小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第39回 旅人の哀歌 (テーマ:旅)
 物置部屋で一幅の絵を見つけた。
 手前から奥に向かい、遠くの山への道が長く伸びるだけの絵だ。その道に、馬を連れてこちら側に背を向けて歩く男の姿が描かれている。これは旅人の絵だ。
 何となく惹かれ、書斎に飾る事にした。
「傷んでいるな」
 長い事放置されていたのだろう、くすんだ色が気になった。空しい色合いの絵に指を伸ばす。と、触れた部分が仄淡く色づいた。
「しまった」
 指が汚れていたか、と慌てて手を引く。が、私の手に汚れている形跡はない。首を傾げた。
 そして再び絵に目を向けた時、そこに小さな変化が起きていた。
 私が触れた所に小さな樹の芽のようなものが出てきていたのだ。道と山以外に何も無かったはずの絵に不意に現れた緑だった。
 長い旅はひどく疲れるだろうな、と目の前で起きる不可思議とは無関係にそんな感想を絵に抱いた。樹に果実でも実ればいい。
 すると緑の芽はするすると大きくなり、果実をつけた。その時、絵の中の旅人が身じろぎをした。
 この絵は動く――と悟った。
「……食べてもいいんだぞ」
 絵を相手に呟く。しかし旅人は何かを気にして動かない。
「私が見ているから動けないのか?」
 試しに書斎を出て、一日旅人と馬から目を離してみる事にした。
 翌日、絵の中の果実の数が減っていた。彼らが動いて果実を食べたのだと確信を得た。
 それから私は毎日絵の様子を確認するようになった。

 彼らは注意深く観察しなければ気付かないくらいの速度で道を進んでいた。
 私がいる間は動かないようにしているようなのだが、どこか間が抜けていて、うっかり汗を拭ったりするのを目にする事があった。
 そんな時、旅人はばつが悪そうに私を気にする様子を見せる。そんな風にすると動いているのがばればれなのだが、と私は苦笑する。
「見てないよ。お前は動いてなかったよ」
 聞こえていないかもしれないがそう言っておく。絵の向こう側で旅人も苦笑しているかもしれないと想像しながら。

 絵の中ではゆっくりと時が移ろっているようだった。道と山に変化はないが、私が描いた樹の方は次第に枯れて、再び何も無くなったのだった。
 山まではまだ遠い。私は旅人を癒せるものが何かないかと思案する。
「泉はどうだろう? 体も洗えてちゃんと飲める、綺麗な水だ」
 指を置くと水の色が絵にほんのり現れ、それはゆっくりと泉の形を成していった。
 果たして翌日絵を見てみれば、身に纏う服もどこかこざっぱりとした旅人と、毛並が艶やかになった馬が歩いているのだった。気分転換になるようでもあるので、私は絵の中に定期的に泉を描く事にした。

 彼らはこの絵の中でどれだけの時間を旅してきたのだろう。他の動物を描いてみた事もあるのだが、やはりそれは彼らを残して移ろい、元の通りに消えてしまう。
 彼らはお互いだけを頼みに、寄り添い合って長い旅を続けているのだ。
 空模様を変えた時には失敗して土砂降りとなってしまった。慌てて描いた大きな樹の下で、旅人は私がいるのも忘れて一生懸命馬を拭ってやっていた。
 馬の方でもうっかり動いて、旅人に顔を摺り寄せるのを見た事がある。
 私からは見えない彼らの顔は、きっとお互いへの信頼で満ちているに違いない。

 彼らがようやく山の麓まで辿りついた頃の事だ。
書斎の窓から射す朝日の中、馬が倒れていた。
「どうした」
 旅人に声をかける。馬に覆いかぶさるその背には動揺と悲しみがあった。
「……まさか、死んだのか?」
 絵に手を伸ばす。何かをしたかった。何かを与えたかった。けれどそこに描くべき何も思いつかない。
 常であれば時間が経てば絵に何かしらの差異があるものだった。けれど、何日経っても馬は一ミリも動かず、旅人もまた、立ち上がる事もなく馬に縋り付いたままだった。
「お前はまだ、泣いているんだな」
 ……花を手向けたいと思った。
 移ろい消えてしまうのだとしても、馬に花を贈りたいと。
 道の両端に指を滑らせた。するとささやかな淡い色の花々が咲く。――と、絵の中の変化に旅人が顔を上げた。
 咲き始めた花に気付いた旅人は、一生懸命にそれをかき集める。
 馬の周囲を花でいっぱいに埋め尽くすと、旅人は初めてこちら側に――私に顔を向け、深く頭を下げるのだった。
 翌朝、絵から馬の姿が消えていた。代わりに、花で埋め尽くされた辺りに旅人が作った墓が出来ていた。
 彼らの旅は終わったのだ。
 旅人のために私は墓のそばに小屋を描いてやった。彼はそこに暮らし始めるようになった。
 私が見ていない間に旅人は楽器をこさえた。小屋の前に座り、馬への曲を奏でる姿でいるのが多くなった。旅人の絵は哀歌の絵となった。
「いい曲だな」
 と私は言う。馬を想って奏でられるその曲を聴きながら、私は今でも旅人の絵に花を描き続けている。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 361