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作品名:もう一度、抱きしめて 作者:

第4回 ただいま
「ただいまー」
 帰宅の許可が下り、さらに一週間が経った日。久しぶりに自分のマンションへと帰ってきた。……遥香の付き添いのもとに。
 退院を一週間も延ばした理由は、無論遥香であった。記憶を失くしたことを彼女に隠して振る舞うとなると、まずは彼女と一緒にいることに慣れる必要があり、ついでに遥香や悠月たちから記憶を補うような話を聞く時間が欲しかったのだ。こんなことなら日記でも書いておけばよかったと思いつつ、それなりの情報は得られた。しかし、記憶が戻ることはなかった。
 自分のわがままで延期された退院にも、嫌そうな顔もせず遥香は付き合ってくれ、そればかりか無理はしていないかとやたら心配してきた。そんなことをしているうちに、自分がこの女性を好きになった理由もなんとなく理解できた。
(一日仕事をして、疲れているのだろうに……よく通ってくれたよな)
 およそ二週間ぶり、ようやく帰ってこられた自宅に、安堵し少しながら緊張が和らぐ。病院のような場所は、どうにも好かない。
「メアリ、遼一さんが帰ってきたよ」
 リビングへと声をかける彼女は、嬉々として俺の手を引いている。よほど「二人の家」へ一緒に帰ってこられたことが喜ばしいのだろう。苦笑しつつソファへ腰を下ろすと、一匹の猫が膝の上に乗ってきた。ふんわりとした長い毛に、くるりと丸く大きな目。
 これが、あのメアリか……
 病院にいる間、繰り返し話に聞いたペットのメアリをまじまじと見ていると、その猫は同じように見つめ返してきた。なるほど、ずいぶんと人懐っこい奴だ。
「もー、メアリったら。遼一さんがいない間はあんなに構ってくれたのに……やっぱりご主人様が好きなんだね」
 そう言いながらも幸せそうに笑って、遥香はメアリの背中をなでている。
 可愛がってくれているんだから、懐いてやれよ……心の中でつぶやいて首元をくすぐってやると、心地よさそうに一声、にゃあ、と鳴いた。
(分かりやすい奴だな、お前ーー)
 猫に懐かれても嬉しくなどないが、記憶がない今は、どんな風に相手をしていたのかすら分からない。教えてくれと、この猫に言ったところで、会話ができるわけでもない。長い毛の感触を手のひらに感じながら、どうしたものかと窓の外へ目を向ける。すると、隣でクスッと笑う声が。
「遼一さんも、相変わらずですね」
 首をめぐらせ目を合わせると、くすくすと楽しそうに笑い続けている。
「いつもそうやってぼんやりしているのに、メアリは膝の上から動かないんですもん……嫉妬しちゃいますよ?」
「ぼんやりって……そういう風に見えていたとは、心外だな」
 軽い調子に言ってみる。遥香は慌てたように発言を撤回していた。その真剣な表情に、ふと笑いがもれる。
 これで、よかったのか。
 数秒前の自らの行動を振り返り、密かに安堵の息をつく。緊張しても仕様がないが、もし記憶を失くしていたことを知れば、この女性はおそらく、自分を責めるだろう。たとえ彼女を助けたのが、俺自身の勝手だったとしても。
 どうやら記憶を失くす前の俺は、ずいぶんと彼女に惚れ込んでいたらしい。そんな婚約者なら、身を呈して危険から守るだろう。記憶はなくても、自分のことだ、それくらいは分かっている。
(その程度のことは、当然だが……)
 胸の中に渦巻く不安は無視できない。
 病院にいる間は未来たちがサポートしてくれたが、家にいる間は一人でどうにかするしかないのだ。
 窓の外を流れる雲、そのスピードをなんとなく測りながら、もう一度わが家の空気を吸い込んだ。ほんのりと遥香の匂いがした。


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