小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第6回 神に捧げる (テーマ:ダンス)
 私が姉を監禁したのは、もう、どうしようもなかったからだ。
 姉は幼い頃から度を越えて傲慢な人だった。両親はそれを咎めず、増長した姉はたやすく暴力をふるうようになった。

 先日、両親が揃って逝った。諸事が片付き、喪服を仕舞う頃になってはたと気づく――この家にはもう、姉と私の二人きりなのだと。
「何か買ってこいよ、役立たず」
 夕飯を床に落とされた後だった。
「な、何が食べたい?」
 私はつい、おどおどとしてしまう。この態度が気に入らぬと殴られたのは一度や二度ではないというのに。だが、どうしても姉を前にすると恐怖で身が竦んだ。
「この糞不味い物よりもマシな味の物だよ」
 うん、と笑って玄関に向かう。黒い扉を前にして、ふと恐怖に襲われた。これからずっと、この人と暮らすのか――と。蔑まれ、金を使われ、髪を掴まれ壁に押し付けられて召使のように、――一生。
 その夜、私は姉を縛りあげて監禁した。

 縄の強度を確かめながら、私は自失していた。
 次の行動が分からなくなっている自分に気付いたのだ。頭には殺すべきか遠くへ逃げるべきか、等の選択肢が浮かんではいた。だが、実際は阿呆のようにうろうろと惑うばかりだった。
 三日程してから部屋を覗いた。食べたい物を訊けなかったから、水とパンしか置けなかった。姉は衰弱していたが、私を見ると勝ち誇った顔をした。
「お前がやったのか」
 相手が私ならば自分が屈する事などあり得ないと思っている。
「出せよ」
「嫌……」
 震えながら答える。
 どんな理不尽も暴力も、姉が行えば何故か正しく感じられた。洗脳のようなそれを断ち切りたかった。
 なのに。
「ここから出せ!」
「嫌ぁ!」
 私はずっと、姉の意思によって動き、指示によって行動を選び、顔色を窺って生きてきた。姉がいなければ何をすればいいのかもわからず、自己をすらも確立できない事に気付いてしまったのだ。
 姉は王。絶対の支配者。私を統べる全能の神。姉を嫌って捕らえたところで、その信仰からは逃れられない。殺して失う事も解放する事も出来ない。
「お、お姉ちゃんは、ここにいなくちゃ駄目なの」
 支配なしでは私は生きてゆけない。この牢獄の中で永遠に私を支配し、導いてもらわねばならない。
 姉が口汚く私を罵るのを耳にして、安堵と恐怖に震えた。

 隙を突かれて髪を掴まれる事があった。何とか逃れたが髪が何十本と抜け、頭皮が赤く腫れて禿となった。外でごまかすのが困難だった。こんな事で解放するわけにはいかないのに……。解放すれば死ぬまで殴られ続け、ガラスを幾度となく突き立てられるだろう。
 テレビを見せろと言われたが、断った。次は新聞を要求された。犯人逮捕の記事を読んで「次はお前が捕まるのだ」と嘲るつもりなのだ。外への希望を持たせたくはなかった。情報を持つ媒体を全て渡さない事にした。
 情報の無い日々は脳と心を虚ろにする。次第に姉は唸るばかりになって、食べ物を要求する事も体を拭けとも言ってくれなくなった。
「な、何か言ってぇ……」
 何か、指示が欲しい。解放する事以外なら何でもする。だから。
 縋り付く私の首を姉は掴んだ。……けれど絞める事はしなかった。鎖を外す道具は何もない。私を殺してもここから出られない事を知っているのだ。
 けれど私は、私を統べる事の出来ない神を飼う絶望と暮らすくらいなら、もうこの場で殺されてしまいたい。姉を悦ばせられないのなら、生きている意味もない。
「もう、外に出せよぉぉ……」
 それだけはどうしても、できない。泣きながら首を振り続けた。

 姉はもう、あまり動いてくれなくなった。「外の事を教えろ……」と譫言のように繰り返す。脳の刺激となる情報や娯楽に飢えきっている。私は拒否し続けた。
「……踊れよ」
 突然、そう言った。甲高く吠え叫ぶ。
「踊れよぉぉぉ!」
 心の飢えを慰める為の娯楽を捧げよ、と。下された命令に反射的に立ち上がる。抜け殻のような姉が再び私の神となるのなら、どんな滑稽な事でもしよう。
 たどたどしく体を動かす。それは珍妙な振りとなった。途端に「のろま」と罵倒される。怯えが背筋を走った。
 怯えを自らの力にして踊った。手を動かす。「気持ち悪い」足を運ぶ。「愚図!」低い罵倒。一つの動きの毎に姉は私を詰った。段々と力のこもる罵詈に、私は高揚していく。
「気持ち悪い! 気持ち悪い!」
 ――この声を、私は待っていたのだ!
 侮蔑の表情の、何と力に満ちている事だろう! 焦点の定まらぬ瞳で嘲笑する姉に、私は悦び笑った。「笑うな!」投げられたコップが額に当たって血が流れたが、私は踊りを捧げ続けた。
 やがて踊りの終わる頃、姉はケタケタと笑い出した。蔑みの溢れる狂った笑いは私を支配する力に満ちている。
 それを感じ取り、私はとても――安堵した。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 1449