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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第40回 いつか二つ転がる (テーマ:育児)
 あなた方は失敗したのです。それを認めてどうか傲慢な姉をこの家から追い出して下さい。

「お姉ちゃんはいつになったら働くの?」
 ――と、何度か繰り返してきた問いを両親にぶつける。二人はいつもと同じ答えを返した。
「あの子にもペースがあるから」
「もう何年も働いていないよね」
 詰め寄っても父母は困ったように微笑むばかり。
 歳の離れた姉妹だった。私が中学生の時に姉は就職をし、その半年後には会社を辞めた。心が折れるような出来事があったわけではない。美しい姉は、人付き合いも勉強も職場の業務でも、何においても優秀な人だった。自分の希望だけを通し続けてきた姉は、社会というものが単に「気に食わなかった」のだ。
 そしてそれからずっと両親に寄生して身勝手に生きている。母の作る料理を「不味い」とひっくり返し、父の渡す小遣いに「少ない」と文句を言って買い物をする、そんな毎日だ。
 小遣いや食事など与えるからいけない――と私は訴えた。そもそも家に住まわせなければ良い。けれど、たやすく激昂しガラスを叩き割る姉に、両親は逆らうという意思を奪われていた。
 二人は姉の育児に――子育てに失敗したのだ。だからあんな人間が出来上がった。

 私が就職を機に家を出て十年ほどになる。出逢いがあって結婚もした。父母は年金で暮らすようになっていた。
 姉の寄生はいつまで続くのかと悩み続けていたある日、父が死んだ。
 涙に暮れる中、これはチャンスだ――というどこか冷静な声が頭に響いた。
「お母さん。お父さんのいない家は寂しいでしょう? うちで一緒に暮らさない?」
 もうすぐ子供も産まれるのよ、と悲しむ母を慰める。母は悩んでいたが最後には頷いて私と夫の家で暮らしてくれることになった。
 これで姉は一人だ。寄生する相手も用意される食事もない家で、ゴミに埋もれて好きなように生きればいい。
 私はようやく、母を姉の支配から救う事が出来たのだと喜んだ。縛り付けられていた母を私の手で大切にしてあげられるのだと。

「お母さん、一緒に買い物に行こっか」
 私は母を定期的に食事や観劇などに誘った。あの家を出てから母が塞ぎがちであったからだ。
「うん……でもねぇ、私はいいよ」
「じゃあ、外食しよう?」
「私はいいよ。……ねぇ、あの子はちゃんと食べてるかしら?」
 母は不安そうな顔で私の手を掴んで揺する。
「心配で仕方ないんだよ。あの子はお母さんがいないと何もできないから。ねぇ、様子を見に行ってもいいかい?」
 必死に訴える母に「……いいよ」と答える事しかできなかった。

 足が弱ってきた母に付き添い、実家までの道を歩く。
 姉は私達の顔を見るなり、ちっと舌打ちをして見下すような視線を寄越した。
「何か用?」
 その足元にはネットで購入したであろうものがいくつも転がっている。その新しさと数の多さに、殴られたようなショックを受けた。
 母は姉にお金を送っている――!
「まあまあ、痩せちゃって。ちゃんと食べてるの?」
 裏切られた思いで倒れそうな私とは裏腹に、母は嬉しそうに姉に手を伸ばす。
「触んなよ」
「ご、ごめんね。久しぶりにごはん作ってあげようね。コンビニばかりじゃ駄目だよ」
 床に転がる弁当の空容器をどかし、母はおぼつかない足取りで、それでもいそいそと台所へ向かった。
 そして出来上がった食事を三人で囲んだ。
 姉が「魚は嫌いだって何度もさぁ」と言うと、母はびくりとして「ごめんなさい」と侘びる。それでいながら、お風呂を沸かしておいて、汚いから掃除もして、という姉の命令にはいちいち嬉しそうに頷くのだ。
 私と暮らしている時よりずっと楽しそうだ。
 母と共に暮らした数ヶ月。虐げられていた母を守れた、安息を与えることができたのだという気持ちが独りよがりであった事を思い知る。
 ――なんだ、幸せそうじゃないか。
 自嘲の笑いさえ込み上げてくる。母は私を見ていない。
 ……ああ、もう本当に――嫌だ。
「私、帰るね」
 言い置いて立ち上がる。母が何か言いたそうに見てくるので、にっこりと微笑んであげた。
「ここで暮らしたいなら、いいよ」
 そう言うと、母は心底ほっとしたような顔をしたのだった。

 両親は子供を育てる事に失敗した。
 それは姉だけでなく、私という娘に対しても。
 あの二人を見捨てる事に何の躊躇いもない、そんな娘に育ったのだから。
 腹を撫でる。私は決して育児に失敗などしない。産まれてくる子が私や姉のような人間にならないよう、正しく育ててやるのだ。
 歩き出した道を立ち止まり、家を振り返った。
 ――私はもうこの家には来ない。二度と連絡を取りたくもないし仕送りもしない。金などすぐに尽きるだろう。

 それでいつかこの家に二つの死体が転がる事になるのだとしても、私はもう構わない。


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