小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:咎人戦騎 作者:松野栄司

第10回 第十話【虚月】
   壱

 《奈落の森》の中を、蒼馬の霊獣が居た。
 悠然と佇む其の様は、孤高な気品を漂わせている。
 何処から来訪して来たのかは、定かではないが《奈落の森》には、蒼馬の霊獣は生息していない事は確かで在った。
 何か目的が在る様では無かった。かと言って、迷い込んで来た様子でも無かった。恐らく自らの意思で、此処へやって来たのだろう。月明かりに、気高き蒼が良く映える。蒼白く暉輝(ひかりかがや)く毛並みは、吸い込まれる程に美しかった。躯(み)に纏った高貴な風格から、位の高さが窺えた。霊獣には、位が在った。
 上から順に、黒陽(くよう)、虚月(こげつ)、地白(ちびゃく)、無幻(むけん)、朧(おぼろ)の五段階位。《奈落の森》は主に、朧に属する霊獣が住まう地で在った。
 そして此の世で、最も美しい地でも在る。
 色鮮やかな草花。艶やかで、華やかな葉を風に戦(そよ)がせる木々。泉の水面が、豊かな色彩を奏でていた。
 其の泉の上を、朧気な輪郭を纏わせた無数の暉(ひかり)が、浮遊していた。
 其の光景は、此の世の物とは思えぬ程に至極、美しかった。
 暉の正体は、霊獣で在る。全く害は無い。何の力も、意思すらも無い生命体で在った。
 ――だが。只々、美しい。
 暉達の中心には、泉の守護霊獣が居た。此の地で唯一、黒陽に位置する霊獣で在った。そして霊獣にしては珍しい事に、人の――其れも女の姿をしている。
 彼女の名は、セレス。ラテン語では『月の女神』の意を指す。其の名の通りに、彼女は美しかった。
 セレスは泉を護る為だけに、此の世に存在している。【生命の泉】と呼ばれる此の世の要所。其れが、此の地で在る。
 生命が終わる時、魂は【黄泉の國】へと送られる。
 其の魂達は【裁きの門】を通過した時、其々に相応しい場所へと導かれる。咎人の魂は皆、地獄へと送られる。清らかな魂は、霊獣と成って転生の時を待つ事と成る。
 早い者で数十年。遅い者でも数百年の時を経て、魂は浄化される。浄化された魂は、暉と成って《奈落の森》へと集まっていく。
 そして其の魂は【生命の泉】を通して、新たな生命として現世へと送られる。
「此処は、貴方の来るべき場所では在りません。直ちに、退きなさい」
 美しく澄んだ声音で在った。セレスの言葉を意にも介さずに、悠然と佇んでいる。
 セレスには【生命の泉】を護る使命が在った。
 黒陽で在るセレスの力を以(も)って為(す)れば、蒼馬の霊獣を討つ事は可能で在ったかも知れない。
 だがセレスは、争いを好まなかった。平和的に、退いて貰いたかった。
 意思の在る者が、此の地に長く留まる事は好ましくない。何故ならば意思を持つと言う事は、其れだけ魔徒に憑かれ易いと言う事で在る。
 そして此の《奈落の森》は、魔徒の巣喰う極界(ごくかい)の中に存在している。
 ――不意に、蒼馬の霊獣が動いた。
 《奈落の森》の空気を、邪気が侵食していく。
 途轍(とてつ)も無く強い邪気が、大気を震わせていた。
 争いを避ける事が出来ない事を、セレスは悟った。

   弐

 東山昭久が初めて人を殺めたのは、十歳の時だった。
 幼い昭久には、二つ下の妹が居た。可愛らしい容姿の女の子で在った。
 ――在る日の事だ。
 其の日、家には両親が不在で在った。幼い兄弟は、仲良く家で留守番をしていた。幼い昭久に取って、妹の存在は大切で在った。愛(いとお)しくて、可愛らしい妹が、大好きだと感じていた。だから其の日も昭久は、妹の面倒を診(み)ていた。
 昼食を終えた二人は、隠れん坊をした。鬼と成った昭久は、妹に見付かるまいと押し入れの蒲団の中に躯を隠していた。中々、妹は自分を見付けてはくれなかった。
 何時の間にか、昭久は眠りに堕ちていた。
 幾許(いくばく)かして、妹の泣き叫ぶ声で目が覚めた。異様な空気を悟った昭久は、押し入れの隙間から外を覗き視た。
 其処には、見知らぬ男が居た。男は妹の腹を割き、腸を引き摺り出している。其の悍(おぞ)ましく異様な光景は、幼い昭久の心を異様に昂らせた。
 恐怖は無かった。
 妹が殺され掛けていると言うのに、怒りや哀しみと言った感情は一切も浮かばなかった。
 此の時、昭久は確かに妹と目が合っていた。
 ――お兄ちゃん……助けて。
 力無く動く妹の唇は、言の葉を放つ事は無かった。だが昭久は、妹の言葉が理解(わか)っていたのだ。
 助けを懇願する妹。
 其の瞬間、果てしない快楽が全身を突き抜けた。……と、同時に。心の奥底から、途轍も無く激しい欲求が沸き上がっていた。
 ――此れは、驚いたな。
 気が付くと、昭久は姿を現していた。
 言葉とは裏腹に、見知らぬ男は穏やかな表情で昭久にナイフを手渡して来た。
 ――君には、素質が在る。
 優しい男の口調。
 恐怖と困惑が入り乱れた妹の表情(かお)。
 昭久の心の奥底から、姿を顕(あらわ)す本性(かお)。
 見知らぬ男の愉悦に浸った嘲笑(かお)。
 心地良く甘美な欲求に抗えずに、昭久は妹の喉を掻き切った。
 吹き出る妹の血を浴びて、昭久は生まれて初めての射精をした。
 ――ゴメンよぉ……理沙ぁッ!
 何故だか、涙が溢れ出ていた。
 ……びくんッ、びくんッ。と、痙攣する妹を視て、昭久は得も言われぬ快楽に包まれていた。
 只、涙だけが溢れ出ていた。
 思えば此の出来事が無ければ、殺人鬼としての性(さが)は芽生えてはいないだろう。
 為らば彼(あ)の見知らぬ男には、感謝しなければ成らない。
 彼のお陰で自分は殺人鬼と成って――人を超越した存在に成れたのだ。
「邪悪なる魔獣・タタラ……。兄さん、此奴(こいつ)を倒せば、天丞院付けの戦騎騎士に成れるかな?」
「勿論だ。だが、気を付けろよ。此奴は、とんでもない化物だ……」
 双子の戦騎騎士が、此方を窺っていた。
 どちらも、恐怖に身体を強張らせている。己と相対する者は皆、一様に恐怖に染め上げなければ成らない。
 殺すと言う行為には、美学が必要だ。
 幼い頃に出逢った見知らぬ男は、間違いなく己に美学を懐いていた。
 昭久が妹を殺害した事に満足したのか、見知らぬ男は自ら警察に通報した。後に調べたのだが、男は警察の取り調べで昭久の事を一切、洩らさなかった様だ。其の後、裁判で死刑判決を受けた時に、見知らぬ男はこう述べたらしい。
 ――満足だ。
 昭久には、其の言葉が自分に向けられた物に思えて成らなかった。
 間違い無く見知らぬ男と自分は、同種の人間で在った。
 まるで見知らぬ男に、何かを託された様で在った。
 其れ故か昭久は、人を殺める時は必ずナイフを用いていた。
「君達、美学は在るかね?」
 ゆっくりと二人の騎士に歩み寄りながら、悠然と語り掛ける。
「黙れッ……化物が!」
「遣るぞッ……兄さん!」
 二人の騎士は、戦騎を喚装させた。
 茶色の虎と緑色の亀の戦騎だった。どちらも、己の相手にすら成らない。
「嫌だ、嫌だ……ふふふ。そんなに此の私が、怖いかね……君達?」
 茶虎の騎士が、三叉槍(トライデント)を構えて突進して来た。
 其の推進力と瞬発力は、目を見張る物が在った。並の使い手ならば、余りの速さに其の躯を貫かれていた事だろう。だが其の動きは、余りにも単調で在った。
 ――半歩。
 たったの半歩、躯を翻すだけで昭久は難無く避けていた。
「銅が、瓦落空(がらあ)きだ……ふふふ」
 鎧の隙間を縫う様にして、ナイフで切り刻んだ。
 ……だが。全くと言って、手応えが無かった。
 後方から緑亀の騎士が、レイピアを繰り出していた。其れと同時に、茶虎の騎士が反撃を繰り出す。
 とてもじゃないが、避けれるタイミングでは無い。
「ほう。……凄いじゃないか……ふふふ。凄い、凄い……」
 レイピアが脳を、三叉槍(トライデント)が心臓を、的確に貫いていた。
「何故、死なないッ……?」
「此の……化物めッ!」
 二人共、恐怖のボルテージが格段に上がっていくのが解った。
「嫌だ、嫌だ……ふふふ。其れじゃあ……そろそろ、私も本気で往かせて貰おうかッ!」

   参

「良くぞ、参ったな。白鷹(はくおう)戦騎タリム……其れに、羅刹よ」
 エリザが厳かに、羅刹を見据える。
「貴方達に、火急の指令を与えます。猶予が無いので、説明は省かせて頂きます」
 羅刹はエリザが嫌いで在った。
 エリザの指令は、何時で在ろうと碌(ろく)でも無い事ばかりだ。
「直ぐに《奈落の森》に、向かって下さい。途轍も無い禍(わざわい)が、訪れています」
「禍だと……。一体、どう言う事だ?」
「行けば、解ります。禍を取り除くのです」
 エリザが手を翳すと【裁きの門】が開いた。
 ぐだぐだ言ってないで、さっさと行けと言う事だろう。
「他に適任者は、居なかったのか?」
 極界は天丞院の管轄で在る。
 天丞院付けの戦騎騎士が向かうのが筋と言う物だった。
「皆、忙しいのです。貴方しか、向かえる者は居ません」
 小馬鹿にした態度に腹を立てたが、此れ以上の口論は時間の無駄だった。
 エリザは端から、自分の事を咎人としてしか視ていないのだ。
 釈然としないが、羅刹は【裁きの門】を潜り抜けた。

   肆

 桐生塁留(るる)は焦り恐怖していた。
 邪悪なる魔獣・タタラの依代(よりしろ)で在る男――昭久に、確かに恐怖を懐いていた。
 心臓を貫かれて、脳を貫かれているにも拘わらず全く意に介していない。間違い無く致命傷で在った。幾ら魔徒に憑かれているとは言えども、致命傷を受ければ例外なく肉体は滅びる。
「ふふふ……息が、上がっているぞ?」
 不敵な笑みを浮かべる昭久。
 兄の萌羅(めら)は、苦しそうに肩で息をしている。萌羅が前衛で突撃をして、塁留が後衛で支援するのが此の双子の戦闘スタイルで在った。
 塁留の戦騎には、空間を捻じ曲げる能力が在った。其の力を利用して、攻撃を防ぐ事が可能だった。敵の攻撃をピンポイントで防ぐには、相当な集中力が必要で在る。
 既に塁留の防御の精度は落ち始めていた。
「兄さん、此れ以上は……駄目だ。何とかして、逃げよう!」
 昭久の繰り出すナイフは、厭らしく執拗に萌羅を追い詰めていく。太刀筋は単調で在ったが、其の斬撃は風を纏っていた。
 萌羅の身体を風が、斬り裂いていく。全身から流れ出る血液。此の儘では軈(やが)ては、出血死に至ってしまう。
「塁留……。俺が此奴を引き付けている間に、お前だけでも逃げろッ!」
「何を言ってるんだ……兄さん。そんな事、出来る訳が無い。二人で逃げよう!」
 塁留には、萌羅を置いて逃げる事は出来なかった。
「下らない茶番だな……ふふふ。聞いていて、吐き気がするッ!」
 不快そうに、吐き捨てる昭久。
 茶番で在ろうが、何で在ろうが、塁留には萌羅を見捨てる事は出来なかった。
 二人が幼い時に、魔徒の被害に遭った。二人の父親が魔徒に憑かれて、母を殺したのだ。
 二人が父親に殺される寸前、一人の戦騎騎士に依って救われる事と成る。
 其の騎士の名は、矢紅(しぐれ)。
 天界でも屈指の実力を持つ騎士だった。
 矢紅は孤児と成った二人を、騎士として育てた。
 二人に取って矢紅は、親で在り、目標で在った。矢紅と同じ天丞院付けの騎士を目指した。
 志を同じくした双子は、互いに支え合い、魔徒を討ち続けた。どんな時でも、二人だけで切り抜けて来た。どんな窮地で在ろうと兄の萌羅となら、打ち克つ事が出来る。
 ――だが、無情にも萌羅の戦騎は解けていた。
「此れで、終わりだ!」
 昭久のナイフが、萌羅の心臓を捉えていた。

   伍

「此処が《奈落の森》か……」
 羅刹は辺りを窺っていた。
 周囲には、無数の邪気が漂っている。其の中でも一際、大きな邪気が森の奥から感じられた。
「此の森で一体、何が起きている」
 周囲には、無数の魔徒の気配。
 其の依代は、人では無かった。――と言うよりも、生物ですら無い。
 辺りを蠢く無数の鉱物。其の形状は、何処か戦騎に似ていた。
 鉱物で出来た其れ等は、様々な獣の姿をしていた。
 どうやら、人工的に作られた魔徒の依代の様で在る。
「不味いわね、羅刹。今回の相手は、私達だけでは荷が重いわ……」
 何時にも無く弱気なタリムの声。
 こんな事は、初めてで在った。
「此れの元兇に、心当たりが在るのか?」
 此方に邪気を向ける無数の魔徒。
 蠢き猛る魔徒の群れが、一つの意志を持って襲い来る。
 短剣を引き抜き二体の魔徒を斬り払う。
「……硬い!」
「どうやら、霊石で造られた依代の様ね」
 霊石とは、極界にのみ存在する鉱石で在る。戦騎や騎士の持つ武具も、霊石が用いられている。
 其の硬度は、尋常では無かった。
 羅刹は身を翻して、後方から牙を向く魔徒を薙いだ。側面からも迫り来る魔徒の牙を、籠手で受ける。極界の炎を召喚して、魔徒を内側から焼き尽くした。
 羅刹は全速力で走った。
 迫り来る無数の魔徒を斬りながら一向(ひたすら)、疾走(はし)り抜けた。
「こんな芸当が出来るのは、一人しかいないわ。《嘲りの鉈梛九(しゃなく)》。皇渦陸仙(おうかろくせん)の一人よ」
 迫り来る魔徒の数は、減る気配が無かった。
「――馬だ」
 ……ぼそり、と漏らす羅刹。
「馬……?」
 羅刹の前方に、蒼馬の霊獣が居た。
 とても美しい毛並みをしていた。其の馬が、魔徒を物凄い勢いで蹴散らしていた。
「良い事を考えた」
 羅刹が笑みを浮かべていた。
「良い事って……貴方、まさか?」
「彼(あ)の馬を利用させて貰う。昔は良く馬を、盗んでいたから、何とか成るさ……多分」
 魔徒を踏み付ける蒼馬の一瞬の隙を衝いて、羅刹は飛び乗っていた。
「何だ貴様ッ……何故、私に跨る。降りろッ!」
 暴れ狂う蒼馬。
 鐙(あぶみ)や手綱も無いのに、羅刹は器用に蒼馬にしがみ付いていた。
「喋れるのか。なら、話は早い。俺に協力してくれ」
「何故、私がお前に協力しなければ成らない?」
「お前、此奴羅(こいつら)に狙われてるんだろう。俺に協力してくれれば、助けてやれる。お願いだ」
 穏やかな口調。
 黙りこくる蒼馬。
 然(しか)し、互いに魔徒を討ち続けている。
 此の儘では魔徒の数に押されて、互いに潰されてしまう。
「協力しよう。但し、今回だけだ」
「ありがとう」
 とても穏やかな笑みを向ける羅刹。
「タリム、喚装だ!」
 其の言葉と同時に、蒼馬は駆けた。
 戦騎を纏った羅刹の手には、大剣が握られていた。極界の炎を纏わせた其れを、豪快に旋回させた。
 無数の炎の衝撃波が、波と成って魔徒を討つ。
 衝撃波を受けた魔徒は、燃えながら砕け散っていった。不思議な事に、炎の衝撃波は森を一切、傷付けなかった。魔徒だけを蹴散らしている。
 極界の炎は、悪しき物を焼く為だけに存在している。故に森が傷付く事は無いのだ。
 羅刹は斬撃を放ち続けた。炎の衝撃波が、魔徒を討った。
 ――打って、撃って、討ち続けた。
 霧散霧消する邪気。
「後は、元兇を取り除くだけだ。一気に、片付けてやる!」
 羅刹の叫びに呼応する様に、蒼馬は森を駆け抜けた。

   陸

 甘い微睡みの中、萌羅は夢を見ていた。
 其れは、幼い頃の記憶で在った。
 優しい母に抱かれていた。弟の塁留も同じ様に、抱き締められていた。
 萌羅も塁留も、母が大好きで在った。
 穏やかな眼差しを注ぎながら、母は二人を愛(め)でた。
 ――此の時。母の肉体は既に、魔徒に依って滅ぼされていた。父が魔徒と成って、母を殺したのだ。其の直後に矢紅が顕れて、魔徒を討ったが、母の肉体は少しずつ灰に成っていた。
 けれど母は哭き喚く事もせずに、二人を優しく包み込んでいた。命の灯火を最期に燃やしながら、母は幼い二人に託したかったのかも知れない。
 本来ならば、死ぬのは母ではなくて、二人の方だった。
 魔徒と成った父が、其の兇刃を二人に向けていた。母が其の躯を挺(てい)して二人を庇っていた。
 ――生きなさい。
 母の最期の言葉が、脳裏に心地良く木霊していた。
 既に萌羅の心臓は、昭久のナイフに依って破壊されていた。
 本来ならば、死して崩れ墜ちている。
「……バルゴ、俺の肉体を……喰らってくれッ!」
 曾(かつ)て母がそうした様に、萌羅は命の灯火を燃やしていた。
 肉体が完全に滅びる其の前に、戦騎に己(おの)が躯を喰らわせる。
 其れ以外に、塁留を護る術(すべ)は無かった。
「闇に墜ちては駄目だ……兄さん!」
 ――愛(いとお)しい我が弟よ。今ならば、母の在の時の気持ちが解る。譬(たと)え此の魄(たましい)が砕け散ろうとも、弟の塁留だけは必ず護る。
 肉体を何かが、侵食しているのが理解(わか)った。戦騎が己の肉体を喰らっていく。
 通常ならば、騎士は戦騎を其の躯に纏わせて闘う。其の状態だと戦騎の力は、本来の半分も発揮されない。戦騎の力を極限に引き出すには、其の躯を戦騎に喰らわせなければ成らない。
 そうする事で、強大な力を得られた。
 そして其の代償として、宿主と共に戦騎は闇に墜ちてしまう。
 萌羅の肉体を、迸る程の力が流れ込んでいた。
 其の力は、優しい母の温もりを匂わせていた。
「塁留よ。俺の肉体は、間も無く消滅するだろう。だが……お前は必ず生きろ。良いな?」
 優しい微笑みを塁留に投げ掛けた。
「ふんッ……。弟を護る為に、自ら闇に墜ちるか。反吐が出る様な、美しい兄弟愛だな」
 襲い来る昭久の兇刃。
 ――其の刹那、萌羅は駆けていた。
「護りたい者が居る人間の気持ちを……お前には、解るまいッ!」
 残像を残す程の速度で、萌羅は昭久の背後に廻っていた。

   漆

 塁留は拳を強く握り込んでいた。
 無力な己を呪った。
 既に、己の戦騎は解けている。萌羅の加勢に行けば、逆に足手纏いと成ってしまう。
 萌羅の三叉槍(トライデント)が、昭久の躯を貫いていた。
「……嫌だ、嫌だ。此れだから……学習能力の無い奴は、嫌いなんだ。そんな、生っちょろい攻撃が……此の私に効くとでも思ったのか?」
「余り俺達、戦騎騎士の力を嘗めるなよ。確かに今……此処では、お前を討つ事は出来ない。だが、必ずお前を討ち滅ぼしてみせる。――必ずだ!」
 萌羅の肉体から、神々しい迄に目映(まばゆ)い光が溢れ出していた。
「萌羅は今。命を賭して、御主を護ろうとしている。在の美しい光は、生命の最期の煌きだ。其の輝きは……決して、闇に墜ちる事は、断じてない!」
 塁留の背後に、赤毛の男が立っていた。
「貴方は……」
 其の姿を見た時、塁留の張り詰めていた緊張が解けたのか、涙が頬を伝っていた。
「遅れて、済まない……」
「申し訳ありません……師匠。僕の未熟さ故、兄さんは――」
 萌羅の肉体は、既に灰に成りつつ在った。
「此の……死に損ないがぁっ!」
 昭久の兇刃を受けながらも、萌羅は突進していた。
「糞がッ……槍が、ぬ……抜けんッ!」
 壁に張り付けにされる昭久。
 其れと同時に、萌羅の肉体は消滅した。
「今の内に、逃げよう。そして必ずや……萌羅の死を、希望の光に繋げるのだ!」
 赤毛の男に促される儘に、塁留は立ち去った。

   捌

「《嘲りの鉈梛九》よ。貴方の目的は、在の蒼馬の霊獣ですね?」
「解っておるならば、話は早い。さっさと、奴を引き渡して貰おう」
「間も無く此処に、騎士が顕れます。諦めて退散した方が、身の為ですよ?」
 セレスには、未来を予見する能力が在った。
「世迷言をほざくな。高々、一介の騎士に何が出来る?」
「お前が《皇渦陸仙》の一角か?」
 背後の気配に、鉈梛九は身構え様としていた。
 ――だが、其れよりも速く羅刹の大剣が、鉈梛九の肩を貫いていた。
「ほう……。霊石で出来た我が躯を貫くとは貴様、中々に侮れぬな」
 鉈梛九には、全く焦った様子は無かった。
 寧ろ余裕すら、窺えた。
「タリムを其れ程迄に使い熟(こな)すには、相当に骨が折れたで在ろう?」
「貴様、何を言っている?」
「気を付けて、羅刹。其の男は、戦騎を産み出した張本人よ。私の力も当然、熟知しているわ!」
「だから、どうした?」
 蒼馬の霊獣を駆りながら、炎の斬撃を放つ。
「タリムよ。喚装じゃ……」
 鉈梛九が、ぼそりと呟いた。
 其の瞬間。羅刹の戦騎が解けて、鉈梛九に喚装された。
「馬鹿なッ……タリム、どう言う事だッ!」
 然し、返事は無かった。
「強制喚装。戦騎には、こう言った裏技が存在する。尤も、儂にしか出来ぬがなぁ!」
 戦騎の翼を広げながら、鉈梛九は突進して来た。
「思い上がった小僧に、戦騎の使い方を教えてやろう」
 飛来しながら、戦騎の羽根を飛ばして来た。
 其の一枚一枚が、鋭利な刃で出来ていた。籠手と短剣を用いて、防御体勢を執る。
 が、完全には防ぎ切れない。
 全身を斬り裂かれていた。間髪入れずに、鉈梛九は身体ごとぶつけて来ていた。鈍く重い衝撃を受けて、蒼馬の霊獣から墜ちていた。
「強い……糞ッ!」
 羽根の追撃を、転げながら何とか躱す。
 戦騎が無い今、勝つ事は愚か真面(まとも)に闘える相手では無かった。
「……羅刹、聴こえますか?」
 覚えの無い女の声が、心の中に直接、響いていた。
「お前は、誰だ?」
「私は此の地を、守護するセレスと申します。私は貴方の事を、識(し)っていますよ。貴方を現世に転生させたのは、此の私ですから」
「今はそんな事、どうだって良い。早く用件を言え!」
「貴方に戦騎を喚装させる事が、出来るかも知れません」
「何だと……其れは、本当か?」
「試みた事は在りませんが、恐らくは可能です」
 【生命の泉】は凡(あら)ゆる生命を司る。故に死した戦騎と言えども、一時的に蘇らせる事は可能で在った。
「解っていると思いますが、契約をしていない戦騎を纏う事は危険な行為です」
「鎧に喰われる事は、承知の上だ!」
「解りました。恐らくは、喚装して居られるのは……数秒が限界でしょう。貴方の合図に合わせて、喚装します」
「其れだけ在れば、充分だ!」
「何を、ごちゃごちゃとしておるッ!」
 一瞬で間合いを詰めて、羽根の刃を斬り付けて来る。【糸游(いとゆう)】を用いて、紙一重で躱す。
 追撃を繰り出そうとする鉈梛九。
 籠手で受けて、体(たい)を捻って短剣で斬り付ける。
 余りの硬度に、弾かれた。
 矢張り戦騎の力を借りなければ、通らない。
 尤も一撃で致命傷を与えなければ、後が無い。其の為には、相手から隙を作らなければ成らない。
 恐ろしく厄介な相手だった。
「世話の焼ける奴だ」
 蒼馬の霊獣が、鉈梛九の後方から蹴り付ける。
 地に打ち付けられる鉈梛九を見て、羅刹は動いていた。
「セレス、喚装だ!」
 蒼馬の霊獣に飛び乗りながら、羅刹は叫んだ。
 全身を、激痛が走っていた。
 流れ込んで来る憎悪の念。戦騎に肉体を蝕まれているのが、解った。
 羅刹は叫びながら、大剣を鉈梛九に衝き刺した。
 炎の出力を最大限に迄、引き出した。
「思いっ切り、走れッ!」
 叫ぶ羅刹。
 其れに呼応する様に、蒼馬の霊獣は駆けた。
「桃猿(とうえん)戦騎レイラ。武器の威力を最大限に迄、発揮する能力が在ります」
 羅刹の持つ大剣が、斬馬刀へと変化していた。
 蒼馬の霊獣の瞬発力に合わせる様にして、斬馬刀を斬り上げた。
 鉈梛九の身体が、完全に砕け散るのと同時に、戦騎の喚装が解けた。
 全身を包む脱力感が、まるで水に濡れた蒲団の様に重苦しく伸し掛かった。
「タリム、無事か?」
「何とかね。……御免なさい。身体の修復に、ほんの少しだけ時間が掛かるわ。其れよりも、貴方の方こそ大丈夫なの?」
「心配するな……大した事は無い」
 疲労は激しかったが、羅刹は表に出さなかった。
「禍を退けて頂いて、感謝します」
「奴は、死んだのか?」
「いいえ、恐らくは……本体は別の処に居ます」
 在れで分身に過ぎないと思うと、ぞっ……とする。
「其れよりも、貴方に伝えておく事が在ります。貴方の曾(かつ)ての盟友・戌咬出狗(いぬがみいずく)が、此処を通って現世に蘇っています」
「何だと……?」
「貴方達は、何(いず)れ逢い見(まみ)える宿命に在るのかも知れません」
「そうか、奴が……」
 羅刹の胸中を、憎悪が渦を巻いていた。
「お前と居れば、退屈せずに済みそうだな」
 蒼馬の霊獣が、此方に歩み寄っていた。
「お前にも、感謝しなければな」
「暫くの間、お前と共に居てやる」
「其れは、本当か。お前が居てくれると心強い……。俺は羅刹。お前の名は、何と言うんだ?」
「我が名は虚月(こげつ)。お前と契約しよう」
 蒼馬の霊獣が光の刻印と成って、羅刹の肩に宿った。
「羅刹……急いだ方が、良いわ。刹那ちゃんが、危険に晒されている」

   玖

「詩(うた)は、詠(うた)えるか?」
 誰も居ない放課後の屋上。神楽は刹那を呼び出す成り、そう問い掛けていた。
「歌は余り得意じゃないけど……」
「其の歌じゃなくて、詩だ」
「言っている意味が、解らないんだけど……?」
「其の様子だと、矢張り駄目か……。《捧ぐ者》には、祈りの詩が詠えるんだが、何か伝承されていないか?」
「祈りの……詩?」
「そうだ。何も心辺りは無いのか?」
 幼い頃、母が子守唄を詠ってくれた事が在る。もしかしたら、神楽は其の事を言っているのかも知れない。尤も随分と前の事だ。虚覚(うろおぼ)えなので、全てを詠えるかどうかは解らない。
 死んだ母との唯一の繋がりなので、一つだけ成らば口遊(くちずさ)んでいる物が在る。
 心を落ち着けて、刹那は詩を口遊んだ。
「其れだ。今のは、護りの詩だ。邪悪なる者から、身を防ぐ事が出来る」
 其の刹那、嫌な気配を感じた。
 羅刹と出逢ってから、魔徒が顕れると嫌な気配を感じ取る事が出来る様に成っていた。
 今度の気配は今迄で一番、嫌な物を感じた。其れも複数、感じ取る事が出来る。
「神楽さん……此れって?」
「間違いなく魔徒の気配だ。かなり、特殊な部類だな。おまけに、数が多い……」
 神楽から、焦りの色が窺えた。
「刹那ちゃん。残念ながら、羅刹は未だ遠くにいるわ……」
 其れは詰まる処、自分達だけで何とかしなければ成らないと言う事だ。
「今、私の従者を呼び寄せている。先(ま)ずは、合流しなければな……」
 いつもは、羅刹の陰に隠れていた。
 だが今回は、羅刹は居ない。
「どうやら、初陣の様だな。今……此処で、覚悟を決めろ!」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 635