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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第31回 31


   Memory2-6

 三限目の授業を終えても、クレメンツ少年は本調子とは言えなかった。
 昨日の珍事は、そんなにまで疲れる内容だったのだろうか。授業と授業の合間にあるこの休憩時間に、やたらめったら、あくびを乱発してしまっている。
「どうした? すげぇあくびだぞ、お前」
「うん。なんだか、おかしいんだ。しっかりと寝たのに」
「慣れないことが多かったからじゃねぇ? また睡眠学習にしとけば?」
「そればかりじゃ成績が赤一色だよ。単位は多いほうがいいだろ。進学のため」
 シャープペンの芯を入れ替えつつ、私は次の授業の準備にとりかかった。
 医学学校に進むためには、それ相応の努力をしなくてはならない。できれば、教諭からの推薦状も欲しいところだ。誰か目ぼしい相手にいい印象をあたえて、無理やりにでも手にしたいものである。
「なるの難しいよなぁ、医者は」
「うん。けど、みんなが必要とする仕事だ。やりがいはあると思うんだ」
 返した言葉に、エストックは考え込むような反応を見せた。
 こんなにも悩ましげな彼を見たのは、私には初めてだった。
「……? エストック?」
「…………ん、おう。なんでもねぇよ、なんでも」
 彼は表情をいつもどおりに和らげ、思い出したように、こちらに話題を振る。
「そうだクレメンツ、あの野郎、やっぱり嘘つきだったようだぜ」
「えっ、誰の話?」
「パイソンだよ! あいつ、高等部のどこにもいない!」
 私はこのとき、負傷したパイソンが肉体を癒すために身を隠しているなどとは知らなかったが、だからといって彼が学校にいないことに驚きはしなかった。
 それは予想される範囲の出来事だからだ。むしろ逆に、相手が普通に学び舎で勉強していたほうが、予想とくい違って驚愕していただろう。
「パイソンめ、俺たちの話をどこで仕入れたんだ?」
「特別な伝手があったんじゃないかな。でなければ、本当に学校に来てたとか」
「なんのためにだよ? そんなに大金を手元に置いときたくなかったっての?」
「わからないけど……彼は正直者なのかもしれないと、オレはそう思ってるよ」
 パイソンは、学校の生徒だとは言っていなかった。
 なんらかの理由で忍び込むことすらも――パイソンが自分自身も、空間に融け込ませられるとしたら――、彼ならば容易に成し遂げられるだろう。
「なんにしたって眠たいや。オレは保健室に行くよ。それじゃね、エストック」
 五分間ほど休んだら授業を受けるつもりで、教科書や筆記用具は持ったまま、私は教室を出て行った。
 廊下を渡り、階段を下った先には、一階の保健室がある。
 ドアを開くと、寝台に腰かけて談笑していたふたりが、こちらに顔を向けた。
「おや、貴方も気分が悪いのかな?」
「シュライク先輩……」
 話しかけてきたのは、美人だと学校内で評判のシュライク・エタンダールだ。その美貌は空間を明るく照らし出し、邪さを深層から打ち消すのでは、と感じるほどの清らかさでる。
 ……ああ、ちなみに男性だ。女性と見まごう容姿と柔和な物腰とで、かなりの男子生徒――もちろん女子からも――から告白されているが、正真正銘の男だ。
 先輩はどうやら、同学年の女子とチューリップについて話をしていたらしく、両手で鉢植えを持った構図はなんとも言えずキュートである。
「先輩、かぁ。言われると嬉しいものだね」
「可笑しなことを。先輩は先輩でしょう?」
「いや、うん、そうなんだけれど……」
 彼女……ああ違った、彼は困ったような笑顔を作り、窓から校庭を眺める。
「おれを覚えてくれている下級生がいてくれて、良かったって。そう思えてね」
 先輩は今にも消えてしまいそうな様子で言い、小鉢を元の花壇に戻らせた。
 儚い姿に困惑していると、栗毛の女子が、シュライク先輩へ異議を唱える。
「ひどい。私だってシュライク先輩のこと敬ってるのに」
「あははっ。ごめん。君のほかにもって意味合いでだよ」
 シュライク先輩になだめられた栗毛の女子は、
「本当かな。クレメンツ、信じていいと思う?」
 と、訝しがった態度で、水を向けてくる。
 妙に馴れ馴れしい言葉が、やや気に障る。
 会ったばかりで女性から親しげにされるのは、個人的にあまり好きではない。
「あれ? 無反応? そんなに、私のこと嫌いになってた?」
「え?」
 嫌いになった。ではなくて、嫌いになっていた?
 言い間違いでなければ、知り合いということか?
「そう。エから始まる名前。私たち、クラスメイトだよ」
「エから始まる……名前?」
 絞り込むには候補が多すぎる。
 そもそも、クラスの女子の名前なんて覚えていない。
 自分が校内で名前がわかる女子生徒はククリだけだ。
「もしかして、記憶にございませんって感じ?」
「というより、ど忘れみたいだ。脳が疲れてるから、出てこないんだと思う」
 追及を逃れるため誤魔化したなら、栗毛の女子は、もの言いたげな顔になる。
 怒っているのだろう。唇をきつく結んで、視線を突き刺してくるのが証明だ。
「そういうわけだから、ベッド借りるね。シュライク先輩、隣、失礼します」
 本当だったら機嫌をとるべきだろうが、疲れているのは嘘のない事実である。すまないけれど、今回ばかりは休息が優先だ。
「おやすみ。クレメンツ」
 寝台の毛布にくるまると、彼女の刺々しい声音が耳を攻める。
 救いだったのは、彼女が怒りを引きずらず、それだけで抑えてくれたことだ。


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