小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第89回 89


 渾の声に身体を駆動させる幹部たちを眺め、ブリッツは裏稼業人になる以前、イノクシアの護衛をしていた時代を回顧した。
 古くからブリガディール家に仕え、奉公してきた実績があるエンフィールド。
 ブリッツもまたその例に漏れず、盾持ちを意味するエスクワイアという名称の養成機関で心を磨き、身を鍛え、全課程を修了するのと同時に、十四歳で職務に着任した。それまでの下積みは戦場を生き抜くための血肉となっている。
 護衛対象であるイノクシアは年齢こそ近いが、顔合わせの時点で自らの血統と立場をはっきり自覚しており、あらゆる仕草が自信をうかがわせるものだった。
 彼女の完璧主義な生活態度は、貴族という存在が失われた現代社会において、望むべくもない気位の高さからなるもの。ブリッツにも、イノクシアは己自身の命を懸けて守るだけの価値がある姫君と言えた。
 身分をわきまえ侍り従う関係上、言葉を交わす経験など数えるほどしかなく、親交が成り立つまでは、彼女が落としてしまったハンカチを拾い、
『お嬢』と声をかける程度の仲であった。
 彼女と会話と呼べるやりとりを為したのは、親族の集まる絢爛豪華な舞踏会の夜のことだ。出資先の名だたる企業関係者も参加し、多くの人々が国境や人種を越えて、イノクシアへ微笑みかける。
 いかなる催しでも、主役となるのは常にひとり。
 疲れを見せずに来賓の相手をこなすイノクシアは、それでも蓄積される負担を緩和させるためだろう、珍しく何度も酒器を口元に傾けた。
 そうした様子を心配して、気にかけていたブリッツの予感は、良くないほうに的中してしまう。もともと酒に弱い彼女は、無理がたたって身をぐらつかせた。
 危ういところでイノクシアを支え、自室まで付き添い、具合を尋ねてみるも、本人の気がかりは家族や参加者のことばかりで、まったく話がかみ合わない。
『お嬢――他人はいいからテメェのこと気にしろよ! 今は安静にしやがれ!』
 この頃合いのブリッツには、自制よりも若さのほうが勝っていた。
 乱暴な発言にイノクシアは、酔いが醒めたかのように目を見開く。
 令嬢はこのような物言いをされたことがなかったのかもしれない。
『あ――いや、その……お身体は、大事になされたほうがよろしいかと』
 時すでに遅し。けれど、謝罪しないわけにもいくまい。
 先の文言は、護衛役が発するには適切でないのだ。危機が迫っているのならばまだしも、こんな些末なことで語気を強めなくてもよかったではないか。
 気まずい沈黙が身体にかかる重力を強めているのか、頭があげられない。
 今まで立派に勤め上げてきたつもりだが、これはクビを覚悟すべきやも。
 エンフィールドの家名に傷がついたな、などと完全に諦観しきっていたとき、静寂を破ったのはイノクシアのうめき……いや、うずきというべきだろうか?
『ブリッツ……すみません。そこを、どいて』
『やっぱり、クビと思ったほうが?』
『いいから、そこをどいてって――!?』
『っうおおッ! ぶぇあああああッ!?』
 ――――数分後。護衛役は洗面台に向かう令嬢の背中をさすっていた。
 そして、憔悴する彼女をしばらく部屋の外に残し、室内を綺麗に清掃する。
 立つ鳥あとを濁さず。真心を込めて床を磨いた。
 これが最後の職務。と感慨を覚えながら、イノクシアへ会いに戻ってみれば、主の意見はブリッツ・エンフィールドを決して辞めさせないという内容だった。
『より正しく言うと、辞めさせるわけにはいかない。私が安心するために』
 大きな失態を目撃された護衛役は、野放しにはできないということらしい。
 ふれまわるつもりなど微塵もないが、これ幸いと自分はこれを謹んで受けた。もとより主の決定では拒否権などない。
 ブリッツとイノクシアはこの日を境に、それぞれを監視する仲となった。
 こちらは相手を守るために。あちらは秘密を守るために。
 あえてロマンチックに表現し直すと、見つめ合う毎日を過ごすようになった、とも言えるだろう。
 そうなったなら、交わす言葉が増すのは当たり前。
 話しかけてくるときのイノクシアは、いつも怒ったような表情だったけれど、妙なことにブリッツはそれが不快ではなかった。
 その理由はきっと、己自身と接してくれているときの彼女のほうが、公の場で清く正しく振る舞っている瞬間よりも、生き生きとして見えたからだろう。
 就寝まえに部屋に呼び出され、退室するまでの時間は、互いに素の自分自身。等身大の人間として付き合う、ごくプライベートな時間。
 イノクシアは秘密厳守はもちろん、誰それに向けた愚痴だとか、自らの境遇に起因する苦労など、日常生活の不満についてブリッツに語った。
 ブリッツはイノクシアの発言、そのすべてに相槌を打ち、深く同意を示す。
 心の中身は普通の少女のもの。身近な人物として彼女を受け止めたかった。
 なぜなら、彼女の肩にかかる見えざる重りの存在を知っていたからである。
『ブリッツ。そばに来て』
『ほいきたっ。今夜はどんなお話だ?』
『今日は……特に聞かせる話はないわ』
 とても物静かなイノクシアの様子を、無理からぬこととして、こちらは黙す。
 十八を迎えてからというもの、彼女の一日はほとんど縁談に費やされていた。ブリガディール家の当主――つまり彼女の父親には男児がおらず、家を保つためには伴侶となる男性が必要であったためだ。
 イノクシアの父親には妻のほかにも数多くの妾を持ち、それらから生ずる相手を選ばせることで、血統の正当性を強固なものとしようと考えている。なんとも浮世離れした貴族社会の思考が反映されているのだ。
『恋って、どういうもの? 本当に、ロマンス小説みたいなものなの?』
『恥ずかしながら、経験ねぇんだ。カノジョがいなくても護衛はやれる』
 冗談として口にしたつもりだったが、彼女はにこりともしなかった。
 ふてくされたような表情となり、やがて拗ねたように顔をそむける。
『気楽でいいね。護衛役は』
『お嬢みたいな相手を守る場合はな。そりの合わない性格だとそうでもない』
 人間には合う、合わないがある。
 相性というものは良好であれば良好であるほどいい。
 半生をともに過ごそうとする相手なら、いっそう重視しておくべきものだ。
『――そうか。わかっちゃった』
『うん?』
『お見合いがつまらないのは、ブリッツ、貴方のせいだからね』
『待った! そりゃおかしいだろ! 俺がいつ邪魔したよ!?』
『そうだなぁ。強いて言うなら、存在自体が?』
『イノクシア。そんなキツイこと言うなっての』
 辛辣に語るイノクシアの心を知ったのは、それから三日後の出来事だった。
 後悔などするはずはなく、想いを結んだことは、幸福と呼ぶほかない。
 だがしかし、それはふたりを含めた大勢の人間を傷つける選択である。
 使命や役目を手放すことは、過去から紡ぎ出された信頼をほどくこと。
 家名や親族は、捨てようと決心を固めても、捨てられるものではない。
 ならば時の過ぎゆくままに、許しを待つしか方法はないのではないか。
 みんなが答えを導き出すまで。永久にシンキングタイム≠ヘ続いていく。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 1018