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作品名:もう一度、抱きしめて 作者:

第5回 アルバムを繰って
「今のところ、生活していて不自由はなさそうですし、安静にしていれば問題ないとは思いますけど……」
 帰ってきてから三日。今まで有給を取ってそばにいてくれた遥香は、仕事へ出かける前、しきりに俺の心配をしてきた。
「大丈夫だから、行ってきなさい。何かあれば病院に電話くらいは自分でできるんだから」
「でもっ。もしも急に……」
 そんな問答を繰り返して、それでも変わらず不安げな顔の遥香に、半ば苦笑しつつ腕を掴んで引き寄せた。そっ、と唇を触れ合わせると、余韻が少しでも長く残るよう願いながら離れる。頬を薄紅色に染め目を見開く遥香。
「……ほら、大丈夫だから、な?」
「本当、ですね……?」
「ああ……いざとなればメアリもいるし」
 小さく笑って付け足すと、やっと目元を和らげた。
「ふふっ、分かりました。終わったらすぐ帰ってきますから、絶対に無理はしないでくださいね。……いってきます、遼一さん」
「ハイハイ……いってらっしゃい」
 元気に跳ねる遥香の束ねた髪が見えなくなるのを確認すると、何をしようかと部屋をぶらつく。仕事はするなと強く言われたため、暇をもてあましていた。
 思いつきで本棚の片付けを始めたところで、ふと小さなアルバムが目に入る。見覚えのない、白い背表紙。何気なく手に取り開くと、そこには笑顔で腕に抱きつく遥香がいた。抱きつかれてだらしなく目尻を下げているのが、自分だ。
(……こんな顔、できたのか)
 背後の景色を見ると、どうやら俺たちはイタリアへ行ったらしい。記憶になくても、この家には記録が詰まっているんだなと感心しながらページを繰れば、綺麗な街並みや噴水に紛れて、自分の横顔が数々あった。すべて遥香が撮ったものなのだろう。どれもが信じられないほど幸せにあふれた表情をしている。
 嬉しいやら寂しいやらで中途半端に笑いながらゴンドラに乗って撮ったらしい写真を見つけたところで、ズキンと頭に痛みが走った。しかしそれはすぐに収まり、ぼんやりとした感覚だけが残っている。
(なんだ……?)
 目頭を軽く揉みほぐし、アルバムを元へ戻した。隣にあった水色の冊子を開くと、コアラを抱いている自分がいた。抱えあげてみたはいいものの、コアラが抱きついてそのまま離れてくれないようで、困ったような顔をしている。なんとも言えぬ、滑稽な一枚だ。
 さらにめくっていくと、エアーズロックが見事な一枚が現れ、次いで美味しそうな食事やワインなど、鮮やかな写真が並んでいる。感心しながら見ていたが、途中から奇妙なことに気づいた。突如、遥香の後ろ姿がたくさん写るようになったのだ。しかも、先に見た旅のルートを同じ順に辿っている。
 こんなまとめ方をするとは、不思議なものだ。人物ごとに分けている風ではなく、しかし二周目の方は遥香しか写っていない。そこでまた、頭痛が思考を遮断した。
 今回はすぐには収まらず、痛みが頭を締めつけ、チクチクと攻撃した。なにか、思い出しかけたためであろうか。この間病院で痛んだときと似た感覚で、そのときも遥香のことを思い出そうとしたことが原因であると考えられた。
 アルバムをテーブルに置くと、ソファに身を預ける。じっと痛みに耐えていると、足に何かが触れる感触があって、メアリがすり寄ってきた。
 気づいて視線を投げかけると、こちらを見上げ、隣に飛び乗ってきた。上目にこちらをうかがって、何かを伝えようとしている。
「……お前が慰めてくれるのか?」
 そっと頭をなでてみると、寛ぐように身を寄せて目を瞑った。
 猫は人の感情の変化に敏感だという。落ち込んでいるときや苛立っているときなどは、こうしてそばにいて癒してくれるのだと。
 メアリをなで回しているうちに、徐々に痛みも落ち着いてくる。不思議なものだ。
「……ありがとな」
 頼りにしてる、と付け足すと首元をくすぐって、その気持ち良さそうな顔を見た。ふっと身体中の力が抜け、自然に自分の表情も緩むのがわかった。



 その夜は、簡単に食事を作り、遥香の帰りを待って一緒に食卓を囲んだ。
「んー、やっぱりおいしいです!」
 一口目を含むなりニコニコとして、遥香の箸は止まらない。
「遼一さんの料理は、世界一ですね」
「おおげさ」
 幸せそうな表情に、笑って返す。よほど……遥香も、よほど俺に惚れ込んでいることがうかがえる。あらためて、自分自身のこととは思えないあたたかな光景に、戸惑いを感じずにはいられなかった。
 夢なのではなかろうか。そう、ぼんやりと考えながら、今日一日の出来事を嬉々として話し聞かせてくれる遥香を眺めた。絶えず移ろう表情は、高低様々の声で語られる小さな物語を、体験したままに表しているのだろう。そんな子どもっぽさの陰からちらりと覗く、非常に大人びた振る舞い、言葉づかい。語られる彼女の経験内容と、目の前で話している彼女自身から、そんなアンバランスさを見出していた。
「遼一さんは、今日何してたんですか? まさか、お仕事なんかしていませんよね……?」
 深刻な顔をしたと思ったら、人の心配をする。こんなにも瞬間瞬間を全力で生きている人を、他に見たことがあるだろうか。
 静かに箸を置く。真剣な目差しを崩そうとしない遥香に、つい笑みが零れた。これからの生活、不安も山のようにあるが、それなりに楽しめそうである。


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