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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第35回 35


   Memory2-7

 クレメンツ少年はチャイムの音を聞き、保健室で目を覚ました。
 立てかけてある時計に目を向けると、時刻は午前十二時。ランチタイムだ。
 つまり私は、予定をかなりオーバーするまで眠っていた。
「マズイ、二限も受け損なった!」
 跳ね起きた私は、教室に向かって走り出す。
 すれ違った教師に廊下は走るなと怒られたが、そんな話をゆっくり聞いている場合でもない。授業に出られず、昼食も食べられないでは2Badである。
 教室に滑り込んで教科書を机に放り込み、カフェテリアを目指してまた走る。
 走っているあいだ、腹の虫がキュルキュル鳴いた。なんだか情けなくなって、嫌な汗をかいた覚えがある。用事があるから、ククリを待たせることにもなっているだろうし、カッコ悪いにもほどがあった。
 ところで、今現在にしてシュライク先輩の言葉は深みのあるものであったと、私は痛感している。まるで、こうなることを知っていたかのような言葉。
 誰かに覚えていてもらえるというのは、ありがたいことなのだ。
 それがカッコの悪い場面だとしても、自分自身には人生の汚点でしかない記憶だとしても、誰かに思い返され、ひとときの笑顔をあたえられるなら、誰だってこんなに素晴らしいことはないのだ。
「やぁ、エストック。焦ったよ、寝過ごしてさ」
「…………クレメンツ……」
 探し当てたエストックに話しかけると、彼は気まずそうな声を出した。
 それに、表情も痛ましく歪ませている。
 なんだ? どうしたというのだ?
 どうして、そんな顔で私を見る?
 ――違う、彼だけじゃない。全員が、オレを見ている…………?
 哀れむ視線で、気の毒そうな目つきで、こちらを瞳に捉えている。
 なんだよ……なんなんだ?
 君たちのその眼差しは、どういう意味なんだ。
 みんなの心情から取り残された私は、気味の悪い疎外感に取り囲まれていた。
「……ククリ、これはいったい……?」
 ククリは応えない。悲しそうな顔で、目を伏せるだけだ。
 思わず声を上げそうな私の肩を、背後から誰かが叩く。ホーネットだった。
 彼女は神妙な面持ちで、クレメンツ少年に向かい、語りかける。
「ニレオくん……。大変なことが起きたの。つい先ほど、連絡があって……」
 その様子は、私の知っているホーネットのどの姿にも、当てはまらなかった。
 彼女は鬱々とした表情で、こちらから目を逸らさずに、
「ニコムス・クレメンツさんが亡くなったの。ニレオくんの、お父さんが……」
 と、とても信じられないことを口にしたのである。
 私は全身の力が抜けて、用意されているテーブルに腰をぶつけてしまう。
 鈍い痛みを感じるが、そんなことより、届けられた報せが呑み込めない。
 父さんが……死んだ!? 馬鹿を言うな、そんなことがあるものかッ!!
 父は誰よりも他者のためにと行動し、決して敬意を忘れず、それこそ寝る間も惜しんで働いて、働いて働いて働き抜いた最高の名医≠ナある。
 そんな父が、なんだって命を刈り取られなくてはならないのだ。
 こんなに納得できないことがあろうか。
 いいや、ない。私の人生において、かつてない不条理である。
 数多の生命を救うことに心血を注いだ医師が、誰に救われることもなく生涯を閉じるなど、了承も承諾もできはしない!
「……――誰です」
「えっ?」
 つぶやいた言葉に、ホーネットは険しい顔をする。
 ホーネットからすれば、死んだと伝えただけで何者かより殺されたと断定した少年の姿は、不憫にさえ思えただろう。が、そうでなければあの父にかぎって、唐突な死を迎える原因が私には考えつかなかった。
 クレメンツ少年の推測はこうだ。
 裏社会に身を置く何者かが、ケジメをつけるため父を殺害した、という仮説。
 殺しの標的となっていた誰かを、父が病院に運び込み治療したとするのなら、仕事の邪魔をされた相手が愚かな行為に奔っても不思議はない。
 私の父は、くだらないプライドに執着した者に消されたのだ。
 当時の私は、聞かされた物事をそうしたものだと決めつけた。
 絶対にそうに違いないと思い込んだ。
「許せない……違うな。許さない、だ……ッ!」
 拳を固く握りしめて、私は声を絞り出す。
 怨嗟に満ちた発言に、ホーネットをはじめとしたこの場にいる者の顔が歪む。普段の私の生活からは、おおよそ、うかがい知れない姿だったのだろう。
 けれど、私にとって父を奪われるということは、張り合いを失うということ。この大事に際して、激情を抑えるなど、できるわけがない。
 父の存在はかねてより自分にとって強大な壁であり、疎ましいと感じることもあれば、あのように強い心を持ちたいと願ったこともある。嫉妬と尊敬の心情が入り混じった形容しがたい感覚ながら、この壁はいつか私が乗り越えるものと、父を人生の目標として位置づけたのは覆しようのない事実。
 だというのに、ニコムス・クレメンツが逝ったとあれば、自分は何者を相手にこれから己の成長を示せばいいのだ?
 どうしてあの人は、自分ひとりで岸を渡ってしまったのだ?
「ニレオくん、落ち着いて。ヨルアさんとあたしと一緒に、病院に行こう?」
「はい。今すぐにでも出られます」
 クレメンツ少年は抑揚のない声で応じて、ホーネットの背に続いた。
 せめて亡骸だけでも、目に焼きつけよう。住民に愛された父の姿を。


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