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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第26回 26


   Memory2-5

 疲れが抜けない。
 顔を洗っても気分がシャキッとしないし、どうしたものだろうか。
 昨晩はぐっすりと眠ったつもりでいたのだけれど、自分が思っているよりも、身体に疲労が蓄積していたらしい。
「なんてお顔してるの、ニレオ。夜更かしでもした?」
「ちゃんと寝てたよ。人間は起きて二時間経過しないと、脳が起きないんだ」
 まぁっ、ホントに?
 なんて、ご機嫌に応えながら、母はトーストにバターを塗っている。
「今日は、お父さんが久しぶりにお家でゆっくりできそうなの。そういう話題は取っておかないと」
「父さんはこんなこと聞いても、なんにも思わないよ」
「あら? なんで?」
「…………父さんが言ってたんだ、さっきの……」
 どことなく居心地が悪くなり、クレメンツ少年はトーストを頬張る。
 話したところで、自慢のひとつにもならない。鼻で笑われて終わりだ。
「あははっ、それじゃ仕方ないわね。けど、喜んではくれるんじゃないかしら」
「えっ……どうして?」
 おかしな話だ。
 元々語り聞かせた相手に、学び終えている知識を話して、どうして相手が喜ぶだなんて思うのだろう。
「だってそれって、あなたがお父さんからの話を覚えていたってことでしょう。お父さん、嬉しいんじゃないかなぁ、そういうの」
 鼻歌を歌いながらテーブルについて、母はマグカップの中身をかき混ぜる。
 アップルティーの香りが、爽やかに鼻孔をくすぐった。
「ニレオは口ではいろいろ言うけど、本心ではお父さんのこと好きなのよね? あの人も言いはしないけど、あなたをとても愛していると思うわ」
「父さんがなんだって? ビックリだ、母さんでも皮肉って口にするんだね」
 クレメンツ少年は口元のパンくずを拭い、鞄を肩にかけて玄関に向かう。
 背後から「強情な子」だとか腹立たしい声が聞こえてくるも、付き合っている暇はない。どのみち、何を言っても母は意見を変えないだろう。そういう人だ。
「行ってきま――」
「クレメンツさん、おはようございます!」
 扉を開くなり鼓膜を揺さぶるのは、明るいソプラノボイス。
 ククリだ。ククリ・シュベーアトが、玄関前に立っている。
 一瞬、寝ぼけているのかと疑ったが、兄に自宅を教えてもらったのだろう。
 しかし、いつもはこんなことはしていなかったのに、なぜ今日に限って……?
「ククリ。どうして、君が?」
「いやだな、クレメンツさん。もう忘れちゃったんですか?」
 彼女の髪の毛は、クセッ毛なのか、右の端が少しハネていた。もしかしたら、昨日のことが原因で、身だしなみに集中できなかったのかもしれない。
 ――ああ。そういうことか。例の件で自宅までやってきたということだ。
 ちょっと舞い上がった自分の心が、少しだけ恥ずかしい。
 ひょっとすると、私に顔を見せに来てくれたのかも、などという馬鹿げた考えが吹き飛んでいく。
「それとも、押しかけては迷惑でした?」
「そうじゃないよ。そういうんじゃないけど……」
「けど?」
 ずいっと、覗き込むようにククリは私に詰め寄った。
 なんだ。なんだ。近いじゃないか。
 いや、そんなに迫ってはいないか? 私って自意識過剰か?
「あの、ほら、早朝から君に会えるなんて、運がいいなぁってさ」
「それって、Luckyってわけですよね。ツイてるなぁっていうか」
 確認するように彼女は尋ねてくる。思ったより理解力がないのかもしれない。
 ………………。……………………。
 ゴホン、ゴホン。失礼した。
 なんだか机に向かっている背中に、ほのかな怒気を感じたんだ。
 誰からのものかは察しがつくけれど、ズバリ書き記すのはやめておこう。
 今晩の家族三人の夕食がとんでもないことになりそうだから。
 ええと、なんの話だったっけ?
 ああ、そうだ。高校時代の朝の風景だった。
「兄さんは、すでにバス停にいます。一緒に行きましょう」
 ククリはいちど通りに視線を投げ、私を手招きする。
 これに応じ、歩み出そうとしたとき、玄関の鏡に母の顔が見えた。
「どうかしたの、母さん?」
「いいえ。春だわねぇって」
「そりゃ、今は春だけど? それが何?」
 言葉を返すと、母はとても可笑しそうにして、口元に手を持っていった。
「勘が鈍いわね、二レオ。朝早いからかしら?」
 勘が鈍いだって?
 いいや、意識ならハッキリしているぞ。これからバスに揺られて学校に行き、学生らしく知識を蓄える。
 そして、親友の妹さんは三百万が隠された私の実家の様子を尋ねるために、いつもよりも早く登校してきた。
 ふふん。バッチリじゃないか?


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