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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第29回 夕暮れの街で彼女に遭えたら (テーマ:都市伝説)
 夕暮れの住宅街で一匹の犬とすれ違った。その瞬間、ずっと謝りたい人がいた事を思い出した。

 俺は口裂け女に「遭った」事がある。
 小学生の頃の事だった。夕日に染まる公園で一人、砂に絵を描いて過ごしていた。そこに、大きなマスクをした女性が近づいてきた。
「……ねえ」
 笑んだ瞳が綺麗に半月の形を作っていた。優しそうな人だ、なんて何の根拠もなく思った。だから一人きりで寂しかった事も手伝って、その人が何かを言う前に勢いよく声をかけていた。
「ねえ、遊んで!」
「えっ?」とその人はひどく戸惑った声を上げた。
腕に飛びついて「いいでしょ?」とお願いすると、困惑した様子で「……ええと、い、いいわ」と答えてくれた。マスクで隠れていたけれど、はにかんでいるようだった。
 砂の山を作ったり、ブランコに乗る背を押してくれたりした。声を上げて笑っていたから、その人も楽しんでくれているのが伝わった。
「お花、綺麗ね」
 花壇の花を撫でてその人は言った。そうだね、と横顔を見ていた時、(ああ、この人は口裂け女だ)と気付いてしまった。ずれたマスクから、目の近くに唇の端があるのが見えてしまった。
 俺の視線に気づき、その人は「あ……」と言う。やるべき事を思い出したように向き直ると、少し迷ったように視線を彷徨わせ、マスクの紐に指をかけた。
「……私、綺麗?」
 その瞬間、子供らしい考えなしの挑戦心が働いた。マスクを取るより早く、俺の口はこう口走っていたのだ。
「っ、ブース!」
 綺麗と答えてもブスと答えても襲われるのだと本で読んでいた。ならば即答してすぐさま逃げてしまえと考えたのだ。追いかけてきても「ポマード」と唱えてやればいい。どこかわくわくしながら逃げた後ろを振り返ると、口裂け女は花壇の前に佇んだままでいた。
 寂しそうな……傷ついた目をして、襲いかかる事もなく俺を見つめていた。

「あれは夢か何かだったんだと、俺の脳は処理をしたみたいで」
 子供の記憶は曖昧で、夢で見た事や想像した事が現実であるかのように錯覚する。だから逆に、口裂け女の事は「現実ではない」と処理されてしまった。
 けれどずっと、誰かに謝りたくて仕方ない気持ちが残っていた。夕暮れの帰り道、人気のない公園。そんなものを見かけると申し訳なさで胸が痛んだ。
「話、聞いてくれてありがとな」
 傍らの犬に礼を言う。記憶を呼び覚ましてくれた張本人――張本犬である、人面犬に。
 夕暮れの街で人面犬に遭遇した時、俺は思わずそいつの尻尾を掴んでいた。――都市伝説は存在していた! その事実が、俺の記憶を呼び覚ましてくれた。
『いてえな!』
『は、話を』
 俺の話を聞いてくれないか――と汚れた尻尾に縋り付き、話をして今に至るわけである。
「面白くもねえ話だ」
 太い眉を寄せ、そいつは流暢に人の言葉で言った。
「都市伝説仲間として、口裂け女がどうしているか知らないか?」
「んだよその仲間。語る奴がいれば存在はしてるだろうさ」
 脂ぎったおっさん顔で言う。
「……ブスだなんて思ってなかった。とりあえず即答して逃げてやれとしか考えてなくて」
 半月型の瞳が綺麗で、子供と遊んでくれる優しい人だとわかっていた。……なのに傷つけた。
「ブスでも綺麗でも、どっちか答えりゃそれでいいんだよ」
 さもつまらなさそうに、後ろ脚で耳を掻く。
「お前と仲良くなるなんて想定外だったんだろうさ。一緒に遊べば襲いづらくなる。だけどマスクを取って綺麗かどうか訊かなきゃ口裂け女でいられない」
 だからうっかり遊んでしまって、役目を思い出してマスクを外した。
「俺たちが俺たちで在る方法だ。アイデンティティーって言うのか」
「でも、きっと傷つけた」
「おかげで都市伝説としての存在が赦されるんだから、構うような事じゃねえ」
 割り切っている人面犬の言葉に、ため息を吐く。
「また会えると良いんだけど」
 ――もしもまた遭えたなら、口裂け女はやはり「私、綺麗?」と訊いてくるだろうか。懐かしさを抱えながら俺は「綺麗です」と答えよう。あの人は躊躇いながら「これでも?」と襲ってくるかもしれない。
 そうすれば彼女は口裂け女としての自己を保てる。死にたくはないから、「ポマード」と唱える事だけは許してほしいと思うけれども。

「そう言えば、人面犬はどういう存在なんだ」
「人間の面をした犬ってだけだ」
「それだけか」
「バリエーションはあるだろうがな」
「キモいとか可愛いとか言わなくていいのか?」
「言わなくていいし言っても襲いやしない。言うんなら聞くがな」
 女性をブス呼ばわりしてしまった事で長らく悔いていた俺は、しばし人面犬の顔を吟味し、熟考してこう言った。
「……やっぱ、キモいな」
 ふへっ、と人面犬は笑い声だけを残す。
 そうして落日と共に、消えていった。


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