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作品名:尊敬する彼は 作者:

最終回 尊敬する彼はーー

「……あれ、今日も桜汰はいないの?」
 スペードルームの掃除をしていると、三成さんが入ってきて心配そうに言った。ソファに座ってタブレットを見ている英介さんは、気づいていないかのように作業を続け、銃の手入れをしていた蒼龍さんも、一瞥をくれただけだった。
「美希ちゃんは、何か知ってる?」
「いえ、アトリエにいる、ということしか……」
「この間、個展が終わったばかりじゃなかった? しばらくは休めるって言っていたし。インスピレーションが湧いちゃったのかな」
「それだけではなさそうだな」
 ずっと黙っていた英介さんが言葉を挟み、私たちは振り返った。タブレットから顔を上げると、真剣な表情で口を開く。
「昨日スペードルームに来ていたときに声をかけたが、たいして話も聞かず自室に入って行った。顔色も良くなかったみたいだな」
「それって、また食べていないだけじゃなくて?」
 訝しげな三成さんに、肩をすくめると英介さんはまたタブレットへ顔を戻してしまった。
「多分、それはないと思います……毎日差し入れを届けているんですけど、きれいに食べてくれていますから」
「そっか。じゃあまだ野垂れ死ぬ心配はないね」
 言って三成さんがわずかに目元をゆるめると同時に、スペードルームのドアが開いた。
「……噂をすれば、だな」
「え……なに、蒼龍さん。僕の噂でもしていたの?」
 それは、いつも通りの桜汰さんだった。確かに少しやつれているようにも見えたが、別段変わったところがあるようには見えない。
「桜汰、あんまり美希ちゃんを心配させちゃダメだよ」
「僕のペットの事なんだから、三成さんはほっといてよね」
 また、ペット……しかし、最近はあまり呼ばれていなかったためか、妙な懐かしさを覚え頬に熱が差す。
 それから何の気なしに目で追って、違和感に気づいた。普段なら皆さんのいるソファーに座って雑談を交わす桜汰さんが、まっすぐ部屋に入ろうとしているようだ。やはり、様子がおかしい。
 思いながら見送ったところで、桜汰さんがこちらを振り返った。
「……何してんの。早くこっち来なよ」
「へ……?」
 声をかけられるとは思っておらず、変な声が出る。しかしすぐに意味を理解して、あわてて布巾を片付けると背中を追いかけた。
「美希ちゃん……桜汰をよろしくね」
 すれ違いざまささやく三成さんに笑顔を返すと、小走りに桜汰さんの部屋へ入った。
「走らなくてもドアくらい開けとくのに……ほんと、忠犬なんだから」
 呆れたような桜汰さんの声は、どこか力ない。ドアが閉まると同時に立ったまま私を後ろから抱きしめてくれるその腕も、すがってきているような感じがして、そっと手を重ねた。ほんの少しこわばる腕。
「……桜汰さん」
「あのさ……最近ニュースになっている人。いるじゃん」
「え……?」
「ほら、そこに置いてある雑誌の表紙」
 ソファーの上に無造作に放られたままの雑誌に視線を落とす。大きく写っているのは、うつむいた六〇代の男性。両手で足りないほどの女性に無理やり迫った上、それを金でもみ消してきていたことが発覚して、先週捕まったのだ。このホテルにもよく泊まりにいらっしゃる、常連の一人だった。
「すごく有名なIT会社の専務……でしたよね。数々の名言を生み出した……」
「そう。でもさ、それだけじゃないんだよね……」
「それだけじゃない……?」
 ふと、桜汰さんの腕の力がゆるんだ。表情が見たくて身じろきすると、許さないというように肩に顔をうずめてきた。
「今回の報道見てさ」
 一呼吸置いて、再び口を開く。「今回の報道見て、ほんっと酷い奴だなって思った。被害者のほとんどがホテルの従業者だったし、そういう立場の人につけ込むとか、最悪な人間だよね」
「桜汰さん……?」
「なんか、似たようなニュースは今までにもあったけど、なんとも思ってなかったんだよね。けど、その……美希も被害者になっていたかもしれないし……」
 徐々にその声から弱々しさは消え、苛立ちが前面に現れる。
「テレビをつければあの人の顔が映ってさ、連行される時の顔とか、傑作だったよ。あの雑誌の写真もそう。脂汗にギトギトで、ずっと下向いて……堕ちるところまで堕ちたなって感じ」
 不意に、声が途切れる。桜汰さんの体は、微かに震えていた。密着している私には、確かに伝わった。
「自業自得。最低な人間。なんだけど……それでも、ね、信じられないかもしれないけど、変わらない部分もあるんだよ」
 肩の重みがふっと消える。後頭部にやわらかい感触があって、桜汰さんの息遣いを感じた。
「あの目……深いところには純粋なところが残っていて、それがはっきりわかって。本当は事件自体嘘なんじゃないかって、思ったくらい。……でも、人って墜ちるときは、想像つかないくらいあっという間なんだよね。努力して、苦労して、やっと上り詰めた地位も、やっとの思いで勝ち得た信頼も名誉も、一瞬でぜーんぶなくなった」
 自嘲気味なその声は、なぜか胸にずっしりと響いて、そのまま居座った。
「どんなに頑張ってもさ、何年もの月日がぱっと全部なかったことになる……あの人のしたことは、それだけのことだったってことだけど、でも……どこかで、僕が尊敬してた彼自身はまだ、残ってるはず」
「……?」
「人の根幹って、そう簡単に変わるものじゃないから、きっとあの人は、本当は、僕の尊敬する人のままだよね……永遠に……そうだよね?」
「桜汰さ……」
「だって、あの目……僕が初めて尊敬の念を抱いたあの時と、同じだったんだよ……」


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