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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第58回 58


 メアリーは、クラスターの宿泊先に行く前に、街外れの自宅に立ち寄った。
 自身の庭付きの一軒家には、こちらが無理を言って作らせた、礼拝堂がある。
「失礼します」
 修道服を脱ぎ捨てて、肌着だけの姿となったメアリーは、凍える足で礼拝堂のなかにある主≠見つめ、左胸に片手を添えつつ一礼した。
 十字架に張りつけとなっている主≠ヘ、機械仕掛けの両の眼を発光させて、メアリーとの中間点に特注の御座を迫り出させる。
 製作当時から見劣りのしない機械の動作性能に、大金をかけただけの頑丈さはあるようねと、冷ややかな意見を胸のうちでつぶやく。
 確かな足取りで近づいていけば、御座からは鋭利なる針の山が生え出てくる。針には、黒く変色した血液がこびりついていた。
「…………告解を願います、我らが主≠諱v
 これまでの痛みを思い返し、自らの足が、ほんの一瞬だがすくんでしまう。
 人生初となる殺人を犯してから、ずっと続けてきた儀式である。投げ出すのは己自身への背徳だ。まがりなりにも、我が身も神の道に携わった経験がある女。信仰心は、手放すわけにはいかない。
 メアリーは目蓋を閉じて、両足を針の山に差し出した。
 鋭く逃れがたい痛みが、身体を奔りぬける。
「わたしの罪をお許しください。我が心が、あなたのおそばに在れますように」
 メアリーは神というものを信じていた。
 この世の中は予測不能な無法地帯に見えても、その実、どうあっても覆せない制約がごまんと転がっている。
 これは神が現実に存在し、自らの聖域を守るために用意したものなのだろう。というのが、メアリーの認識だった。
 男が肉体的に強く育ち、女が精神的に強く育つのもそのせいだ。
 肉食動物が草食動物を食べるのもそのせいだ。
 生命には限りがあり、いずれ誰もが朽ちていくのもそのせいだ。
 そうこう考えているうちに、少女時代のメアリーは『世の中って退屈なのね』という旨の結論にいたってしまった。
 そうとしかならないというのは、どうしようもなく退屈なものだ。
 なぜほかのみんなは、それを許容することにまったく抵抗がないのだろうか。
 そういう普通≠フ人にはなりたくはなかった。なんとしても違っていたい。わたし≠ナありたいと願った。
 やがてメアリーは学校に通うことをやめた。自宅にも戻らず、友人宅や宿舎に寝泊まりし、自堕落な生活にその身をどっぷりと浸からせた。
 面白おかしい毎日はとてつもなく刺激的で、誰にも縛られず自由だった。
 そんな生活を続けて――どれほど経った頃であっただろうか。
 メアリーは普通≠フ枠を破壊するため、とある行為をしようと思い立った。学生時代から仲の良かったクラスメイトと付き合うことにしたのだ。
 相手のことを特別そばに感じることはなかったが、間違いなく友情はある。
 いい面も悪い面も知っているし、ともに行動するほかの男より信頼がある。
 メアリー個人としては、うまく付き合っていけるような気がしていた。
 小学校からつかず離れずそばにあった大親友なのだから、話せば案外簡単に、恋人同士になれるかもしれない。
『ねぇっ、今から付き合うつもりない?』
『いいよ。どこかに買い物でも行くの?』
『そうじゃないわ。わたしと、ってこと』
『え? ええと、……えええええっ!?』
 こちらは強引に相手を押し切った。押して、押して、押し切った。
 まさに押しの一手とはこのことだった。
 向こうが押しに弱いこともあり、メアリーには初めての恋人ができた。
 とはいっても、付き合いだして何が変わったわけでもなかったのだけれど。
 それというのも、この恋人はとんでもなく純情(ピュア)な性格をしており、キスはもちろん、手をつなぐことですらも照れて拒む。抱き着こうものならば、顔面から湯気が出そうなほど真っ赤になり、仮に寝台に潜り込んだとしても――これは友人付き合いのときから何度かあったが――背を向けて寝てしまう始末。
 だが、メアリーとしてはそれでも別に良かったし、問題はないと感じていた。
 要はお付き合いしている、という結果が大事なのだ。自身が同い年の女性と。
 メアリーにとって、世間様の一般論など聞くにおよばず。だから、同性同士で何事かあったとしても、「だったらどうしたの?」程度の些事でしかなかった。
 ――――だが、ほどなくして、恋人との関係が両親にバレた。
 不良仲間のひとりが、面白半分にメアリーたちの関係をふれまわったのだ。
 両親は娘を家に連れ帰るやいなや、矢継ぎ早にこれまでの出来事を尋ねた。
 こちらはそのどれにも落ち着いて返答したが、両親は一人娘の意見などまるで取り次がなかった。
『お前は悪魔に憑りつかれているんだよ。メアリー』
 父親の馬鹿げた言い分を、メアリーはハッキリと記憶している。
 自らを修道院送り≠ノする切っ掛けとなった言葉のことを。
 修道院は信仰さえあれば、どんな者であろうとも迎え入れる。
 それが神の慈悲であり、思想であると信じられてきたからだ。
 また、修道院は通常、男子修道院と女子修道院とに振り分けられるものだが、メアリーのいた地域は宗教的な理由で共同であった。我が身は、この修道院内で規則正しい集団生活を義務づけられ、実に退屈な数年間を過ごすことになった。
 けれど、この生活のなかでメアリーは、ある人物を深く尊敬することになる。
 その人物は名をオソリオと言い、修道院に教えを説きに来られた派遣神父だ。
 彼はほとんど毛髪のなくなってしまった頭部のてっ辺に、ちょこんと一房だけ白髪を立たせていて、どんなときでもお日様のように笑っていた。恰幅がいいのを少し気にしている様子だったが、まるで聖夜の使者であるかのような神父は、みんなに好かれていた。
 なんといっても、オソリオのいい面は他人の意見をよく聞くところにあった。メアリーは祖父のごとく神父を慕い、たびたび相談話を持ちかけたり、どんなに小さなことでも懺悔室に悔いあらために行ってみたりした。
 ――人生二度目となる転機は、そうしたおりに起こった。
 ある晩のこと。メアリーはいつものように身を清めたあと、部屋に戻る途中、修道院の門が片方だけ開いているのを見た。誰が開けっ放しにしたのだろう、と首をかしげて門に近づけば、開かれた隙間から見慣れない人物を確認する。
 その人はそよ風の化身であるかのように、物静かに墓地の中心に佇んでいた。サンバイザーで素顔を隠してはいるものの、背丈や肩幅からして、同年代の男性であると断定できた。
『そこで何をしているの?』
『…………待っている。時が来るのをな』
 待っている? 誰かと待ち合わせでもしているのだろうか?
『外は冷えるでしょ? お入りになったら?』
 とにかく、客人らしきこの男性を、メアリーは院内に招き入れることにした。
 どの修道士の友人なのかは知らないが、締め出してしまうのは気の毒だった。
 ご要件のある相手を呼んで来ましょうか、と問おうとすれば、男性はこちらが門扉を閉じるあいだに、すでに動き出していた。
『あっ。ちょっと、あなた……!』
 話しかけても男は応えない。
 しかも男は溜め息をつくと、躊躇なく、院内をぐんぐん進んで行ってしまう。
 急いでいるようには見えないのに、歩行の速度もかなりのものだ。メアリーが二歩足を交わすうちに、男の姿は薄暗がりのなかに呑み込まれた。
 それでも必死に姿を追っていると、不意に大聖堂で銃声が轟く。
『……まさかッ!』
 メアリーは駆け足になって、大聖堂に飛び込んだ。
 そこには銃器を構えた男と、胸部を撃ち抜かれて倒れているオソリオ神父が。
 男はこちらにいちど顔を向けてから、オソリオ神父へとふたたび銃弾を放つ。ぴくりともしなくなった神父は、法衣を紅に染め上げて絶命する。
 メアリーは、声なき声で絶叫した。
 親愛の温情を示してくれた神父が、この世の中で初めて尊敬に値した人物が、死んでしまうなんて。それも、ほかならぬ己自身が招き入れた者の手によって、終止符を打たせることになるなんて。
 メアリーは膝を折って泣き崩れた。
 我が身が厄災を引き込んだのだ。あんな男など声をかけなければ良かった!
『…………』
 打ちしがれるメアリー・ローズを、殺し屋クラスターは無言で見つめる。
 彼は銃器をもう一挺取り出すと、こちらのそば、足元へと投げよこした。
 そして、涙を湛える修道女に、
『撃ちたければ、撃っていいぞ』
 と、短く告げた。
 まだ状況をうまく処理できないメアリーは、彼の言葉にどう返答すればいいかわからなかった。うずくまるように泣き続けていたら、そのうちにクラスターはこちらを力任せに立ち上がらせ、もういちど、オソリオ神父に銃口を向ける。
『よく見ろ、女。この場に老神父が倒れている。奴は死んでいるんだ』
 どこから湧き上ったものか、殺し屋は怒りを押し殺した声で、言葉を紡ぐ。
『俺が殺した。オマエのマスターを、俺が殺したんだ! わかってんのか!?』
 メアリーは何も言わなかった。彼が言わんとしていることも、自分が言うべき言の葉も、身体からすり抜けていくようだ。
 まるで反応せずにいると、クラスターは修道女を突き飛ばし、オソリオ神父を背中に担ぎ込み歩き出した。
 クラスターが目指していたのは墓地だった。
 クラスターは雑に土を掘り起こし、オソリオが眠りにつける空間を作り出す。
 丁寧とはとても言えないその仕事ぶりを、メアリーはそっと眺めていた。
 見つめる殺し屋――その行動原理を、落ち着きだした脳のなかで考える。
 彼は『時を待っている』と言った。
『時』とは、標的以外が寝静まる瞬間のことだったのではないか?
 他者がその決定的な瞬間を目にせぬよう、じっと待っていたのではないか?
 彼は『撃ちたければ撃っていい』と言った。
 大切な相手を失った経験がなければ、あんなことは言えないはずだ。
 あるいは、その相手を自らの過ちのせいで死なせてしまったのかも。
 それに、この男性は頼んだわけでもないのに、神父の墓を作ろうとしている。
 メアリーは、無法者であるクラスターに、まがることのない筋道を視ていた。
 クラスターにあるのは、世の中に一方的に与えられた制約ではない。
 彼の、彼による、彼のためのスジだ。
 それはメアリーには考えつかなかった、唯一無二のわたし≠生きる道。
 ひどくわかりづらいけれど、この男には光るものがある。直感的にそれを理解できた修道女は、意を決してオソリオの葬儀を手伝った。
 信じるべきはわたし=Bオソリオを殺害したこの男の本質を見極めるのが、きっとわたし≠フスジというものなのだ。
『オソリオ神父……わたしは行きます。あなたを殺した男性が、どれほどの光を宿しているのかを知るために……』


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