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作品名:もう一度、抱きしめて 作者:

第13回 タワーの上から見えた景色
「今日は本当に楽しかったです。久しぶりにこんなにはしゃぎました」
 スイーツのお店を出て、ショッピングモールを歩き回り、陽の傾きかける街を、手を繋いだまま歩く。終始機嫌良さげに微笑む遥香は、繋いだ手を振って笑い声をあげた。
「満足したか?」
「はい! 大満足ですよ。もう、にやついちゃって、頬が戻りません」
「そりゃなにより。……もう一ヶ所、最後に行きたいところがあるんだが、まだ大丈夫か?」
 はいっ、と元気な声を聞きながら、どこへ行くつもりか、と自分に問うていた。当初の予定では、このまま帰るつもりだった。帰って、すべてを話そうと。
 ーー真実を話すのが、怖くなったか。
 今こうして遥香が隣にいて、幸せそうに笑っている。それをいつまでも見ていたくて、この時間を壊したくないがために、別れを先延ばしにしようとしているとしか思えない選択……自分でも呆れてしまう。
 しかし、一時間……いや、三十分だけなら、許されるだろうか。
 日が沈んだら、この偽った生活もすべて終わりにするから。
 どうかそれまでは、この幸せが続くように。
 乞う相手もなく許しを求め、誰に祈るでもなく祈り、地下鉄の改札を抜けた。



 そして俺たちは、街を見下ろすように立っていた。
 昼間よりも夕方に近いやわらかな光に包まれた街。あたたかな光の中に浮かぶミニチュアのようなビル街が、時を経るごとに遠ざかってゆく。向こうの方には、太平洋が小さく見えた。
「遼一さん……」
 景色に見とれたまま意識をこちらに向け、遥香がぼんやりとした声を出す。
「今日は、どうかしたんですか?」
「何が?」
「だって、こんな……誕生日でもお祝いでもないのに、なんだか……」
 こちらを見上げる気配に、さりげなく目を合わせる。赤みを帯びた光の中に浮かぶ遥香は、綺麗だった。
 ごまかすように笑って、あいている方の手で髪に触れると、不思議そうな顔をした。そんな些細な仕草でさえも愛おしい。
 タワーの八分めまで向かうエレベーターは、緊張感に呼応しぐんぐん高度を上げる。
「…………」
 透明な遥香の瞳に視線を吸い寄せられると、抱きしめたい衝動に駆られた。抱きしめ、大切に抱いて、自分だけのものにできたなら……いや、そんなものはただの傲慢だ。遥香の相手になる資格など、今の自分にはない。
 事実を隠してきたのだから。真実を、記憶を、想いを……みんな、騙してきたのだから。最愛の人に。
 日の光が翳って、同時に俺は目をそらした。もう、この美しい双眸を一番そばで見つめることはできないのだと、自らに言い聞かせながら。
 じんわりとブレーキがかかるのを両足に感じる。もうすぐ、着く。最期の場所へ。
 明るい音が鳴り、エレベーターが止まる。互いに何も言わず、周りの人に続いて箱を降りる。全面ガラス張りの展望デッキ。あの夢と、何一つ変わらない光景。ただ、幸せと切なさと憤りがないまぜの心中だけが、異なった。
「あの日と、同じですね。ドキドキする……」
 繋いでいた手の、感触がふわっと消える。目をキラキラと輝かせて離れていく遥香の後ろ姿に、ふと笑いがもれた。
「段差には気をつけなさいよ」
「え? なんですか?」
「なんでもない」
 はしゃいだまま一足先に段差を上がったところで、ぱっと立ち止まる遥香。おだやかに差し込む光に包まれ、その輪郭がぼんやりとして見える。また、夢なのではないだろうかと考えてしまう。
 このまま時間を止める術はないだろうか。
 らしくもなくそんなことを思う。きっと、今の自分はひどい顔をしているに違いない。遥香のそばにいたい。そんな願望をはっきりと抱いていながら、どうあがいてもそれを叶えることはできないのだ。
 逃げるように後ろを向いた。もう、彼女を視野に収めてなどいられない。
 最後なのに。
 もう二度と、見つめることができないかもしれないのに。どうしても、目を、意識を、向けることができない。もうーー
「遼一さんっ」
 跳ねるような声の呼びかけに、ハッとする。瞬間、様々の感情をすべて忘れた。
 勢いよく振り返ると、こっちー、と笑って大きく手を振る遥香が、ふと二人重なって見えた。
(……?)
 目をしばたかせ、もう一度しかと見る。
「早くー、こっち来てください!」
 声も一重でなく、僅かな時差をもって耳に届いた。
 夢と同じだ。自覚すると、途端に耐えきれないほどの愛おしさが湧いた。今しか彼女を抱きしめることはできない、最後のチャンスだと何者かが耳元で囁いた。彼女とのことを何も覚えていないのに、そんなことは許されないと反対側から別の誰かが叫ぶ。
 両拳を強く握ると、意を決して遥香を見据えた。彼女が、にっこりと笑う。
「今回は待っていてあげませんよー」
 一つの声が、はっきりと聞こえる。夢とは違う展開。
 意を決した直後だというのに。別れの言葉が出ないままぼんやりとしていると、二つに重なって見えていた影がゆっくりと交わって、一つになった。
(夢じゃ、ない……?)
 そうだ。過去にもここへ来て、こうして早く来いと急かされた。なぜ、今まで忘れていたのか。思い出さなかったのか。
 夢なんかじゃない。そうだ、確か、子どものようにはしゃぐ遥香を追ってあの場所へ行くと、そこには……
(ーーっ!)
 巨大なハンマーで殴られた衝撃が、頭に生じる。現実に殴られたりなどしてはいない。これは。
 意識が遠のいてゆく。ぐらりと身体が傾くが、支えるような力をもちあわせてはいなかった。自然の法則に身を任せ、地面へと加速度をもって近づいてゆく。
「っ遼一さん!」
 そんな声が聞こえたような気がした。
    、、
「……遥香」


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