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作品名:もう一度、抱きしめて 作者:

第8回 相談事
「それじゃ、今のところは大丈夫そうなんだね」
 未来の、不安と安堵の混ざったような声に、軽くうなずく。テーブルを挟んで向かいに座るノエルと悠月も、複雑な表情をして顔を覗きこんできた。
「でも、このままじゃ心配じゃない?」
「さすがに長くは保たないだろ」
 二人の言葉に、もっともだと思いながらも、仕様がないとどこか諦めている自分がいた。
「それを相談しにきたんだが……」
 言葉を濁しながら、何と声をかけて励ませばいいかという顔をして目線を落とす三人を、順に見る。何か言おうと口を開いては閉じる未来、こめかみに手を添えグラスを睨む悠月、かすかに切なげな表情のノエル。
 俺はいい友人を持った。本気でこの問題に向き合わなければ、とあらためて考えるほど。
 振り返ると、退院から半月が経っていた。遥香の様子も、まるで事故そのものがなかったかのように自然な振る舞いになってきて、そのことが言い知れぬ不安を募らせていたのだ。
「ねえ、遼くんは……?」
 不意に未来が口を開く。「遼くんは、遥香ちゃんと一緒にいて、何か思うことはあるの?」
「…………」
「遥香ちゃんと過ごしていて、何かしら感じること、あると思うんだけど」
「何もないと言えば、嘘になるな。けど……」
 確かな実感として、遥香といるときは不思議なほど心が穏やかだった。だからこそ、どこかでボロが出そうで、あいつが悲しむ顔を見たくなくて、口を閉ざすことが徐々に増えた。このままではいけないと、踏ん切りをつけるために今日はサンドリオンを訪れたのだ。
「分かっているだろうけど、このままじゃダメなんだよ。今までどうにかごまかしてこられたのは、お互い仕事が溜まっていたせいもあって、顔を合わせる時間が少なかったからという部分が大きいし、な」
 慎重に言葉を続けながら、その意味を、あらためて確認してゆく。自分の考えていることは、正しいのか、理にかなっているのか。注意深く確かめながら。
「だから、ここらが潮時かと思ってな……」
 本音を零したところで、部屋の空気が変わった。三人とも、先ほどとは違う意味で、何と言えばいいのか、という顔をしている。
「それしか、あいつを守る術は残っていない」
「ちょっと待てよ……それはさすがにないだろ。あいつの気持ちはどうするんだよ」
「そうだよ、遼くん。遥香ちゃんのこと、考えてあげてよ」
 悠月と未来に迫られても、俺の気持ちは揺るがなかった。いつ、どうなってしまうか分からない状態で一緒に過ごせば、いつか話が噛み合わなくなり、その結果余計に遥香が悲しむこととなる。あいつのことだ、自分を責めるだろう。俺が記憶を失ったのも、その事実を隠していたのも、すべて自分の責任である、と。
 容易に想像できることだ。そのような最悪の事態を避けるには、関わる回数を制限すること、別れることを選ぶしか思いつかなかった。日を重ねて、遥香の中であの事故の占める部分が小さくなればなるほど、それに対応できなくなってゆく自分を強く自覚していた。
「せめて、距離を置かないと……」
「まだ……」
 被せるようにして声を出したのは悠月だった。すっと首を回して目線を合わせる。
「まだ、やってないこと、あるんじゃねぇの?」
 記憶を取り戻すための、であろうとすぐに分かったが、今までにできる限りのことはしたつもりだ。
 正確には、悠月の言う「まだやってないこと」に当たるのが、先日約束した岩手の旅行だ。しかし、それをすること自体のリスクが、今の自分にとってはあまりにも大きかった。日に日にその危険が膨らんでいくように感じていた。
「……何か、残しているみたいだね」
 未来のつぶやくような言葉に、俺は答えなかった。それが肯定の意味を表すとはっきり読み取れる空気に、耐えがたい息苦しさを覚える。重たく、ドロドロとした沈黙だ。途方もないほどの居心地の悪さ……何か、何でもいい、凝り固まった空気を動かす何かが現れないだろうか。無責任にもついそう願ってしまうほどの息苦しさ。
 そのときちょうどタイミングよく、VIPルームのドアが開きかけた。安堵すると同時に、意図せぬつぶやきがもれる。

「……遥香?」

 自分の口をついで出た言葉に、心臓が大きく鼓動した。
(いや、まだドアが若干動いただけだろ……)
 自分で呆れながら、どこか期待するような気持ち。困惑と異常なほどの高揚感、緊張ともいうべき感覚が、全身の血流を加速させていた。
 次の瞬間、遠慮がちに開くドアに、勢いよく開かれる映像が残像のように重なって流れ出した。いや、実は逆なのかもしれない。パッと開けられたドアの向こうから、笑顔の遥香が……ああそうだ、今日は自分がサンドリオンに来るよう伝えたのだった。ノエルが久しぶりに帰国したからみんなで飲もうと……いいや、違う。
 二重にかさなって見えるドアーーそれに、ノエルはここしばらく海外へ飛んではいない。では今日ここにいる理由は……
 そうだ、記憶を失くしたまま遥香と一緒にはいられないと、相談しに来たのだ。サンドリオンへ来るよう遥香に連絡した覚えもない。ならば今、目の前で笑っている、この遥香は……?

「本当だー、遥香ちゃん! こっちこっち。遼くん、よく分かったね」
「やっぱ愛じゃね?」
「まだドア、開いてなかった」
 ノエルの声にはっとする。
 このときにはもう、ドアは二重ではなかった。ゆっくりと隙間から現れた遥香が、ほんの少しだけ驚いたようにこっちを見て、おそるおそるといった調子に歩いてくる。
「遼一さん、いたんですね。連絡くれればもう少し早く来たのに」
「ああ、なんとなくな。……ちょっと出てくる」
 さりげなく未来に耳打ちをすると、席を立つ。制止するように未来が動いたが、構わず足を踏み出した。こんな場所で鉢合わせて。どんな顔を見せればいいか、まるで分からなかった。
「遼一さん……どうしたんですか?」
 通り過ぎざま、不思議そうに目をくるっと回し見上げる遥香に、ただ微笑むことしかできなかった。安心させるように目元を和らげ、くしゃっと前髪をなでる。そして逃げるようにVIPルームをあとにした。


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