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作品名:咎人戦騎 作者:松野栄司

第3回 第三話【作家】
   壱

 韻を踏み、言葉を切り結ぶ。美しい言葉も、醜悪な言葉も、皆等しく愛でる。
 言葉は物書き(われわれ)に取って、道具で在り、武器で在り、親愛なる友で在る。
 物書き(われわれ)は、物語を喰らう。物語を観るでもなく、聞くでもなく、読むでもなく、喰らうのだ。喰らった物語は、物書き(われわれ)の血と成り、肉と成る。
 言の葉を紡ぐ作業は、事の他、容易い。だが、物語を書き上げるのは思いの他、困難だ。想い描いた物語は、生き物と成り、呼吸を始める。物書き(われわれ)は、物語(かれら)を言葉で捕らえなければならない。一度(ひとたび)、見失えば物語(かれら)は意識の其処に沈み、息を潜(ひそ)める。成りを潜めるのだ。
 物語(かれら)は物書き(われわれ)の経験を糧として、実体(リアリティ)を得る。
 部屋の片隅で、老人は筆を走らせていた。老人の名前は、藤堂勲(いさお)。名も無き作家で在る。作家と言っても、本を出した事は一度もない。
 其れでも勲は、偉大なる大作家と成る気でいた。成れると確信していた。尤も、其の確信は盲信でしかない。
 近々、大作を書き上げて、己の名前を世に知らしめる。そう豪語して既に、半世紀程の時を要している。
 己には、使命が在る。貫くべき信念が在る。
 いつも勲は、妻に言い続けていた。勲の妻は辛抱強い女で在った。勲の言葉を信じる訳ではないが、疑いもしなかった。只、勲の好きな様にやらせていただけだ。
 三十年もの間、妻は勲に寄り添い続けた。勲を支え続けていた。其の根には、忍耐の二文字が在った。尤も、其の忍耐を拗らせた結果、妻は死んだ。
 死因は過労で在った。
 妻を失った勲を、果てしない悲しみが襲った。勲は悲しみに抗う様にして、筆を走らせた。己には、偉大なる大作家に成る使命が在ったからだ。
 使命がなければ、疾(と)うに勲は妻を追って死んでいる。出来る事ならば、妻と共に死にたかった。しかし、己には使命が在る。大作を書き上げなければならない。間もなく最高傑作が完成する。作品の名は『人生は娯楽や』と言う。此の作品は、文学界の革命的作品となるだろう。現在の文学は殆ど全て、口語体で書かれている。しかし『人生は娯楽や』は違う。己の編み出した新しい文体で描かれている。
 口語体とは、説明文、地の文、台詞。此の三つの文が、全て一緒くたになった文体で在る。
 己が作った新しい文体は、此の二つの文体を兼ね合わせた物で在った。
 間もなく完成する。
 執筆は今の処、順調で在る。
 只一つ、問題が在るとすれば、妻がいないと言う事だった。
 妻を、心から愛していた。
 妻には苦労を掛け続けていた。大作を書き上げて、世間に名を轟かせる。そうして得た金で、妻を喜ばせたかった。妻の欲しい物を与え、妻のしたい様にやらせたかった。妻を、幸せにしてやりたかった。
 ――私は充分、幸せでしたよ。
 何処からか、妻の声がした。そんな馬鹿な事はない。妻は、既に死んでいる。妻の声が聴こえる筈がない。恐らく、幻聴で在る。
 勲は構わずに、筆を走らせた。
 ――貴方は、幸せでしたか?
 幻聴に耳を貸す気はなかった。耳を貸せば、立ち直る自信がなかった。妻の声や言葉に甘え、使命を放棄してしまいそうだった。
 万年筆を握る手に、思わず力が入る。
 既に原稿は、最後の頁に差し掛かっていた。自然と頁を走らせる手に熱が入る。間もなくだった。
 間もなく完成する。
 そうなれば、半世紀以上にも及んだ悲願が達成される。執筆に人生を捧げた。妻さえも、犠牲にした。もう、後には退けない。必ず、成し遂げる。己には、使命が在る。
 偉大なる大作家に、必ず成ってみせる。
 完成した原稿を見て、満足そうに頷いた。
「幸せだったに、決まっているじゃないか。私は、お前を心から愛していた。もう少しで、お前の元へいける。間もなくだ。間もなく、私の使命は果たされる。其れまで、私を待っていてくれないか?」
 勲は、幻聴に初めて返事を返した。
 幻聴は、妻が死んでから直ぐに聴こえてきた。十年間、勲は幻聴を無視し続けていた。
 ――ありがとう。
 幻聴が、勲の心を優しく撫でた。
 勲の眼前に、妻の姿が浮かび上がる。恐らく、幻覚だ。勲は涙を流していた。
 幻覚で在ろうが、構わなかった。
 勲は妻を抱き締めていた。

   弐

「魔徒は何処に居る?」
 羅刹は、殺気立っていた。
「羅刹、落ち着きなさい」
 微かに魔徒の気配を感じたが、邪気がなかった。
 こんな事は初めてだった。魔徒への手掛りが、余りにも少なかった。此れでは、魔徒を見付ける事が出来ない。
 夜の街を羅刹は、闇雲に彷徨い続けた。
「どうして、奴から邪気が感じられない?」
「魔徒に憑かれた人間が、純粋な心の持ち主かも知れないわ」
「なら何故、純粋な者が魔徒に衝け入られる?」
「恐らく、愛する者が死んだのよ。其の時の悲しみが、心の闇と成ったんだわ」
「じゃあ今回の魔徒は、邪気も殺気も持たないって事か?」
「恐らくね……」
 厄介な相手だった。
 一体、どうすれば魔徒に辿り着けるだろうか。
 羅刹は思案に暮れながら、気配を探った。先刻から、殺気を感じていた。魔徒に依る物ではない。
 此の殺気の持ち主は、紛れもなく人間だった。
 人気のない裏路地に入り込み、羅刹は好戦的な笑みを浮かべる。
「出て来いよ。俺に、用が在るんだろう?」
「人間を傷付けちゃ駄目よ、羅刹?」
「そいつは無理だ」
 気配から、手加減が出来る相手ではない事が解った。相手は、かなり強い。
 一陣の疾風(かぜ)が、羅刹を襲った。
 男の飛び蹴りを、羅刹は左腕で受ける。男は空中で体を捻って、其の反動で左腕を繰り出して来る。
 手の中には、呪符が在った。
 男の拳が、羅刹の顔に触れる。呪符が起爆剤と成り、羅刹の眼前で爆発が起きた。
「羅刹、無事?」
「当たり前だ!」
 紙一重で避けていた。
 爆煙に紛れて、男の小太刀に依る斬撃が迫り来る。腰に提げた短剣を引き上げ、受け止める。其の動作と同時に、体を捻って左の拳を前に突き出していた。
 カウンターの一撃が、男の鳩尾(みぞおち)に入る直前。男の左手に依り、遮られた。
「何者だ?」
「妹が、世話になったな」
「妹だと。お前、刹那の兄貴か?」
 短剣を打ち抜いた。男は小太刀で受け流し、体を捻って回転する。
 呪符を握った拳を、羅刹の腹に叩き込む。両の腕で、其れを庇う。
 二度目の爆発と共に、両者共に後方へ飛び下がる。
「俺の名は、御法院香流羅。《禍人の血族》だ。必ず、お前を殺す」
 男は姿を消した。
「大丈夫、羅刹?」
「大した火傷じゃない」
 羅刹の両腕が、爛(ただ)れていた。
「彼、強いわね」
「俺の方が、強い」
 羅刹は短剣を納めると、懐から薬を取り出した。
 治癒力を高める薬だった。飲めば、どんな傷も治してくれる。
 一気に飲み干して、空になった容器を投げ捨てる。
 御法院香流羅。
 此の借りは、必ず返してやる。

   参

「刹那、一緒に帰ろ!」
 帰り支度をする刹那を、クラスメートの馬上萌(もうえもえ)が声を掛ける。彼女は一般家庭の生まれだった。
 私立晴明女学院は、お嬢様が集まる学校で在る。
 萌の存在は、完全に学園から浮いていた。
 そんな萌に、刹那は親近感を抱いていた。
 どの生徒も派閥争いに身を投じ、今後の人選をする様に交友を深めている。
 刹那はそう言った事を疎ましく感じ、在る意味では浮いた存在で在った。生まれこそは、御法院家は由緒が在る名家では在った。だが刹那には、そんな事は別にどうでも良かった。
 だからこそ、何の気兼ねもなく接する萌とは、直ぐに打ち解ける事が出来た。
「今日はバイト、ないんだ?」
「うん。其れよりアンタ。最近、彼氏が出来たらしいじゃん。水臭いなぁ。親友なんだから、教えてくれたって良いじゃない?」
「えっ……?」
 刹那には一体、何の事を言っているのかが解らなかった。
「惚(とぼ)けちゃってぇ。イケメンの子と、一緒に居る処を見たって皆、言ってたわよ。私も、見たかったなぁ!」
 どうやら、羅刹の事を言っている様だった。
 確かに見た感じは、羅刹はイケメンに見えなくもない。と、其処まで考えてから、刹那は顔を赤らめた。
「アイツは、そんなんじゃないから。勘違いしないでよ!」
「やっぱり、居るんじゃん。顔、真っ赤にして。刹那ったら、可愛い!」
 どうやら否定しても、無駄の様だ。
 萌は、すっかり羅刹を彼氏だと決め付けている。
「今度、紹介しなさいよ」
「うん……」
 紹介しろと言われても、困る。
 羅刹とは実際に、付き合っている訳ではなかった。第一に彼が何者で、何処に居るのかも解らない。もしかしたら、もう会う事すらないかもしれない。
「じゃあ今度、バイト先の喫茶店に連れて来てよ!」
 目を爛々と輝かせる萌。
 如何にも、興味津々と言った感じであった。
 此のままでは、根掘り葉掘り聞かれてしまう。真実を話せば、萌は信じないだろう。
 魔徒なんて化物の存在を、知っている方が稀なのだ。きっと、からかうなと怒られてしまう。
 ――面白そうな事になってるわね?
「えっ……?」
 頭の中で、タリムの声が響いた。
 そう言えば、ペンダントを返すのを忘れていた。
 此のペンダントが唯一、羅刹との繋がりで在る。
「何、其のペンダント。彼氏からのプレゼント?」
 新しい玩具を見付けた子供の様に、萌は好奇の目を向ける。
「うん、まぁ……」
 微妙に、嘘ではない。
 ――良いじゃないの。羅刹で良かったら、紹介してあげなさい。あの子にも、良い経験になると思うわ。
 タリムの口振りは、まるで保護者の様だった。
「其れより、バイトの方は順調?」
 刹那は無理やり話しを逸らそうと、切り出した。
「ん〜……まぁ、順調かな」
 曖昧な返事を返す萌。
 アルバイトの経験のない刹那には、良く解らない世界だった。お金を稼ぐのは、楽な事ではない。
 きっと、色々と大変なんだろうな。
「常連さんで、変なお客さんがいるの」
「変なお客さん?」
「そう。近い将来、偉大なる大作家になるお爺ちゃん」
「何、其れ。作家さんなの?」
「う〜ん……。聞いた事ない名前だったよ」
「何て名前?」
「藤堂勲、だったかな……」
 聞いた事のない名前だった。
 本は好きなので、色んな物を良く読んでいるが、全く心当たりのない名前だった。
「其の人、いつも変なんだけど……最近、更に変なの」
「変って、どんな風に変なの?」
「う〜ん……。なんか、一人で喋ってるの」
「只の独り言じゃないの?」
「独り言ってより、見えない誰かと話してるって感じなの」
「まさか、其の人……変な物でも、視えてるんじゃないの?」
「止めてよ、刹那。私、そう言うの弱いんだからぁ〜!」
 身を竦める萌を、可愛らしいと思った。
 ――もしかして、魔徒かもしれないわね。
 頭の中で、タリムが囁き掛ける。
 まさかとは思ったが、有り得ない話ではなかった。実際、此の数日で立て続けに魔徒と遭遇している。
「黙りこくっちゃって、どうしたの?」
 不思議そうに、此方を窺う萌。
「ううん、何でもない。早く、帰ろう!」

   肆

 夜の繁華街を、勲は歩いていた。
 生まれ付いての仏頂面の所為か通り過ぎる人は皆、勲を避ける様にして歩いていた。其れ故か勲は、道の真ん中を我が物顔で歩いていく。
 処が中には、柄の悪い人種がいる。風切る勲に金髪のチンピラが、態とぶつかりにいく。そんな事は、お構い無しに通り過ぎる勲。
「おい、ジジィ。ぶつかっといて、何の挨拶もなしか?」
 ――全く、若造が。偉大なる大作家に対して、爺呼ばわりとは失礼な奴だ。
 其れに風情のない髪の色をして、下品極まりない。見ていて不愉快で在る。
 こうゆう手合いは、ガツンと黙らせなければならない。
 昔から肉体労働をしていた勲の身体は、齢八十にして筋骨隆々としていた。
「みぎっ……」
 チンピラの鼻っ面に、勲の拳が見事にめり込んだ。
 後方に吹き飛び、倒れるチンピラ。泡を吹いて、気を失っている。
 其れを見て、周囲で驚きや奇異の声が上がる。が、勲は何食わぬ顔で歩いて行った。
 ――貴方。又、喧嘩ですか。
 勲を咎める妻の声。
「あぁ言った輩は、体に教えてやらんと解らんのだ。何せ言葉が理解、出来んのだからな」
 ――年を考えて下さいよ。無理をしたら、御体に障りますよ。
「そうだな。私は偉大なる大作家なのだから、つまらん事で拳を痛めては大事だ」
 含み笑いを浮かべながらも、勲は歩いていく。どんどん、人気のない道へと歩いていく。
「良い加減、出て来たらどうだ。私に用が有るんじゃないのか?」
 先刻から、何者かが後をつけて来ている事に気付いていた。此処最近、妙に感覚が鋭くなっていた。
 周囲の声や物音が、五月蠅くて敵わなかった。
 どいつもこいつも、自分を誰だと思っているのだ。
 皆、黙らせてやらなければならない。
「お前、既に何人か殺したな?」
 若い男の声がした。何処から聞こえてくるのか、全く解らない。
 察しの通りで在った。近隣の生活音が煩わしくて、執筆に差し支えていた。だから皆、ガツンと黙らせてやった。
 偉業を成し遂げる為には、犠牲は付き物だ。如何なる者も、己の使命を邪魔する事は赦されない。
「私に何の用かね。サインなら、特別にしてやっても良いぞ?」
 周囲を警戒しながら、勲は余裕の表情をしてみせた。最近の若い奴等は、何を為出(しで)かすか解った物ではない。迂闊に放っておけば、此方が痛い目に遭う事になる。
「頭のイカれた奴のサインなんざ、要らねぇよ……糞ジジィ!」
「汚い言葉を使うな。耳が腐ってしまうだろう」
 不愉快で在った。
 ガツンと黙らせてやろう。
 勲は鬼神化していた。

   伍

 鬼神化した老人の姿は、禍々しい物で在った。
 植物を連想させる身体。其の周囲を、文字の様な物が無数に取り囲んでいた。
「香流羅、気を付けろ。奴の能力が、未だ解らん」
「一気に倒してしまえば、関係ない。赤丸、奴の動きを止めろ。青丸は俺に憑依しろ!」
「アイアイサ―!」
 二頭の獣が、香流羅の言葉に従う。《禍人の血族》の中には、契約した神から其の眷属で在る霊獣が与えられる。才覚の有る香流羅は、二頭の霊獣を使役していた。
 狼の姿をした赤丸。
 鷹の姿をした青丸。
 二頭を同時に使役するには、相当な精神力を有した。赤丸が俊敏な動きで、魔徒を攪乱している。魔徒は己の周囲に浮遊している文字を、赤丸に向けて放った。が、当たらない。
 青丸は青い光りとなって、香流羅の両腕に纏わり付いた。青い光りの羽根を宿した右腕を、香流羅は振り翳していた。
 無数の羽根が、魔徒を襲った。
 羽根の中に呪符の刺さったナイフが一本、紛れている。
 ナイフが魔徒に触れた瞬間、爆発が起きた。
 立ち昇る煙幕を突き破って、文字が飛来する。
 『爆』の文字が香流羅の視界に入った瞬間、香流羅を爆発が飲み込んだ。
「危ない所だったねぇ……」
 青い光りが、香流羅の身体を包んでいた。
 咄嗟に青丸を使ってガードしていなかったら、只では済んでいなかった。
「けど、逃げられちゃったね?」
「何、奴の匂いは憶えた。直ぐに、見付かる」
 赤丸には、魔徒の追跡能力が在った。
「奴は、俺の獲物だ」
 香流羅は狡猾な笑みを浮かべていた。
「魔徒も騎士も、俺が殺してやる」
 其の瞳には、強い憎悪の光が宿っていた。

   陸

 鼻腔を擽る不可思議な薫りが、羅刹の足を止めさせる。
 羅刹は初めて嗅ぐ其の匂いに戸惑っていた。
 不快ではなかった。寧ろ其の芳醇な薫りに、強く魅せられている自分がいる。
 刹那に半ば強引に連れられて、喫茶店と言う如何(いかが)わしい茶屋へ足を運んでいた。
「どううしたの?」
 不思議そうな顔で、此方を窺う刹那。
「此の香りは……一体、何だ?」
 真顔で問う羅刹。
「珈琲の香りだけど。もしかして……飲んだ事、ないの?」
「ない」
「どうして、笑う?」
 此方を見て笑う刹那を見て、不思議な感情を覚えていた。
 其の感情に戸惑いながらも、羅刹は喫茶店へ入った。
「いらっしゃいませ!」
 自分と同じくらいの若い売り子が出迎えた。見た事もない、西洋の衣服を身に着けていた。
「刹那、来てくれたんだ。そっちの彼が、例のイケメン君?」
「何だ、知り合いか?」
「うん。彼女は萌。私の友達よ。……で、こっちの仏頂面が、羅刹」
 何故か不機嫌そうな顔で、刹那は売り子――萌を窺う。
「さぁ、奥へどうぞ!」
 案内された席に着く。
「珈琲とか言う奴をくれ」
「アイスとホット、どちらになさいますか?」
「あいす……其れは、何だ?」
 刹那と同様に、萌が笑う。
「冷たいのと、温かいのどちらが良いですか?」
「温かい奴をくれ」
「畏(かしこ)まりました。刹那は、どうする?」
「私もホットが良いな」
「了解。じゃあ、待っててね!」
 去り際に、萌は刹那に何かを耳打ちしていた。
 其の様子を、不思議そうに羅刹は見ていた。
 ――直ぐ近くに、魔徒が居るわ。
 唐突に、頭の中でタリムが囁く。店に入った時から、僅かにだが魔徒の気配を感じていた。
「もうすぐ、私の名前が世間に知ら占められる。そうなれば、お前に楽をさせてやれる!」
 真向かいの席に一人で座る老人が突然、叫び出した。周囲の人間は皆、怪訝な顔をして老人を見ていた。
「成る程。あいつか……」
 ――どうやら、其の様ね。どうするつもり?
「まずは、珈琲とやらを飲んでからだ」
「もしかして又、魔徒が出たの?」
 刹那が耳元で、囁き問う。
「あそこの爺さんが、そうだ」
「まさか、店の中で暴れないわよね?」
「さぁな。其れは、爺さん次第だ」
「あぁ〜! 二人して囁き合ったりしちゃって、刹那ったらぁ!」
 何故か妙に愉しそうに、萌が此方を見ている。刹那は何故か頬を赤らめていた。盆に乗せた飲み物を、萌は差し出してきた。黒色の不思議な飲み物で在った。珍妙だが、何故か心を惹き立たせる香りがした。
 其の香りを鼻腔いっぱいに楽しんでから、珈琲を飲んだ。
 芳醇な香りと円(まろ)やかな苦みが、口内を仄かに刺激する。今まで味わった事のない物で在った。
 羅刹は満足そうに頷くと、静かに立ち上がった。
「直ぐに終わらせて来る」
 刹那は何も言わず只、頷いていた。
 珈琲が冷める迄には、決着をつけるつもりだった。

   漆

「もう直ぐ、私の名前が世間に知ら占められる。そうなれば、お前に楽をさせてやれる!」
 勲は満足そうな笑みを、妻に向ける。
 先日、書き上げた作品は、紛れもなく最高傑作で在った。間違いなく、世に知れ渡るで在ろう名作だ。
 ――私はもう、充分に幸せですよ。
「何を言う。此れからも、もっと幸せにしてみせるさ」
 楽しそうに笑って、勲は珈琲を口元に運ぶ。芳醇な香りが、鼻腔に広がる。
 此の店の珈琲は、偉大なる大作家をも唸らせる代物で在る。
 店の雰囲気も厳(おごそ)かな静けさを秘めていて、好感を懐(いだ)く事が出来た。こうして妻と共に、珈琲を嗜む時間が何よりも心静かに成れる遑(いとま)で在った。
 其れなのに、邪魔をしようとする輩がいる。
「小僧、戦騎騎士か?」
 ――全く。昨日の若造爾(しか)り、目の前の小僧爾り一体、自分を誰だと思っているのだ。
 此の空間は気に入っている。
 出来得る限りは恐したくはないので、場所を変えなければいけない。
 勲は立ち上がった。
「特別に相手をしてやるから、ついて来なさい」
 命ずる儘(まま)に従って、小僧はついて来た。
 人気のない裏路地で向かい合う形で、勲は静かに口を開いていた。
「小僧よ、本は好きかね?」
「そんな物には、微塵も興味はない!」
 ――愚かな答えだ。矢張り、ガツンと解らせてやらねばならん。
 勲は拳を放っていた。其れを小僧は左手で巧く受け流している。
「愚か者がぁ!」
 拳の勢いを殺さずに半身を捻って、左の裏拳を小僧の顔面に叩き込んでやった。
「随分と軽い拳だな?」
 余裕の表情を浮かべる小僧。
 ――小癪な奴だ。
「ならば、今度は本気で叩き潰してやろう」
 勲は鬼神化すると、言の葉を繰り出した。
 勲の周囲を廻る言葉の珠には其々、力が籠められている。
 ――言霊。其れが勲の持つ能力で在った。
 言葉の珠に刻まれた文字を見た者は、其の言葉通りの事象に見舞われるのだ。
 『叩』の文字を、小僧に投げ放つ。
 物の見事に、小僧は言霊を見ていた。が、何故か言霊は小僧を通り抜けて、不発に終わっていた。
 そんな馬鹿な事が在る筈がない。
 きっと、何かの間違いに違いない。
 もう一度、言霊を小僧にぶつけてやる。
 ――が、何事も起きなかった。
「もう、終わりか?」
「ふざけるなぁ! 私は……私は――」
 ――偉大なる大作家だ。
 こんな処で、終わる筈がないのだ。

   捌

「ならば、今度は本気で叩き潰してやろう」
 鬼神化した老人が、何かを飛ばして来た。
 ――羅刹、避ける必要はないわ。
 タリムの言葉に従って、羅刹は避けなかった。
 ――奴の能力は言霊。言葉を操る力の様ね。尤も、文字を読めない羅刹には、効果がないみたいだわ。
 再度、言葉の弾丸を繰り出して来たが、何事も起きなかった。
 どうやら今回の魔徒は、自分とは相性が良い様だ。
「ふざけるなぁ! 私は……私は――」
 魔徒の背後には、香流羅が居た。
 羅刹と香流羅の放った剣撃に挟まれて、魔徒は消滅した。
「偉大なる大作家だ……」
 魔徒の最期の言葉を聞きながら、香流羅を睨み付ける。
「今度は、お前の番だ」
 此方を睨み返す香流羅。
 香流羅の両の腕(かいな)を、青い光りが包んでいた。
「お前には、無理だ。止めておけ」
「なら、試してみるか?」
 背後に気配を感じて、羅刹は横に飛んだ。
「逃がすかよっ!」
 光の羽根が無数の弾丸となって、羅刹を襲う。弾丸に紛れて、呪符の刺さったナイフが飛来していたのを、羅刹は見逃していなかった。先日の手合わせで、呪符の威力は学んでいた。
 瞬時に戦騎を喚装して、身を護った。
 羅刹の全身を、白い炎が包んでいた。戦騎の力で、召喚した物で在った。
 光の羽根を焼き払い、ナイフを剣で受け流した。
 死角から、獣の気配が飛び込んで来る。躱せるタイミングではなかった。
 炎の出力を上げて、剣先に宿す。剣を持つ手を返して、斬り上げる。
 全く手応えが無かった。
「勘の良い奴だ」
 眼前に佇む狼が、此方を見据えていた。
「余所見している暇はないぞ!」
 いつの間にか距離を詰めていた香流羅が、小太刀を繰り出していた。
 剣の形態を刀にして、鎬(しのぎ)で受け止める。
「どうして、俺を目の敵にする?」
「お前が、戦騎騎士だからだ!」
 香流羅の瞳の奥に、憎悪の光が灯っている。
 羅刹は其の瞳に、己自身の姿を重ねていた。
「俺はお前を、斬らなければならない!」
 至近距離から光の羽根を放って来る。其れを炎で焼きながら、香流羅の放つ弐の刃を薙ぎ払う。狼の霊獣の位置にも気を配らなければならない。何時如何なる時に、奇襲を掛けて来るか解らない。隙を見せれば、必ず喰らい付いて来る。
 香流羅は自分に良く似ていた。
 憎しみに囚われ、魔徒を斬る一振りの刀。其れが自分だった。
「戦騎騎士が一体、何を護ったと言うのだ。魔徒に無惨に殺され、、喰われていった人間が、此の世に何人いると思う?」
 繰り出される斬撃。
 繰り返される連撃。
 ――躱し、払い、受け流す。其の一連の動きに対応するが、隙が窺えなかった。
「戦騎騎士に見捨てられた者の気持ちが、お前には解るか?」
 反撃の機を見据え一向(ひたすら)、護りに徹していた。
「《禍人の血族》は、戦騎騎士に見捨てられた一族だ。一族の怨みは、お前の力よりも深い!」
「怒りや憎しみを抱えているのは、お前だけじゃない!」
 斬撃を受ける刀を捨て、香流羅の懐へと潜り込んだ。ほんの僅かな隙で在ったが、羅刹は見逃さなかった。
「香流羅!」
 叫ぶ霊獣。
 香流羅の鳩尾(みぞおち)に拳を叩き込んでいた。
 懐に忍ばせていた短刀を、香流羅の喉元に向けていた。
「此処は退け。手負いで勝てる程、俺は甘くない」
 香流羅の腹部が、血で滲んでいた。
 自分が負わせた傷ではなかった。恐らく、魔徒に依る物だ。
「殺さなかった事を、後悔するぞ?」
「今の俺なら。殺せばきっと、後悔している」
 互いの視線が交わる。
 憎しみの秘めた眼だった。まるで、互いが互いを映す鏡で在るかの様に、憎しみが交差していた。
 羅刹の脳裏で、過去の記憶が過ぎっていた。鬼子と呼ばれ、札付きの悪として扱われてきた生前。
 其の念を払拭するかの様に、魔徒を斬り続けて来た。
「香流羅、此処は退け!」
 霊獣が怒りに奮える香流羅を促した。
 其の言葉に従う様に、香流羅は去った。
 戦騎の喚装を解いて、羅刹は呟いていた。
「珈琲、冷めちまったな……」
 気が付くと、雨が降っていた。
 嫌な雨だった。


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