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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第37回 Memory2-8 その@


   Memory2-8

 母にぶたれたのは初めてだった。
 母は私を叱ることは滅多になく、いつも笑顔を絶やさない女性だったのだ。
 激情に惑う母にぶたれた頬は熱かったけれど、そんなことはどうでもいい。
 大切なのは、父が死んだこと。そして、母を悲しませたことだ。
「百万ユーロ……取引の材料には充分だ」
 自室の寝台から身体を起こして、クローゼットに仕舞い込んだ大金を見やる。この金でなすべき事柄があるのだ。
 外の寒さにそなえ、防寒具を羽織る。出かけるのは、親しみぶかい酒場だ。
 あの人物ならば、必ずや、暗黒街にも顔が利く。
 成すべきことが定まったこの身に、無意味な時間を過ごしている暇はない。
 迷いなく机の引き出しから、護身用の拳銃を取り出して、弾丸を装填する。
 撃った試しはこれまでに一度もないが、理屈に先立ち、この拳銃で撃つべき敵がいることも理解している。
 準備が終われば、次に用意しなくていけないのは仲間だった。
 パイソンに渡されたメモを開き、ダイヤル式の電話機を扱う。
「――アンタに頼みがある。オレの力となってくれるかい?」
 受話器からは、吹きすさぶ風の音が聞こえた。
 パイソンは外にいるか、もしくは窓を開け、この電話を取っているのだろう。
「その問いかけは不要だぞ。小生の言葉、忘れたか。ニレオ」
「……そうだったね」
 私は自室の窓を開き、窓枠に足をかけて応えた。
「頼まれてほしいのは……いいかい? 一度しか言わないよ」
 こちらが言い放つ注文に、彼は短く返事をする。
 無茶な内容ではあったが、パイソンは「任せろ」と言った。
 その言葉に私は無言で頷き、受話器を置く。手筈は整った。
 クレメンツ少年は拳銃と大金を鞄に詰め込んで、窓から外へ飛び出した……。


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