小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:もう一度、抱きしめて 作者:

第10回 タワー
 街を見下ろすように立っていた。
 昼間と夕方の間、柔らかな光の中に浮かぶミニチュアのようなビル街が、ますます遠ざかってゆく。遠くには、穏やかな海が広がっていた。細々と折り重なる波が、ちらちらと輝いている。
「遼一さん……」
 袖をギュッと握る遥香の手を取り、包み込むようにして繋ぐ。
「怖いのか?」
「だって……エレベーターがこんなに速いなんて」
「そりゃ、のんびりしていたら、上に着く頃には日が暮れちゃうでしょ」
 笑って返すと、少しばかり頬を膨らませてこちらを見上げる。そんな、少し反抗的な仕草でさえも愛おしい。
 タワーの八分めまで向かうエレベーターは、ぐんぐん地面から遠ざかってゆく。
「ここのタワーから見る夜景も、綺麗だって聞きました。でも、いつも予約いっぱいで……今度、前売り券を買って、一緒に来たいです」
 夜景。
 遥香の何気ない言葉に、ふと目を伏せる。
 都会の変化し続ける夜景が好きだと、この間も言っていた。キラキラと遠くで輝いている、そんなところが俺と同じで、見ていてすごくまぶしいのに、静かで穏やかな煌めきを、ずっと見ていたくなる、と。
「ああ、そうだな」
 もしもあの光の海が本当に遥香の言うような輝きだったなら、俺よりも遥香にぴったりだとは、言わなかった。
 やがて、じんわりとブレーキがかかるのを両足に感じると、外壁によって景色が遮断された。これ以上の高さからの眺めは、着いてからのお楽しみということなのだろう。
 ややあって、明るい音が鳴りエレベーターが止まった。周りに続いて降りると、広いフロアを囲う壁は、全面ガラス張り。展望デッキ。天井から吊るされた標示をぼんやりと見上げながら、他の人と同じスピードに足を進める。ざわめきの中から時折顔を覗かせるBGMは、ゆったりと人と人との合間を縫って流れていた。
「すごい……全部ガラスですよ」
 繋いでいた手の、感触が不意になくなる。目をキラキラと輝かせて離れていく遥香の後ろ姿に、ふと笑いがもれた。
「手前に段差があるからな、気をつけなさいよ」
「え? なんですか?」
「……まるで子どもだな」
「あ、ひどいです遼一さん」
「聞こえてるじゃないの」
 はしゃいで一足先に段差をのぼったところで、はたと立ち止まる彼女。傾きかけのやわらかい陽射しの中に浮かび上がる遥香は、輪郭がぼんやりとして、どこか別世界のものに見えた。
「遼一さんっ」
 跳ねるような声が呼びかける。無意識のうちに表情を緩めながら、応えるように見つめる。こっちー、と笑って大きく手を振る遥香。
(どこかで見たような光景だな……)
 ふと、そんな考えが浮かんだが、無邪気に笑う遥香の声がそれを遮る。
「早くー、こっち来てください!」
「今行くから、落ち着きなさい」
 ぼんやり覚えた既視感を振り捨て、段差に足をかけたところで、足元が消えた。予想とは異なる体感覚、そして、浮遊感。見えていたはずの床が、そこに、なくなっていたのだ。
「そっちじゃないです、遼一さんっ!」
 スローモーションのように流れる世界に、鋭い声が響く。どこかで味わったことがありそうな、内臓がふわふわと浮く感覚に、必死に空を掻き遥香の声を見上げた。
「早く……思い出してくださいね……!」
 風を切って落下していきながら、こっちへ手を伸ばす遥香を見上げる。計り知れぬ恐怖の闇へと加速してゆく最中、すぐに小さくなって遥香の手も顔もまるで判別できなくなったが、声だけははっきりと届いていた。
「待っていますから!」



 気がついたとき、まず目に入ったのは見慣れた天井。視線を動かせば、サイドテーブルにランプもある。すっ、と息を吸うと微かなタバコの匂い。
(……夢、か)
 自分のベッドで目覚めたことに安堵しながらも、先ほど見たものが頭から離れない。
 どこのものか分からない、あの展望デッキで遥香は、思い出せと言った。待っている、とも。
 現実に言われたわけではないが、もしかしたら、遥香が薄々感づいているということを意味しているのではないか。だから、夢に現れたのではなかろうか。
(いや……それはないか)
 ただの夢だろう、考えすぎだ。
 しかし、落下する夢にはなにか意味があると聞いたことがある。確か、建物から落下するものは、将来への不安や恐怖だった。今の自分はーー
 ……偶然だろう。
 非科学的な現象には目を瞑り、身体を起こす。少し仮眠をとるつもりが、変な夢のせいで疲れてしまった。
 熱いシャワーを浴びるために、バスルームへと向かった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 617