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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第93回 93


 美しいという感性が、ギサルメのなかにはなかった。
 それは最初から備わっていなかったのではないかと思わせるほどに、胸の内にほとばしったことのないもの。
 それゆえ求め続け、探し続け、焦がれ続けた。
 凡俗な形骸ではなくて、我が身を満たす美を。
 誰にも染まらない者。誰にも侵されない者。誰にも頭を垂れぬ者を。
 追求し続けてきた美とは、すなわち不可侵。神ほどの位を有する光。
『おまえの剣は、ここで鈍らせていいものではない』
 彼は言われた。自らには大任があるのだと。
 そのために、この腕が必要となるだろうと。
『俺は旧き神を廃する。この地に安寧をもたらし、荒廃の日々を断ち斬る』
 彼から差し出された手を、涙さえ湛えて掴んだ。
 この者に心を捧げることで、己自身は生まれ変わったのだ。
 退屈で空虚な時間は消し飛び、あらゆる景色が眩く美しい。
『これより、惑いし者は息吹を吹き返す。嘆きは静まり、笑みが咲くだろう』
 そうだ。彼にできないことはない。
 そうだ。彼こそが次代を担う者だ。
『フレシェット。それで、俺は何をしたらいい? お前の元で何を?』
『我々の急務は、爛れた精神の解放だ。それには根を叩く必要がある』
 ギサルメは心が躍った。頭目はついに開始するのである。
〈双神〉ごときが幅を利かせるのはこれまでだ。
 真なる天上の王が指揮を執り、臣は奮起する。
 覇王の御旗を掲げよ。賛歌を響きわたらせよ。
 打ち倒されるべき逆徒の血飛沫で、彼が歩みいく覇道を縁どれ。
 すべては一変するだろう。フレシェットこそが無二の支配者だ。
 練りに練った策は敵勢を分断し、総動員された兵士たちが功名をうち立てる。
 企ては完璧に進行していた。敵は伏兵の出現にみじろぎ、恐怖に竦みがあり、肉片となりて、地面に四散するばかりだ。
 ギサルメもいかんなく剣技の腕を発揮し、死者の秤を傾かせていった。
 戦況的には、〈ナイト・ウィッシュ〉の敗北は喫するはずのないものだった。
 相手方の本拠地まで攻め入り、残された名のある使い手は〈双神〉二名のみ。
 フレシェットの王政が鬨とともに始まる。そんな甘く香しい想像につつまれ、館の最深部に踏み込んだとき、彼は――。
 彼は――――〈双神〉へと跪き、赦しを乞い願っていた。
 光り輝く覇王が。追随なき聖帝が。絶対なる名君が。
 これはなんだ……? 夢なのか? 悪夢を見たのか?
 こちらが見ていると知ってか知らずか、フレシェットは〈双神〉に忠節の礼をうやうやしくも宣誓する。
 ギサルメのなかで、決定的な何かが砕け散った。
 それらしい言葉を当てはめれば、価値観だろう。
 侵されざる覇王は消滅した。この胸を焦がした夢もろともに。


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