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作品名:ロスト・ネーム 作者:鈴木翔太

第2回 2


 クレメンツ少年は家を飛び出すと、そのまま友人の待つバス停へと向かった。
 まだ肌寒い春先での待ち合わせだったために、相手はマフラーや手袋といった防寒具を身に着けた姿で、近づいてくる私に手を振って応える。
「おっせぇよ、クレメンツ。すっぽかされんのかと思ったぜ」
 見るからに元気の良さそうな少年が、笑顔で口を開いた。ややくすんだ金髪を冷風になびかせる彼の名前はエストックといい、クラスのあいだでも人気の高いリーダー的存在だ。
「父さんの小言に付き合ってたんだ。嫌になるよ。勉強しろ、勉強しろーって」
「そりゃ大変だな。俺の家じゃ『子供は外で汗を流して来い!』って言うぜ?」
 エストックの発言に、心底から境遇を恨み、クレメンツ少年は両眉を下げた。
 なんと素晴らしい教育方針。なんと素晴らしい発言だろう。
 ああ、なんで子供は生まれてくる家を選べないのだろうか。
「君と父さんを入れ替えたいよ。そうすれば、誰も文句を言われずに済むんだ」
 そんなことを大真面目に考え、愚かな小僧は、親友に羨望の眼差しを向ける。
 できるなら時間を遡り、このバカに石ころでもぶつけてやりたいところだが、それができたら誰も人生に悔いなど残さないのだろう。
「お父さんと、ケンカしてるの?」
 エストックの真後ろに隠れるように立っている小さな女の子が、わずかに顔を出して話しかけてきた。ククリという、エストックの妹さんだ。
「ケンカするとね、お母さんが怒るの。『ケンカする子は家の子じゃない』って」
「それはアレだろ? ククリが誰とケンカをして言われたのかは知らないけど、君と相手を仲直りさせるために言ってくれてるんだ。それはいいお母さんだよ」
 それに比べて、とクレメンツ少年は両手を頭の後ろにまわす。
「僕の父さんは勝手だよ。自分の理想を息子に押しつけてさ。後を継ぐなんて、僕は一度も言ってないのに」
「そうだなぁ。だけど親父さんとしては、やっぱり病院を継いでほしいんだろ。なにより、この街に怪我を診れる奴がいないってのは、危険極まりないからな」
 そういえば言い忘れていたが、私の父は外科医だ。
 医院長として病院全体を任される立場にあり、そうした職に就いたからこそ、ああいう厳格で堅苦しい性格になったのではないかと推測する。
 だが私たちが住むブレイゾンシュタットにおいては、その性格は住人の多くに好かれるものだった。この街では毎年、とてつもない負傷者が出るためである。
 ただそれだけのことであれば、気立てのいい性格のやさしい医者でも勤まるのだけれど、我がブレイゾンシュタットには――いわゆる裏稼業を生業としている者たちが大勢いるのだ。さっきは負傷者などとやんわりとした言葉を用いたが、実際にとてつもない数が出るのは死傷者のほうだ。医術者に求められるものは、技術は当然のこと、ドスの利いた連中に物怖じしない確たる態度。腕前と度胸、その両方が備わっていなければならない。
 ブレイゾンシュタットのニーズにがっちりと当てはまった父の存在は、現在も我が街はじまって以来の最高の名医≠ニ称されている。
「ほかの街が穏やかすぎるんだよ。どこだろうと毎日誰かが――」
 クレメンツ少年……いや、私が夢も希望もないことを口走ろうとした途端に、エストックは素早く、こちらの口唇を片手で押さえた。
 思わず驚きに瞳を大きく開いたあと、彼の視線をたどり、ククリを見る。
 小さな彼女は、私と兄とを見つめて、不思議そうに小首をかしげていた。
 続けて口にしようとしていた言葉も、見当がついていないようであった。
「…………」
 エストックは片手を離すと、見落としかねない動作で、妹へと顎をしゃくる。
 彼の表情は友人と語らうものではなく、ひとりの兄のものへと変化していた。
 私はこれにすっかり気圧され、人差し指で頬を二度かいてから、半歩ククリに近づいて右腕を伸ばした。彼女の頭を撫でてから、お詫びの言葉を告げようと。
 けれどククリは、伸ばされた腕で何をされると勘違いしたものか、ぐぐーっとエストックの背後に身を隠してしまう。
 そうした挙に、ついぞ一筋、なんと形容すべきかわからない汗が流れた。
「ククリ。えっと、顔だしてよ。僕、言わないといけないことがあるんだ」
 私の両目には映らなかったのだが、このときククリは、どうやらエストックを上目遣いで見ていたらしい。
 なにせ相手は、年齢が二桁になったばかりの女の子だ。
 家族以外の相手と接するのは、抵抗があったのだろう。
「ククリ、隠れてないで聞いてやれよ。俺の友達をこれ以上困らせるなって」
「うん」
 依然、抵抗と警戒が感じとれる態度ではあったけれど、ククリは顔を出して、穢れを知らない眼をこちらに向けてきた。
 うむ。彼女はこの時分において、すでに、人並み外れた愛らしさをもっていたと記憶している。小腹をすかせて買いに行った出店のおやっさんにオマケされるような、上級生のお兄さま&お姉さまに心底可愛がられるような魅力を、己でも理解しないうちに発揮していたような気がする。
 この頃のクレメンツ少年や幼いククリに、現在の関係を打ち明けたとしたら、ふたりはどんな表情を浮かべるだろうか。
 おそらくクレメンツは怪訝に眉をしかめ、彼女は……小首をかしげただろう。
「不快にさせるようなこと言ってゴメン。謝るから許してよ。ねっ?」
「うん。許すよ?」
 どことなく会話の流れが伝わっていなそうな様子だが、ククリは短く応えた。
 表面上のやりとりでないことを確認するために、こちらは念を押して尋ねる。
「ほ、ホントに?」
「『嘘をつく子も家の子じゃない』って、お母さんは言うよ?」
 会話が噛み合っていない。ククリにはやや困難な問答であったようだ。
「へ、へえ。いい子でいないと、君の家は大変なんだね」
「だけどお母さんはね、よく、お父さんからのお小遣いをこっそり隠してるの。アレは嘘をついていることにはならないのかな?」
「えっ、それはその……ね?」
「額縁の裏に切り込みがあって、そこにお札がたくさん――」
 妹がトップシークレットを語り始めると、エストックは疾風のごとく、彼女の口元を手で押さえ込んだ。
「さーてぇ、時間は有限だ! 早いとこ遊びに行こう!」
 さもしい家庭の一幕を話題に出され、彼の羞恥心が刺激されたのだろう。
 中学時代というものは何かと心が敏感なのだ。ことさら己自身の評価に関する話題がなされるのは、少し尖りを見せだした若い世代は避けたいと思うもの。


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