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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第95回 O.O.S.『EGOISM』 そのC


異名者≠ェ直弟子をとり、指導に熱をあげているという噂話を耳にしたとき。
 詳細を問い質すまでもなく、狂公≠フ発案だろうとシエラは察知していた。
双神≠ェ耳をかたむけるような発言力を持っているのは、ふたりから最高の信を得ている彼をおいてほかにない。
 六人の異名者≠ヘ中央の護りに備える戦力であると同時に、双神≠謔阯瘧O的な権力を与えられた者たちであるが、デリンジャーのそれは別格である。
電光のウェッソン≠ニ魔銃のスミス≠ェ何かの理由で行動不動である場合、指揮権を委託されるのはヴェイグ・デリンジャーひとりのみと定められている。
 彼の采配と才覚は全裏稼業人の制御に足る、という認識が大元締めにはあり、有事の判断をあずけられる強者として推挙されているのだ。
 ……もっとも、デリンジャー本人にはそのような自覚はないのだろう。
 面倒事を押しつける相手として選ばれたとでも思っているに違いない。
 デリンジャーは、権威や地位といった、格差を生むものの存在を嫌っている。
 元・相棒との決別以前から、デリンジャーは人と人の繋がりを尊重していた。
 彼のこれまでの生涯において、絆と呼ばれる金糸は脆弱そのもの。
 きっちりと編み込まれたと感じても、するりと手元をすり抜ける。
 それゆえデリンジャーは、他者との縁にひときわ敏感な男性に成長していた。
 たとえ望ましくない役割であろうが、人心の輪を保持するための行動と納得できたのなら、デリンジャーには万に一つの迷いもないのだ。
 いわゆる汚れ役などの自己犠牲を強いられる状況下において、進んで両手を紅く染め上げることを辞さない性格。
 彼はそうした役割に応じることを、自身の責務であるかのように考えている節があるので、笑顔で申し分のない功績を成し遂げることを苦としていない。
 暗黒街に身をやつしていなければ、より正当な評価と称賛を積み上げていたであろうと予感させる、実直な人物なのである。
 さりとて、陽があれば陰ができうるは道理。
 そして、それは才人においても不変の摂理。
 デリンジャーがあろうとする理想と、現実のあいだには大きな隔たりがある。
 彼の他者への敏感さは、あまねくすべての人々に適用されている心の性質だ。
 矛を交える者たちの無力や無念、道なかばにして死することへの悲嘆の叫喚。
 耳朶に残る怨嗟の木霊に、デリンジャーが無関心でいられるはずはないのだ。
 彼が精神の均衡を消失し、相反する自らの願望に潰されてしまいはしないか、シエラは胸中でいつもデリンジャーを慮っていた。
 精神の摩耗に知らぬふりを続けられなくなった狂公≠ェ、それでも理念を形成するために必要とした希望が、次代を担う新神≠セというのはいかにもありそうな話だ。
 見出された二レオ・クレメンツは、絵に描いたような好青年である。
 直弟子とすることも頷ける、賢さを伺わせる振る舞いも印象がいい。
 弟子の補助を得、デリンジャーはより元来の情を面に出すようになるだろう。
 結果デリンジャーの心は軽くなり、異名者≠フ名声はさらに高まるはずだ。
 六組織も牽引されるように功績をあげ、この街全体が平和と安息に落着する。
 やがて裏稼業人が街中から姿を消すことこそが、デリンジャーの願いなのだ。
 愛する女性が生けるブレイゾンシュタットを、屍の転がらない場へと換える。
 いつぞや彼が美酒を片手に語った言葉は、シエラには清らかなものであった。たったそれだけのために、自らの全身全霊を戦況へ投入する決意は、生半可な覚悟でできるものではない。彼がまごうことなき奉仕の意を持っていることの証明以外のなにものでもないのだ。
 それほどの固い信念を持つのなら、助太刀のひとつもしたくなるのが人間。
 ほかの女性たちは、シエラの義侠心を恋愛感情だと評するが、そうではない。
 純粋に彼の想いを遂げさせたいのだ。そこには下心も打算もないのだ。
 陽から向かうのか。陰から向かうのか。それしき重要なことではない。
 揺らがざる一念を以て成立させんとする義理。果たさせずしてなんとする。
「みんな。クレメンツはもう疲れたみたいよ。そろそろ解放してあげましょう」
 琥珀色の瞳をした新人の口をはたらかせていた五人は、シエラに目を向けた。
 幾人かが不満げな言動を紡いで見せたが、適当にあしらって話を切り上げる。
 語らいにはじゅうぶんな時が費やされた。もう師の元に行かせるべきである。
 こちらがデリンジャーに視線を送ったとき、彼はまるで幼い子供のごとく、ブリッツとじゃれ合っているところだった。首にブリッツから右腕をかけられ、締め上げられた状態のまま、左腕の肘を頭にぐりぐりとこすりつけられている。
 むろん手加減はほどこされているようで、苦しんでいるデリンジャーの表情には余裕が見られるが、それでも唇からこぼれるのは苦悶の声音ばかりだった。
 世間の評判どおり、男性とはいつまで経っても幼心を失くさない生物らしい。
 だからこそ清く、だからこそ疎い。結局のところ、どちらを視るかで世界はその様相を変容させるというわけだ。それを好ましく思うかが分かれ道となる。
「狂公=Bお待ちかねのクレメンツ君、あなたに返却するわ」
「サンキュー、リリィ。君からの心遣いはバッチシ見えてたぜ」
 デリンジャーは無邪気に微笑んで、ブリッツの腕から逃れた。
 懐かしい笑顔だ。なんの重責も背負っていなかった頃の笑顔。
 交流が頻繁であった時分の彼は、現在のような陰はなかった。
「手ほどきが終わったら、昔みたいに飲もう。それくらいには、ウェッソンもこっちにきているだろうし」
「そうね。駆け出しの頃みたいに、色々と聞かせて。私にもあれやこれやと、口に出して楽になりたいことがあるもの」
 声を連ならせる背後から、マチルダとコメットの気配を感じる。
 幹部ふたりは普段の愚痴であろうかと、気が気でないのだろう。
「話して心が休まるのなら、いつだって付き合うさ。――お坊ちゃん、お疲れだろうけれど、レクチャータァイムだッ!」
 呼びつけられたクレメンツが、首肯とともに歩み出る。手にしている双剣が少年の手のなかで揺れるたびに、銀光が目に刺さるように煌いた。
 罪の意識が高いほどに、身体に染みつく黒く粘ついた残影の痕。師弟の衣が漆黒で揃えられていることに、シエラはどことなく胸の片隅が痛んだ。
 クレメンツとデリンジャーは、どこか通じ合うものがあるのだろう。
 それが別離の道程を行く者にしか視られないものだとしたら、希望は新たな苦渋の芽。育てば育つほどに茨に蝕まれる負の連鎖。
「行っちゃったね、二人。シエラ、約束なんてされちゃって、いい感じじゃん?」
「なぜそうなるのよ。彼は、私のささやかな働きを労おうというだけでしょう」
 ――これ以上、悲哀を深めてほしくない。
 勝手にそう考えるのは、わがままなのか。
「欲なくして人は活けず。恥じずして賛美し、成すべし」
 つい、「殺心御法」のうち初級に位置する、「欲活賛成」の教えが頭をよぎる。
 エゴだとしても別にいい。理解はされずとも、これなる感情を抱き続けよう。
 彼らは、ブレイゾンシュタットを照らす黒陽。信じて心を砕き続けるのみだ。


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