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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第72回 72


 秋蜘蛛もまた、奇術について思考をめぐらせていた。
 識神である自らをもってしても、解読できない術式。
 この奇術を四つの地点にほどこしたものが例の愉快犯だとしたなら、愉快犯は陰陽道。古神道。道教。密教などの知識を習合した仙術の智識の最上到達目標、天外の力に触れ、叡智の断片を理解していることになる。
 優れた仙術師においても、百年にいちど現れれば重畳といわれる真理の観測。それなる偉業を成し遂げた存在でなくては、こんな術を用いることはできない。
 けれど気にかかることは、そうまで高みにある術者が、なにゆえにつまらない背徳行為に精を出しているかという点である。
 仙術師の行動のすべては、現世の向こう側≠ゥら非力なる弱者を救済して、この浮世を正すこと。清らかな一念による正義の体現者たることを目的とする。真理へと近づかんとするのも、そうした思想があってのものである。
 正道からはずれて悪行をなすために、愉快犯は仙道を積んでいたのだろうか。
 あらゆる者を欺き、仙術を操り世を乱せる日を虎視眈々と待っていたと?
「仲良くはできそうにない相手だな。愉快犯さんよ」
 別に正義漢ぶるつもりはない。
 秋蜘蛛はグレイやトンファーとたちは異なり、進んで仙道にかかわった身ではないからだ。自身にはいくべき場所がそれ以外にはなかっただけのことである。
 とはいえども、霊魂が実態をもつ精神世界、すなわち幽界にて術者の呼び声を聴くまでに技量と知識を積んだ秋蜘蛛にも、仙道の尊さはわかる。
 識神となった者はみな、天外の力を覗き見た者。人心から起こる悪行や善行を見定める役目を務めるものだ。秋蜘蛛は荒御魂(あらみたま)の鬼神。荒御魂はその荒々しさから新たな事象や物体を生み出す効力を内包している霊魂とされ、新魂にも通じるとされている。しかしだ、荒御魂は粗暴で荒唐な能力を操作するだけの不安定な性質をもつ。
 どうせ招くのなら、召喚主にのぞましいのは和御魂(にぎみたま)の鬼神だ。和御魂は、雨や日光の恵みなど、優しく平和的な天外の力の側面をもっている。加護や慈愛は和御魂の表れである。運によって幸福をあたえるはたらき、実りをもたらすはたらきがあり、または奇跡によってじかに幸を下賜することもある。
 荒御魂が負の側面をもつのに対し、和御魂は正の側面、というわけだ。
 ふたつを比較すれば、より多くの事象を任意的に引き起こすことができるのは和御魂とされている。ちなみに、仙術師は俗に荒御魂の識神を戦法式。和御魂の識神を護法式と呼んでいる。こと迦仙からの呼びかけに応じている識神のうち、戦法式にあたるのは秋蜘蛛と緋劉。護法式にあたるのが蒼劉である。
 天外の力に触れるということがどれほどに難しい行為か、経験のある識神には理解でき、想像することができる。領域に遮蔽を設けるなどという術を構築し、自由に行使するとすれば、愉快犯はおそらく天外の力の和御魂の側面を観測し、おぼろげながら悟ったのであろう。
 限られた断片だけとはいっても、天外の力を操る使い手を打破せんとするのはかなり骨の折れる行いだ。そのうえ、破壊行為のみに特化した荒御魂ではなく、具現行為に特化した和御魂の効力と敵対しなくてはならないなど……。
「グレイの成長にともなった、蒼劉のレベルアップが必要か」
「呼んだー?」
 難題に苦悩する秋蜘蛛の思考回路に、可愛らしいノイズが侵入する。
 このようにあの奇術も突破できたなら、さぞや爽快であろうが、現実はそうはいかない。
「蒼劉。なんでおまえは、いつもそんなに笑顔なんだ」
「笑顔のほうが楽しいじゃない。どんよりは嫌いだよ」
 蒼劉は笑みを浮かべたまま、壁に背中をあずける秋蜘蛛の隣にやってくる。
「ってか、あたしのことなんか言ってたよね? なに?」
「おまえが魅力的すぎて困るとぼやいてたのさ」
 適当な言葉を放ち、煙に巻こうとするが、彼女はそこまで馬鹿ではなかった。
「嘘はいいから。悪口とか言ってたんでしょ?」
「不満は別にねぇよ。気がかりならあるけどな」
 しゃべりながら、彼女の頭部に右手を置く。
 変な話、蒼劉の頭は手が置きやすくて便利だ。
 むりやりこちらの手をはがそうとしてくるところが、胸の内をくすぐる。
 頭を休めるためにも、もう少し戯れていることにしよう。
「そっ、それって? 気がかりなんて、何か、あった?」
「奇術の件だ。あれを行使してる奴への対抗策について」
「あんなの、あたしとキミとグレイの友情パワーで、解決しちゃえる、ってば」
 右手をどかそうと頑張りつつ、蒼劉は受け答えをする。
 けっこう食らいついてくるので、秋蜘蛛は頬が緩んだ。
 こちらより背が低いのだ。降参してしまえばいいものを。
「おまえは漫画の読みすぎだ。蒼劉」
「だって漫画おもしろいんだよ。ツヴァイガンの新刊、読んだ? ヤバいよ?」
「悪いがSFは苦手なんだ。非現実的でな」
「キミとあたしも、じゅうぶん非現実的でしょうがっ!」
 ああもう、やめた!
 と、蒼劉はむなしい抵抗を放棄する。
「スピリチュアルもサイエンスも、アプローチが違うだけだと思うんだけどね」
「アプローチ……か」
 秋蜘蛛は再度、奇術と愉快犯へと知恵をめぐらせる。
 目には目を、というのが自らの考えであったが、それは短絡的かもしれない。
 敵を攻めやるには攻める場所。急所を見極めることが絶対に重要だ。どれほど隙がないように思われようと、この世の理に完全無欠など存在しない。奇術にも意外な急所があり、攻略せしめることを可能とするかもしれない。
 今まさに蒼劉が口にしたような大胆な発想の転換があれば、その糸口をたぐることができるかもしれない。
「蒼劉。おまえって、やっぱすげぇわ」
「どうしたの、急に。お金なら貸してあげないよ」
「いらねぇよ。おまえの貯金なんて高が知れてる」
 この発言に、彼女はムッと相貌をしかめた。
 金銭には換えられない価値が、ここにある。
 力と智を合わせて、奇術を三人で打ち破る。
 そのためには、それぞれがさらなる進化を遂げねばならないだろう。
 だが、この面子ならそれも困難ではない。秋蜘蛛にはそうした確信があった。
「秋蜘蛛ッ! 蒼劉ッ!」
 ふたりのいる廊下に、息を切らしてグレイが駆け寄ってくる。
 切羽詰まった表情で額の汗を拭ってから、召喚主は口を開く。
「フレアがどこにいるか聞いている!? 彼女を捜してるんだ!」
「グレイも急だなぁ。恋人の姿がちょっと見えないからって――」
「緊急事態なんだ! 知っているなら早くッ!!」
 グレイは、平素の温和な印象はどこへやったのか、蒼劉の肩に掴みかかった。
 彼らしくないまでに落ち着きがない。いったい、何が起こったのであろうか。


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