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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第31回 おきつね電車 (テーマ:電車)
 新しい高校に転入するというその初日から寝坊をぶちかまし、俺は必死で走っていた。
 予定よりもだいぶ遅れて小さな駅に駆け込んで、「乗る乗る乗ります!」とドアに滑り込む。この電車に乗れても遅刻なのは確定しているのだが。
 肩で息をしながら制服のシャツのボタンを外して緩ませる。初日くらいはきちんとした格好で登校しようと思っていたのだが、すでに無理そうだ。
 車内には俺と小さな男の子の二人しか乗っていない。人の少ない土地とはいえ不思議に感じた。
 首を傾げながら座ると、座席が奇妙に柔らかい座り心地がして思わず「んっ?」と声が出る。暖房を付ける時期でもないのに、変に暖かくもあった。
「ふふふ」
 俺の慌てる様子が可笑しかったのか、向かいの席に座る子供が笑い声を上げた。
「おにいちゃん、変なの。変な顔」
「焦ってたんだよ。あんまり笑わないでくれ」
 さすがに情けなくなるというものだ。制服は着崩れているし、それなりに清潔感を意識してセットした髪も乱れてしまった。こんな姿で、しかも遅刻して登場するなど転入生の第一印象としては最悪だ。
「その服の人たち、もっと早い電車に乗ってたよ」
「分かってるよ……。どうやっても遅刻なのは分かってるんだ」
 朝食代わりの菓子パンを取り出し、半分に割って子供に渡す。
「やる」
「いいの?」
「走り過ぎてむしろ食欲が出ないんだ。食えるんなら食ってくれ」
 そう言うと、子供ははぐはぐとパンにかぶりついた。お腹が空いていたのか。そういえば親はどこだろう。電車内のどこにも、保護者の姿は見当たらない。
「完全に遅刻だなー……」
 もはや諦めの境地で呟くと、パンを頬張りながら子供がこちらに視線を向けた。
「ひとつ前の電車なら、間に合う?」
「まあ、ギリ間に合うんじゃないかな。言っても乗れなきゃ意味ないけどな」
 ふうん、と子供が大きな瞳を電車の天井に向けた。パンくずのついた手を舐めると、ぴょんと座席を降りる。危ないぞ、と言いかけて、ふさふさの尻尾がその子に生えているのを目にして固まった。
 黄色――いや、金色? 豊かな毛並のこの尻尾は――?
「にいちゃん!」
 と、子供が叫んだ。俺を呼んだのではない。もっと近しい、家族に向けての呼びかけだ。
「うんとはやく、はやく走って!」
 戸惑ったままの俺を振り向き、尻尾を生やした子供はにっかりと笑った。――と、電車が急激に加速を始めた。
「え、え」
 急なスピードにふらついて座席に倒れ込む。すると、先ほどまで座っていた座席がますます柔らかくなっていることに驚いた。更に足元も埋もれるようにふかふかとしている。
「な、何だこれ」
「にいちゃんね、見習いで修行中なの。化けるのうんとうまいんだよ。パンのお礼」
 得意げに言う子供に、あぁもしかしてもしかして、と目が回るような心地で考える。
 新たに引っ越してきたこの土地には古びた神社があるという。決して大きいものではないし有名でもないけれど、この地域に棲息しているはずのない狐の姿をたびたび目にすることがあるのだという。
 それはきっと神社のおきつね様たちなのだと。
 そんな話を思い出していた。

「――追い付いた!」
 駅の手前でそう言われる頃には、ぐにゃぐにゃと柔らかく揺れる電車の乗り心地にふらふらになっていた。
「友だちたくさんできるといいね!」
 屈託のない声に「おう、ありがとな……」とくらくらとしながら返答する。視界も靄がかかっていてこれはまずいぞ、と思っていたら、俺がしゃべっていたのとは別の子どもの声が響いた。
『もうだめぇぇ、つかれたよー』
 どろろーん、と言う声もして。気付けば視界はクリアになって、俺は駅のホームの端に転がされていた。
 自分と同じく放り出されていた鞄を拾い上げて時計を見る。ぎりぎりだけど、遅刻は回避できるかもしれない。
 子供の――子狐の姿はもうどこにも見えないが、草むらで休んでいるような気がしたのでそちらに向けて声をかける。
「これ」と鞄から弁当を取り出した。あれだけ頑張って走ってくれたのだ。パン半分だけでは申し訳ない。しかも今日は狙ったかのようにいなり寿司が詰められていたはず。お兄ちゃん狐と仲良くわけてくれたらいい。俺は笑って「食えよ」と弁当をその場に置いた。
 さて。ここから走って間に合っても、制服を整える暇も髪をセットする時間もなさそうだ。けれど、別にいい。あの子狐のように「変なの」と笑ってくれる奴だっているかもしれない。
 見習いとはいえ神社の狐が友人ができることを願ってくれたのだ。叶えなければこれも申し訳ないというものだ。
 まずは隣の席の奴にでも、昼に戦争が予想される購買の場所を聞くところから始めてみることにしよう。
 そうしたらまた、子狐たちにお土産のパンを買ってやるのもいいかもしれない。


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