優に超えている。況(ま)してや此処に至る迄に、かなり疲弊している。全てを倒すのに、自分一人では無理で在った。菴は大小の太刀を見事に使い分けて、魔徒を薙ぎ払っている。疲れる処か、魔徒を斬る度に強く成っていた。
 良く見ると斬られた魔徒は、消滅せずに菴の持つ刀に吸い込まれている。
 菴は魔徒を、喰らっているのだ。
 次第に菴から、邪悪な氣が発せられていく。魔徒と同じく邪悪な氣を、菴からは感じられた。菴の正体に、香流羅は気付き掛けていた。
 だが今は兎に角、魔徒を斬るのが先決だった。
 体力の消耗が著しかったが、前に進む以外の道はない。立ち止まる事は、死を意味していた。
 一心不乱に、香流羅は剣を振るい続けた。
 気が付いた時には、魔徒の気配は一つしか感じられなかった。
 そう、残る魔徒は菴一人だけで在った。
 互いに対峙して、改めて庵の強さを実感した。全く隙が無い。どう、打ち込んでも、返す弐の太刀で斬られてしまう。故に、香流羅は動けないで居た。
 隙を見せれば、斬られてしまう。獰猛な獣は対峙しただけで、相手を畏縮させる。其れだけの威圧感が、菴には在った。
 此の儘では、殺されてしまう。
 焦りが、汗と共に伝う。
 退けば、斬られる。前に出ても斬られる。
 だが活路は、前にしか切り拓けなかった。
 意を決して、香流羅は動いていた。

   捌

 温かい雰囲気が、部屋を満たしている。
 柔らかな砂羅の微笑みが、心を和らげる。羅刹の中で、砂羅に対する警戒心は完全に消えていた。
 心が緩むと言う事は、身体が緩むのと同じ事だった。穏やかな笑みを浮かべながら、砂羅は拳を繰り出して来た。
「あら……中々、良い反射神経をしてるのね?」
 砂羅の拳を、左腕で捌いていた。
「何の真似だ?」
「安心して、部屋には結界を張っておいたから」
 何時の間にか、刹那の姿が消えていた。
「貴方の力を少し、見せてくれない?」
 微笑を浮かべて、砂羅は姿を消した。
 《禍人の血族》特有の不思議な術で在った。気配はするが、其の姿は何処にもなかった。
「勘違いしないでね。さっきも言った様に、私は貴方の敵には成らない。此れは、そう……ほんの戯れよ!」
 背後から迫る気配を察知して、羅刹は動いていた。短剣の鞘でクナイの一撃を受け、身体を反転させて短剣で砂羅を斬り払う。だが手応えは、全くなかった。又、術を使って姿を眩ませている。
「凄いわね。香流羅じゃあ、貴方に勝てない訳ね。けど、気を付けて。あの子は今、禁忌の書に手を掛けている」
「禁忌の書だと……。どう言う事だ?」
 今度は上から、小太刀を振り降ろして来た。短剣で受けて、鞘で打ち付ける。其れをクナイで往(い)なして、砂羅は前蹴りを放つ。左足で払い退けて、羅刹は右の廻し蹴りを繰り出していた。砂羅は更に前に出て、近接距離から頭部への廻し蹴りを放った。其れを真面(まとも)に喰らって、羅刹は倒れていた。
 追撃はして来ない。
 まさか今の距離から、廻し蹴りが放てるとは思わなかった。砂羅の身体は相当、柔軟に出来ている。
 本気ならば、今ので追撃を受けて致命傷を受けていただろう。
「どうやら貴方は、戦騎に頼り過ぎている様ね。戦騎無しで、何処まで闘えるかしら?」
 此方が構えるのを待ってから、砂羅は回転蹴りを放って来た。其れを左腕で受ける。
「其れじゃ……駄目!」
 足を左腕に絡めて、砂羅は体を捻った。
 砂羅の体重に引っ張られて、羅刹は倒されていた。
 首に絡み付く太腿が、頸動脈を絞め付ける。
「貴方は確かに強いわ。けれども、其れは戦騎が在ってこそよ……。貴方は今、女の私に体術で追い詰められている」
 頸を絞める力が、更に強くなっていく。
 此の儘だと不味い。
 墜ちてしまう。
「香流羅は、此れから強く成るわ。今の貴方よりも……私よりもね」
 短剣を砂羅に向けて振るうが、術で逃げられる。
「貴方は、強くならなければ成らない。でなければ……此れから先、何も護れないわ」
 砂羅は異常な迄に強かった。強さの底が、全く見えない。
「次の一撃は、本気で行くから覚悟してね」
 此の時、初めて砂羅は殺気を放っていた。
 鋭い刃物で背後から、心臓を刺し貫かれた様な殺気を感じた。其の瞬間、羅刹の背中を砂羅の手が触れていた。
 ――全く、動けなかった。
「此れが実戦なら、貴方は死んでいたわ」
 砂羅の手から、温かい力が伝わって来る。不思議な其の力は、己の内側から全身を駆け巡っていた。胸を見ると蒼白い光の刻印が、刻まれていた。
「其の術が毒に成るか、貴方の力に成るかは、貴方次第よ」
 見た事も無い刻印で在った。
 だが呪いの類いでは無い事は、確かで在った。

   玖

 一気に間合いを詰めて、香流羅は上段斬りを放っていた。
 其れを小太刀で受けるのは、予想済みだった。だから予め、己の小太刀に札を貼らせて貰った。菴の動きが一瞬、止まっていた。ほんの僅かだが、相手の力を札の力が奪っていたのだ。
 小太刀を捨て、菴の懐に潜り込んだ。起爆札を握り込んだ左拳を、叩き込んでいた。二人を爆煙が包み込む。構わずに体を捻って、懐刀を菴の胸に突き立てる。
 刃先は心臓を捉えていたが、踏み込みが浅いのか菴は倒れない。
 迫り来る弐の太刀を、捌く余裕は無かった。
 斬撃を受ける寸前で、香流羅の全身が光を包んだ。其の刹那、菴の動きが止まった。
「貴様、何をしている?」
 香流羅を睨み付けて、菴が言い放つ。魔徒の気配は、感じられなかった。どうやら、正気に戻った様だ。神楽が掛けた呪いとやらの効果のお陰だった。
「何を惚(ほう)けている。さっさと、行くぞ!」
 刀を納めて、菴は歩き出した。
 どうやら菴は、魔徒でも在り、《禍人の血族》でも在る様だ。其の力は、神楽の力に依って抑え込まれている。其れ故に気配を感じられないのだ。
 魔徒喰らいの魔徒。《禍人の血族》で在りながら、魔徒でも在る菴は、かなり異質な存在だった。
 其れに神楽だ。自分の事を、半神半人だと言っていた。二人の目的は解らないが、此の二人組が敵に廻れば相当な脅威と成る。だが幸いな事に、今は自分に味方してくれている。
「どうやら此の箱の中に、お前の欲しい物が在る様だな」
 小さな箱を、乱暴に投げて寄越す菴。
 箱を開けると中には、数珠が入っていた。禍々しい力が籠められた其の数珠には、無数の邪気を感じた。数珠を手に取った途端、魔徒の思念が急激に雪崩れ込んで来た。
 無数の声。
 邪悪な声。
 怨みの声。
 嘆きの声。
 憂いの声。
 美しい声。
 醜悪な声。
 魔徒達の声だ。
 其の声を抑え込むには、相当な精神力が必要だった。
 ――成る程。こいつは、骨が折れる。
 香流羅は数珠を、右腕に嵌めた。
 目を閉じて、精神を研ぎ澄ました。
 目を開いた時には、闇の中に居た。辺りには、無数の邪気が在った。
 数多(あまた)の魔徒の怨念に誘われて、魔徒の心の中に入り込んでしまった様だ。
「お前の望みは、何だ。我は魔徒の王族の末裔・ガイア。何故、我を呼び覚ます」
 どうやら、とんでもない大物に出会(でくわ)してしまった様だ。
 だが、自分は運が良い。
 此れ程迄に強大な力を、手に入れれるのだからな。
「我が名は、御法院香流羅。貴公の力を貰い受けに来た!」
「成らば、我を受け入れるが良い!」
「断る。俺は魔徒には、屈しない!」
 神楽の呪いは、未だ香流羅の中に存在していた。
 魔徒を抑え込む光だ。半神とは言え、神の力。例え魔徒の王族の末裔で在っても、効果は在る筈だ。
 手を翳すと眩いばかりの光が、深淵なる闇を照らしていた。
 其の姿を顕(あらわ)にしたガイアは、想像を絶する禍々しさだった。蝋人形の様に、生気の無い老人。骨と皮だけに成った其の姿は、悪魔の様に憎悪に染まっている。
 ガイアは強大な力を有してはいたが、所詮は屍に過ぎない。神の加護で更に弱体化されている。今の自分でも、充分に抑え込む事は可能な筈だ。
 ガイアの胸を、小太刀で刺し貫いた。
「愚かで小賢しい人間よ。何れ……我が乗っ取ってみせよう……」
「負け惜しみにしか、聞こえないな」
 完全にガイアを抑え込んで、香流羅は呟いた。
 何時の間にか、元居た場所に戻っていた。
 全身を流れる力に、香流羅は驚いていた。此れ迄に無い程の大きな力を、自分の中から感じた。其れだけではない。周囲の氣の流れが、手に取る様に解るのだ。今の自分にならば、【天涯の書】と【人外の書】の極意が理解、出来た。
 自分は今、新たな境地に到達したのだ。
 香流羅は高笑いを上げていた。

   拾

 漆黒の闇に捉えられて、羅刹は身動きが取れなく成っていた。
 前に進もうにも、自分が何処を向いているのかさえも解らない。一体、此処は何処なのだろう。

 ――此処は、貴方の心の中の闇。

 何処からか、砂羅の声が聴こえて来た。

 ――貴方は己の闇に捉われている。

 闇の奥から並々ならぬ憎悪と共に、殺気が伝わって来た。羅刹は殺気の主を知っている。

 ――さぁ、剣を取りなさい。

 殺気の主は、自分自身だ。目の前には、闇に染まり切った自分が居た。憎悪に駈られ、殺意を振るう事しか知らない鬼子。
 悪意を携え、刀を振るう事しか出来ない愚かな男だ。闇を裂いて、悪意の刃が迫って来た。
 短剣を引き抜いて、受け止める。重く鈍い剣圧に、羅刹は圧されていた。

 ――己の闇を斬りなさい。そうすれば、貴方は更に強く成れる。

 相手が踏み込む気配を感じて、羅刹は動いていた。左手に持つ鞘を盾に、迫り来る裏拳を受ける。短剣を突き出して、相手の胸部を狙う。相手は身を捻って、刀の鞘で軌道を逸らしながら前進して来ていた。其の勢いを利用して、下から斬り上げて来る太刀を辛うじて躱す。僅かに振(ぶ)れる重心。追い打ちを掛ける様に、相手は蹴り上げて来た。
 後ろに倒れる様にして、寸での処で躱すが追撃は止まない。体重の乗った斬り降ろしが、羅刹を完璧なタイミングで捉える。
 雪崩れ込む憎悪。全てが憎かった。両親や異端の眼を向ける村人達も、己を裏切った友も、何もかもが憎かった。憎しみの中で、死んだ時の事を思い出していた。
 全てを恨みながら、生きていた。
 全てを妬みながら、死んだ。
 騎士として蘇ってからも、其れは変わらなかった。憎悪に心を委ねて、魔徒を一向(ひたすら)――只、一向に斬り続けた。晴れる事の無い憎しみ。決して報われる事のない怨恨。
 刹那に出逢って、其れ等の感情は次第に和らいでいた。抱いた事の無い想いを知った。感じた事の無い痛みに苛まれた。
 初めて誰かを護りたいと思った。
 初めて人間を護りたいと想った。
 憎しみでは無く、護る為の剣を知った。
 次第に胸の刻印が、光を帯び始めた。
 体を大きく捻って、羅刹は回転しながら短剣で斬撃を捌いた。
 人間を護りたい。
 刹那を護りたい。
 其の想いが強く成る度に、胸の刻印の光が強く成る。
 騎士として、人として、愛する者達を護る。
 眩い光が、闇を照らし出す。胸の刻印が弾け翔び、羅刹の左腕に纏わり付いた。
 其れは、籠手で在った。

 ――其れが、貴方の選んだ新たな力。さぁ、貴方の闇を斬りなさい。

 迫る斬撃を、籠手で受け流す。ゆっくりと間合いを詰め、剣を衝き出した。
 胸を刺し貫かれて、自身の幻影は消滅した。
 何時の間にか、元居た部屋に戻っていた。
「其れが、貴方の新たな力」
 胸の刻印は消滅して、籠手の中央に刻まれていた。
「其の刻印は【護りの刻印】と呼ばれている。貴方の心次第で、其の姿を変えるわ」
 砂羅は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「さぁ、そろそろ刹那が待ち草臥(くたび)れてる頃ね。今度は本当に、御節をご馳走するわ」
 優しくて、温かな笑顔だった。
「護る力を授けてくれて、感謝する」
 何時か戦騎騎士と《禍人の血族》が、肩を並べて闘う日が来るかも知れない。
「良いのよ。刹那の事を、頼んだわよ」
 少なくとも、砂羅の様な人間が居る事が解った。
 羅刹は砂羅に、微笑みを返していた。


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