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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第41回 メタモルフォーゼ (テーマ:黒板)
 僕の卒業式を一か月後に控えた冬の日、先生は黒板になってしまった。
 生徒は僕一人、男の先生が一人だけの小学校。僕の卒業後に廃校になる。

 僕は教室に一つだけの席につき、黒板となった先生を見つめる。
「どうして黒板になんてなったんですか、先生」
 問うと『だって』と黒板にチョークの文字が浮かび上がった。
『寂しいのだもの』
 先生はもう五十歳過ぎ。六年間ずっと僕の担任をしてくれた。
「小さい子のような事を言いますね」
 もし下級生がいてこんな事を言ったら慰めたかもしれない。けれど目の前にいるのは教師だ。黒板の。
『君が卒業してしまうのが寂しいんだ』
「それでどうして黒板になるんです」
 席を立ち、黒板の「日直」の欄にチョークで自分の名前を書いた。六年間ずっと、僕以外の名前が書かれることのなかった欄。
『君がいなくなる上に学校まで壊されてしまうのが悲しい』
「けれど先生、学校が壊されてしまう時に黒板のままだと、一緒に瓦礫になってしまいますよ」
『そうなってしまいたい』
「なぜですか」
 出席簿に自分の出欠を記しておく。今の先生には書けないだろうから。
『ずっとここで君と一緒に授業をしていたかった。ここが無くなるのが悲しい。君がいなくなるのが寂しい。だからいっそ、ここの一部となって壊されてしまいたい』
 一時間目の算数の教科書を開く。角度を調節して「この位置で見えますか」と確認。
「その姿で残りの一ヶ月、どう僕に教えてくれるんですか」
 『出来るとも』と先生は答え、僕の開いた教科書の範囲にある例題や要点を黒板に浮かび上がらせた。
『どの教科でも、君が卒業するまで一生懸命授業をするよ』
 僕の手伝いありきの話ではあったけれど、それは僕も別に構わない。
「それでは先生はやはり黒板のままでいたいと言うんですね」
『叶うのならば』
「わかりました。授業を始めてください」
 黒板になったままの先生と二人きりの授業が、それまでの日々と同じように始まった。

 教室での授業は先生が黒板のままでも特に滞りなく進んだ。話す声こそないものの、黒板に現れる文字は優しくて的確で、人間の頃の先生の人格そのままだった。
 ――私は人生を支える土台となる知識を君に教えてあげられる。それをとても嬉しく思うんだ。
 いつだったかそんな事を言っていた。自惚れでなくきっと、先生にとって僕はかけがえのない生徒だった。僕にとって先生が大切な存在であるのと同じように、きっと想ってくれていた。

 卒業式まであと数日。先生は黒板のまま、一向に元の姿に戻らない。
「その内戻らないかなと思って付き合っていたけど、やっぱり黒板のままなんですね」
『寂しいのだもの』
 あの日と同じその言葉に、僕は無性に悲しく、腹が立ってきた。
 いいや、腹ならずっと立てていた。先生が黒板になってしまったあの日から、本当はずっと怒っていた。
「何で先生は」
 黒板に近づき、睨み上げる。
「寂しいなんて言うんですか」
『……』
 寂しいのは僕の方だ。先生の授業が受けられなくなる。学校が無くなってしまう。それでもその気持ちを飲み込むのは、先生が僕の人生を支える知識を与えてくれたからだ。未来を創る力をくれたからだ。
 なのに先生は僕を寂しさの原因にしかしてくれない。僕という存在を過去のものにして縛り付けられようとする。
「僕は確かに卒業してしまうけれど、僕自身が消えてしまうわけじゃない。何で先生は僕が『いなくなる』なんて言うんですか。それではあんまりひどいです。僕はいなくなったりしないのに」
 手元にあった教科書を黒板に投げつける。
『痛い』
 先生の痛がる言葉に少し溜飲が下がる。ふん、と鼻から息を吐く。
「僕が卒業しても、どこかの学校で先生でいてください。この学校と一緒に瓦礫になんてなってしまわないでください。でないと、制服姿を見せに行けません」
『……見せに来てくれるのか』
「どうして来ないと思うんです。中学の制服も、高校の制服も、どこかで教師をやっている先生に見せるために会いに行きます。瓦礫の黒板になんて見せてあげません」
 黒板からチョークの粉がぶわぶわと舞った。思うにたぶん、これは泣いているのだ。黒板なりの感情表現だ。
「先生、粉が飛んで汚れます」
『すまない』
 それでもチョークの粉は降り止まない。
「……泣くのなら、人間の姿が一番ふさわしいと思います」
 粉だらけになった黒板を黒板消しで拭く。
 ――と、背後で「……そうだな」と人の声での返答があった。
 僕はたまらず、その声を発する人に黒板消しをぶつける。何度も何度もぶつける。
「更に言えば、涙は卒業式で見せるのが、一番ふさわしいです」
 僕がそう言うと、先生は僕の頭をぐりぐりと何回もかき回す。そして「君もだ」――と微笑ってみせるのだった。


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