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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第30回 夕暮れの街で彼に会えたら (テーマ:都市伝説)
 非常に珍しい事に、自分に近いモノとすれ違った。
「あれ――人面犬?」
 不繊布のマスクのまま久しぶり、と笑いかける。
「口裂け女じゃねぇか」
 おっさん顔をした小汚い犬がしかめっ面でそう言った。

 ベンチに腰掛けて缶コーヒーにストローをさす。人面犬にも適当な器にコーヒーを注いであげた。
「ストローなんかで飲むのかよ」
「マスクを外さずに飲む方法がこれしかないんだもの。公園で一休みしている口裂け女なんておかしいじゃない」
 薄暗い帰り道に出遭ってしまうのが口裂け女だ。マスクを取るのは「私、綺麗?」と訊く時だけでなければいけない。私はそういう存在なのだもの。
 びちゃびちゃとコーヒーをあちこちにはねさせながら飲む人面犬にふふ、と笑う。
「やっぱりあなたってキモいわよね」
「うるせぇ。それが人面犬だ」
 毒づいてから、あ――と間抜けな声を発した。
「そういや最近、同じこと言われたな」
 ふへっ、と笑う。
「キモくて怖いのが俺だからな。人間に気味悪がられりゃ嬉しいもんだ」
「私はもうめっきり。最近は駄目ね」
 薄暗い道もすっかり減って、その上マスクをしている人が随分と増えた。顔を隠すと安心していられる心理があるのだと言う。花粉の時期は尚更で、すれ違う人が大きなマスクをしていたところで子供たちは何の恐怖も抱かない。心に恐怖の隙が無ければ、付け入る事もできやしない。
「それでもたまには襲うんだけどね」
 だからかろうじて口裂け女としての存在を保てている。
「それがとっても有り難いの。」
「それ、あいつに聞かせてやれりゃ良かったな」
 人面犬の言葉に「何の話?」と首を傾げる。
「どこの街だったかな、口裂け女に遭った事があるって奴の話を聞いてやったんだ。子供の頃に『ブス』って言ってお前を傷つけたって悩んでたぞ」
 ……それは何と、律儀というか真面目というか――。
「襲う前に口裂け女が遊んでくれたんだと。憶えてるか?」
 都市伝説なんかを遊びに誘ってくれた子供――。
「――ああ! 憶えているわ。そうよ私、なぜだかうっかり一緒に遊んでしまって」
 懐いてくれる子供って可愛いな、と思ったりしたのだ。途中で自分の存在意義を思い出し、人間と遊んで楽しくなってしまった事に戸惑いながら「私、綺麗?」と口裂け女の義務を果たしたのだ。
 ――ブース!
 蘇った声にちく、と胸が痛んだ。そういえばあの時も悲しかったような気がする。
「傷ついたのか」
「……そうみたい」
 綺麗と言ってほしかったわけではないはずだ。ただ、楽しい気持ちで共に過ごせたから、急に突き放されたようで寂しかったのだ。
 我儘だわ、と思う。あの子が「ブス」と言ってくれたおかげで私は私として在り続ける事ができたのだから、それで充分なはずなのに。……まぁ、綺麗と言ってくれても同じ事ではあるけれど。
「ずっと謝りたかったとさ」
「別にいいのにね」
 人面犬がぶえっくしょい、と汚いくしゃみをした。思うに、わざと汚く気味悪く振る舞っているのだ。そう在るのが「人面犬」だから。
 私はマスクを整えると、くるりと回ってみせた。
「ねぇ、私、綺麗?」
「……俺に訊いてどうすんだよ」
 呆れた声で返される。
「私は口裂け女なの。――でも、マスクをしている人間の中に混じってしまえばそんなの分からないでしょう? マスクをすればただの女だわ」
 紛れてしまえばきっと誰も気づかない。
「マスクを取って襲うのが口裂け女だ。口元を隠したままじゃ口裂け女は名乗れない」
 そうね……、と呟く。それが私という存在なのだものね。
「……私、もう行くわね。その人間の子、会えたらいいのだけど」
「そしたら謝罪を聞いてやれ。そんで襲えよ」
 もうすっかり大人になっちまってるがな、と言われた。
 その人間に会えたらいい。本当にそう思う。
 もしも会えたなら――私はまた「私、綺麗?」と訊くだろう。答えはどちらでも構わない。
 あの頃は都市伝説としての力が強かったから、子供一人くらい襲わなくても「何か」に見逃されていた。けれどもう、恐怖心の隙間にさえ入れなくなった私では、見逃してはもらえない。
 彼にブスと言われたら「ひどいなぁ」と苦笑しよう。綺麗だと言われたら「お世辞でしょ」なんて答えよう。
 そしてそのどちらであっても、私はもう、襲う事はしない。
 ごめんね人面犬、もう会えないかもしれない。別に仲がいいわけではなかったけれど、心の中で謝っておく。
 口裂け女で在る事から、都市伝説で在る事から卒業してしまおう。その切っ掛けを、ずっと私なんかの為に悔いてくれていたその人に託してもいいだろうか?
 もしも会えたら――会えたなら、だ。
 呪文のように口中で唱える。

 そうして揺らめいて降りたった夕暮れの街――道を歩く男の人の姿を、私は見つけた。


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